ミラレパ佛の修煉物語(七)
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 【明慧日本2024年8月8日】ヒマラヤ山脈は古来、修煉する者が多く集まる場所であり、人々は質素な生活を送り、歌や踊りを楽しむと同時に、佛法を崇拝していました。その中で、ミラレパ(密勒日巴)という修煉者がいました。佛、菩薩たちは多生曠劫(たしょうこうごう:繰り返し輪廻する長い時間)の修煉によって成就するものですが、ミラレパは一生の中でこれらの佛、菩薩と同等の功徳を成就し、後にチベット密教の始祖となりました。

 (ミラレパ佛の修煉物語(六)に続く)

 レチュンパ(ミラレパの弟子)は密勒日巴(ミラレパ)尊者に再び尋ねました。「上師様は、馬爾巴(マルパ:ミラレパの師)上師の指示に従って何年も滞在したのですか?」

 ミラレパ尊者は引き続き話しました。

 私は実際には何年も滞在せず、しばらくして故郷に戻りました。その理由をお話ししましょう。

 私は瞑想に集中して精進修行し、修行がかなり進みました。普段は一切眠らないのですが、ある朝、突然うとうとと眠りに落ち、夢を見ました。夢の中で、私は嘉俄沢(かがたく)の故郷に帰っていました。四柱八梁屋(しちゅうはちりょうおく)は老いたロバの耳のようにぼろぼろになっており、家宝の大宝積経(だいほうしゃくきょう。訳注:佛教経典の一つで異なる経典をまとめたもの)は雨漏りでひどく損傷していました。家の外の俄馬三角田(がばさんかくでん)には茨と蔓草が生い茂っていました。母は亡くなり、妹は乞食になり他の地区を放浪していました。私は幼少期から不幸に見舞われ、母と離れて暮らしてきたことを思い出し、この多年、母子が会えなかったことを思うと、心に深い悲しみが湧き上がり、耐え切れずに大声で「母さん! 琵達(びたつ)妹よ!」と叫び、夢から泣きながら目を覚ましました。涙で襟を濡らし、母を思うと涙が止まらず、帰郷して母に会おうと決心しました。

 明け方、私は何も気にせず窟門を破り、上師の寝室へ向かい、帰郷の許しを求めました。ちょうどその時、上師はまだ眠っていましたが、私は彼の枕元で跪き、上師に夢と母への思いを告げました。

 上師は目を覚ましました。

 ちょうどその時、朝の陽光が窓から差し込み、枕元の馬爾巴(マルパ)上師の頭を照らしていました。同時に、師母(訳注:馬爾巴の妻)が朝食を持って部屋に入ってきました。馬爾巴上師は「息子よ! なぜ突然出関(訳注:閉関している状態から出ること)したのか? 魔障(訳注:修行の妨げとなるもの)に中断されたのではないか? 早く戻って修行を続けなさい!」と言いました。

 私は再び夢の内容と母への思いを上師に伝えました。

 上師は「息子よ! 初めて来た時に、郷里や家族のことは忘れると言ったではないか? 今や故郷を離れて多年が経ち、帰っても母に会うことはできないでしょう。他の者たちに会えるかどうかも定かではない。お前は衛蔵(えいぞう)に多年住み、ここでも多年住んできた。どうしても帰りたいのなら、行かせてやる。故郷に帰った後、再びここに戻って来ると言っているが、それは難しいだろう。先ほどお前が入ってきた時、私はちょうど眠っていた。それが、今生で再び会えないという縁起なのだ。しかし、太陽が私の家を照らしているのは、お前の教法(きょうほう。訳注:佛教の教え)が朝日として十方を照らす象徴(訳注:教法が広く世の中に広がり多くの人々の心を照らす)である。特に太陽が私の頭を照らしているのは、修伝派の教法が広められる縁起である。達媚瑪(たつびま:馬爾巴の妻)がちょうど飲食を持ってきたのは、お前が三昧定食(さんまいていしょく。訳注:修行者が精神的な安定を保つための食事)で身体を養うことができることを示している。今はもうお前を行かせるしかないだろう。達媚瑪、良い会供(えぐ。訳注:供養の儀式)を準備してくれ」と言いました。

