【明慧日本2024年7月13日】ヒマラヤ山脈は古来、修煉する者が多く集まる場所であり、人々は質素な生活を送り、歌や踊りを楽しむと同時に、佛法を崇拝していました。その中で、ミラレパ(密勒日巴)という修煉者がいました。佛、菩薩たちは多生曠劫(たしょうこうごう:繰り返し輪廻する長い時間)の修煉によって成就するものですが、ミラレパは一生の中でこれらの佛、菩薩と同等の功徳を成就し、後にチベット密教の始祖となりました。
(ミラレパ佛の修煉物語(三)に続く)
上師(雍同多甲[ようどうたこう]:ミラレパの呪術の師)が私に「今、雹を降らせることができるが、あなたの家郷の麦がどれくらい成長しているか知っているか?」と尋ねました。私は少し考えて「おそらくまだ山鳩が隠れられるくらいの高さだと思います」と言いました。
それから10日ほど過ぎて、上師が再び尋ねました。私は「おそらく小さな葦草(よしくさ。訳注:水辺に生える草で高さは1~3メートルほどになる)くらいの高さです」と答えました。上師は「うむ、まだ少し早いな」と言いました。
さらにしばらくして、上師がまた尋ねました。私は「今はちょうど穂が出るころです」と答えました。上師は「では、雹を降らせる時が来た」と言いました。そして、以前に私の家郷を調査しに行った同修を同行させました。私たちは行脚僧の格好をして出発しました。
その年、家郷の麦は異常に豊かに成長し、多くの老人たちがこれほど良い収穫を見たことがないと言っていました。村人たちは、収穫の祝いをした後で一斉に収穫を始めることを約束していました。私は村人が麦を刈り始める1、2日前、村の前の小川の上流で法壇(訳注:宇宙の真理を表す曼荼羅)を作り、呪術に必要な材料を準備して作法を開始し、呪文を唱えました。その時、空には一片の雲もありませんでした。私は大声で護法神の名前を呼び、村人が私の家族を虐待した事実を述べ、胸を打ち衣を叩いて、大声で泣き叫びました。
本当に驚くべきことです! 空中に突然黒雲が巻き起こり、瞬く間に大きな濃い雲の塊となりました。電光が閃き、雷鳴が轟き、一瞬で大きな雹が次々と降り始めました。一度降り始めると続けざまに降り注ぎ、村人たちが収穫しようとしていた麦を一粒残らず叩き落としました。さらに山から洪水が押し寄せ、麦を一緒に流し去ってしまいました。村人たちは麦が洪水に流されるのを見て、大声で泣き叫びました。
その後、空中に嵐が起こり、私たち2人は冷たさを感じて北の山洞に走り、火を焚いて暖を取りました。その時、村の人々は豊年を祝うために宴の準備をしており、狩りのために人を派遣していました。狩りに出た人々が崖洞の前を通りかかり、1人が「ふん! 聞喜(とぱが。ミラレパの幼名)ほどこの村を酷い目に遭わせた奴はいない。以前、あれだけの人を殺しただけでは飽き足らず、今度はこんなに良く実った麦を1粒残らず台無しにしやがった! もしあいつを捕まえたら、血を絞り出して、生きたまま胆を取り出してやる。それでも恨みは晴れない」と言いました。
その中の1人の老人が「しっ、しっ! 声を出すな! 小声で話せ! あの崖洞から煙が出ている。誰が中にいるんだ?」と言いました。若者が「あれはきっと聞喜だ! あの野郎はまだ俺たちを見ていない。早く人を呼びに行って、あいつを殺さないと、この村を完全に台無しにされるぞ!」と言って、みんな急いで村に戻っていきました。
私の仲間が下に人々が来るのを見て、私たちがここにいることが知られたのではないかと思い、「君は先に戻っていいよ、僕が君のふりをして彼らと遊んでみせるから!」と私に言ってくれました。私たちは4日後の夜に滇目(てんもく)の宿で再会することを約束しました。もちろん、彼は力も強く勇敢なので、1人で残っても安心でした。
その時、私は母に会いたいと思いましたが、村人が私を害するのを恐れて家を離れ、迂回して寧哦(ねいが)に向かいました。不幸にも途中で野犬に数回噛まれ、足が傷だらけになり、片足を引きながら歩くことになり、予定通り宿に到着することができませんでした。
では、私の仲間はその間に何をしたのでしょうか? 私が去った後、村の人々は大勢で私を殺そうと集まりましたが、彼は勇気を奮い立たせてその集団に突っ込みました。人々と馬が次々と倒れました。彼が突き進むと、村人たちは再び集まり追いかけてきました。村人が急いで追いかけると彼も速く走り、追手が遅くなると彼もゆっくりと歩きました。村人が石を投げると、彼はさらに大きな石を投げ返しました。彼は大声で「誰かが俺を攻撃しようとしたら、俺は呪術でそいつを殺す! これだけの人を殺したのに、まだ恐れていないのか? 今年の豊作を1粒も残さずにしたんだぞ、それでも足りないのか? 今後、俺の母と妹を良く扱わなければ、村の入口に鬼池を、出口に魔呪(まじゅ。訳注:強力な破壊力を持つ呪い)を置いて、お前ら生き残った者全員とその九族(訳注:先祖・子孫の各4代を含めた9代の親族)を皆殺しにしてやる! 村を灰にするまでやめないぞ! 恐れないのか?」と言いました。
村人たちは彼の言葉を聞いて全身が震え、お互いに顔を見合わせ、「お前が言え!」と相手に押し付けながら、一人一人静かに戻っていきました。
彼は私より先に滇目に着きました。宿に着くと、店主に「ここにこういう行脚僧が来ませんでしたか?」と尋ねました。店主は少し考えて「来ていませんが、あなたの言うその行脚僧は、今まさに宴会が行われているあの村にいるようです。何か怪我をしているように見えました。お椀を持っていないようですが、お椀をお貸ししましょう」と言いました。そう言って、店主は灰色で閻魔大王の顔のような形をしたお椀を彼に貸してくれました。彼はそのお椀を持って村の宴会に行き、私を見つけて近づいてきて私の隣に座り、「どうして昨日来なかったのか?」と尋ねました。私は、「数日前、道中で野犬に数回噛まれて歩けなくなったので、やっと少し良くなったばかりで、大丈夫だと思います」と言いました。そうして私たちは一緒に波通(はつう)に戻りました。
