ミラレパ佛の修煉物語(一)
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 【明慧日本2024年7月5日】ヒマラヤ山脈は古来、修煉する者が多く集まる場所であり、人々は質素な生活を送り、歌や踊りを楽しむと同時に、佛法を崇拝していました。その中で、ミラレパ(密勒日巴)という修煉者がいました。佛、菩薩たちは多生曠劫(たしょうこうごう:繰り返し輪廻する長い時間)の修煉によって成就するものですが、ミラレパは一生の中でこれらの佛、菩薩と同等の功徳を成就し、後にチベット密教の始祖となりました。

 ある日、ミラレパはヤルン地域(訳注:チベット東部のカム地方にある地域)の中腹の洞窟で大乗密教の教えを説きました。法会には彼の主要な弟子であるレチュンパ、寂光惹巴(じゃっこうじゃば)、ガンポパ、ブドパなどの登地(佛教用語:菩薩修行の「十地」の一つで「第八地」に相当する)の菩薩や、そして女弟子のライセペン、セントマらが登壇し、多くの男女信者たちが参加していました。さらに、長寿王の空行母(ダーキニー、女性の密教修行者)や虹光成就(訳注:チベット密教における修行の最高段階)を得た多くの空行母、ヨガ行者たちも参加していました。

 その日の前日の夜、レチュンパは夢を見ました。夢の中で、彼は烏金空行浄土(訳注:悟りの境地に達した霊的な世界)にいるようでした。それは宝飾で飾り立てられた壮大な城で、城内は美しい天衣を着た人々や宝石で飾られた男女が空で飛んでいました。彼らは皆、レチュンパに微笑んで頭を下げますが、一人も彼と話すことはありませんでした。突然、赤い衣装を着た女性が親しげに彼に挨拶しました。「師弟、いつ来たの? ようこそ、ようこそ!」と。レチュンパが見上げると、それはかつてネパールのティプパ上師のもとで法を学んだバリマでした。

 バリマは「君のタイミングは本当に良いね。不動如来(五方佛の東方佛)が今ここで法を説かれています。もし聞きたいと思うなら、私が代わりに佛に願い出てみましょう」と言いました。

 レチュンパは興奮して「長年、不動如来にお会いしたいと思っていました。今日、彼の法を直接聞けるなんて、まさに千載一遇の機会です。どうか代わりにお願いしてください」と言いました。

 バリマはレチュンパを豪華な宴会に招待しました。そして彼らは一緒に法会の場に向かいました。それは壮大で美しい宮殿でした。不動如来は中央の宝座に座り、威厳に満ち、人間の想像を絶するものでした。法会には聞法する神々や人々が、海のように広がっていました。レチュンパはこれほど広大で優美な法会を見たことがなく、この光景を見て心からの喜びと興奮を感じました。バリマはレチュンパに「師弟よ、お待ちください。私が先に世尊(訳注:佛教において非常に尊い存在を指す称号)にお願いに行きます!」と言いました。しばらくして、不動如来は慈悲に満ちた微笑みでレチュンパを見つめました。レチュンパは許可を得たことを知り、如来に礼をし、法会に参加して法を聞くために座りました。

 その日、不動如来が語ったのは過去の諸佛と菩薩のことや伝記であり、それは心を打つ感動的で歌うような物語でした。最後に、不動如来はティロパ、ナーローパ、マルパ(ミラレパの師)の3人の上師の生涯についても説法しました。レチュンパはこれほど詳細で感動的な語り口を聞いたことがありませんでした。

 散会の際、不動如来は皆に「すべての伝記の中で最も希少で偉大で感動的なのは、間違いなくミラレパの伝記でしょう。明日もまた私の話を聞きに来てください!」と言いました。

 レチュンパは複数の人々が密かに話しているのを聞きました。「もしこれらの伝記よりもっと希少で偉大なものがあるとしたら、それは本当に信じられないことですね!」。別の人が「今日私たちが聞いたこれらの佛と菩薩の伝記は、彼らの多生多劫の修煉の結果です。しかし、ミラレパは一生の中でこれらの佛と菩薩と同等の功徳を成就しました。だからこそ、彼の伝記はより希少なのですね!」と言いました。さらに別の人が「このように希少な修煉の伝記が埋もれてしまうのは惜しいことです。もし私たち弟子が世尊に伝記を語るよう願い出ないなら、それは私たちの罪でしょう? ですから、私たちは熱心に祈り、上師如来(訳注:ミラレパ)に尊者の伝記を語るよう請うべきです!」と言いました。