 そして、師母は供養の準備をし、上師は曼陀羅(まんだら。訳注:宇宙の真理を表すシンボル)を建立し、空行耳伝(くうこうじでん。訳注:空行母から直接伝授される密教の教え)の成熟道表示(せいじゅくどうひょうじ。訳注:成熟した修行の道が示されること)の灌頂と、解脱の珍しい口訣を完全に伝授してくださいました。

 上師は「ああ、これらの口訣は、至尊(しそん。訳注:最も尊敬される師)なる那諾巴(ナーローパ:馬爾巴の師)から私に授けられたもので、あなたに伝えるようにと言われたものです。あなたも空行母(くうぎょうぼ。訳注:悟りを得た女性の密教修行者)の授記(じゅき。訳注:師から弟子に対する導き)に従って、これらの口訣を最も深い理解を持つ弟子に第十三代(だいじゅうさんだい。訳注:十三世代目の弟子)まで伝えなければなりません。もし財宝や名声、名利を求めたり、人からの敬意を期待したり、個人的な偏愛でこの法を伝えたりしたなら、それは空行(くうぎょう。訳注:高度な悟りを得た存在)の誓いに違反することになります。だから、これらの口授(こうじゅ。訳注:直接口伝えで教えを授けること)を特に慎重に大切にし、しっかりと口訣に従って修行しなさい。もし善根(ぜんこん。訳注:佛法を正しく理解し修行に励むことができる資質)のある弟子に出会ったなら、その弟子が非常に貧しく、物質的な供養が全くなかったとしても、灌頂と口訣を伝えて彼を受け入れ、佛法を弘めなさい。諦洛巴(ていらくは)祖師(訳注:密教の一宗派を開いた人物)が那諾巴大師に与えたさまざまな苦難や、私があなたに課したさまざまな試練は、今後、悟りの能力が低い人々には全く利益がないので、使ってはいけません。今やインドでも、法行(ほうこう。訳注:修行の実践)は以前よりも緩やかになっています。だから、今後はチベットでも、過度に厳しい方法は用いない方がよいでしょう。空行大法(くうぎょうだいほう。訳注:高度な密教の教え)は全部で九部あります。私はそのうち四部をあなたに伝えましたが、残りの五部は、将来私の伝承弟子(でんしょうでし。訳注:特定の教えを師から受け継ぎそれを次の世代に伝える役割を持つ弟子)の一人がインドに行き、那諾巴の父伝弟子(ふでんでし。訳注:自らが受け継いだ佛法のすべて伝授する最も信頼できる弟子)から求めることになるでしょう。それは多くの衆生に大いなる利益をもたらすでしょう。あなたもこれらの法要(ほうよう。訳注:密教における儀式)を求めるために努力しなければなりません。あなたは心の中で『私はとても貧しく、供養もない。上師は私にすべての口訣を伝えてくれたのだろうか?』と疑うかもしれません。しかし、そのような疑念を抱いてはいけません。私は財物の供養にはまったく関心がありません。あなたが努力して精進修行することが、私が本当に喜ぶ供養です。必ず精進努力し、成就の勝幢(しょうとう。訳注:寺院の入り口に立てられる旗)を打ち立てなさい。私は那諾巴尊者の特別な法要、空行耳伝の教えをすべてあなたに伝えました。これらの口訣は那諾巴尊者が他の弟子には伝えず、私一人にだけ伝えたものです。今、私はこれらの口訣をあなたに伝えました。それは、まるで一瓶の水を別の瓶に注ぐように、一滴も漏らさずに伝えたのです。私の言葉に一つの虚言も、過不足もないことを示すために、上師と三世諸佛(さんせいしょぶつ。訳注:過去、現在、未来にわたって存在するすべての佛)、諸尊(しょそん。訳注:佛教において尊敬されるすべての佛)、護法(ごほう。訳注:護法神)の前で誓いを立てます」と言いました。

