ミラレパ佛の修煉物語(五)
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 【明慧日本2024年7月15日】ヒマラヤ山脈は古来、修煉する者が多く集まる場所であり、人々は質素な生活を送り、歌や踊りを楽しむと同時に、佛法を崇拝していました。その中で、ミラレパ(密勒日巴)という修煉者がいました。佛、菩薩たちは多生曠劫(たしょうこうごう:繰り返し輪廻する長い時間)の修煉によって成就するものですが、ミラレパは一生の中でこれらの佛、菩薩と同等の功徳を成就し、後にチベット密教の始祖となりました。

 (ミラレパ佛の修煉物語(四)に続く)

 衛地(えいち。訳注:チベット自治区ラサ市)の俄東去多(がとうきょた:馬爾巴の弟子)とその家族が、多くの供物を持って「喜金剛」(きこんごう。訳注:密教における重要な本尊の一つ)の灌頂を求めに来ました。師母(訳注:馬爾巴の妻)は私に「馬爾巴(マルパ:ミラレパの師)はただお金が好きなのよ。あなたのような苦行者には法を伝えないわ。私が何とかして供物を用意するから、何としても灌頂を受けられるようにしなさい。まずはこの供物を持っていってお願いしてみて、それでも法を伝えてくれなかったら、私が代わりに頼んでみるわ」と言いました。そう言いながら、師母は自分の下着の中から龍形の紅玉(こうぎょく。訳注:宝石の一種)を取り出して私に渡しました。

 私はこの鮮やかに輝く紅玉を持って佛堂に入り、上師に礼拝し、その宝石を供えました。そして、「今回の灌頂は、何としてもどうか慈悲をもって私に伝えてください」と言い、受法座(訳注:灌頂を受ける際に座る場所)に座りました。

 上師は紅玉をひっくり返して見たり、回して見たり、じっくりと眺めた後に「大力(だいりき:馬爾巴の下で修業時のミラレパの名前)、この宝石はどこから手に入れたのだ?」と言いました。

 「これは師母が私にくださったものです」

 上師は微笑みながら「達媚瑪(たつびま)を呼んできなさい!」と言いました。

 師母がやって来ると、上師は「達媚瑪! この紅宝石はどのようにして手に入れたのだ?」と尋ねました。

 師母は頭を何度も下げ、震えながら「この宝石は元々上師とは関係ありません。私が嫁ぐ際に両親が『夫の性格が悪いかもしれないので、もし生活に困った時のためにお金が必要になることがあるかもしれない』と言って、私にこの宝石を持たせ、他人に見せないように言われました。これは私の秘密の財産でしたが、この弟子が本当に気の毒なので、この宝石を彼に渡しました。どうかこの宝石を受け取って、大力に灌頂を授けてください。以前、灌頂の際に何度も彼を追い出して、非常に失望させました。今回、俄巴(がは)喇嘛と皆さんも一緒に上師にお願いしています」と言い、再び頭を下げました。

 しかし、上師は怒りの表情を浮かべて、俄巴喇嘛とみんなは何も言えず、ただ師母と共に礼拝しながら上師にお願いしました。上師は「達媚瑪! あなたは愚かなことをした。この素晴らしい宝石を他人に渡すなんて、まったく!」と言って、その宝石を頭に載せ、また「達媚瑪! あなたは誤解している。あなたのすべては私のものであり、この宝石も私のものだ! 大力! もしお前が財産を持っているなら出しなさい。そうすれば灌頂を授けよう! この宝石は私のもので、お前の供養とは認められない」と言いました。

 それでも私は、師母が再三説明してくれるだろうと考え、皆も私のためにお願いしてくれているので、まだ待っていました。頑固にその場を離れようとはしませんでした。

 上師は激怒して座から飛び降り、私を大声で「出て行けと言っているのに、なぜ出て行かないのか?」と罵りました。上師は私を蹴り上げ、頭を地面に押し付けました。その時、視界が暗くなり、まるで夜になったかのようでした。突然、上師は私を蹴り倒し、頭を上向けさせました。その瞬間、視界が明るくなり、金星が飛び交っているかのようでした。上師は私を無情に蹴り続け、鞭を手に取り、さらに打ちました。俄巴喇嘛が止めようとした時の上師の様子は本当に恐ろしいものでした。上師は大広間で飛び跳ね、怒りの威勢は最高潮に達していました。私は「このままでは痛みしか得られない。自殺した方がましだ」と考えました。泣きながら師母の慰めを待っていると、彼女は涙を浮かべてやって来ました。「大力、そんなに傷心しないで。あなたほどの弟子は他にはいないわ。他の喇嘛を探すなら、私が紹介するわ。学法の費用と上師への供養も私が負担するから」と言いました。その晩、私は一晩中泣き、師母も私に付き添って一晩中起きていました。