上師にお会いすると、上師は私たちに「あなたたちは素晴らしいことを成し遂げましたね!」と言いました。私たちは不思議に思い、上師に「私たちが戻る前に、誰がこのことをお知らせしたのですか?」と尋ねました。上師は、「護法神たちが満月の夜に戻ってきて私に教えてくれました。彼らは私の命令で行ったのです」と言いました。話が終わり、みんなとても喜びました。
その時、尊者ミラレパは法を聴く弟子たちに上記の話を語り終えると、弟子たちに向かって「私はこのようにして復讐のために悪行を積んだのです!」と言いました。
レチュンパが「上師、あなたは先に悪業を行い、その後に善業を行ったと言われましたが、善業とは正法に他なりません。尊者、どのような因縁で正法に出会われたのですか?」
尊者ミラレパは引き続き話しました。
私は徐々に呪術や雹降らしの罪悪を後悔するようになりました。正法を修めたいという思いは日に日に強くなっていきました。昼間は食事が進まず、夜は眠れないことが多くなり、歩く時は座りたくなり、座る時は歩きたくなる始末でした。自分の犯した罪を深く後悔し、この世に対する厭世感が常に心に浮かんできました。しかし、正法を修めたいということを口にする勇気はなく、常に「師父(訳注:ミラレパの呪術の師。雍同多甲[ようどうたこう])のところで正法を修める機会があるだろうか? どうすればいいのだろう?」と考え続けていました。
そのように悩んでいる時に、次のような出来事が起こりました。師父にはとても良い檀越(だんのつ。施主)がいました。彼は裕福で、師父に対する信仰心も厚く、敬意を持って師父に仕え、全力で支援していました。しかし、ある日突然重病にかかり、師父に加持と祈祷を頼み、自宅に来てくれるようお願いしました。
3日後、師父は青白い顔で苦笑いを浮かべて帰ってきました。私は師父に「師父、どうしてそんなに顔色が悪くて、苦笑いをしているのですか?」と尋ねました。
師父は「世の中のすべては無常だ。昨夜、私の一番の信者であり施主が亡くなったのだ。それで、私はこの世に対して悲しみを感じている。この老いぼれは若い頃から今の白髪の晩年まで、ずっと呪術や悪法、雹降らしの三つの業を行ってきた。お前も若いが、私と同じように呪術や雹降らしの大罪を犯してきた。この勘定は将来、私にも降りかかるだろう」と答えました。
私は心に疑問を抱き、師父に「私たちが殺した人たちを、師父は兜率天(とそつてん。弥勒菩薩が住む浄土)に生まれ変わらせたり、解脱させたりできないのでしょうか?」と尋ねました。師匠は「実際に彼らを救い、解脱させることができた者は一人もいない。これからは、自他共に利益のある正法を修めるつもりだ。お前は私の弟子たちに教えを説きなさい。その後、私はお前を兜率天と解脱の道に導く。あるいは、お前が正法を修めて、私を兜率天と解脱の道に導くのも良い。お前が正法を修めるために必要なものは、全て私が提供しよう」と答えました。
ああ! その時の私はどれほど嬉しかったことでしょう。私は昼も夜も渇望していたことが実現しようとしているのです。すぐに師父に「正法を修めたいです!」と申し出ました。師父は「お前は若く、精進心と信念も強い。だから一心一意に正法を修めなさい」と言いました。
師父は私のために準備をしてくれました。ネンオ産の毛布とチベット布を馬に積み、馬ごと私に送ってくれました。そして、「察絨那(さつじゅうな)という場所に、雍登(ようとう)喇嘛(ラマ)尊者という成就した高僧がいる。彼のもとで正法を修めなさい」と教えてくれました。
私は師父と師母(訳注:師父の妻)に別れを告げて察絨那に向かい、雍登上人の妻と数人の弟子に会いました。彼らは「ここが雍登喇嘛の本庵だが、上人は今、寧拓惹弄(ねいたくじゃろう)の分庵にいる」と言いました。私は「私は雍同多甲喇嘛から派遣されてきた者です。上人に会わせてください」と来歴を詳しく説明しました。上人の妻は一人の喇嘛を案内役にしてくれました。
寧拓惹弄に到着し、上人に拝謁しました。私は毛布とチベット布を差し出し、「私は上方(訳注:高地)から来た大罪人です。どうか慈悲をもって、今生で解脱できる法門を伝えてください」とお願いしました。
上人は「私の成就法は、根、本性が殊勝(訳注:他の法門よりも優れている)であり。道、成就が殊勝であり。果、成果が殊勝であり。昼の思索で昼に成就し、夜の思索で夜に成就する。根基の良い者、前世の善根を持つ者は、思索する必要もなく、法を聞いただけで解脱することができる。この法をお前に伝えよう」と言いました。そうして、上人は私に灌頂を行い、口訣を授けてくれました。その時、私は心の中で「かつて呪術を修めた時は、わずか14日で成果が出た。雹降らしの法も7日で成就した。今、師父が私に伝えた法は、それらの呪術や雹降らしよりも容易で、昼の思索で昼に成就し、夜の思索で夜に成就する。前世の善根を持つ者は思索する必要もなく、法を聞いただけで成佛する。このような大法に出会えた私は、当然善根を持っている者である。だから思索する必要もなく、法と人が一体となるのだ」と思いました。ところが、その結果、私は自慢に思い、全く思索することをせず、法と人は離れてしまいました。
このように数日が過ぎたある日、上人が私のところに来て「あなたは上方から来た大罪人だと言っていたが、その言葉は本当だ。私の法も少し誇張していた。私はあなたを導くことができない。今すぐ羅白来克(らはくらいく)の紮絨(さつじゅう)という地方に行き、インドの大行者・那諾巴(ナーローパ)の直弟子である、尊敬訳経師・馬爾巴(マルパ)尊者に導きを受けなさい。彼は新派密教(訳注:チベット佛教の一つ)の行者であり、三つの無分別(訳注:主客[自分と相手]・善悪・浄穢(清いことと汚いこと)の三つの分別心をなくすこと)の大成就を得た者だ。彼とは前世からの縁があるので、行きなさい!」と言いました。