 また馬爾巴は私の頭に手を置いて「息子よ、今回はお前が去ることになって、私の心は非常に悲しい。しかし、すべての有為法(ういほう。訳注:因縁によって生じ変化し滅するすべてのもの)は無常(むじょう。訳注:すべてのものが常に変化し続け永遠であるものは存在しないという佛教の教え)であり、私もどうすることもできません。急いで行かず、ここにもう数日滞在し、すべての法要と口訣をじっくり復習しなさい。疑問があればすぐに質問しなさい。私が答えてあげましょう」と言いました。

 私は上師の意向に従い、さらに数日間滞在し、すべての疑問を解決しました。上師は「達媚瑪よ、ミラレパの送別のために最高の供養を準備せよ」と言いました。そこで師母は上師、佛菩薩への供品、空行護法(くうこうごほう。訳注:空行母を護る存在)の食品および金剛兄弟(こんごうきょうだい。訳注:チベット密教の教えに従い同じ目標を持つ修行者)への供物を準備し、盛大な供養を設置しました。上師は神通力を示し、時には喜金剛(きこんごう。訳注:密教における重要な本尊の一つ)、時には上楽金剛(じょうらくこんごう。訳注:チベット密教における重要な本尊の一つ)、また時には密集金剛(みっしゅうこんごう。訳注:無上密宗の主要本尊の一つ)などの本尊荘厳身(ほんぞんしょうごんしん。訳注:修行者が本尊と一体化した状態)に変わり、金剛鈴(こんごうれい。訳注:密教において用いられる法具の一種)、杵、輪、宝、蓮華、宝剣などの荘厳な装備を備えていました。赤、白、青、翁「オーン」、阿「アー」、吽「フーン」の3文字(密教において儀式のために使用される呪文の根本)から無限の光明(むげんのこうみょう。訳注:密教において神聖な力が尽きることなく広がっている様子)を放ち、今まで見たことがない様々な神聖な力による変化を示しました。そして「これらはすべて身の神通(しんのじんつう。訳注:その人の体を通じて現れる神秘的な力)に過ぎません。たとえ広大に現れても、それは現実に存在しないものの精神的な幻影であり、大した意味はありません。今日はミラレパの送別のためにこれを現しました」と言いました。

 私は上師の功徳が諸佛(しょぶつ。訳注:すべての佛)と同じであることを目の当たりにし、心に無限の歓喜を感じました。「私は必ず努力して修行し、上師と同じ神通を得よう」と思いました。

 上師が「見ましたか? 決心がつきましたか?」と尋ねました。

 私は「見ました、上師! 決心の信心が生じました。努力して修行し、将来は上師と同じ神通を得たいと思います」と答えました。

 上師は「そうだ、あなたはしっかりと修行しなければなりません。私が伝授したさまざまな教えが如幻(にょげん。訳注:一時的であり変化すること)であることを覚えておき、修行は幻の境地のようです。修行の場所については、雪山の崖洞、険しい谷や森林の奥を選ぶべきです。これらの山洞や崖の中にある洞窟の中では、多甲(たこう)の喜日山(きにちざん)はインドの大成就者が加持した聖地であり、そこへ行って修行するのが良いでしょう。那其雪山(なきせつざん)は二十四聖地(にじゅうしせいち。訳注:神聖で修行に適した場所)の一つであり、ここも修行の聖地です。芒玉(ぼうぎょく)の巴抜山(はばつさん)、八玉(はちぎょく)の玉母貢惹(ぎょくぼこうやく)は華厳経(けごんきょう。訳注:佛教の経典の一つ)に記された聖地であり、亭日(ていじつ)の去把(きょは)は護地空行母(ごちくうぎょうぼ。訳注:特定の修行地を護る存在)が集会する場所であり、修行の聖地です。その他の無人の場所も、縁が整えば修行に適しています。あなたはこれらの場所で修行の勝幢(旗)を立てるべきです。東方の諸聖地の中には、得哇多替(とくわたたい)と咱日(さんじつ)があります。今はまだ縁が到来しておらず、まだ現れていませんが、将来あなたの法が広まる中で、人材がこれらの場所で大いに発展するでしょう。あなたは上記の聖地で修行しなさい。成就を得たならば、それが上師への供養、父母への恩返し、そして衆生への利益となります。究極的に成佛する以外の何事も、最上の供養、真の恩返し、実際の利他事業(りたじぎょう。訳注:自己の利益よりも他者の幸福を願う行為)とは言えません。成就を得られなければ、長寿百歳であっても、ただ罪を重ねるだけです。だから、この世のすべての執着と愛着を捨て去り、世俗の雑務に奔走する人々とは交わらず、無意味な雑談を避け、一心に修行に励みなさい」と言いました。

