ミラレパ佛の修煉物語(三)
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 【明慧日本2024年7月12日】ヒマラヤ山脈は古来、修煉する者が多く集まる場所であり、人々は質素な生活を送り、歌や踊りを楽しむと同時に、佛法を崇拝していました。その中で、ミラレパ(密勒日巴)という修煉者がいました。佛、菩薩たちは多生曠劫(たしょうこうごう:繰り返し輪廻する長い時間)の修煉によって成就するものですが、ミラレパは一生の中でこれらの佛、菩薩と同等の功徳を成就し、後にチベット密教の始祖となりました。

 (ミラレパ佛の修煉物語(二)に続く)

 レチュンパ(ミラレパの弟子)「尊者! 尊者が最初に悪業を働いたと言いましたが、それはどういうことですか?」

 ミラレパ「最初に悪業を働いたというのは、人を殺す呪術や雹を降らせる術を使って非常に大きな悪業を積んだということです」

 「尊者!」レチュンパがさらに尋ねました。「なぜ呪術を修煉しようと思ったのですか?」

 ミラレパはゆっくりと話しました。

 無上広(ウショングワン)地方で学んでいた時、ある日、嘉俄沢(かがたく)地域の村民が人々が集まって楽しむ会を開くことになり、師父(訳注:紅教のラマ)を主賓として招待しました。師父は私も一緒に連れて行きました。村人たちは非常に豊かな宴席を用意し、最高の美酒で師父をもてなしました。ああ! その日の美酒は本当に多かったのです! みんな心ゆくまで楽しんで飲み、私も我を忘れて思う存分飲みました。最後には、腹がぱんぱんに膨れ、頭もふらふらして、すっかり酔っぱらってしまいました。

 師父は私がすでに酔っているのを見て、供養の品を持って先に寺へ戻るように言いました。私はすっかり酔っ払って、体がだるく、心は無憂無慮(悩みや心配がない状態)で、山の斜面の小道をよろよろしながら、軽い足を引きずりつつ、よろよろと寺に向かって歩いていきました。道中、宴会で歌っていた人たちのことをふと思い出しました。彼らの歌声はとても美しかったのです。そのことを思い出すうちに、私の喉もむずむずしてきて、思わず自分も歌い始めました。

 私の歌声は村人の間で少しばかり評判がありました。この日は酒の勢いもあって、気分がとても良く、声も特に響き渡りました。歌の調子も良く、心が高揚し、脚も宙に浮かぶような気持ちで、歌いながら踊りながら家の方へと歩いて行きました。家の門前に着いた時も、まだ手足を動かしながら歌っていました。

 その時、母は炒った麦を調理していて、この声を聞いて非常に驚き、自分に言い聞かせるように「この歌声は息子の声に似ているけど、この世で私たち母子ほど不幸な者はいない。息子がこんなに楽しそうに歌うはずがないわ!」と言いました。母は驚きと疑いの気持ちで、信じられずに窓の方へ走り、覗いてみました。そこで私の姿を見つけると、怒りに震えながら、右手に持っていた火かき棒を地面に叩きつけ、左手の麦を炒る棒も投げ捨てました。麦が焦げることも気にせず、右手に棍棒を、左手にはかまどの前の灰を一握り掴んで、階段を駆け下り、外に出てきました。母は左手の灰を私の顔に投げつけ、棍棒で私の頭を打ちつけながら、大声で叫びました。

 「密勒蔣採(みらしょうさい:ミラレパの父親)よ! あなたのこの息子を見てください! あなたの血筋は途絶えてしまったわ! 私たち母子の運命を見てください!」

 母は泣き叫びながら、気を失って地面に倒れました。その時、妹の琵達(びたつ:ミラレパの妹)も家から飛び出してきて、泣きながら言いました。

 「お兄さん! よく考えてみて! 母さんがどんな姿になっているか見て!」

 突然の激しい嵐(訳注:混乱と絶望)の中で、私は混乱し、妹の言葉を聞いてようやく目が覚めました。恥ずかしさと悲しみが私の心を深く刺し、涙が止めどなく流れました。妹と私は泣きながら母の手を握り、母の体を揺すりながら呼びかけました。しばらくして母は目を覚まし、涙を浮かべた目で私を見つめながら「息子よ、この世に私たち母子ほど悲惨な人がいるだろうか? そんな中で、お前はまだ楽しげに歌を歌えるのか? この母親の惨めな姿を見れば、涙も出ないほど悲しいはずだ!」と言いました。