 その最初の人が「ミラレパ尊者は今どこにいますか?」と尋ねました。「ミラレパ尊者ですか? 彼は現在、現喜浄土(東方の不動明王の浄土)にいないでしょう。むしろ常寂光土(非常に高次元の清浄という意味で、普賢菩薩の不思議な報身[訳注:仏や菩薩が修行の成果として得た理想的な世界]の浄土を指す)にいるのではないでしょうか」ともう一人が言いました。

 レチュンパは心の中で、「尊者は現在明らかにチベットにいますが、なぜ常寂光土にいると言うのだろう? しかし、とにかく、彼らの言葉は私に向けられているのは明らかであり、私は尊者に自伝を語るように求めるべきだ」と考えました。その時、バリマが彼の手を取り、優しく揺らしながら「師弟、理解しましたか?」と言いました。その瞬間、レチュンパはさらに明確に理解しましたが、夢から驚いて目を覚ましました。

 その時、天はもう明るみ始め、レチュンパは非常に喜び、心で、「烏金空行浄土に行って不動如来の法を聞くことは貴重ですが、上師と一緒にいることの方がさらに貴重で稀少です。今回、烏金空行浄土に行って法を聞くことは、上師の加持の力です。そこの人々が尊者が常寂光土または現喜浄土にいると言っても、私たちは尊者がチベットにいると思っています。しかし、実際には、上師の身、口、意識は十方の諸佛と同じであり、功徳や事業(訳注:佛教の教えを広めるための活動)は不思議なもの(訳注:尊者の存在が物理的な場所に限定されず宇宙全体に満ちているという考え)です。私はこれまで尊者がチベットにいて、私たちと何も変わらないと思っていましたが、尊者はすでに佛になり、法身が宇宙に満ち、報身の変化はさらに不思議です。私たち自身の業障(訳注:業によって引き起こされる障害)が深刻なため、聖者を見ても凡夫(訳注:悟りを開いていない普通の人)と同じように見てしまうのは、聖者を侮辱していることです! 昨夜の夢は普通の夢ではありませんでした。それはバリマや他の空行者が私に尊者に法を求めるよう示唆していたものです。私は必ず上師に請願しなければなりません!」と考えました。こうして、彼の心には非常に大きな信頼が生まれ、胸に手を合わせ、心から上師に祈りました。

 突然、光が現れ、烏金空行浄土の壮大な景観が再び目の前に現れました。いくつかの美しい空行母たちが、華麗な衣装を身にまとい、鮮やかで輝く姿でレチュンパの前に現れました。その中の一人の空行母が「明日はミラレパの伝記を語るので、一緒に聞きに行きましょう!」と言いました。

 「ミラレパ尊者に求める人は誰ですか?」ともう一人の空行母が尋ねました。

 別の空行母が微笑みながらレチュンパを見つめ、「もちろん、それは尊者の大弟子ですよ!」と言いました。他の空行母たちもレチュンパを見つめながら微笑み、「尊者に自伝を語ってもらうことは、自己の利益と他者の利益になることです。私たちは尊者の伝記を聞きたいだけでなく、同時に尊者に慈悲を乞い願い、私たちに語ってくださるように願います。そして、その後はこの経典を保護し、未来の生きとし生けるものに利益をもたらします!」と言いました。彼女たちは言い終わると消えてしまいました。