 上師は言葉を述べながら涙を流し、私を見つめて慈悲で「息子よ、我々父子は今生で再び会うことはないでしょう。私はあなたを決して忘れません! あなたも私を忘れないでください。私の言うことを守って実践すれば、将来、清浄空行(せいじょうくうこう。訳注:純粋で神聖な境地)の浄土で必ず再会できるでしょう。息子よ、喜びなさい! 将来、修行中に気脈(きみゃく。訳注:気が流れる道筋)の深刻な障害が生じるでしょう。その時が来たら、このものを開いてみなさい。それまでは決して開けてはなりません」と言って、上師は蝋で封をした手紙を渡しました。

 その時、上師の言葉を心に深く刻みました。上師の教えは私に計り知れない利益をもたらしました。後に上師の教えを思い出すたびに、善心が増し、修行が進展しました。上師の恩は本当に尽きることがありません。

 上師は師母に「達媚瑪、明日ミラレパを盛大に送別しなさい。心は非常に悲しいが、彼を送り出すのは仕方がありません。息子よ、今夜は一緒に過ごし、父子でしっかりと話をしましょう」と言いました。

 その晩、私は上師の部屋で共に過ごし、師母も一緒でした。師母は非常に悲しんで泣いていました。上師は「達媚瑪、なぜ泣くのですか? 彼は上師の前で空行耳伝の最深の教えを得て、今や崖洞で修行しようとしているのです。泣く理由はありません。衆生の本性は佛性ですが、無明(むみょう。訳注:世界の真実を知らない状態)のために自己の佛覚(ぶっかく。訳注:悟りの境地)を証明することができず、苦しみの中で生死を繰り返しています。本当に悲しむべきは、人身を得て、正法に出会えない人々です。そうした人々こそ、本当に嘆くべき存在です。あなたがそのような人々のために泣くなら、一日中泣き続けることになるでしょう」と言いました。

 師母は「上師のおっしゃることは正しいですが、誰が一日中そのような慈悲を持ち続けられますか? 私の実の息子は、世俗法(せぞくほう。訳注:普通の社会で通用する規範)でも出世法(しゅっせほう。訳注:社会的成功や地位を得るための方法)でも非常に賢く、広大な事業を成し遂げることができますが、彼は亡くなってしまいました。心はすでに非常に悲しいです。今、この信頼し、知恵があり、慈悲心を持つ弟子も私から離れようとしています。このような良い弟子は今までいませんでした。私は心の悲しみを抑えることができません……」話し終わる前に涙が溢れ出し、ついには声を上げて泣き始めました。

 私も耐えきれずに泣きました。上師も涙を拭いながら、師弟3人は互いに別れを惜しみ、悲しみに沈んでいました。誰も言葉を発することができず、その晩は実際にはほとんど話をすることができませんでした。

 翌朝、会供の食べ物を持ち、師徒13人が私を十数里(1里は500メートル)まで見送ってくれました。道中、皆の心はとても悲しく、別れを惜しむ気持ちが溢れていました。法広坡(ほうこうは)に到着し、四方の景色が一望できる場所で、皆は山の斜面に座り、会供の準備をしました。

 上師は私の手を取り、「息子よ、これから衛蔵へ向かうのだな! 蔵地(ぞうち)の薩児馬(サルマ)などの場所では、盗賊が非常に多い。私は誰かに君を送らせたいと思っていたが、因縁の表れのため、君一人で行くことになった。今は君一人の旅だが、私は上師本尊の加持に祈願し、護法の空行が君を守るように命じるので、心配はいらない。道中、何事も起こらないだろう。しかし、そうは言っても、やはり注意は怠らないようにしなさい。まずは俄巴(がは:馬爾巴の一番弟子)喇嘛のところへ行き、彼と教えを比較し、どのような違いがあるか見てみなさい。そこから故郷へ帰りなさい。故郷では7日間だけ滞在し、その後は山中に入って修行し、自利と利他の事業を成就しなさい」と言いました。