 そう言って再び大声で泣き始め、妹と私は母に続いて悲しみのあまり大声で泣きました。その後、私は悲しみを抑え、毅然として母に「母さん、もうこれ以上悲しまないでください。あなたの言うことはその通りです。今、私は決心しました。母さんの望みが何であれ、必ず成し遂げます」と言いました。

 「私は、お前にあの憎むべき豪勢な連中に復讐してもらいたいのです! 私たちは力がないから、唯一の復讐手段は呪術と降雹法(訳注:呪術を用いて雹を降らせ敵に危害を加える法術)です。お前に、呪術、降雹法を徹底的に学び、戻ってきて伯父や伯母、そして私たちを虐げた隣人たちを皆殺しにしてほしい。これが私の唯一の願いだ、お前にできるか?」と母親は言いました。

 「必ずやり遂げます。母さん、すぐに旅費と師への供養を準備してください!」私は決然と答えました。

 それで母は「鉄波銭瓊」(てっぱせんけい。訳注:鉄のように硬く美しい玉のように価値のある田)の田んぼを半分売り、そのお金で名高い「巨星光」という大きな松耳石(まつじせき。訳注:装飾品として用いられる青色の鉱石)を買いました。その後、「無鞍之獅」(むくらのしし)という白馬を買い、染料一桶と牛皮一駄(訳注:牛一頭分の皮)も購入し、これらを師への供養と私の旅費にしました。私は貢達享(こうたつきょう)という地方の若供錯(じゃっくきょう)旅店に数日間滞在し、同行する仲間を待ちました。

 やがて、上俄日(じょうがじつ)地方から法と呪術を学ぶために衛藏(えいぞう)に行こうとする5人の若者が来ました。この貴重な機会を得た私は非常に喜び、彼らに同行を提案しました。彼らも仲間が増えることを歓迎し、同行することに決まりました。

 私は彼らを家に招き、数日間滞在してもらいました。母は彼らを熱心にもてなし、出発前に彼らに「皆さん、聞喜(とぱが:ミラレパの幼名)はまだ若くて世間知らずの子供です。自分で進歩しようとはしません。どうか皆さん、時折彼を励まし、しっかりと呪術を学ばせてください。帰ってきた時には必ず皆さんにお礼をします」と言いました。

 彼らは皆、私を随時気遣うことを約束し、母に安心するよう言いました。

 それで私たちは出発しました。染料や荷物は馬に載せ、松耳石は身につけて持ちました。母は私たちを遠くまで見送り、途中で酒を飲ませて別れを惜しみました。そして友人たち(訳注:同行する5人の若者)に、私の面倒をよく見るようにと何度も念を押しました。やがて母は私を特別に1人だけ呼び寄せ、しっかりと手を握りました。別れの悲しみが私たち母子の心を満たし、息も詰まるほどでした。無言のままお互いを見つめ、無数の言葉を一瞬で伝えたい気持ちでいっぱいでしたが、何を言えばいいのか分かりませんでした。やっとの思いで母はこの耐え難い沈黙を破り、言いました。

 「息子よ、私たち母子の境遇をよく考えてみなさい。どうしてもこの村を呪わなければならないのよ。あなたの仲間たちはただ呪術を学んで生計を立てるために行くのです。でも、あなたはもっと頑張らなければならないわ。息子よ、もしこの村を呪い倒せずに戻ってきたら、あなたの目の前で私は死んでしまうわ」

 私は母に向かって感激の誓いを立てました。

 「母さん、もし学びが成功しなかったら、決して戻ってきません! どうか安心してください!」

 母にしっかりと握られていた手をゆっくりと引き抜き、仲間たちのところに戻って別れを告げました。しかし、心の中では母を置いていくことが辛く、数歩歩いては振り返り、数歩歩いてはまた振り返り、涙がぽろぽろとこぼれ落ちました。母も私を見送ることを名残惜しそうに、私が見えなくなるまでじっと私の行く方向を見つめていました。私はもう一度母のもとに駆け寄りたくてたまりませんでした。その時、心の奥深くで直感がこう告げているように感じました。これが私たち母子の最後の別れであり、もう二度と母に会うことはないだろう、と。

