ミラレパ佛の修煉物語(九)
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 【明慧日本2024年8月15日】ヒマラヤ山脈は古来、修煉者が多く集まる場所であり、人々は質素な生活を送り、歌や踊りを楽しむと同時に、佛法を崇拝していました。その中で、ミラレパ(密勒日巴)という修煉する者がいました。佛、菩薩たちは多生曠劫(たしょうこうごう:繰り返し輪廻する長い時間)の修煉によって成就するものですが、ミラレパは一生の中でこれらの佛、菩薩と同等の功徳を成就し、後にチベット密教の始祖となりました。

 (ミラレパ佛の修煉物語(八)に続く)

 さらに1年が過ぎ、すべての着物が本当に破れ果ててしまい、伯母が田を売った際にくれた皮の上着も死んだ動物の皮のようになってしまいました。このいくつかの物を縫い合わせて座布団を作ろうと思いましたが、人の命は無常であり、もしかしたら今夜にも死ぬかもしれないので、もう少し座禅の修行に集中しようと考えました。そこで、その破れた皮の上着を体の下に敷き、下半身は何か適当なもので覆い、破れたツァンパ(訳注:ハダカムギを粗挽きにした粉)の袋の一部を上にかけ、必要なところには破れた布を置きました。しかしその布は本当にあまりにも破れていて使い物になりませんでした。それを縫おうと思いましたが、針と糸がありませんでした。最後には毛皮を使って紐を作り、この三つの物を結び合わせ、上半身と腰に巻き付け、下半身も少し覆いました。このようにして何とか日々を過ごしました。夜には皮の上着と破れた座布団を使って過ごし、毎日座禅していました。このようにしてさらに1年が過ぎました。

 ある日、突然人々のざわめきが聞こえ、多くの人々が洞窟の前に駆け寄ってきました。彼らが洞窟の中を覗き込むと、緑色のもじゃもじゃした人影を見て、驚いて叫びました。「幽霊だ! 幽霊だ!」そう言って飛び上がるようにして逃げ出しました。後から来た人々は信じず、「青空の下で幽霊なんているわけがない。ちゃんと見たのか? もう一度見てみよう」と言いました。彼らが近づいて再び見るとやはり怖がりました。そこで私は彼らに向かって「私は幽霊ではなく、この洞窟で修煉している行者です」と言いました。そして、自分の経緯を詳しく説明しました。

 最初、彼らは信じませんでしたが、洞窟内を詳しく調べたところ、何もなく、ただいくつかのイラクサがあるだけだと分かり、ようやく信じました。そこで、彼らは私にたくさんのツァンパと肉をくれ、「あなたのような修行者には本当に敬服します。どうか私たちが殺した動物たちを悟りの境地へと導き、我々の罪を浄めてください!」と言いました。そして、彼らは敬虔に礼拝して去っていきました。

 こんなに長い間、人間の食べ物を口にするのは初めてだったので、とても嬉しくて、肉を煮て食べました。すぐに体が非常に快適に感じられ、健康も改善し、知恵も鋭くなり、修行の成果にも深く真理の理解が生じ、以前とは異なる精神的な満足が生まれました。私は心の中で、「大量の財宝を供養するよりも、本当に修行している者に1杯のご飯を供養する方がはるかに大きな功徳があるのだ」と思いました。世の中には、成功者には多くの人が集まるが、困っている人を助ける人は少ない、なんと悲しいことか! 

 私はツァンパと肉を非常に節約して食べ、しばらくの間はそれで過ごしましたが、肉にはやがて虫が湧いてきました。私はその虫を取り除いて食べようとしましたが、よく考えた結果、これは菩薩が行う修行に反することだと思い、虫の食べ物を奪って食べるのは正しくないので、結局イラクサを食べることにしました。

 ある夜、一人の泥棒が私の食べ物や財物を盗もうとして、洞窟にこっそり入ってきました。私は思わず大笑いして、「おい! 友よ! 私は昼間でも何も見つけられないのに、君が夜に何か見つけられると思うかい?」と言いました。彼も考え直して一緒に笑い、しばらくして気まずそうに静かに去っていきました。