 翌朝、上師は人を遣わして私を呼びました。私は法を授けてもらえると思い、急いで駆けつけました。上師は「昨日、灌頂を授けなかったから不満なのか? 邪見(訳注:真理に反する誤った見解)を抱いたか?」と言いました。

 私は「上師への信心は全く揺らいでいません。ただ、自分の罪が大きすぎるために心が痛みました」と言いながら涙を流しました。上師は「私の前で泣いているが、懺悔しないのはどういうことだ! 出て行け!」と言いました。

 外に出た後、私はまるで神経病になったかのように心が痛みました。「奇妙なことだ。罪を犯していた時には学費も供養もあったのに、どうして法を学ぶ時には学費も供養もないのか。罪を犯していた時のお金が半分でもあれば、灌頂と口訣を得られるのに。今、この上師は供養物がなければ口訣を授けてくれない。どこに行っても供養物がなければ意味がない。お金がなければ法を得ることはできない。罪業を積むしかないなら、自殺した方がましだ。どうすればいいのだろう?」こう考え、あれこれと妄想を巡らせました。結論として「まずお金を手に入れることだ」と決めました。金持ちの家で働いて賃金を貯めるべきか、悪事を働いて呪術でお金を得るべきか、それとも故郷に戻るべきか? 母に会えばどれほど喜ぶだろう。しかし、故郷に戻ってもお金が見つかるかどうかわからない。どうしよう。求法(訳注:悟りの道を求めること)でも求財(訳注:財産を求めること)でも、とにかく何かを得なければならない。ここにいても無駄だ。結局、出発することに決めました。上師のものを持って行けば叱られ殴られるので、食べ物すら持たず、自分の書物だけを持って出発しました。

 道を歩きながら、師母の恩徳を思い出し、心がとても悲しくなりました。私は紮絨(さつじゅう)から半日の距離のところまで来た時には、すでにお昼で、昼食の時間でした。そこで、少しのツァンパ(チベットの主食である炒った大麦粉)をもらって食べました。また、鍋を借りて外の草地で火を焚き、水を沸かして飲みました。しばらくして、心の中で「上師のもとでの仕事は、半分は上師に仕えるため、半分は自分の食事代のためでもありました。私の心を慰めてくれる精神的な糧は、師母の慈愛でした。師母は私にとても良くしてくれたのに、今朝、師母に別れの挨拶もせずに出て行ったのは、本当に理にかなわないことでした」と思い、自分でも納得がいかず、戻りたいと思いましたが、勇気が出ませんでした。水鍋を返しに行った時、その家の主人の老爺さんが「若いのに、何をしてもいいのに、なぜ物乞いをしているんだ? 字が読めるなら、経を読むこともできるだろう。字が読めなければ、人の仕事を手伝っても衣食の糧を得られるだろう。おい、若者、字が読めるのか? 経を読めるのか?」と言いました。

 「私はあまり経を読むことはありませんが、読めないわけではありません!」

 「それならちょうどいい。私はちょうど経を読んでもらいたいと思っていたんだ。5、6日ほど経を読んでくれれば、供養を差し上げますよ!」

 私は嬉しくなって「いいですよ!」と答えました。

 それで、その老者の家で『般若八千頌』(はんにゃはっせんじゅ。訳注:大乗佛教の般若経典の一つ)を読みました。経の中に、常啼菩薩(じょうたいぼさつ。大乗佛教の菩薩)という名前の菩薩の物語がありました。その大菩薩は私と同じように貧しかったのですが、法を求めるために命を顧みませんでした。誰もが知っているように、心をえぐり出すことは死を意味しますが、彼は法を求めるために決然として心をえぐり出しました。それに比べれば、私のこの苦しみは苦行のうちには入りません。そこで、上師はいつか法を伝授してくれるかもしれないし、もし伝授してくれなくても、師母は他の喇嘛を紹介してくれると言っていました。そう思うと、再び戻る決心をしました。

 上師の方では、私が去った後、師母が上師に「あなたはとても強い憎しみを持つ者を追い出しましたね! 彼はもうここにいませんよ。今あなたは幸せでしょう?」と言いました。

 馬爾巴上師は「君が言っているのは誰のことだ?」と言いました。

 「まだ分からないのですか? 見たら仇敵のように扱い、苦しめていた大力のことです!」と師母は答えました。

 上師はそれを聞くと、顔色が青白くなり、涙が雨のように流れ、合掌して祈りました。「口授伝承の歴代上師よ! 空行および護法よ! どうか私の善き弟子を戻してください!」そう言うと、黙然としました。