 母は私の姿が見えなくなるまで見送った後、泣きながら家に帰りました。その数日間、村の人々は皆、白荘厳母(はくそうげんぼ:ミラレパの母親)の息子が呪術を学びに行ったことを知っていました。

 私たちは衛藏への主要街道を進み、藏州雍(ぞうしゅうよう)地方の雅古太(がこたい)に到着しました。そこで私は染料と馬を地元の大金持ちに売り、金に換えて身につけました。藏布江(ぞうふこう)を越えて衛地(えいち。訳注:チベット自治区ラサ市)へと向かいました。の汝古(じょこ)という場所に到着した時、多くの衛地の僧たちに出会い、彼らに呪術、誅法(ちゅうほう。訳注:人を呪い殺す法術)、降雹法に通じた人が衛地にいるかどうかを尋ねました。ある僧が私に、波通(はつう)という場所に雍同多甲(ようどうたこう)という名の喇嘛(ラマ)がいて、彼は呪術、誅法を成就した真言行者(訳注:密教の修行者)であると教えてくれました。そこで私たちは波通に向けて出発し、雍同多甲喇嘛に拝謁しました。

 同行した5人はそれぞれ師に供養を捧げました。私は金、松耳石、その他全ての物を捧げ、跪いて「これらの金や松耳石、この全ての物質だけでなく、私の身体、言葉、心の全てを師に捧げます。師よ、私の隣人や親戚は非常に残虐で私の家族を裏切りました。私は呪術を使って彼らを罰したいのです。どうか最高の呪術を私に伝授してください。また、この地で法を学ぶ間の衣食もどうかお慈悲を賜ってください(訳注:施しをお願いします)!」と言いました。

 喇嘛は私の言葉を聞いて、微笑みながら「私は君の言っていることが本当かどうか、ゆっくり見極めることにしよう」と言いました。

 上師は私たちに最も深奥な呪術を教えず、邪悪な呪術の一つ二つといくつかの口訣や修法(訳注:密教において行われる儀礼)を教えるだけでした。その少しの法を習得するのに1年以上かかりました。これらの呪法を授かった後、仲間たちは皆帰る準備をし、上師はそれぞれに衛地産の羊毛の衣を与えました。しかし、私は自信が持てず、心の中で、もしこの程度の呪術で復讐しようとしたら、きっと効果はないだろう、こんな役に立たない呪術を持って帰ったら、母は自殺するに違いない、と思いました。考えた末に、まだ帰らないことに決めました。

 仲間たちは私に「聞喜、お前は帰らないのか?」と言いました。

 私は「帰りたいのは山々だけど、呪術がまだ身に付いていないので、帰るのは気が引けるのだ」と言いました。

 5人は皆「これらの口訣も十分に深奥なものだよ! 師もこれ以上の高深な口訣はないと言っていたじゃないか。私たちは皆、故郷に戻れば名誉と地位は問題ないと自信を持っているよ。でも、もしお前がここに残りたいのなら、それはそれで構わないよ。自分の意思で決めるといい」と言いました。

 それで、彼ら5人は上師の前で礼拝して別れを告げ、帰途につきました。私は上師からいただいた衣を着て、彼らを半日ほど見送りました。上師の家に戻る途中、私は道中で牛糞を集め、大きな袋いっぱいにして、上師の最良の田んぼに肥料として施しました。その時、上師は寝室におり、窓から私の姿を見かけました。彼は別の弟子に、「私のもとに法を学びに来る弟子は多いが、聞喜ほどの弟子はいない。今後も彼のような良い弟子はもう現れないだろう。今朝、彼が私のところに別れの挨拶に来なかったのは、まだ戻ってくる意思があるということだ。彼が最初に来た時、親戚や隣人が彼の家に対してひどいことをしたと言って、復讐のために呪術を学びたいと頼んできた。彼は身、口、意すべてを私に供養すると言った。本当に率直な心を持った人物だ。彼の言葉が全て本当なら、呪術を伝えないのはあまりにもかわいそうだ」と言いました。

 これを聞いた弟子が、上師の言葉を私に伝えてくれたので、私は大いに喜びました。まだ他の呪術を教えてもらえることが分かり、喜び勇んで上師の前に駆けつけました。上師は「聞喜、お前が帰らないのはどういう理由だ?」と言いました。