 レチュンパが再び目を覚ますと、すでに日は明るくなっていました。「これは明らかに長寿王空行母が私に尊者に請願するよう励ましてくれた合図だ!」と彼は思いました。そこでその日、レチュンパは喜びに満ちて至尊のミラレパ上師のもとに行き、法会に参加しました。礼拝を済ませた後、尊者の前に跪き、胸に手を合わせて尊者に請願しました。「上師、過去の数え切れないほどの諸佛は、衆生を救い済度するために、様々な方法で十二の活動(訳注:釈迦牟尼佛の一生における重要な十二の出来事)を示し、さまざまな不思議な手段で衆生を広く救済しました。彼らの希有な伝記は世に伝わり、すべての良い方向に導き、佛法を盛り上げました。現在のティロパ、ナーローパ、マルパなどの大成就を持った上師たちも、自らの伝記を語り、衆生を向上するように導いて、無上の佛道を成就しています。今、私たちの弟子の未来のために、上師、あなたの身世(訳注:人生の詳細な記録)と生涯の経緯をお話しいただけませんか」

 ミラレパ尊者は穏やかに「レチュンパ、私のことはすでにかなり知っているようだが、君が尋ねるならば答えよう」と答えました。

 「私の祖先は瓊波(けいは)であり、宗性は覚賽(かくさい)です。初めは悪業を行っていましたが、後に善業を行うようになりました。現在は、悪業も善業も行いません。すべての有為が尽き、将来は何もしません。これらのことを詳しく話すと、泣かせることもあれば笑わせることもありますが、長くなりすぎるので、話す必要はないでしょう。私のような年寄りはのんびりと休息をとらせてください」

 「上師!」レチュンパは地面に跪いたまま立ち上がらず、続けて熱心に懇願しました。

 「尊者、あなたが最初にどのようにして善行を修行し、佛法を求め、そしてどのように修行して、現在「法性尽地」(最高の境界に到達し、真理を完全に悟ること)の境地に達したのでしょうか、詳細に教えてください。あなたの祖系(祖先の系譜)は瓊波であり、宗姓は覚賽ですが、なぜあなたの姓が密勒(みら)に変わったのでしょうか? なぜ最初に悪業を行い、後に善行を修行したのですか? 泣かせたり笑わせたりするさまざまな出来事についても、すべて私たちに話してください。これは私だけの懇願ではなく、すべての金剛の兄弟(すなわち金剛乗の密教の修行者)や施主(支援者)たちも聞きたがっています。どうか慈悲深くお願いします!」

 「皆さんがそうお願いするなら、私には秘密もありません。話しましょう!」と尊者は微笑みながらゆっくりと語りました。

 私の祖先は瓊波(けいは)族で、かつて北部の大草原に住んでいました。祖先は覚賽(かくさい)といい、彼は紅教(こうきょう:チベット佛教の派)のラマの息子であり、本尊の加持を受けた真言行者で、真言呪術の大いなる威力を持っています。ある年、彼は後チベット(チベット北部の地域名)へ山へ巡礼に行き、後にチベットの北部にある郡波洗(ぐんはせん)地方に到着したとき、その地域では鬼の疫病が蔓延していました。彼の真言の力で多くの鬼の疫病を平定し、信仰する人々が増え、地元の人々が彼に長期滞在を求めました。彼はそこに住み着き、最終的にはその地に永住することになりました。

 さらに別の年、その地に大力鬼(だいりきおに)が現れ、人々を害して回りました。ある家族は普段は覚賽ラマを信仰していませんでした。この大力鬼は、その家族の家に悪さをして、家畜が死に、家族が病気になり、白昼に幽霊が見えるなど、さまざまな不吉な出来事が日々起こっていました。どんな医者を呼んでも病気が治らず、どんなラマを招いても鬼を退治しようとしても失敗し、かえってそのラマたち自身が鬼に苦しめられる有様でした。最後に、手詰まりになったとき、ある友人がその家族に「ああ、もう覚賽ラマを探してみてください。他の人は役に立ちませんよ!」と言いました。

 その家族は「傷が治れば、どんな薬でも使いますよ! 彼を呼んでみましょう」と言いました。

 そして、その家族は覚賽ラマを呼びに人を送りました。

 覚賽ラマがその家族のテントに到着する前に、遠くから大力鬼を見ました。大力鬼は覚賽を見ると、すぐに逃げ出しました。覚賽ラマは神威(訳注:神聖な力)を発揮し、大声で「大力鬼よ、私、瓊波覚賽(けいはかくさい)は鬼魔の血を飲み、鬼怪(きかい)の筋を抜く特技を持っています。立ち止まって逃げないで!」と言いました。