 さらに1年が過ぎ、故郷の嘉俄沢(かがたく)の猟師たちが何も獲物を得られず、私の洞窟の前に来ました。私が緑色の体で縮こまり、布を3枚かけ、骸骨のような姿で座っているのを見て、震えながら弓を引いて、「お前は人間か? 幽霊か? 獣か? 影か? どこから見ても幽霊のようだ!」と震える声で尋ねました。

 私は咳をして「私は人間だ! 幽霊ではない」』と言いました。

 彼らの中に私の声を聞いて私を知っている者がいて、「お前は聞喜(とぱが:ミラレパの幼名)か?」と尋ねました。

 「そうだ、私は聞喜だ!」と答えました。

 「ああ! それなら今日、私たちに食べ物を少し分けてくれないか? 一日中狩りをして何も得られなかったんだ。後でちゃんと返すから」と言いました。

 私は「残念ながら、何も与えるものはないよ」と答えました。

 「ああ、大丈夫だ。君が食べているものを私たちにくれればいいんだ!」と言いました。

 「ここには野生のイラクサしかないよ! 火を焚いてイラクサを煮て食べるといい」

 私の言葉を聞いて、彼らは火を焚いてイラクサを煮始めました。「私たちはバターを少し入れて一緒に煮たいんだ」と言いました。

 「バターがあるならそれでいいが、私は何年もバターを使っていない、イラクサにはバターが入っているんだ!」

 「じゃあ、調味料を少しもらえないか?」

 「私は何年も調味料を使っていない、イラクサには調味料の香りがあるんだ」

 猟師たちは「じゃあ、塩だけでも少しもらえないか?」と言いました。

 私は「塩があるなら話は別だが、私は何年も塩を使っていない、イラクサには塩が入っているんだ!」と答えました。

 猟師たちは「君の衣食は本当に酷いね、どう見ても人間の生活とは思えない。たとえ人の使用人として働いても、少なくとも腹が満たされ、暖かい服を着ることができるだろう。なんて悲惨で哀れな人間なんだ」と言いました。

 私は「どうかそんなことを言わないでくれ! 私は人間の中で最も素晴らしい存在だ。私は偉大な師である馬爾巴(マルパ:ミラレパの師)に出会い、この世で悟りを得る口伝を得て、静かな山中で、今生の執着を捨て、禅定し、深い瞑想によって悟りに近づいた。名誉や尊敬、衣服、食物、財産、利益など、何一つ私の心を動かすものはない。だから私はすべての世俗的な煩悩を克服した。世の中に私よりも男らしい人間はいない。皆さんは佛法が盛んな国に生まれながら、修行はおろか、法を聞こうとする気もない。あなたたちは一生を罪を犯して過ごし、地獄に入ることも恐れない。そんなあなたたちこそ、本当に世界で最も悲惨で哀れな人たちだ! 私は心から安らかで幸せだ。今、修行の喜びの歌を歌って聞かせよう」と言いました。

 彼らは皆、好奇心を持ち、興味深く静かに私の歌を聞きました。

 「偉大な恩師である馬爾巴に敬礼し、今生を捨てて加持を求めます。護馬白崖窟(ごばはくがいくつ)の頂上には、私、ミラレパというヨガ行者がいます。最も高い悟りの道を求めるために、衣食を顧みず、今生を捨てました。下には小さな座布団の快適さがあり、上には八波(はっぱ:今のネパール地域)の棉衣の快適さがあります。身を引き締めて安定させる修行の快適さ、飢えや寒さを超越した心の安定、迷いを取り除いた心の本質の快適さ、これら全てが心地よく感じられます。これは楽であり、あれも楽であり、私は全てが楽しいと感じます。精神的に未熟であり佛教の教えに対する理解が欠けている人たちに告げます。私は自のために、他人のために修行しています。最終的な安楽を得るために修行し、あなたたちが私を哀れむのは実に滑稽です。夕日はすでに西の山に沈みました、皆さんは速やかに自分の家に戻りなさい。私の命がいつ終わるかは分かりません。空しい俗世の話をする暇はありません。完全な悟りの境地を実証するために、どうか私の禅定の修行を邪魔しないでください」

 彼らは私の歌を聞いて「あなたの歌声は本当に素晴らしいですね! あなたが言っているこれらの幸福は本当かもしれませんが、私たちには到底できません。さようなら」と言って皆山を下りていきました。