 私は上師からいただいた衣を脱いで再び感謝の気持ちを伝え、上師の足に礼拝して「師父様、伯父や伯母、隣人たちは、私たち母子3人に対して非常に不当なことをしました。彼らは不正な手段で私たちの財産を奪い、私たちに多くの苦しみを与えました。私たちには報復する力がないので、母は私に呪術を学ぶように言いました。もし呪術を習得せずに帰ると、母は私の目の前で自殺すると言いました。だから帰ることはできません。どうか師父様、私を哀れんで、最も優れた呪術を教えてください!」と言いました。

 そう言って、私は思わず泣いてしまいました。

 喇嘛は私に「お前の親戚や村人たちは、どのようにしてお前たちを虐げたのか?」と尋ねました。

 私は父親が亡くなった後に伯父や伯母がどのようにして財産を奪い、私たちを虐待したかを、泣きながら詳細に話しました。

 上師はそれを聞いて涙をこぼしながら、「もしお前の言うことが本当ならば、彼らは本当に不当なことをしたのだろう。私の呪術を求める者は各地からやってくる。オリザンの三州(訳注:チベット東部の地域)からは、黄金や翡翠を供養する者がいる。衛藏からは、絹や酥油(そゆ。訳注:バターに似た乳製品)、青稞(せいあく。訳注:チベット高原で栽培されるイネの一種)を供養する者がいる。多、康、貢の三地(訳注:チベット東部の地域)からは、最高の茶や絹を供養する者がいる。恰(か)、他、孔の三地(訳注:チベット西部の地域)からは、何千もの馬、牛、羊を供養する者がいる。しかし、身口意を供養すると言ったのはお前だけだ! だが、すぐに呪術を教えることはできない。まず、誰かを派遣してお前の言葉が本当かどうかを調べることにしよう」と言いました。

 弟子の中に、一人の足の速い者がいました。彼は馬よりも速く走り、立ち上がると巨大な象のように大きいのです。上師は彼を私の故郷に派遣して調査させました。数日後、彼は戻ってきて上師に「師父様! 聞喜の言ったことはすべて本当です。彼に最も優れた呪術を教えてください!」と言いました。

 上師は私に「聞喜、最初に呪術を教えなかったのは、お前が純朴すぎて後悔するのではないかと心配したからだ。だが、今やすべてが真実であることが分かったので、呪術を伝授しよう。私には二つの秘法がある。一つは『殺法哼』(さっぽうこう)、もう一つは『毀法呸』(きほうはい)。蔵州(ぞうしゅう)の西隙村(せいげきそん。訳注:チャムド地区にある村)に住む古容巴功徳海(こようはこうとくかい)という喇嘛がいる。彼は医薬に通じ、また呪術の名手でもある。彼も秘呪(ひじゅ。訳注:限られた人にのみ伝授される呪術)を持っており、その名を「降雹法」という。私たちはお互いに秘法を伝授し合い、親しい友人となった。だから、私のところで呪術を学ぶ者は彼のもとへ送り、彼のところで学ぶ者も私のもとへ送るのだ。今回も例外ではない。私の長男が君を彼のもとへ連れて行くことになるだろう」と言いました。

 上師は私のために食物を用意し、また、衛州(えいしゅう。訳注:現在の河南省新郷市)の細かなフェルトやウールの布地も持たせてくれました。さらに、古容巴功徳海師父への供養として礼品も持たせてくれました。これらの品々をすべて馬に載せて、私たちは蔵州へと出発しました。

 西隙村に到着し、古容巴功徳海喇嘛と会見しました。私は持参した礼品をすべて供奉し、自分の悲惨な境遇と、なぜ呪術を求めるのかを詳細に述べて、喇嘛に呪術を教えてもらうよう懇願しました。喇嘛は「雍同多甲喇嘛とは生死を共にするほどの親しい仲です。彼があなたたちを送ってきたのには必ず理由があります。私は秘密の呪術を伝授することにします。ただし、最初のステップとして、山の下、人々に見られない場所に修法堂(訳注:呪術の力が増幅される場所)を建てる必要があります」と言いました。