 それで、師母は私のために用意した衣服、帽子、靴、そして道中の食料などを一式渡し、涙ながらに「息子よ、これはほんの物質的なささやかな物に過ぎません。これが私たち母子の今生最後の一刻となります。どうか道中の安全を願い、この旅が円満で幸福なものでありますように。そして、将来、烏金空行浄土(うこんくうぎょうじょうど。訳注:悟りの境地に達した霊的な世界)で再会できるよう祈りましょう」と言いました。

 師母がそう言い終えると、再び悲しみに暮れて泣き始めました。見送る人々も皆、涙を流しました。私は敬虔に上師と師母に礼拝し、尊き足元にひれ伏しました。師父と師母が私の頭に手を置いて加持し、発願(ほつがん。訳注:弟子が修行を成就し悟りを得ることを願うこと)してくださった後、私たちは別れました。

 私は10歩進むごとに振り返り、見送る人々が涙を流し続けているのを見ました。再び振り返るのが辛くてたまりませんでした。やがて山道が曲がりくねり、次第に上師と師母の姿は見えなくなりました。

 私は小道を歩き終え、小川を渡った時、振り返ると、距離が遠くてはっきりとは見えないものの、上師と大衆(たいしゅう。訳注:多くの人々)がまだ私を見送るようにこちらの方向を見つめているのがかすかに見えました。私は悲しみに沈み、ほとんど走って戻りたい気持ちを抑えられませんでした。しかし、私はすでに円満な口決を得ており、不法な悪業を行わず、常に上師を思い出し、敬意を持って上師を心に頂いていれば、上師と一緒にいるのと何ら変わりはないと考えました。将来、清浄刹土(しょうじょうせつど。訳注:清浄で純粋な浄土)で再び上師と師母に会えることは間違いありません。今回はまず故郷に戻って母親に会い、それから上師に再び会いに来れば良いと考え、悲しみを抑えて俄巴喇嘛のところへ向かいました。

 俄巴喇嘛に会い、彼の口決と私のものを比較しました。密教の解釈と説法の技術において、彼は私より優れていましたが、修行の口決においては、私は決して劣っていませんでした。特に空行の口伝については、私の方が確実に多く知っていました。最後に俄巴喇嘛に礼拝し、発願した後、故郷へと戻りました。

 15日の道程を3日で到着しました。私は心の中で、「修煉の力は本当に偉大だ」と思いました。

 ミラレパはここまで話すと、レチュンパがまた「上師、あなたが故郷に戻った後、家の状況は夢の予兆と同じだったのですか? 母親に会うことはできましたか?」と尋ねました。

 尊者は「家の状況は夢の通りで、母親に会うことはできませんでした」と答えました。

 レチュンパがさらに「それでは、家に戻った後、どのような状況だったのですか? 村で最初に出会ったのは誰ですか?」と尋ねました。

 ミラレパは引き続き話しました。

 故郷に近づいた時、まず村の上方にある小さい川のそばに行きました。そこから私の家が見えました。近くでは多くの子供たちが羊を放牧していたので、彼らに「友よ、あの大きな家は誰の家ですか?」と尋ねました。

 すると、年長の牧童(ぼくどう。訳注:牧場で家畜を世話をする子供)が「あの家は『四柱八梁(しちゅうはちりょう)の家』と言いますが、今は幽霊以外には誰も住んでいません」と答えました。

 「その家の主人は死んだのか、それともどこか遠くに行ったのか?」と私は聞きました。

 「昔、その家はこの村で一番の金持ちの家でしたが、家長が早くに亡くなり、遺言も整っていなかったため、親戚に全財産を奪われました。その息子が成人した時、財産の返還を求めましたが、親戚たちは応じませんでした。それで彼は呪術を学ぶと誓い、本当に呪文を唱えて雹を降らせ、多くの人を殺しました。そのため、この村は大変な被害を受けました。村の人々は彼の護法神を恐れ、彼の家に近づくどころか、見ることすら避けています。今、その家には息子の母親の遺体と幽霊が住んでいるだけだと思います。彼には妹が1人いましたが、その子は貧しくて母親の遺体を捨て、どこかで物乞いをしているようです。その息子が生きているのか死んでいるのかは、多年にわたって全く音沙汰がありません。家の中にはたくさんの経典があると聞いていますが、あなたに勇気があるなら入ってみるといいでしょう」