 そして、大力鬼に向かって駆け寄りました。大力鬼は覚賽を見ると、全身震えて、大声で「恐ろしい! 恐ろしい! 密勒(みら)! 密勒!」(密勒はチベット語で、巨人を見たときの恐怖の表現)と言いました。

 覚賽は大力鬼の前に走り、大力鬼は縮み上がり、身動ぎもせず、震えながら「ラマ様よ、あなたが行かれる場所に私は行ったことがありません! あなたが来ないこの場所だからこそ、私がここにいるのです。お許しください!」と言いました。

 覚賽ラマは大力鬼に人々を傷つけないように誓いを立てさせました。大力鬼は覚賽ラマに誓いを立てざるを得ませんでした。ラマは彼を解放しました。

 その後、その大力鬼は別の人に憑依して「密勒! 密勒! この人、すごいですよ! 私は一生でこんなに怖い思いをしたことがありません、すごいですね! 密勒! 密勒!」』と言いました。

 そのため、覚賽ラマの名声はさらに高まり、人々は彼にあだ名をつけました。その名前は密勒ラマと呼ばれ、信仰心が厚いことを意味しています。徐々に密勒は彼の家族の姓となりました。密勒ラマの称号はこうして有名になりました。

 瓊波覚賽には2人の息子がいました。長男はミラ・ドトン・センゲと言い、彼には金剛獅子(こんごうしし)という一人息子がいました。

 話は金剛獅子に及びます。彼はギャンブル好きで、特にサイコロを振ることが好きでした。彼のギャンブルの技量は非常に高く、いつも勝っていました。

 ある年、流浪の大詐欺師がこの地域にやってきました。彼はギャンブルの腕前が抜群で、生活のために賭けに勝ち、多くの金を稼いでいました。金剛獅子がギャンブル好きだと聞いた詐欺師は、金剛獅子とサイコロを振ることを約束しました。

 最初の日、その詐欺師は金剛獅子の腕前を試すためにわずかな賭けをし、意図的に金剛獅子に敗北しました。2日目、詐欺師は巧みな手を振るい、簡単に金剛獅子の賭けを勝ち取りました。金剛獅子はこれまでにないほどの惨敗を喫し、非常に不服でした。彼は詐欺師に再び挑戦し、彼に「明日、私は失った資金を必ず取り戻す! 再び賭ける覚悟はあるか?」と言いました。

 「もちろんだ!」詐欺師は興味がなさそうに答えました。

 3日目、4日目、5日目、詐欺師は故意にやっているのか、運が悪いのか分からないが、連続して3日間、金剛獅子に負けました。

 そこで、詐欺師は金剛獅子に最後の決定的な挑戦を提案しました。

 「金剛獅子! これらの日々私は毎日負けてきた。明日、私たちは両方の財産、牛、馬、土地、羊毛、財物、衣服、装飾品などを全て賭けよう。村人を証人として立ち会わせ、契約書を作成し、最後の対決を行い、勝ち負けには一切の後悔を許さない。あなたは最後の対決に同意するかどうか、知りたい」

 金剛獅子は迷うことなく同意しました。

 次の日、村人たちは両者の賭けを立証し、彼らを取り囲んで見守りました。彼らは緊張しながらサイコロを振りました。最後に、金剛獅子はすべてを失うことになりました。

 この状況の下、金剛獅子は故郷を離れ、外への放浪生活を余儀なくされました。彼の父親は彼を芒地(ぼうち)と貢通(こうつう)の中(マンデゴン)の嘉俄沢(かがたく)地域に連れて行き、そこで彼は居住しました。彼の父親は呪術に優れ、妖怪を降伏させることができ、また病気を治療するのにも長けていました。彼はこれらの能力を生かして生計を立て、収入はかなり良好でした。金剛獅子もこの時から悪習を改め、商売に専念するようになりました。冬には羊毛を南方に運んで売り、夏には北方の大規模な牧場から牛や羊を買い付けました。その他にも、芒地と貢通の間を往復し、いくつかの小規模なビジネスを経営していました。彼は労苦の結果、多額の資産を築くことができました。