 私たちは山のふもとの静かな場所に、簡素な修法堂を建てました。牛ほどの大きさの石でその堂を覆いました。

 上師はその修法堂内で、私に呪術の秘密の呪文を伝授しました。

 私はその堂内で7日間修法(訳注:修行)を行いました。喇嘛は「昔は、この法を7日間修するだけで十分だった。あなたも7日間修すれば十分だ」と言いました。

 しかし私は、自分が呪うべき場所が非常に遠いので、さらに7日間修法を続けさせてほしいとお願いしました。14日目の夜、上師は再び「今夜、曼荼羅(法壇)(まんだら。訳注:宇宙の真理を表すシンボル)の隣に、呪法の成果が現れるだろう」と言いました。

 果たして、その夜、護誓三昧耶神(ごせいざんまいやしん)(梵語で、三昧耶は誓約や誓約を破らないの意を含み、密教の護法神を指す)が手に35人の頭と心胆(訳注:心臓と胆嚢)を持って現れ、私に「あなた方が私にさせたのはこれですね」と言いました。

 翌朝、喇嘛がまた私に「護法神が私に、まだ殺すべき者が2人残っているが、どうするか? と聞いてきました」と尋ねました。

 私は満足して「彼らを生かしておいて、自らの報いを目の当たりにさせましょう。どうか彼らを許してやってください」と言いました。

 こうして伯父と伯母は命を留められました。最後に、私たちは再び法を修め、護誓三昧耶神を供養し、送還して法壇を解散しました。

 その時、私の故郷では、呪術の効力が現れた兆しがありました。その日は伯父の長男の結婚式で、多くの客が喜酒を飲むために家に招かれていました。以前、伯父と伯母と一緒に私たちを虐げた三十数人も揃って伯父の家に祝いに来ていました。また、私たちに同情してくれている人々も招かれており、ゆっくりと伯父の家に向かっていました。彼らは道すがら伯父と伯母の非道について話していました。「俗語にあるように、客が主人に変わり、主人は犬に変わるというが、本当にその通りだ。これらの悪党は本当に恥知らずだ。聞喜の財産を奪い、彼の母子を虐待している。聞喜が呪術を学びに行ったが、その呪術が効かなくても、三宝の報い(訳注:三宝[仏・法・僧]に対する罪を犯した者が受ける報い)は必ずやってくるだろう」

 その時、伯父一家と伯母は客をもてなすのに忙しく、祝いに来た人々は皆、酒を飲みながら大いに楽しんでいました。以前、私の家で働いていたが、今は伯父のところで働いている女中が、水を汲むために階段を下りていきました。階段を下りると、そこには大きなサソリ、大蛇、大きなカニが地面を這い回っているのを見ました。大サソリは巨大な鋏で柱を挟んで倒そうとしていました。彼女は恐怖に駆られ、叫びながら家を飛び出していきました。

 その日、階下には客人たちの馬がたくさんつながれていました。その中の一匹の雄馬が雌馬にちょっかいを出そうとしましたが、他の雄馬たちはそれを許さず、大騒ぎになりました。雌馬は雄馬を蹴り飛ばそうとしましたが、どういうわけか、蹴った足が柱に当たり、柱を倒してしまいました。その瞬間、建物全体がガラガラと音を立てて崩れ落ち、一斉に悲鳴が響き渡りました。伯父の息子、新婦、そして三十数人が一緒に圧死しました。地面には崩れ落ちた家があり、灰塵が舞い上がり、折れた木材や壊れた瓦の下には死体が横たわっていました。

 その時、私の妹の琵達が近くでこの光景を見ていて、急いで家に飛び戻り、母に慌てて「お母さん! お母さん! 見て! 伯父の家が崩れて、多くの人が死んだよ!」と言いました。