 私の故郷、嘉俄沢の村人たちは毎年大規模な佛像を作る集会を行います。その年の集会で、あの猟師たちは皆、私の修行の幸福の歌を口々に歌いました。皆その歌を称賛し、本当に素晴らしいと言いました。その時、私の妹の琵達(びたつ)も集会に乞食として来ていました。彼女はその歌詞を聞いて、「この歌の作者はおそらく佛様でしょう」と言いました。

 ある猟師が大笑いして「はは! 佛様かどうかは知らないが、この歌を作ったのは飢えで骨と皮だけになったお前の兄、聞喜が飢え死にしそうな時に歌ったんだ!」と言いました。

 琵達は「私の両親は早くに亡くなり、親戚や友人も皆敵になり、兄もどこへ行ったのか分からない、残されたのは私、この悲しい身の乞食の女の子だけ。あなたたちはそれを冗談にするなんて、あまりにも酷すぎます!」と言って泣き出しました。その時、結賽(けっさい:ミラレパの未婚妻)も会場にいて、琵達が泣いているのを見て彼女を慰めました。「泣かないで! 泣かないで! この歌を作ったのは、どうやらお前の兄さんのようだ。数年前に私も彼を見たことがある。なぜ護馬白崖窟に見に行かないんだ? 私も一緒に行こう!」

 琵達はそれがもっともだと思い、僧侶が施してくれた一瓶の酒と少しのツァンパと米飯を持って護馬白崖窟へ向かいました。

 琵達は護馬白崖窟に到着し、洞窟の入口から中を覗きました。彼女は私が座っているのを見ました。私の目はくぼみ、二つの大きな穴のようになり、体の骨は一本一本外に突き出て山の峰のように見えました。全身に肉はなく、皮膚と骨は離れそうで、全身の毛穴は緑色の茸のように見えました。髪の毛は長くて乱れていました。手足は乾燥して裂けそうに見えました。琵達は最初、私を見て幽霊だと思い、逃げ出そうとしましたが、「あなたの兄が飢え死にしそうだ」という言葉を思い出し、疑わしげに「あなたは人間ですか? それとも幽霊ですか?」と聞きました。

 「私は密勒聞喜(みらとぱが)だよ!」

 彼女は私の声を聞くと、洞窟の中に走り込んできて、私を抱きしめて叫びました。「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」そしてすぐに地面に倒れ込んでしまいました。

 琵達だと分かると、私は悲しみと喜びが入り混じった気持ちになりました。どうにかして彼女を目覚めさせようとしました。彼女は顔を手で覆い、泣きながら「お母さんはあなたを思って死んでしまった。村では誰も私を助けてくれず、苦しさに耐えられなくて、四方を彷徨って乞食をしていました。心の中ではいつも思っていました。お兄ちゃんは死んだのか、生きているのか。もし生きているなら、楽しい日々を過ごしているだろうと思っていました。誰がこんな姿になるなんて思ったでしょうか。この世に私たち兄妹ほど悲惨な人がいるでしょうか?」と言いながら、父母の名前を叫び、胸を打ち、足を踏み鳴らして大声で泣きました。

 私は一生懸命に彼女を慰めようとしましたが、効果がありませんでした。そこで、とても悲しみながら琵達に向かって慰めの歌を歌いました。

 琵達は「本当にそうだとしたら、それは確かに価値のあることですが、実際には信じがたいです。もし本当にそうなら、佛教を学ぶ他の人たちもあなたのようになるはずです。完全にあなたのようでなくても、一部は似ているはずです。あなたのような修行をする人について、私はこれまで聞いたこともありません」と言いながら、持ってきた酒と食べ物を私に与えました。私はその食べ物を食べると、すぐに智慧が明るくなり、その晩には修行の成果が大いに進展しました。

 翌朝、琵達が帰った後、私は身心ともにこれまでにない安楽と鋭い痛みを感じました。心境には善と不善のさまざまな変化と兆しが現れました。努力して修行を続けましたが、効果はありませんでした。数日後、結賽が古い酥油(そゆ。訳注:バターに似た乳製品)と肉、そして一壷の良い酒を持って琵達と一緒に私を訪ねてきました。ちょうどその時、私は水を汲みに行っていました。戻ってくると、ほとんど衣服を着ておらず、緑色の体がむき出しになっていたので、彼女たちは恥ずかしがって私を見ることができず、顔を背けて一緒に泣きました。