私は訳経師(訳注:僧侶)馬爾巴の名前を聞き、心の中で言葉にできないほどの喜びを感じ、全身の毛穴が逆立ち、涙が潮のようにあふれ出し、無限の喜びと信仰を感じました。
旅行用の食糧と上人の紹介状を持って出発しました。道中、早く馬爾巴上師に会いたくてたまりませんでした。
紮絨に着く前日の夜、馬爾巴上師は偉大な那諾巴上師が降臨して灌頂を授ける夢を見ました。那諾巴尊者は馬爾巴上師に五股瑠璃金剛杵(ごかるりこんごうしょ。訳注:チベット佛教の密教法具の一つ)を与えましたが、杵(きね。訳注:棒状の法具)の先端には少し埃がついていました。さらに、尊者は甘露が満たされた金瓶を渡し、「この瓶の中の水で金剛杵の埃を洗い清めなさい。そして金剛杵を大幢(だいとう。訳注:佛旗を掲げるための柱)の上に高く掲げなさい。そうすれば、諸佛を喜ばせ、衆生に利益をもたらすことができ、自他の二つの事業(訳注:佛教の教えを広めるための活動と自身の悟り)を成就できるでしょう」と言いました。そして消えていきました。馬爾巴上師は尊者の言葉に従い、瓶の甘露で金剛杵を洗い清め、大幢の上に金剛杵を掲げました。すると金剛杵は突然大きな光を放ち、三千大千世界を照らしました。その光は六道の衆生に届き、すべての苦しみと悲しみを消し去りました。衆生は喜び踊り、馬爾巴上師と大幢に礼拝しました。無量の諸佛もこの大幢に開眼しました。
上師は朝目覚めると、非常に喜び、夜中に見た夢を考えていました。すると、師母が慌てて走ってきて「上師! 昨日の夜、私も夢を見ました。夢の中で、北方の烏金空行浄土(うこんくうぎょうじょうど。訳注:悟りの境地に達した霊的な世界)から2人の若くて美しい女性がやってきました。彼女たちは瑠璃の宝塔を持っていて、その上に少し埃がついていました。彼女たちは私に『これは上師那諾巴の意志です。この塔を開光して山の頂上に置いてください』と言いました。あなたは『那諾巴上師の意志で開眼するなら、当然やります』と言って、水で宝塔を洗い清め、開眼し、山の頂上に置きました。すると宝塔は突然、太陽や月のような無量の光を放ち、その光の中に無数の宝塔が現れました。私はこのような夢を見ました。上師、この夢にはどんな意味があるのでしょうか?」と言いました。
上師は師母の話を聞いて、自分の夢と完全に一致していることに気付きました。心の中では非常に喜んでいましたが、表面上は真剣な顔をして「夢はすべて幻想であり実体のないものです。あなたの夢が何を意味するのか、私には分かりません」と言いました。そして続けて「今日は畑に行って種を蒔きます。準備をしてください」と言いました。師母は「あなたのような偉大な上師がそんなことをするなんて、他の人が笑いますよ。どうかやめてください」と言いましたが、上師は聞かず、さらに「酒の壺を持ってきてください。今日はお客さんをもてなすつもりです」と言いました。そして上師は酒を持ち、道具を持って畑に行きました。
馬爾巴上師は田んぼに着くと、まず酒の壺を地面に埋めて、帽子で隠し、しばらく地を耕してから休憩しながら酒を飲んでいました。
その時、私は羅白来克の端に差し掛かっていました。道中、至高(訳注:高位)の訳経師・馬爾巴上師の住まいを尋ね歩きましたが、馬爾巴上師の名前を聞いたことがある人には一人も出会いませんでした。羅白来克の紮絨が見える十字路に差し掛かった時、1人の男に出会い、再び尋ねました。「馬爾巴という人ならいるが、至高の訳経師・馬爾巴上師は聞いたことがない!」と彼は言いました。「では、紮絨はどこにありますか?」と尋ねると、彼は向かいの谷を指して、「紮絨は遠くなく、ちょうどあの場所だ!」と言いました。「そこには誰が住んでいますか?」と聞くと、「馬爾巴が住んでいる」とのことでした。「彼には他の名前がありますか?」と尋ねると、「馬爾巴とも呼ばれ、馬爾巴上師とも呼ばれる」と答えました。それを聞いて、私はその方が探し求めていた馬爾巴上師に違いないと確信しました。
私は彼に再び「この山坂(訳注:山にある傾斜のある道)は何という名前ですか?」と尋ねました。彼は「ここは法広坡(ほうこうは)と呼ばれている」と答えました。私は法広坡で上師の住まいを見つけるということ自体が吉兆を感じ、とても喜びました。歩きながら、さらに人々に尋ねました。しばらく歩くと、羊飼いの人々に出会い、訳経師・馬爾巴の住まいを尋ねました。すると、年老いた男性は知らないと言いましたが、中には衣装が立派で、口達者なかわいらしい子供がいて、私に「ねえ、多分僕の父さんのことを言っているんだね。父さんは家産を全部売って金に換え、それを持ってインドへ行ったんだ。そして、たくさんの長い巻物を持って帰ってきた。いつもは畑を耕さないのに、今日はどういうわけか、あっちの畑で耕しているんだよ!」と言いました。私はそれが確かに上師であることを確信しましたが、大訳経師が自ら畑を耕すとはどういうことなのか疑問に思いました。考えながら歩いていると、道端の畑に、魁偉(かいい。訳注:体格が大きくたくましい)で健壮な喇嘛がいて、大きな目を輝かせながら地を耕しているのを見かけました。
彼を見た途端、私は言葉にできないほどの喜びを感じ、現世の全てを忘れるほどの計り知れない歓喜に包まれました。しばらくして我に返り、その喇嘛の前に進んで「インドの那諾巴大師の弟子、訳経師・馬爾巴がここに住んでいませんか?」と尋ねました。
その喇嘛は私を頭から足までじっくりと見て「君は誰だ? 何の用で彼を探しているんだ?」と言いました。
私は「私は後藏(こうぞう)の上方から来た大罪人です。馬爾巴の名声を聞き、彼に法を学びに来ました」と答えました。