 母はあまり信じませんでしたが、内心では喜びを感じ、急いで外に飛び出して見に行きました。伯父の家は瓦礫の山となり、空には埃が立ちこめていました。母は驚きと喜びの中、ボロボロの服から布の切れ端を引きちぎり、それを長い棒に急いで結びつけました。そして、そのボロ布の旗を振り回しながら、飛び出して大声で「みんな見て! 天よ! ラマよ! 三宝よ! どうか供養を受けてください! ねえ、街の人たち! 聞いてください! 密勒蔣採には息子がいるんですよ! 私、白荘厳母はボロボロの服を着て、粗末な食べ物を食べて、息子に呪術を学ばせましたが、その目的が達成されなかったとでも思いますか? みんな見てください! 伯父と伯母は『人が多ければ戦争すればいいし、人が少なければ呪術を使う』(訳注:圧倒的な力を持っている時は戦えばよく、人数的に不利な状況になった場合は呪いの力を使う)と言いました。みんな見てください、今どうなっているか! 聞喜がほんの少しの呪術を使っただけで、大きな戦争よりも凄まじい結果になりました。見てください! 上にいる人々、中の財宝、そして下の家畜たち! 私が今日まで生きてきて、この息子の大仕事を見ることができて、白荘厳母は本当に嬉しい! ハハハハ! こんなに幸せな気持ちは初めてです! みんな見てください! みんな見てください!」と叫びました。

 母は旗を振り回し、大声で叫びながら走り回り、本当に楽しそうでした。伯父や伯母、そして村全体の人々がその声を聞きました。その中には「この女の言っていることは本当かもしれない!」と言う人もいました。

 また別の人は「確かに本当らしいが、少し大げさに言い過ぎだ!」と言いました。

 人々は私が呪術でこれだけ多くの人を殺したと聞いて、みんなが集まって「この婆さん、こんな大変なことをしておいて、それでも楽しそうに叫び回るなんて、私たちは彼女の心臓と肝臓の血を絞り出さないと気が済まない!」と言いました。

 すると、1人の老人が急いで止めに入りました。「この女性を殺したところで、何の役に立つ? そんなことをしても、彼女の息子がもっと私たちを憎んで、さらに多くの人を呪い殺すだけだ。まず、何とかして聞喜を殺す方法を考え、その後でこの婆さんを殺せば問題ない!」

 こうして母は殺されずに済みました。しかし伯父はそれを聞くと「私の息子も娘も死んでしまった。私はもう生きていられない、彼女と一緒に死ぬ!」と言いました。

 そう言って、母を殺そうと駆け出しました。みんなは急いで彼を止めて「全部あなたのせいでこの事態が起きたのだ。今、聞喜がまだ生きているのに、白庄厳母を殺したら、聞喜がまた呪術を使って、私たちは全員生きていられない。もしあなたが私たちの言うことを聞かないなら、まずあなたを殺してしまう!」と言いました。

 こうして伯父を思い留まらせました。村人たちは私をどうやって殺すかを話し合いました。すると、私の母方の叔父が母のところに来て「昨日のお姉さんの言動で、村人たちはお姉さんとお姉さんの息子を殺したがっている。何か対策はあるのか? ああ、一度の呪術で十分じゃないか。なんでまた公憤(こうふん。訳注:人々が共通して抱く憤り)を引き起こす必要があるんだ?」と言いました。こう言って何度も母を説得しました。すると母は「はぁ、あなたは私たちのことをまだ理解していないのね。私もこの事態をよく分かっているわ。私は私たちの財産を奪った人たちに復讐するために、こういう悪事を仕掛けたのよ。この恨みは尺で測っても測りきれないのよ!」と言いました。

 母は他には何も言わず、ただ泣いていました。母方の叔父はため息をついて「お姉さんの言うことももっともだが、殺しに来る者がすぐにでも来るだろう。大門をしっかりと閉めた方がいい」と言いました。

 母は戸をしっかりと閉め、家の中であれこれと思い悩みました。以前の女中が母を哀れに思い、こっそりとやって来て母に「彼らは今、あなたを害そうとは思っていません。彼らが狙っているのは聞喜です。急いで知らせて、気をつけるようにしてください!」と言いました。

 母は女中の話を聞いて、ひとまず安心しました。

 母は残っていた「鉄波銭瓊」の田を半分売り、合わせて7両の黄金を得ました。この金を私に送ろうとしましたが、村の誰にも頼むことができませんでした。最後には自分で送ろうと考えていたところ、ちょうど衛地の瑜伽行者がネパールへ巡礼に行くために村に来て、托鉢をしていました。母は彼の来歴を詳しく尋ね、信使(訳注:信頼できる使者)として適任だと感じました。そこで母は彼に「師傅(しふ)! どうかここに5、6日ほど滞在してください。私の子供が今、衛藏地方で法を学んでいます。彼に手紙を書きたいので、師傅にその手紙を届けていただきたいのです」と言いました。

