業を滅した後の目覚め
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年10月28日】9月4日の朝3時のことです。起きて煉功しようと思い起き上がろうとしたら、急にめまいがして天地も回転しているように感じました。すると一つの丸い赤い目が見え、隣に黄色の尻尾のようなものがあり、それがずっと回転していましたが見ていられませんでした。すぐに大きい声で、「師父、助けてください。李洪志師父助けてください」と叫んで、床に伏せました。汗が腕に落ちていましたが、この汗の大きさは豆粒の大きさと同じぐらいでした。そのまま4時間同じ姿勢でいました。

 6時半になって、息子に「ご飯を食べ終わったら、一度こっちに来て」と電話をしました。こんな時間に息子に電話したことがないので、息子は電話を受けた後、すぐにやって来ました。排尿容器を買ってもらうためです。トイレに行きたかったのですが、めまいがしていたので目を開けることが出来なかったからです。目を開けると、天地の回転がさらにひどく感じ、2日間水をストローで飲むだけで、他に何も食べられませんでした。3日目に胃が痛く感じたのでお粥を少し食べました。

 4日間もベッドから降りられなかったので、娘と息子は病院へ行くように勧めましたが、「大丈夫です。これは業を滅しているので、誰にも言わないで」と答えました。4日目の夜9時になっても、まだめまいを感じていました。12時になったころ、やっとめまいを感じなくなりましたが、体はまだ弱ったままでした。

 以前の私は病気だらけでしたが、大法を修煉して間もなく師父が私の病気を取り除いてくださいました。21年もずっと無病な状態で体がとても軽かったのです。しかし、今回はきっと大きな漏れがあったので、今回のような重い病業の状態になり、こんなにも大きな魔難が現れたのだと認識しました。

 再び師父の『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』を勉強しました。師父は、「『具合が悪いとき病気と言ってはいけない、業を滅していると言えば良いのだ』と思っていますが、違います。本当に業を滅しているのです。あなたの道はあらかじめ用意されていたので、病気にかかることが許されていません。本当に許されていません」、「違います。業力がその部位にやってきたからです。なぜそこなのでしょうか? その部位でなければいけないということではなく、この部位や別の部位の可能性もあります。あなたに何かの執着があり、修煉させたいとき、体に現れてきます」、「皆さんが知っているように、修煉は漏れるところなしを重んじています。漏れがあったとしても旧勢力はあなたを天に昇らせるのでしょうか?  つまりこういうことです」[1]と説かれました。

 近所のある人のことですが、彼女は、私がほかの近所の人たちとの話が少しでも長くなったのを見ると、後で彼らに私の悪口を言っています。そのあと近所の人たちは私に優しいので、彼女が何の話をしたかを教えてくれます。近所の人たちの4、5人から続けて話を聞いている内に、彼女に対する恨む心が生まれました。ある日、彼女が私と話をするときに、「我行你素(意味:周りに考慮せず、わがままに思い通りにすること)」を使っていましたが、正しくは、「我行我素」であると気づいていましたが、彼女に言いませんでした。そのうちだんだんと、同修や親友の前でも口を修めず、裏では彼女の悪口を言ったりするようになりました。

 師父は「それが人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず、向上につながりません」[2]と説かれました。読んだのは、全部「内に向けて探すこと」に関する法ですが、自分はトンボが水に触れたような感じで、根本的なものを見つけることが出来ませんでした。

 5日目、遠方の同修が電話をかけてきました。私が言葉を濁して声も小さかったので、同修は電話を切った後、私の近くに住んでいる同修に電話をしました。するとその同修が家に来ました。同修は簡単な言葉で、「誰にも問わず、自分が修めるべき心を見つけ、その心をきれいに滅するまで、ただ単に内に向けて探してみてください」と言ってくれました。

 6日目、同修から、2020年9月3日『明慧週刊』973回の文章で、『恨みがないからこそ笑える』をもらいました。文章の中で、「あなたが人を恨む観念があるからこそ、人の行為を責めているわけである」と書いてありました。まるで自分に対して言っているような話でした。

 師父は「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです」[3]と説かれました。私は、この部分の法を一枚のメモ帳に書いて、壁の鏡に挟んでいました。紙も古くなったのですが、自分は何も感じていませんでした。今回この部分の法を読んで本当に驚きました。

 以前は、誰か良くなっていると感じているときは、自分も喜んでいるので、嫉妬していない、自分の嫉妬心は強くないと思っていました。今回、「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです」[3]を読んで、怨恨は嫉妬だとやっとわかりました。「自分には、怨恨もあり、これは悪ではありませんか」とそのような自分は悪人だと認識して、本当にびっくりしました。「私は悪人になりたくない。怨恨も嫉妬心も絶対にいらないと何回も繰り返して言い、紙に書き、私は怨恨を慈悲心に入れ替え、心性を高め、悪人ではなく、善良な人になろう」と決心しました。

 その日の夜、娘が家に来た時に、ちょうど近所のあの彼女に出会ったと言いました。彼女は娘に、「あなたのお母さんが病気になってからは、会いに行っていません。私が足が悪くなった時、あなたのお母さんは、ご飯やおかずを持って来てくれました」と娘に言ったそうです。娘が「母は病気ではありません。ただのめまいだけですので、大丈夫です」と答えたと言いました。娘からその話を聞いて、彼女のことがかわいそうだと私は思うようになり、彼女に対する怨恨もなくなりました。

 修煉前には、私はメニエール病の病状に何回もなったことがありましたが、今回ほど酷くはありませんでした。今回こんなに酷かったということは、まさに業が多く大きかったという事です。業が多くて大きいから、旧勢力はその業力を集めてここに投げつけてくれたのだとやっとわかりました。師父が再び救ってくださったのです。師父、ありがとうございます。ありがとうございます。

 同時に心性を高めるチャンスをくれた近所の人に感謝します。

 様々の良くない心を除き、しっかり三つのことを行ない、師父に従って家に帰りたいと思います。

 法に従っていないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
  [1] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』
  [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
  [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「境界」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/19/413965.html)
 
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