 私は洞窟に戻って座ると、彼女たちはツァンパ、酥油、酒、肉を私に与えました。

 琵達は私に「お兄さん、どのように見てもあなたは人間らしくありません! 外に出て、人間の食べ物をもらって修行するのはどうでしょうか? 私も何とかしてあなたに着るものを用意します」と言いました。

 結賽も「どうしても食べ物をもらってくるべきです。私も何とかしてあなたに衣服を用意します」と言いました。

 私は「いつ死ぬかわからないのに、托鉢に行って時間を無駄にするのは何の意味があるでしょうか? たとえ凍死や餓死しても、それは法のために死ぬので、全く後悔はありません。修行を放棄して衣食のために奔走し、財宝を集めて、美味しいものを食べ、良いものを着て、親戚や友人と大いに飲み食いし、無駄話や歌を歌い、笑いながら日々を過ごす、そんな生活は貴重な人生を無駄にするもので、私は絶対に反対です。ですから、あなたたちが私に衣服を探す必要はありませんし、私も托鉢に行くことはありません。それぞれが自分の道を進むのが良いでしょう!」と言いました。

 琵達は「あなたは自分で苦しみを求めているようにしか思えません。どうすればあなたが満足するのか分かりませんが、もうこれ以上、自分を苦しめる方法は他にないんじゃないかと思います」と言いました。

 私は「私の状況など何でもありません。地獄道、餓鬼道、畜生道こそが本当の苦しみです。しかし、多くの衆生が自ら悪事を働き、そのような苦しみを受けるのです。私の現状に私はすでに満足しています。では、満足の歌を2人に歌いましょう」と言いました。

 結賽は私の歌を聞いて、大いに感嘆し、「あなたが以前言ったことと、今行っていることが完全に一致していて、実に感服します!」と言いました。

 琵達は「お兄さんが何と言おうと、あなたが一切の衣服や食べ物を持っていないことに私は心が痛みます。何としても、私は何とかしてまずあなたに衣服を用意します。修行のために衣食を求めないと言いますが、死ぬ前に私はあなたのために衣食を用意しなければなりません」と言いました。

 そう言って、2人は一緒に去って行きました。

 私は良い食べ物を食べた後、身体の苦しみや快楽、体に感じる鋭い痛みや意念の煩わしさなどがますます増大し、次第に修行を続けることができなくなりました。そこで、上師の護符を開けて見ることにしました。護符には、障害を取り除き、利益を増やし、災難を功徳に転じるためのさまざまな秘訣が書かれており、特に今は良い食べ物を摂るべきだと強調されていました。過去に絶え間なく修行を続けた結果、身体の要素(地、水、火、風の四大要素、いわゆる物質的要素)が脈の中に集まっていました。これらは、食べ物が悪すぎたために、うまく消化する力がなくなっていたのです。

 私は琵達が持ってきた少しの酒と結賽が持ってきた食物を食べ、護符の指示に従い、重要な核となる教え、気の流れを扱うための方法、心の状態を理解するための方法をもとに修行に励みました。すると、身体の末梢の経絡の詰まりが解け、人体の中心を通る経絡上の丹田の詰まりも解け、かつてない喜びと明るさ、一切の執着から解放された状態が生まれました。修行の進展は言葉で表現できるものではありません。このような修行を通して得られる特別な悟りと真理の理解の功徳は堅固で広大であり、修行の過程で直面する失敗が悟りにとって有益な経験となりました。私はすべての現象の中に真理が含まれているという宇宙観を理解し、輪廻と涅槃のすべての法が、すべての現象は原因と結果の関係によって生じ存在しているという概念であることを知りました。自心のすべての要素は執着の対象となるすべての場所から離れており、行為が誤れば輪廻に陥り、善行を行えば解脱を得て涅槃に至ります。しかし、生死の世界と涅槃の境地における二者の本質的な性質は不二の空性(ふじのくうしょう:不二法門という意味)であり、真理の光です。このような特別な功徳を生み出す要因は、苦難を伴う修行と心を清浄に保つための修行の積み重ねであり、この特別な悟りを得るために必要な外部要因は、食物と非常に深い秘訣によるものです。様々の原因と条件がうまく調和することによって成功を得たのです。これにより、密教と佛教の教えを実践するための適切で優れた技巧に対する確信が生まれ、物欲に対する適切な理解を持ちつつ悟りに至るための優れた方法を深く信じるようになりました。また、琵達と結賽が供養してくれた食物の恩徳も計り知れないものであると深く知りました。彼女たちの恩に報いるため、特に彼女たちが修行を成就し悟りを得ることを願い、自分が積んだ功徳を彼女たちが悟りに至るために役立てるように願いました。