 その瑜伽行者は承諾し、母は数日間彼を丁重にもてなしました。

 その夜、母は灯明を一つ灯し、神前に跪いて誓願を立てました。「私の願いが成就するならば、この灯明が消えずに燃え続けるでしょう。もし私の願いが叶わないならば、すぐに消えてしまうでしょう。どうか聞喜の祖先と護法神よ、これをもって私に示してください」。そう誓願を立てた後、灯明は一昼夜燃え続け、消えることはありませんでした。そのため母は、計画がきっと成就すると確信しました。

 翌日、母はその巡礼の行者に「師傅、巡礼者の衣服や靴はとても大切なものです。私にその衣服を修繕させてください。それに新しい靴底を差し上げます」と言いました。

 そう言って、彼の大きな靴底の革片、古く破れた衣服を受け取り、布で破れた部分を修繕しました。衣服の背中の内側に7枚の黄金を隠し、尺見当たり(訳注:約30cm四方)の黒い布片で縫い付け、その黒い布片の中に白い太い糸で六つの小さな星を刺繍しました。そしてその星々を布で覆い隠し、行者には知らせませんでした。さらに多くの贈り物を行者に送り、封筒に印を押して手紙を渡し、彼に持って行ってもらうようお願いしました。

 この時、母は心の中で「今、この村の人々が何を企んでいるのか分からないけれど、何か方法を考えて彼らを怖がらせなければならない」と考えました。そして、妹の琵達に「昨日、あの行者があなたの兄からの手紙を持ってきたわよ」と言いました。琵達はそれを村中の皆に知らせに行き、私の手紙が家に届いたことを皆に知らせました。

 母は私の口調を真似て1通の偽の手紙を書きました。手紙には次のように書かれていました。

 「母上様、膝下に敬禀(訳注:深い敬意を込めて)申し上げます。呪術の効き目が現れ、心から嬉しく思っております。もし村の者の中に、なおも母上や琵達に無礼を働く者がいるならば、その者の名前や家族を教えてください。すぐに呪術を使います。私が呪術を使えば、人の命を取ることなど簡単で、その者の一族を根絶やしにすることなど、袋の中の物を取るように容易いことです。もし村の者が皆不良(訳注:悪い人)ならば、どうか母上と琵達はこちらに移住してください。私は初めて故郷を離れる時には何も持っていませんでしたが、今では財産が溢れており、使いきれないほどです。どうか心安らかにお過ごしください。息子の聞喜より」

 そして偽の印鑑を押し、まずその手紙を伯父と仲の良い人たちに見せ、その後に手紙を母方の叔父のところに置きました。このようにして、彼らは私たちを殺そうとする計画を変え、恐れて手を出せなくなりました。また、この手紙の効果で、村の人々は伯父に俄馬三角田(がばさんかくでん。訳注:三角形の形状を持つ非常に肥沃な土地)を母に返すよう求めるようになりました。

 さて、あの巡礼の行者ですが、私が西端溪(さいたんけい)に住んでいると聞き、そこに私を探しに来ました。彼は母と妹や村の状況を詳しく話してくれ、また母からの手紙を渡してくれました。私は手紙を人目のない場所で開封しました。手紙には次のように書かれていました。

 「聞喜へ。母は健在なので心配しないでください。あなたのような息子がいることで、母は何の悔いもありません。あなたの父、密勒蔣採も、黄泉の国で笑顔でいることでしょう。あなたの呪術の結果、仇敵35人が圧死しました。最近、村人が刺客を送り、あなたを殺そうと計画していると聞きました。その後に母も殺される予定です。ですから、常に警戒してください。彼らが依然として報復の心を持っている以上、決して軽く許してはいけません。九層の雹を降らせ、彼らの作物を破壊することで、母の願いは満たされます。もし学費が尽きた場合は、北向きの山の黒雲の深い場所、六つの星が輝く下に我が家の親戚が7軒います。彼らから支援を求めることができます。もし、彼らの住む場所や村の位置がわからない場合、この行者に尋ねれば教えてくれるでしょう。この村には、この行者以外には誰も住んでいないので、他の人に尋ねる必要はありません。母 白荘厳母」