 私はその牧童に、「この出来事は何年くらい前のことですか?」と尋ねました。

 牧童は「彼の母親が亡くなったのは約8年前です。呪文を唱えて雹を降らせたことはよく覚えていますが、その他のことは幼い頃に聞いた話で、今ではあまり覚えていません」と答えました。

 私は心の中で「村人たちは私の護法神を恐れているので、私を害することはないだろう。母親が確かに亡くなり、妹が遠くで物乞いをしていると分かり、無限の哀しみが心に湧き上がった」と思いました。

 黄昏時、人目を避けて川辺に行き、ひとしきり泣きました。夜になると村に入りました。見たものは夢で見た通りでした。外の田畑には雑草と茨が生い茂り、金碧輝煌(きんぺききこう。訳注:非常に豪華で美しい様子)な家と佛堂(ぶつどう。訳注:佛像を安置する部屋)は腐り果てていました。家の中に入ると、正法宝積経(しょうぼうほうしゃくきょう。訳注:佛教の教えを集めた書物)が雨水でぼろぼろになり、壁には泥と鳥の糞が乱雑に付着していました。経典の一部はネズミや小鳥の巣と化していました。

 これらを見て過去を思い出し、非常に強烈で深い悲しみが心を襲いました。門の近くには土と破れた衣服で覆われた大きな土塊があり、その上には雑草が生えていました。手で土塊をどけると、中から大量の人骨が現れました。最初は混乱しましたが、すぐにそれが母の遺骨だと気づきました。悲しみが喉を締め付け、心に激痛が走り、その場で昏倒しました。しばらくして目覚め、上師の教えを思い出しました。母の魂と自分の心を上師の智慧心(ちえしん。訳注:真理を見抜く洞察力)と一体に観想(かんそう。訳注:真理を心の中で明確に思い描き悟りを得ること)しました。母の遺骨に頭を乗せ、身・口・意を一瞬たりとも乱さずに大手印三昧(だいしゅいんざんまい。訳注:生死を超えた悟りを目指す精神修行)に入れました。こうして七昼夜を過ごし、父と母が苦しみから解脱し、浄土に昇るのを目の当たりにしました。

 7日後、私は三昧定(さんまいじょう。訳注:心が一つの対象に完全に集中し深い静寂と明晰さを得た状態)から起きました。よくよく考えてみると、輪廻のすべての法には何の実義(じつぎ。訳注:本質的な意義)もなく、世間のすべては本当に無意味だと感じました。そこで、母の骨で佛像を作り、正法宝積経をその佛像の前に供養し、自分は護馬白崖窟(ごばはくがくつ)にこもって昼夜問わず修行に打ち込むことを決意しました。もし心が堅持せず、世間の八風[はっぷう](八風とは、苦、楽、貧、富、毀[き。訳注:他人を悪く言うこと]、誉、貴、賤のこと。これら八つの要素が修行者の心を煽動するため、八風と呼ばれます)に動かされるならば、むしろ自殺を選び、決してその誘惑に負けないようにしました。心に少しでも安逸を求める気持ちが生じたならば、空行護法に命を絶たれることを願いました。こうして何度も自分に誓いを立て、決意を固めました。

 最後に、母の遺骨を集め、正法宝積経の上の鳥の糞を掃除し、雨漏りによる損傷もそれほど多くなく、字もまだはっきりと読めることを確認しました。そして、母の遺骨と宝積経を背負い、心中に無限の悲しみを抱きながら家を出ました。輪廻の世間に対する強い離れの心(はなれのこころ。訳注:物質的な欲望から心を離すこと)が生じ、世間を捨てて正法を修行することを決意しました。家を出るとき、満ちる悲しみを歌にして、世間の虚しさを悟る歌を一曲歌いながら歩きました。