 その後も修行を続ける中で、次第に白昼に身体を自由に変化させ、空中に浮かぶことや様々な神通力を作り出すことができるようになりました。夜の夢の中では、世界の頂上を巡り、山や川を粉砕することができました。百千の化身に変化し、佛が住むさまざまな世界に行って佛の教えを聞き、非常に多くの衆生に法を説くことができました。身体が水や火に自由に出入りすることができ、神聖な力による不可思議な変化を得ることができました。私は大いなる歓喜を感じながら、一方で修行を続けました。やがて、私は真に自由自在に飛行することができるようになりました。そこで修行の場に飛び、修行者が最も重要な悟りを得るために登り詰めるべき精神的な高みで修行を通じて真理を理解し、いまだかつてない心身が浄化された体験を得ました。

 護馬白崖窟に戻る途中、絨俄(じゅうが)という小さな村を通りかかりました。そこでは父子2人が田を耕していました。彼らは伯父の仲間でした。父親は鋤で地面を掘り、息子は牛を追って田を耕していました。息子が頭を上げて私が空を飛んでいるのを見て、「父さん、見て! 天に人が飛んでいるよ!」と叫びました。彼は田を耕す作業を忘れ、私が空中で飛行している姿を見続けていました。父親は、「あれは何も見る価値はないよ。嘉俄沢の白荘厳母(はくそうげんぼ:ミラレパの母親)が生んだ悪鬼の息子、餓死寸前の『悪魔密勒』だ。彼の影に触れないようにしなさい。さあ、田を耕し続けなさい」と言いました。その父親は私の影に触れるのを恐れて、東へ西へと逃げました。息子は「生きた人間が飛ぶのを見るのは本当に面白い! 僕も飛べるようになりたい、飛ぶことができるならたとえ脚を折るような怪我をしても構わない!」と言い、田を耕す作業を放棄し、私を見つめ続けました。

 私は、自分がすでに衆生に利益をもたらすために佛教の教えを広める活動を行う力を持っていると考え、法を広げて衆生を救い済度するべきだと思いました。しかし、内なる声が私に「上師の指示に従って生涯修行を続けるべきだ。修行そのものが法を広める最良の方法である」と示しました。私は、「生涯を通じて修行を続けて得られる成果が後の修行者の手本となり、未来の衆生と佛教の教えに広大な利益をもたらすことだ」と考えました。そこで、終生山中で修行を続ける決心をしました。

 さらに、「私はここに長く住んでおり、私のことを知っている人が増えている。今日この子供が私の飛行を見たことで、今後さらに多くの人が来るかもしれない。もしここに住み続ければ、世間の八法(せけんのはっぽう。訳注:世俗的な生活の中の利得、損失、楽、苦、称賛、非難、名誉、不名誉)に堕ち、修行の妨げとなる存在や、名を求め他人からの尊敬を得るために他人を利益によってそそのかすことによって究極の成就が中断されるかもしれない。上師が予言された聖地「曲巴(くっぱ)」に行って修行するのが良いだろう」と考えました。そこで私はイラクサを煮る土鍋を背負い、護馬白崖窟を離れました。

 長い間の苦しい修行のため、私は体力が続かず、ぼろぼろの衣服が地面に引きずられていました。ふとした拍子に足を滑らせて道端に転倒し、紐が切れて土鍋も壊れてしまいました。鍋の中には新鮮な緑の麻草が積み重なっており、土鍋が壊れてその破片が広がったのと同時に地面に広がりました。私はこの光景を見て「無常」の道理を思い出し、さらに深い執着からの解放の心と精進の気持ちが生まれました。山の斜面の向こうには、ちょうど一人の猟師が食事をしていて、私の持っている壊れた鍋のかけらを見て、「その土鍋はもう壊れているのに、なぜ持っているんだ? 君の体はこんなに痩せて、しかも緑色になっているのはどういうことだ?」と尋ねました。