喇嘛は「しばらくしてから彼に会わせてあげよう。今は私の代わりに畑を耕してくれないか?」と言いました。
そう言って、彼は帽子を取り、地下に隠していた酒壺を取り出し、味見をしました。どうやらとても美味しそうに飲んでいる様子でした。飲み終えると、彼は酒壺を置いて立ち去りました。
彼が去った後、私は酒壺を手に取り、一気に酒を飲み干しました。その後、畑を耕し始めました。しばらくして、先ほどの羊飼いの人々の中にいた、綺麗な服を着た利口な子供が走ってきて、「ねえ、上師が君を呼んでいるよ!」と言いました。私は、「まずはこの畑を耕し終えます。先ほどの方が上師に伝言してくれたので、私は彼の代わりに畑を耕し終えるべきです。すぐに行くと伝えてください!」と答え、一気に畑を全部耕し終えました。その後、この畑は「順緣田」(じゅんえんでん)と呼ばれるようになりました。
畑を耕し終えると、その子供が私を上師のもとへ連れて行きました。先ほど見た肥壮(ひそう。訳注:体が大きい)な喇嘛が、三層の厚い座布団が敷かれた高座に座っていました。その高座には金牛星(訳注:星座の一つ)と大鵬鳥(訳注:伝説上の巨大な鳥)の模様が刻まれていました。彼はまるで洗顔を終えたばかりのようでしたが、私はまだ彼の睫毛に少し埃が見える気がしました。彼の太った身体は、まさに一つの大きな塊のようで、腹が膨らんでいました。私は、これは先ほど畑を耕していた人だが、馬爾巴はどこにいるのだろうと考え、あたりを見回しました。すると、上師は笑いながら「この子は本当に私が誰か知らないんだな! おい! 私が馬爾巴だ、礼をしなさい」と言いました。
私は恭敬に礼をして「私は藏地から来た、悪業を犯した大罪人です。私は身、口、意をすべて上師に捧げます。どうか上師、私に衣食と正法を授け、『即身成佛』(訳注:この世で悟りを得る)の法門を慈悲をもってお与えください」と言いました。
上師は「お前は大罪人だが、それが私に何の関係がある? 罪業は私には及ばないし、私がそれをお前にさせたわけでもない! それで、お前は一体何をしたんだ?」と言いました。
私は過去の出来事を詳しく説明しました。
上師は「ああ、そういうことか! 身口意を全て上師に捧げるのは当然だが、私は君に衣食も与え、法も伝えることはできない。衣食を与えるなら、君は別の場所で法を学ばなければならない。法を伝えるなら、君は別の場所で衣食を求めなければならない。この二つは一つしか与えられないので、よく考えて選びなさい。また、法を伝えるとしても、それで今生で成佛できるとは限らない。それは全て君自身の精進にかかっているのだ!」と言いました。
私は「私は上師のもとで法を学びたいのです。衣食は自分で何とかします」と答えました。そう言い終えると、私は経典を手に取り佛堂に向かいました。上師はそれを見て「その本を外に持って行け。私の護法神が君の邪書(訳注:誤った教えが書かれた書物)の気配を嗅いでくしゃみをするかもしれない!」と言いました。私は驚いて思いました。上師は私の書に呪術や誅法(ちゅうほう。訳注:人を呪い殺す法術)があることをすでに知っているのだろうか?
上師は私に一室を貸してくれました。そこで4、5日過ごし、物を入れる皮の袋を作りました。師母はまた多くの美味しいものを与えてくれ、非常によくしてくれました。
上師に供養するために、私は紮絨の谷で食べ物を求め、21升の麦を集めました。14升の麦で、無傷で錆びていない四角形の大きな銅灯を買いました。1升の麦で肉と酒を買い、残りの麦は自分で作った皮の袋に詰めました。大きな銅灯(訳注:銅で作られた灯明)を袋の上に縛り付けて背負い、帰路につきました。上師の住居の前に着いた時、私は疲れ果てていました。重い袋を背から降ろした時、大きな音がして地面が震えました。上師は食事中でしたが、すぐに出てきて私を見ると、「この小僧、力はあるんだな! おい、お前、私の家を壊して私を殺そうとしているのか! 本当にとんでもない奴だ! さっさと袋を外に持って行け!」と言って、私を蹴りました。私は仕方なく麦を外に持ち出し、心の中で「この上師は本当に手強いな。これからはもっと慎重に仕えるべきだ」と思いましたが、不満や邪見は一切起こりませんでした。
私は上師に礼拝し、買った大銅灯を供養しました。上師は銅灯を手に取り、しばらく目を閉じて考え込んだ後、涙を流しました。彼は非常に喜び、感動して「これは大梵学者(訳注:梵語[古代インドで使われていた言語]の学問に通じた学者)那諾巴上師に供養するためのものだ。素晴らしい縁起だ!」と言いました。上師は印を結んで供養の儀式を行い、その後、杖で銅灯を叩くと、カンカンと音が鳴りました。上師は銅灯を佛堂に持って行き、酥油(そゆ。訳注:バターに似た乳製品)を満たし、灯芯をセットして灯を灯しました。
私は急いで法を求めたかったので、上師の前に駆け寄り、「どうか大法と口訣を私に伝授してください」とお願いしました。
上師は「衛藏(えいぞう)から私の元に法を学びに来る弟子や信者は多いが、蜀大(しょくだい)と令巴(れいは)の地域の者たちが妨害し、しばしば彼ら(訳注:弟子や信者)を襲って食料や供養を奪っている。今、お前にこの二つの地域に雹を降らせてもらいたい。それが成功すれば、法を伝授しよう!」と言いました。
法を求めるために、私は再び雹を降らせる術を使いました。今回も成功し、再び上師のもとへ法を求めに行きました。上師は「お前はただ2、3個の雹を降らせただけで、私がインドで苦行して得た正法を手に入れようというのか? 本当に法を求めるのならば、カワ(訳注:地名)の地域の人々が私の弟子を襲い、ずっと私に敵対してきた。お前が本当に強力な呪法を持っているなら、彼らを呪い殺せ。それが成功したら、那諾巴上師から伝えられた即身成佛の法を伝授しよう」と言いました。仕方なく、私は再び呪いをかけ始めました。間もなく、カワ地区に内乱が起き、多くの人々が殺され、私たちに敵対する者は皆死にました。上師は私の呪術が本当に効果があるのを見て、「人々が言う通り、お前の呪法は強力だ。大したものだ!」と言いました。それ以来、上師は私を「大力」(だいりき)と呼ぶようになりました。