 歩きながら歌い続け、かつて私に文字を教えてくれた先生の家に着きました。しかし、その先生もすでに亡くなっていました。そこで、宝積経をすべて先生の息子に供養し、「この経典をすべてあなたに供養します。どうか私の母の遺骨で佛像を作ってください」と頼みました。

 先生の息子は「いいえ、あなたの経典には護法神が付いていますので、私は受け取ることができません。しかし、佛像を作ることはお手伝いできます」と答えました。

 私は「安心してください。これは私が直接供養するもので、護法神は来ません」と言いました。

 彼は「それなら安心しました」と言いました。そこで、彼は母の骨で佛像を作り、開光礼(かいこうれい。訳注:佛像が完成した際に行う開眼儀式)を行い、塔(とう。訳注:佛像を安置するための建物)に安置しました。一切が整った後、彼は私に誠実に「どうか私のところに数日間滞在し、じっくり話をしましょう」と言いました。

 私は「長居はできません。急いで修行に向かわねばなりません」と言いました。

 彼は「では、今夜だけでも私のところに泊まってください。明日、修行のための資糧(訳注:修行に必要な物)を供養したいのです」と言いました。そこで私は彼の家に一晩泊まることにしました。彼は「あなたは若い頃、呪法や咒術を修めていましたが、今では正法を学んでいるのですね。それは本当に非常に珍しいことで、将来必ず大成就(だいじょうじゅ。訳注:修行を続けることで大きな成果を得ること)を得ることでしょう。どうか、どのような上師に出会い、どのような法要を得たのか教えてください」と言いました。

 そこで、私は最初に紅教(こうきょう。訳注:チベット佛教の派)喇嘛から大円満法(だいえんまんほう。訳注:修行の最終的な目標に到達し悟りを得るための修行法)を得たこと、そして後に馬爾巴上師に出会ったことなど、詳細に語りました。

 彼は聞いた後に「本当に非常に珍しいことです! そういうことなら、馬爾巴上師に学んで、自分で家を建てて、未婚妻である結賽(けっさい)を迎えて妻とし、上師の宗風(しゅうふう。訳注:特定の宗派が持つ教え)を継ぐのはどうでしょうか?」と言いました。

 私は「馬爾巴上師は衆生を救うために妻を娶りましたが、私にはそのような力はありません。『ライオンの跳躍する場所で、ウサギが無謀に真似をしたら、必ず死んでしまう』」と言いました。ましてや、私は世間の輪廻に対して極端な嫌悪感を抱いています。この世で、上師の口決と修行以外のものは何も望みません。私は崖の洞窟で修行することが、上師に対する最善の供養であり、上師の宗風を継承することであり、上師を喜ばせる最良の方法です。衆生を利益し、佛法を広めることも、修行によってのみ可能です。両親を超度(訳注:悟りの境地へと導くこと)することも修行によってのみ達成できます。自己のためにも修行に頼らなければなりません。修行を除いて、他のことには一切興味がなく、関与するつもりもありません。

 私は、また「今回、故郷に戻って家が壊れ、親族が散り散りになっているのを見て、人生がいかに空虚で無常であるかを深く悟りました。人々は必死に働き、お金を稼ぎ、苦労して家を持つのですが、その結果はただの幻に過ぎません。この経験から、私はさらに強い出離(訳注:執着からの解放)の心を持つようになりました。家というものはまるで火宅(かたく。訳注:無常で苦しみに満ちた現実の世界)のようです。人生の苦しみをまだ経験していない人や、死の避けられない事実と死後の輪廻の苦しみを忘れている人だけが、世間の楽しみを求めるのです。しかし、人生の本質を見透かした私は、貧困や飢え、他人の嘲笑を気にせず、生涯をかけて自分と衆生のために修行を尽くす決意です」と言いました。

 家が荒れ果て、母が亡くなり妹が離れていった事実は、私に深い教訓を与え、無常の真理(むじょうのしんり。訳注:すべての物事が常に変化し永続するものはないという佛教の教え)を痛感させました。私は何度も「深山に行って修行しよう」と口に出して言いました。心の奥底でも、世間のすべての享楽を捨て、残りの生涯を修行に捧げる決意を何度も固めました。

 (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2000/12/27/5841.html)
 
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