 私は簡単に修行の経緯を彼に伝えました。彼はそれを聞いて「それは本当に価値の高いことだ。山の斜面の上にいる私たちと一緒に食事をしませんか?」と言いました。私は彼と共に山の斜面に登りました。そこには他にも数人の猟師が座っていました。その中の一人が私に向かって「おい、友よ。君の目はとてもいい感じだ。もし君がこのような苦難を伴う修行を世俗の仕事に費やせば、きっと狮子のような立派な馬に乗り、家には最良の家畜と奴隷がいて、栄華を享受し、誰も君を侮ることはないだろう。君はとても快適な生活を送ることができる。少なくとも商売をすれば自分を養うことができるし、今のような生活よりもはるかに良い生活が送れるだろう。たとえ他人の使用人になったとしても、十分に食べて暖かい服を着ることができる。今まで君はどうすればいいか分からなかったかもしれないが、今後は私の言う通りにすれば間違いない」

 別の老人が「もういい、もういい。そんなことは言わないで。この方は本物の修行者のようだ。我々のような世俗人の言うことを聞くわけがない。あまり多くを語るな。先生、あなたの声は本当に美しい。どうかもう一度歌を聞かせてください」と言いました。

 私は「皆さんは私を見て、とても悲惨だと思うでしょう。しかし、この世界で私よりも幸福で、楽しく生きている人は他にいないでしょう」と言いました。

 私は猟師たちのもとを離れ、曲巴へ向かいました。巴庫(ばく)を過ぎて亭日(ていじつ)へ到着し、道端に横たわって少し休むことにしました。そこを法会に参加するために着飾った数人の娘たちが通りかかり、私の痩せ細った体を見て、一人の娘が「見て、この人は本当に可哀そうだわ。私たちは来世、こんな不幸な状況にならないように願わなければならない」と言いました。

 別の娘が「本当にかわいそう。こんな姿を見たら誰でも悲しくなるわ」と言いました。

 彼女たちは私の心が、「無知な衆生こそ本当に可哀そうだ」と思っていることに気づきませんでした。私は彼女たちに対して大きな憐れの心を抱き、立ち上がって彼女たちに「そんなことを言わないでください。悲しむ必要もありません。正直に言えば、あなたたちが私のような身を得ようと願っても、簡単には手に入らないでしょう。あなたたちは私を哀れみますか? 可哀そうだと思いますか? 真理に反する誤った見解こそが本当に哀れむべきものであり、不平不満こそが本当に哀れむべきものなのです」と言いました。

 1人の娘はこれを聞いて隣の娘に、「彼はミラレパだわ。私たちは他人のことしか見ていない、自分のことを見ていないのね。不合理なことを言ってしまったわ。彼に謝罪して自分自身の行いを反省し、今後より善い行いをしようと心に誓いましょう」と言いました。

 彼女たち2人は私の前に来て礼拝し、懺悔を求めました。また、七つの小さな二枚貝の殻を供養しました。残りの娘たちも一緒に私に礼拝し、法を説くように求めました。

 私は布林(ふりん)に到着し、曲巴と寄普(きふ)の二カ所の詳細な状況を調べました。そして寄普の太陽窟(たいようくつ)で修行することに決めました。太陽窟に数カ月滞在するうちに、悟りの進展が非常に速く感じられました。布林の住民たちはしばしば食べ物を持ってきて供養してくれました。時折、多くの人々が私を訪ねてくるようになり、次第にこれが修行に少し妨げになっていると感じました。そこで師父(馬爾巴)が示してくださった人のいない深山で修行しようと考えました。

 その時、琵達は羊毛を手に入れ、それを織って毛織物にしました。彼女はその毛織物を持って護馬白崖窟へ私を探しに行きましたが、私はすでにそこを離れていました。彼女は私の行方をあちこちで尋ねました。ある人が「高地の貢通(こうつう)にイラクサの虫のような姿のヨーガ行者がいる。巴庫を通り過ぎ、那託(なたく)を南に向かって歩いて行った」と言いました。琵達はそれが私だと分かり、南へ向かって私を探しに行きました。布林に着いた時、ちょうど高位の僧侶である巴日(はにち)が盛大な法会を開いているところに遭遇しました。