 金剛獅子は後に地元の美しい女性と結婚し、1人の息子をもうけました。その息子の名前は密勒蔣採(みらしょうさい:ミラレパの父親)と言います。

 この時、ミラ・ドトン・センゲはすでに年をとっており、病気で亡くなりました。金剛獅子の多年の苦労が実を結び、彼は徐々に富を築いていきました。彼は大金を使って三角形の豊かな肥沃な土地を手に入れ、その地が三角形であることから、それを「俄馬三角田」(がばさんかくでん)と名付けました。さらに、彼は近くで大きい家を購入しました。

 密勒蔣採が20歳の頃、彼は白荘厳母(はくそうげんぼ:ミラレパ尊者の母親)と結婚しました。白荘厳母は地元の富豪の娘で、聡明で能力がありました。彼ら一家は豊かで幸福な環境で幸せな日々を送っていました。

 しばらくして、彼らは俄馬三角田の隣に、三階建ての大きな家を建て、家の横には大きな倉庫とキッチンも建てられました。この家は、その四本の柱と八本の大梁から「四柱八梁屋」(しちゅうはちりょうおく)と呼ばれるようになりました。

 この時、ミラ・ドトン・センゲの親戚たちは、故郷で金剛獅子が嘉俄沢で非常に裕福で幸運だと聞き、密勒蔣採の従兄弟の雍重蔣採と彼の妹の瓊察巴正(けいさつばせい)も嘉俄沢に移住してきました。密勒蔣採は自分の親戚を非常に大切にし、彼らを積極的にサポートしました。彼らにお金を貸し、ビジネスの方法を教えました。それから間もなくして、彼らも裕福になりました。

 時は過ぎ、数年が経ち、白荘厳母は妊娠しました。その時、密勒蔣採は南方で多くの商品を手配し、北方の草原の大牧場で取引を行っていました。

 その年の秋、8月25日(水龍年、すなわち西暦1052年)に、私の母親である白荘厳母は私を生みました。母親はすぐに人を派遣して父親に手紙を送りました。手紙には次のように書かれていました。「我はすでに男の子を生みました。あなたは急いで帰り、彼に名前をつけ、親戚や友人のために宴会を用意してください。秋の収穫の時期も近いので、あなたが早く帰ってくることを待ち望んでいます」

 手紙はすぐに送り届けられました。同時に、手紙の配達人は新生児と家庭の状況を詳しく説明し、父親が早く帰ってきて私の名前を決めて祝福するように促しました。父親は非常に喜び、笑顔で「素晴らしい! 素晴らしい! 子供の名前はもう決まっている。我が密勒家は代々一人の男の子しか生まれない。男の子が生まれたと聞いて、本当に喜びひとしおだ。彼を『聞喜(とぱが)』と名付けよう』」と言いました。

 そのため、父親は急いで取引を終えて家に帰り、私に「聞喜」という名前を付けました。私が成長すると、歌を歌うことが好きで、私の歌声を聞いた人々は皆、私の声を愛しました。そのため、みんなはこう言いました。「聞喜、その名を聞いただけで喜びが感じられる。この名前は本当にぴったりだ」と。

 私が4歳のとき、母はもう一人、妹を産みました。母は以前、「もし男の子だったら貢莫(こうばく)と名付けるし、女の子だったら琵達(びたつ)と名付ける」と言っていました。女の子が生まれたので、琵達と名付けられました。私はまだ覚えています。妹と私が子供の頃、私たちはいつも最高の絹の服を着ていました。髪にはいつも宝石の飾りがいっぱいついていました。家に出入りする人たちは皆、金持ちで権力者でした。使用人も大勢いました。

 この頃、嘉俄沢の村人たちはこっそり「遠くから来たこの放浪者たちは、今やここまで裕福です。外では馬や牛、土地、中では食料や富が余っています。本当に運が良いですね!」と言いました。皆、私たちを羨ましく思い、また嫉妬していました。しかし、幸福な時は長くは続かず、このような豊かな生活も長くは続かず、父親の密勒蔣採が亡くなりました。

 レチュンパは再び「上師! あなたの父親が亡くなった後、あなたは大きな苦しみを経験しましたか? あなたの苦難は最も困難だったと聞いていますが、それについて話していただけますか?」と尋ねました。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2000/12/21/5699.html)
 
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