私は再び上師に正法を求めましたが、上師は大笑いして「ハハハ! お前はそんな大きな罪を犯しておいて、私がインドで命を懸けて得た、黄金を捧げて上師から受け取った口訣、空行母(ダーキニー、女性の密教修行者)の秘伝を、簡単にお前に与えると思うのか? それは冗談にもほどがある。それに、お前は呪法を使いこなす者だ。もし今日、私ではなく別の誰かだったら、お前はその者をすでに殺していただろう。いいか、お前が蜀大と令巴の収穫を元に戻し、カワで殺した人々を生き返らせることができるなら、法を伝授してやろう。そうでなければ、ここにいる資格はない」と言いました。私は酷く叱られ、失望のあまり泣き出しました。師母は私を哀れんで、駆け寄って慰めてくれました。
翌朝早く、上師は私のところに来て「昨日、私はお前に少し言い過ぎた。気にするな! お前は体が強いから、私のために経典を収納する石造りの建物を建ててほしい。その建物が完成したら、法を伝授してやる。必要な衣食は私が提供する」と言いました。
私は「もし建物を建てている最中に法を得る前に死んでしまったら、どうなるのですか?」と言いました。
「私はその期間、お前が死なないことを保証する! 勇気のない者は法を修めることができない。お前は精進できる強い意志を持つ者のようだ。即身成佛できるかどうかは完全にお前の精進次第だ。私の教派は他と異なり、特別な加持力を持っている」と、上師は優しく親しげに私に言いました。
こうして私は非常に嬉しくなり、すぐに上師に家を建てるための図面をお願いしました。上師は「私のこの家は、険しい山の上に建てたい。しかしこの場所は、以前一族の間でここに家を建てないと決められていた。ただし、その文書に私は署名していなかったので、彼らの約束に縛られることはない。私は東の山頂に円形の家を建てたいと思っている。それによりお前の業障(訳注:業によって引き起こされる障害)も消せるだろう!」と言いました。
こうして私は上師の命令を受け、家を建て始めました。家がほぼ半分ほど完成した頃、上師がやって来て「前に考えていた場所は良くなかった。今すぐ石や材料を元の場所に運び戻しなさい!」と言いました。仕方なく、私は石や木材を一つずつ山の上から下へ運びました。次に上師は私を西の山頂に連れて行き、彼の半月形の上着を何重にも折りたたんで地面に置き、「この形に従って家を建ててくれ」と言いました。
今回の作業は本当に大変で、一人で家を建てるのは、すべての材料を何キロも下から上まで背負って運ばなければならず、本当に苦しいものでした。家がまた半分ほど完成した頃、上師がやって来て「この家もどうやら違うようだ。これを取り壊して、木材や石材を元の場所に戻しなさい!」と言いました。私は上師の言葉に従い、家を一つずつまた解体し、材料を元の場所に戻しました。
上師はまた私を北の山頂に連れて行き、「大力、あの時は酔っていてちゃんと説明できなかった。今度はここにしっかりと家を建ててくれ」と言いました。
私は「家を建てては壊し、私はただ苦労し、師匠も無駄にお金を使うだけです。今度はどうか慎重に考えてください」と言いました。
上師は「今日は酒を飲んでいないし、よく考えた。真言行者(訳注:密教の修行者)の家は三角形である必要がある。だから今回は三角形の家を建ててくれ。今回はもう絶対に壊さない」と言いました。私は再び三角形の家を建て始めました。家が3分の1ほど完成した頃、上師がやって来ました。「大力! 今お前が建てている家、誰が建てろと言ったんだ?」
私は焦って「これは上師が直接命じたことですよ!」と答えました。
上師は頭を掻きながら「うーん、どうも思い出せないなあ。お前の言うことが本当なら、私は気が狂ったことになるな?」と言いました。
「そうなることが怖くて、慎重に考えてくださいと言ったんです。上師はよく考えたと言って、もう絶対に壊さないと言ったのを覚えているはずです!」私は慌てて言いました。
「ふん、その時に証人がいたか? こんな風水の悪い場所に三角形の家を建てるなんて、まるで呪法の祭壇のようだ。お前は私を害そうとしているのか? 私はお前の物を奪ったことも、お前の父親の財産を奪ったこともない。もし本当に私を害しようとしないで法を求めるなら、私の言うことを聞いてこの家を壊し、木材や石材を山の下に戻せ」
石を運び、重労働を長い間続けたため、また早く家を建てて法を求めようと急いでいたため、私はとても一生懸命に働き過ぎました。そのため、背中の肉がすり減っていくつもの穴が開き、かさぶたができてはまたすり減り、痛みは耐え難いものでした。上師に見せようと思いましたが、叱られるだけだと分かっていたので、師母に見せるのもわざと苦労を訴えるように思えて、誰にも言いませんでした。ただ師母にお願いして上師に法を求めてもらうよう頼みました。師母はすぐに上師のもとへ行き、「このような無意味な家の建築が何のためか分かりません。大力はとても可哀想で、彼は苦しみながら働いています。早く彼に法を伝えてください」と言いました。