 説法を行う際に巴日僧侶が座る場所には何層にも重ねられた座布団で覆われ、立派な旗や大きな傘が頭上に高く掲げられていました。5色の絹のリボンが四方に飾られ、若い僧侶たちは法螺を吹き、酒を飲み、茶を飲んで忙しそうにしていました。会場には人々が非常に多く、まさに賑やかな盛会でした。

 琵達はこの盛況を見て心の中で「他の人々は佛を学んでこんなに素晴らしい場面と享受があるのに、私の兄はただ苦しみを自分で探し出しているだけで、何の良いこともない。人々の嘲笑を受け、親戚も恥をかいている。この機会に兄に会ったら、よく話し合って、どうにかしてこの高位の巴日僧侶の弟子になる方法を見つけるべきだ」と考えました。

 琵達は会場の人々に私の行方を尋ねました。ある人が私が寄普にいると教えてくれたので、琵達は布林を経て寄普に来て、私を見つけました。彼女は私を見るなり「お兄さん! あなたが修行しているその法は、人を食べ物も着る物もない状態にする法で、本当に恥ずかしいことです。私は本当に人に顔向けできません。他のことはさておき、あなたの下半身には何も覆うものがなく、どんなに見苦しいことか! 今この毛布を使って腰布を作ってください」と言いました。

 「他の佛を学ぶ人々を見てください! 高位の巴日僧侶のあの方を見てください。彼の下には何層にも重ねられた敷物があり、頭上には装飾的な大きな傘が掲げられています。彼の身には絹の衣がまとわれ、茶を飲み、酒を飲んでいます。彼の弟子たちは法螺を吹いており、集会の人々は彼を囲んで無数の供物を捧げています。このような人がいてこそ、大衆や親戚友人にも利益があり、みんなが満足できるのです。だから彼こそが修行者の中で最も優れた修行者です。あなたも彼の弟子になれる方法を探してください。最も低い地位の喇嘛でも快適に暮らせます。さもなければ、お兄さん、あなたのこの修煉法と私の命、私たち兄妹は長くは生きられないでしょう!」そう言って彼女は大声で泣き始めました。

 私は琵達に「そんなことを言わないでください。あなたたちは私が裸でいることを恥ずかしいと思っていますが、これは誰もが本来持っている身体であり、露出しても何も恥ずかしいことはありません。両親が私を生んだ時もこのままの姿だったのですから、何を恥ずかしがる必要がありますか? 罪を犯してはいけないと知りながら、意図的に罪を犯し、両親を悲しませ、上師や佛・法・僧の財産を盗み、自分の欲望を満たすために他人を騙す人々こそが、神々や人々からも軽蔑されるべき存在です。このような人々の行為こそが本当に恥ずかしいことであり、彼らは今世でも来世でも恥をかくでしょう。さらに、あなたが父母から生まれた身体を恥ずかしいと感じるならば、なぜあなたは自分の胸に二つの乳房があることを恥ずかしいと感じないのですか? あなたは私が食べるものも着るものもなく、苦労して修行しているのは、私が食べ物や衣服を見つけられなかったからだと思っていますが、それは間違いです。私がそのように苦しい修行をする理由は、第一に、地獄道、餓鬼道、畜生道の苦しみを恐れているからです。第二に、輪廻は生きている人を火の中に投げ込むようなものであり、恐ろしいものです。世俗の欲望や世間の名声や利益を争うことは、私には病人が吐き出した汚れた食べ物のように嫌悪感を抱かせます。これらを見ると、まるで自分の親が殺された時の血肉を見ているように、心から悲しみが湧き上がります。第三に、馬爾巴上師の教えは、世間の八法や欲望を捨て、衣食や他人の意見を気にせず、人のいない深山で修行し、今生の希望や念頭をすべて捨て、専心して修行することです。だから私は苦行をするのも、上師の教えを守るためです。私は上師の教えを守って修行することで、自分自身だけでなく、すべての衆生に究極の利益をもたらすことができます。人はいつ死ぬか分からないのだから、世間の八法に縛られて悩むよりも、究極の解脱を求めるべきです。あなたが私に巴日僧侶の弟子になれと言うのは、本当におかしい話です。もし私が世間で成功を目指すなら、少なくとも巴日僧侶に劣ることはありません。しかし私はこの生で成佛するために苦行をしているのです。琵達よ、あなたも世間の八法を捨てて、しっかりと佛を学び、兄と一緒に雪山に行って修行しなさい。将来、その利益は太陽の光のように地上に輝くでしょう」と言いました。