 手紙を読んだ後、私はその内容が理解できず、故郷や母のことを思い出しました。手紙に書かれていた山村や親戚のことも分からず、必要な学費や供養も手に入らなかったので、涙があふれ出てきました。しばらく泣いた後、涙を拭いて、行者のところへ行って、「あなたが私の親戚の住んでいる山村を知っていると聞きましたが、教えていただけますか?」と言いました。

 行者は「聞いた話では、ヒマラヤ山のふもとのコンデカンにあなたの親戚がいるそうです』と言いました。

 私は彼に「他に知っている場所はありますか? あなたの故郷はどこですか?」と尋ねました。

 行者は「他の山村についてはたくさん知っていますが、あなたの親戚が住んでいる場所は知りません。私は衛地の出身です」と答えました。

 私は「それでは、少し待っていてください。すぐに戻ります」と言いました。

 そして、手紙を師父に見せて、これまでの経緯を詳しく説明しました。師父は「あなたの母親の怒りは相当なものだ! こんなに多くの人を殺しただけでは足りず、雹まで降らせようとするとは」と言いました。さらに「あなたの親戚は北方のどこにいるのですか?」と尋ねました。

 私は「以前、北方に親戚がいるとは聞いたことがありません。でも、手紙には確かにそう書かれています。その巡礼の行者にも聞いてみましたが、彼も知らないと言っています。これは一体どういうことなのでしょうか?」と答えました。

 そのとき、師母の智慧空行(ちえくうぎょう)も一緒にいて、手紙を見た後で「その行者を呼んできなさい!」と言いました。師母は火を焚き、行者を招いて暖を取り酒を飲むように言いました。師母はいろいろ喋って、話をしながら行者の背後に回り、大衣を脱がせて自分の身にまとい、「こんなに破れた衣を着て巡礼に行けば、福が訪れるに違いない」と言いながら、落ち着かずに行ったり来たりして、やがて2階に上がっていきました。師母は破れた衣の中から黄金を取り出し、元通りに補修して行者に返し、彼をもてなして食事をさせ、宿泊させました。

 師母は私に向かって「聞喜! 聞喜! 上師のもとに行きなさい!」と言いました。私は師母と一緒に上師のところへ行き、師母は私に7両の黄金を手渡しました。私は驚いて「この黄金はどこから来たのですか?」と尋ねると、師母は「あなたのお母さんは本当に賢いわ! この行者の衣の中にこの7両の黄金をうまく隠したのよ。手紙に書いてあった『北向きの山村』というのは、太陽が当たらない場所のこと。行者の衣の裏側は太陽が当たらないでしょ。『黒い雲』は黒い布で縫われていることを意味していて、『六つの星が輝く』というのは白い糸で六つの星が縫われていることを意味している。『下の7家の親戚』というのは、7両の黄金のこと。もし見つからなかった場合、その山村には行者1人しかいないのだから、他の人を探す必要はない、つまり黄金はこの行者の身にあるということよ!」と言いました。

 上師は天を仰いで大笑いしながら「人々はあなたたち女性が賢いと言うけれど、本当にその通りだ!」と言いました。

 私は行者に一銭の金子(訳注:古代中国で使用されていた通貨単位)を渡しました。行者は非常に喜びました。続いて、師母に7銭の金子を供養し、上師には3両の金子を供養しました。そして上師に「母が私に雹を降らせるようにと言っています。どうか上師様、一番秘伝の降雹法を教えてください!」と言いました。

 上師は「降雹法を学びたいのなら、雍同多甲上人のところに行って求めなければならない」と言いました。

 そこで上師は手紙を書き、いくつかの土産物を持たせて、私を再び波通に送り出しました。雍同多甲上師にお会いし、3両の金子を供養し、手紙と土産物を一緒に供養しました。そして降雹法を学びたい理由を詳しく説明しました。雍同多甲上師は「呪術は成功したのか?」と尋ねました。私は「呪術は成功し、35人を殺しました。母からの手紙で雹を降らせるように言われたので、どうか上師様、教えてください!」と答えました。上師は「よし、お前の願いを叶えよう!」と言いました。そして降雹法を伝授してくれました。私は再び修法堂で7日間修行しました。7日目に、向かいの山の岩の隙間から黒い雲が出現し、電光が閃き、雷が轟き、天が大風暴に見舞われそうな様子でした。私は自分の力で雹を降らせることができるようになったと確信しました。

 (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2000/12/23/5786.html)
 
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