馬爾巴上師は、「まずは私に美味しい料理を作ってくれ。それから大力を呼んで来い」と言いました。師母が料理を準備し、私と一緒に上師のもとへ行きました。上師は私に「今日の私は昨日の私とは違う。そんなに怒らないで、法を求めるなら伝えてあげよう」と言って、普通の顕教(けんぎょう。訳注:一般的に公開されている佛教の教え)の三皈依(さんきえ。訳注:佛教徒となるための基本的な儀式)と五戒(ごかい。訳注:佛教徒が守るべき五つの基本的な戒律)を伝えてくださいました。上師は、「今伝えたのは普通の法要に過ぎない。もし特別で他人にない秘密の口伝を求めるなら、このようにしなければならない」と言って、那諾巴上師の苦行の伝記を語ってくださいました。そして、「そんな苦行はお前には無理だろう」と言いました。その時、私は那諾巴上師の苦行伝記を聞いて感動し、涙を流し、強い信心を抱きました。心の中で、「上師のすべての言葉に従い、すべての苦行を克服しよう」と誓いました。
数日後、私は上師と一緒に散歩に出かけ、再び一族が家を建てることを禁じた要所(訳注:重要な場所)の場所に行きました。上師は私に、「ここに四角い家を建ててくれ。9階建てで、上に倉庫1階建てる。全部で10階だ。今度は絶対に壊さない。この家が完成したら、お前に口訣を伝えてやり、修法の資糧(訳注:修行に必要な物)も提供する」と言いました。
私は考えて、「では、証人として師母を呼んできてもいいですか?」と尋ねました。
上師は私の要求に応じて、「いいぞ」と言いました。
上師が建築の図面を描き終えた後、私は師母を呼んできました。上師と師母の前で3回礼拝し、「上師が私に家を建てるよう命じられ、私は三度建てて三度壊しました。最初は、計画が思いつかなかったからです。二度目は、上師が酔っていて計画が不十分だったからです。三度目は、上師が狂っていたとおっしゃり、三角形の家を建てるように命じられました。しかし、私が説明した後、上師は証人がいないとおっしゃり、私を激しく叱りました。今日は、この四度目の家の建設に証人として師母に立ち会っていただきたいのです。師母、どうか証人になっていただけませんか?」と言いました。
師母は「私は必ず証人になります。上師! 私は確実な証人になります。しかし、この家を建てる計画は非常に困難です。このように高い山で、一つ一つの石や木材を全てあなた一人で山下から運び上げなければならないのです。いつになったらこの家が完成するのか分かりません。実際、この場所に家を建てる必要はなく、建てたとしても壊す必要もありません。この場所は私たちのものではなく、族人たち(訳注:一族)がここに家を建てないと誓った場所です。将来、口論が起こるかもしれません」と言いました。
「師母、上師はきっとあなたの言うことを聞かないでしょう」と私は言いました。
上師は「証人になるならそれでいいが、余計なことは言うな!」と言いました。
こうして、私は四角形の大きな要塞の建築を始めました。基礎を築いている時、上師の3人の大弟子(訳注:年上の弟子)、衛地(えいち。訳注:チベット自治区ラサ市)の俄東去多(がとうきょた)、多日(たにち)地方の吐通綱太(とつうこうた)、擦絨(さつじゅう)地方の麦通総波(ばくつうそうは)が手伝いに来て、遊びながらも多くの大きな石を運んでくれました。私はその石を基礎の一部として使いました。2階まで建て終わった時、馬爾巴上師がやってきて、丁寧に見回し、3人の弟子が運んだ石を指して「これらの石はどこから来たのか?」と言いました。
「それは、俄東と綱太が手伝って運んでくれたのです」と私は答えました。
馬爾巴は「彼らの石を使って家を建ててはならない。すぐに家を壊し、これらの石を元の場所に戻しなさい!」と言いました。
「しかし、上師はこの家を壊さないと誓ったのではありませんか?」
「確かにそう言ったが、私の弟子たちは無上瑜伽行(訳注:最高の瑜伽)の修行者であり、彼らをお前の召使にすることはできない。さらに言えば、全てを壊すわけではなく、彼らが運んだ石だけを元の場所に戻すのだ」
私は仕方なく、頂上から取り壊し始め、基礎まで解体し、それらの石を山下の元の場所に戻しました。再び上師がやって来て「今、これらの石を基礎として使うためにまた運び戻すがよい」と言いました。
「これらの石はもう使わないと言ったではありませんか?」
上師は「私はこれらの石を使わないと言ったのではなく、自分で運ぶようにと言ったのだ。他人の力を借りてはならない」と言いました。
3人で運んだ石を一人で運ぶのは、もちろん多くの時間と労力を要しました。それ以降、私が運んだ石は皆から『大力石』(だいりきせき)と呼ばれるようになりました。
山頂で基礎を固めた時、族人たちは相談して言いました。「馬爾巴が禁地に家を建てている。邪魔しに行こう!」とある人が言いました。
「馬爾巴は気が狂っている。どこからか力の強い若者を連れてきて、高い山の頂に家を建てさせ、半分建てたところで壊させ、木材や石材を元の場所に運び戻させている。今回も恐らくまた壊すだろう。壊さない時に邪魔しに行けば遅くない。少し待ってみよう」
しかし、今回は上師が家を壊すようには言わず、私は家を建て続け、7階まで完成させた時、腰にまた大きな傷ができました。
そのとき、族人たちは集まって言いました。「ふん! 今回はどうやら壊さないようだな。最初に何度か壊したのは、この場所に家を建てるための策略だったのか。今度こそ家を壊させるぞ!」
こうして彼らは人々を集めて家を攻撃しに来ました。しかし、上師は多くの化身を現し、家の内外にはすでに兵士がいっぱいでした。族人たちは驚き、馬爾巴がどこからこれほどの兵士を集めてきたのか分からず、この奇跡に圧倒されて攻撃することを恐れ、逆に上師に礼拝して許しを請いました。それ以来、彼らもまた上師の施主となりました。
そのとき、擦絨の麦通総波が、勝楽金剛[しょうらくこんごう](無上密宗[訳注:チベット密教の高度な修行体系]の主要な本尊)の灌頂を求めていました。師母は「今回こそ、何があっても一度灌頂を受けなければなりませんよ!」と言いました。
私自身も「これだけの家を建て、一つの石、一握りの土、一桶の水、一つの泥さえも誰の助けも借りずにやったのだから、今回は上師が私に灌頂を授けてくれるに違いない!」と思いました。