 琵達は「あなたが言う世間の八法こそが人間の幸福です。私たち兄妹はそれを捨てる必要はないでしょう? あなたは自分が巴日大僧侶のようにはなれないと知っていて、恥を隠すためにもっともらしいことをたくさん言っています。あなたが私に食べるものも着るものもなく、雪山に行って寒さと飢えに耐えろと言うのは無理です。これから私はどこへ行くか分かりません。お兄さん、どうか犬に追われて逃げ回る野鹿のように、あちこち駆け回らず、ここに留まってください。ここで修行すれば、私もあなたを見つけやすくなりますし、ここの人々はあなたを信じているようなので、ここにずっと住むのが一番です。さもなければ、数日間ここに留まって、まずこの毛布で腰巻きを作ってください。私は少し出かけますが、数日で戻ります」言いました。

 そこで私は琵達にここに数日間留まることを約束し、彼女は布林の村に物乞いに行きました。

 琵達が去った後、私は毛布をいくつかの部分に分け、一番大きな部分を使って頭全体を覆う大きな帽子を作りました。そして、もう一つの部分を使って靴を一対作り、さらに残りの部分を使って20個の小さなカバーを作り、十本の足の指と十本の手の指にそれぞれはめました。また、一つのカバーを作って、下半身の大事な部分にもかぶせました。

 数日後、琵達が戻ってきて、服は縫い終わったかと尋ねました。私は終わったと答え、これらのカバーを見せました。

 彼女はそれを見ると叫びました。「お兄さん! あなたはまったく人間ではありません! 少しも恥じることを知らないのですか? 私が苦労して乞い求めた毛布をバラバラにして、全部無駄にしてしまいました! 時には修行に忙しくて少しの暇もないようですが、こんなふざけたことをする時間はあるのですね! ああ、あなたは本当に人間ではありません!」

 私は「私は道徳的に正しい人であり、佛教の教えを広めるための意義のある活動を行う人です。私は何が恥ずかしいことかをよく知っているので、すべての戒律と誓いをしっかりと守っています。あなたが私の下半身が露出しているのを見て恥ずかしいと感じるので、それを切り取ることはできませんから、あなたの要求を満たすために、時間をかけてこれらのカバーを作りました。私は考えました。もし下半身の突き出た部分が恥ずかしいなら、手、足、頭、指などのすべての突き出た部分も恥ずかしいはずです。だから私はすべての部分にカバーを作りました。毛布を無駄にしたのではなく、それを使って恥を隠すためのカバーを作ったのです。話を聞くと、あなたは私よりも恥を知っているようですが、もし私の下半身が恥ずかしいなら、あなたの下半身も恥ずかしいのではないですか? 恥ずべき財産を集めるより、何も持たない方が良いのです!」と言いました。彼女は私の話を聞き、一言も言わず、顔色が青くなり、その青さに黒みが加わっていました。

 私は続けて「世間の人々は、恥ずかしいことを恥ずかしいと思わず、恥ずかしくないことを恥ずかしいと感じています。人を欺き、害し、罪を犯すことを恥じることなく行っています!」と言いました。

 琵達の顔色は依然として青黒く、食料とバターを私に渡しながら「どうしても、あなたは私の言うことを聞かないのですね。でも、私はお兄さんを見捨てることができません。どうかこれらのものを食べてください。私はまた山を下りて食料を探しに行きます」と言って彼女は去ろうとしました。私は心の中で「琵達の心は本当に法によって変えることができないのでしょうか?」と考えました。私は琵達に「まだ行かないでください。これらのものを食べ終わるまで待ってください。この期間、たとえあなたが法を修行しなくても、少なくとも山を下りて罪を犯すことは避けられます。ここに数日間滞在してください」と言いました。

 琵達は残ることにしました。その間、私はできる限り彼女に因果と善悪の道理を説きました。彼女は次第に佛法について正しい理解を持つようになり、性格も少しずつ変わっていきました。

 (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2000/12/29/5843.html)
 
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