灌頂の時、私は上師に礼拝し、受法者(訳注:灌頂を受ける人)の座に座りました。上師は「大力! 灌頂の供養はどこにある?」と言いました。
「上師は家を建てた後に灌頂と口訣を授けると言われたので、今それを求めに来ました」と私は答えました。
馬爾巴上師は「お前はほんの少しの間、小さな家を建てただけだ。それでは私がインドで苦行して求めた灌頂と口訣を得るには足りない。供養があるなら出せ、無いなら密乗(みつじょう。訳注:即身成仏を目指す密教の体系)の奥義の灌頂の座に座るな!」と言いました。
そう言って、パシッ! と私を二度叩き、私の髪を掴んで門の外へ引きずり出し、怒りの言葉を吐きました。「出て行け!」
師母はこの状況を見て、申し訳なく思い、私を慰めに来ました。師母は「上師は常々、インドから求めた法要はすべての衆生のためだと言っています。普段、たとえ犬が彼の前を通り過ぎるだけでも、上師はその犬に法を説き、回向(えこう。訳注:自分が積んだ功徳を他の者に施すこと)します。でも、上師があなたに対してはいつも不機嫌で、私もその理由が分かりません。しかし、どうか邪見を起こさないでくださいね」と言いました。
言いようのない悔しさ、絶望、悲しみが交錯し、私は心の中でひどく苦しんでいました。夜、私は何度も寝返りを打ちながら考えました。いっそ自殺してしまおうか、と考えました。
翌朝、上師が私を見に来て「大力、今は一時的に房堡(訳注:要塞)の修築をやめて、代わりに12本の柱を持つ城楼型の大きな客店(訳注:宿泊施設)を作ってくれ。横には客堂(訳注:客間)も作るんだ。それが完成したら、灌頂と口訣を伝授しよう」と言いました。こうして私はまた一から基礎を据えて、客店の建設を始めました。師母はよく私に美味しいものや酒を持ってきてくれ、親切に慰めてくれました。
大客店がほぼ完成しそうな頃、日多(にった)地方の錯通綱崖(さくつうこうがい。訳注:高いレベルの修行僧)が密集金剛[みっしゅうこんごう](無上密宗の主要本尊の一つである)の大灌頂を求めに来ました。
師母は「今回はどうしても灌頂を受けなければなりません!」と言って、私に1袋のバター、1枚の毛布、そして小さな銅の皿を供養の品としてくれました。私は期待に胸を膨らませ、喜びながら供養の品を持って法堂の求法座(訳注:佛法を学ぶために座る場所)に入りました。
上師は私を見て「また来たのか? 灌頂の供養は何か持ってきたのか?」と言いました。私は心を落ち着け、自信を持って「このバター、毛布、そして銅の皿が私の供養です」と答えました。
「ハハハ! 面白い話だな! このバターは施主の甲さんが私に供養したものだし、毛布は乙さんの供養、銅の皿は丙さんの供養だ。自分のものを持ってきたわけじゃないのに、どうして私に供養したと言えるんだ? そんな道理があるか? 自分の供養がなければ、ここに座ってはいけない!」と言って、上師は立ち上がり、私を大声で叱りつけ、足で私を法堂から蹴り出しました。その時、私は地面にでも潜り込みたいほどの恥ずかしさを感じました。しばらく苦悩した後、「これは私が多くの人を呪い殺し、多くの収穫を雹で台無しにした報いなのか? 上師が私がそもそも法を受ける器ではないと知っているのか? それとも、上師が慈悲を欠いて法を授けてくれないのか? いずれにしても、この法を受けることのできない、罪に満ちた役立たずの身体を持ち続けるくらいなら、いっそ死んでしまった方がましだ、自殺しようか」と考えました。そんな風に思い悩んでいると、師母が会供(えぐ。訳注:供養の儀式)の食べ物を持ってきてくれ、一生懸命に私を慰めてくれました。
失望と苦痛のために、師母が持ってきた食べ物を少しも食べる気になれず、一晩中泣き続けました。翌日、上師が再びやって来て「今すぐ客店と房堡を完成させなさい。修築が完了したら、正法と口訣を伝授しよう」と言いました。
私は幾多の辛苦を経て、ようやく客店を完成させました。その時、背中が再び擦り切れて穴が開き、背中に大きな腫れ物ができていました。その腫れ物には三つの膿の頭があり、腐った肉が膿と血と共に混ざり合い、まるでひとかたまりの泥のようにただれていました。
私は師母に頼みに行きました。「今、客店はすでに完成しましたが、上師がまた法を伝授することを忘れるかもしれないので、どうか法を求める手助けをしてください」と言いながら、背中の腫れ物が痛くて顔に苦痛の表情が浮かびました。「大力、どうしたの! 病気かい?」と師母は驚いて尋ねました。私は仕方なく服を脱ぎ、背中の腫れ物を見せました。師母はそれを見ると涙が止まらず、「すぐに上師に伝えます!」と言い、急いで上師の元に駆けつけました。「上師、大力はこんなにも家を建て続けて、手足も傷だらけで、皮膚も裂けています。背中には大きな腫れ物が三つもでき、そのうちの一つには三つの穴があって、膿と血でぐちゃぐちゃです。以前は荷物を運ぶ馬やロバが重荷で背中に腫れ物ができるとは聞いたことがありますが、人間にできるとは聞いたことがありません。こんなことを見たり聞いたりしたら、私たちは笑いものになるでしょう。上師、大力はあなたを大喇嘛と信じて仕えているのです。最初に家を建て終わったら法を伝授すると言いましたよね? 彼は本当にかわいそうです。今、法を伝授してください」と言いました。
上師は「そうは言ったが、10階建ての楼閣を建てると言ったのに、今その10階はどこにあるのだ?」と答えました。
「その大きな客店は10階建てよりも大きいではありませんか?」
「余計なことを言うな! 10階建てを完成させたら法を伝授する!」と上師は師母を叱責し、私の背中の腫れ物のことを思い出して言いました。「大力の背中に腫れ物があるって?」
「背中一面に腫れ物があります。自分で見てください。膿と血が混ざり合い、見るに忍びないほどです。本当にかわいそうです!」と師母が言いました。
上師はすぐに階段のところまで来て、「大力、上に来い!」と言いました。
私は「これは法を伝授されるのだ!」と思い、急いで上に駆け上がりました。上師は「大力、背中の腫れ物を見せてくれ!」と言いました。私は背中を見せました。上師はじっくりと見て「至尊那諾巴は、十二の大苦行(訳注:火の上に座るなど、12種類の苦行を含む非常に厳しい修行法)と十二の小苦行(訳注:十二の大苦行よりも軽い修行法)、これよりもはるかに厳しいものだった! 大小合わせて二十四の苦行を耐え抜いた。私自身も那諾巴上師に仕えるために命を顧みず、財産を惜しまずに尽くした。もし本当に法を求めるなら、わざと大げさに見せかけず、すぐに楼閣を完成させなさい!」と言いました。
私は、上師の言葉は本当に正しいと心の中で思いました。
上師は私の服にいくつかのポケットを作り、「馬やロバが背中に腫れ物ができた時、ポケットを使って荷物を運ぶのだ。今、君にもポケットを作ったので、これで土や石を運びなさい」と言いました。
私は「背中に腫れ物があるのに、これが何の役に立つのですか?」と尋ねました。
上師は「役に立つ! ポケットに土を入れれば、砂が背中の腫れ物に付かないようにできる!」と言いました。私は上師の命令だと思い、痛みをこらえて七つのポケットに砂を入れて山頂まで運びました。
上師は、私が彼の言うことをすべて忠実に守り、百折不撓(ひゃくせつふとう。訳注:どんな困難にも屈しない)の精神で難行を成し遂げる男であることに感動し、称賛してくれました。また、無人の場所で、こっそりと涙を流すこともあったそうです。
背中の腫れ物は日に日に大きくなり、次第に耐え難い痛みを伴うようになりました。私は師母に、「上師にお伝えしていただけますか。先に法を伝授していただくか、少なくとも休息を取って腫れ物を治すことをお願いしたいのです」と言いました。
師母が私の言葉を上師に伝えると、上師は依然として「家が完成しなければ、絶対に法を伝授しない」とのことでした。ただし、腫れ物が本当に治療を必要とするなら、数日間休んでもよいとのことでした。師母も私に休養を勧め、腫れ物が治ったら再び作業を続けるように言いました。
私は休養の間、師母から多くの美味しい食べ物や栄養のあるものをいただき、頻繁に励ましを受けました。そのおかげで、法を得られない心配も一時的に忘れることができました。
このようにしばらく休養し、背中の腫れ物がほぼ治りかけた頃、上師が再び私を呼びました。しかし、法を伝授する話には一切触れず、「大力、今すぐに家を建てる作業を再開しなさい!」と言いました。
その時、私はすでに仕事に取りかかる準備をしていましたが、師母は私を思いやり、上師に早く法を伝授させるための計略を立てました。師母は私と密かに相談し、偽装計画を立てることにしました。私は上師のところから出てくると、静かに泣きながら荷物をまとめ、ツァンパ(チベットの主食である炒った大麦粉)を持って出発するふりをしました。上師の見えるところで、まるで出発しようとするかのように装いました。師母は私を引き留めるふりをして、「今回は必ず上師に法を伝授してもらうから、行かないで! 行かないで!」と言いました。しばらくして、2人がもみ合っている様子が上師の注意を引きました。上師は師母に向かって、「2人で何をしているんだ?」と叫びました。
師母はこの機会を逃さないと思い、「この大力という弟子は、遠くから上師のもとに法を求めに来たのに、正法を学ぶどころか、叩かれたり、牛馬のように重労働をさせられました。彼は法を得られないまま死ぬことを恐れて、他の師を求めに行こうとしています。私は彼が必ず法を得られると保証したのに、彼はまだ行こうとしているのです」と言いました。上師はそれを聞いて怒り、鞭を取りに部屋へ走り、戻ってくると私を鞭打ちました。「このろくでなし! お前が最初に来た時に、身も口も意も全て私に捧げたではないか。今さらどこへ行こうというのだ? 私が気に入らなければ、お前の身も口も意も千切れにする権利がある。これはお前が私に捧げたのだからだ。さあ、出て行きたいなら出て行けばいい。なぜ私のツァンパを持ち出そうとするのか? この道理を説明してみろ!」と言い、鞭で無情に打ち据え、私は地面に倒れました。上師はツァンパを取り上げました。
その時、私は心底から悲しみに沈みましたが、上師にこれは師母と計画した偽装だと言うことはできませんでした。どんなに取り繕っても、上師の威力には敵いません。仕方なく部屋に駆け込み、泣き崩れました。師母もため息をつき、「ああ、今となっては上師と喧嘩をしても、法を伝授してくれることはないでしょう。どうにかしてあなたに法を伝授する方法を考えます。私自身の『金剛亥母』[こんごうがいも](密教の本尊の一つ、般若波羅蜜多[はんにゃはらみった。訳注:大乗佛教における最も重要な教えの一つ]の本性(訳注:本質)を表す佛母)の修法を伝えましょう」と言いました。私はその法を修行し、特に何かを感じることはありませんでしたが、心が安らぎました。師母には感謝の念が尽きず、その恩を返そうと思いました。また、上師と師母のおかげで、私の罪業がかなり浄化されたとも感じました。そこで、私は再び留まることを決意しました。
夏の間、師母を手伝って牛の乳を搾り、大麦を炒りました。時には他の上師を探そうと思うこともありましたが、よく考えると即身成佛の秘訣を持っているのはこの上師だけであり、今生で成佛できなければ、これまで犯した多くの罪業からどうやって解脱できるのか、と考えました。法を求めるために、那諾巴尊者のように苦行を修め、どんなことがあってもこの上師を喜ばせ、その秘訣を得て、今生で悟りを開こうと決心しました。それで、一心に石を運び、木材を運び、大客店の横に瞑想の部屋を建て始めました。
(続く)