 私は帰ってきた後、まず師母にお辞儀をしました。師母は非常に喜んで「ああ! これで安心しました。上師は今回、恐らくあなたに法を伝授するでしょう。あなたが去ったと私が伝えると、彼は『私の宿善(訳注:前世の善行によって得た)の良い弟子を戻してください!』と叫び、涙を流しました。大力! あなたは上師の慈悲心を引き出しましたよ!」と言いました。私は心の中で思いました。これは師母が私を慰めるための言葉に過ぎない。もし本当に涙を流し、私を宿善の弟子と呼んだのなら、それは私の行動に満足していることを意味します。そうでなければ、彼はただ「彼を戻して」と言うだけで、灌頂や口訣を授けないだろう。それならば、私はこのいわゆる「宿善」でも最下位のものであることになります。もし他の場所に行かなければ、また苦痛が身に降りかかってくるでしょう! そう考えている時、師母は上師に「大力は私たちを捨てられず、戻ってきました! 彼をあなたの前で礼拝させてはいかがですか?」と伝えました。

 馬爾巴上師は「ふん! 彼が私たちを捨てられないのではなく、彼が自分自身を捨てられないのだ!」と言いました。

 私が礼拝に行った時、上師は「性急になってはいけない。馬鹿なことを考えるな。もし心から法を求めるならば、命をかけて法を求めるべきです。私のために3階建ての家を建てなさい。完成したら灌頂を授けます。私の食糧も多くはないので、人にただで食べさせることはできません。もし心が納得しないなら、旅行に出かけてもよい。いつでも出て行って構いません!」と言いました。

 私は一言も言えずに出て行きました。

 私は師母のところへ行き、「私は母が恋しいために、上師は法を伝授してくれません。彼は家を建てたら法を伝授すると言いましたが、家が本当に建てられても、結局伝授せず、さらに叱責されます。私は故郷に帰ることを決心しました。上師と師母が平安無事で、すべてが吉祥でありますように」。そう言って、荷物をまとめて出発の準備をしました。

 師母は「大力、あなたの言うことはもっともです。私は必ずあなたに良い上師を見つける手助けをします。俄巴喇嘛は上師の一番弟子で、彼は口訣を得ています。私はあなたを彼のところに送る方法を考えますので、急がないで、しばらくここに滞在してください」と言いました。そう言われたので、私は出発をやめました。

 尊敬すべき大梵学者(訳注:梵語[古代インドで使われていた言語]の学問に通じた学者)那諾巴(ナーローパ。馬爾巴の師)上師は、毎月10日に必ず広大な会供輪[かいきょうりん](毎月一度行われる密教の集会で、佛に供養し、儀軌[ぎき。訳注:供養の規則を説いた典籍]を唱える)を行っていました。その習慣を受け継ぎ、馬爾巴上師も毎月10日に会供輪を行っていました。その日も10日で、いつものように会供輪を修行しました。師母は大きな袋いっぱいの麦で3種類の酒を醸造しました。一つは濃い酒、一つは薄い酒、もう一つは中くらいの酒でした。師母は上師に濃い酒をたくさん飲むように勧め、他の喇嘛たちには中くらいの酒を飲ませました。私は師母と一緒に薄い酒を飲みましたが、ほんの少し口にしただけでした。その日は多くの敬酒(訳注:酒を酌み交わしながら相手を敬う行為)があり、喇嘛たちは皆酔いつぶれました。上師も酔いました。上師が酔っ払って朦朧としている時、師母はこっそり上師の寝室に入り、上師の手提げ小箱から上師の印章(訳注:チベット佛教で使用される法印)と印鑑、那諾巴大師の身装厳[しんそうごん](上師が身に着けていた装飾品)および紅宝石の印を取り出しました。師母は予め用意していた偽の手紙を取り出し、上師の印を盗んで押し、印を再び箱に戻しました。そして、偽の手紙、紅宝石、身装厳を美しい布で包み、蝋で封をして私に渡し、「これは上師が俄巴喇嘛への供養としてあなたに送るものだと言い、今すぐ俄巴喇嘛のところへ行きなさい」と言いました。

 私は師母に別れの挨拶をし、手紙を持って衛地に向かいました。二日後、上師が師母に尋ねました。「今、大力は何をしているのか?」

 「彼は出発しました。詳しいことは分かりません」

 「彼はどこへ行ったのか?」

 「彼はあれほど一生懸命に家を建てたのに、あなたは法を伝授せず、さらに彼を叱責しました。彼は他の上師を探しに行ったのです。彼はあなたに話そうと思ったのですが、叱られるのを恐れて話せなかったのです。どんなに私が引き止めても無理でした」

 師母がこう言うと、馬爾巴上師の顔色はすぐに青ざめました。「彼はいつ出発したのか?」

 「昨日です」

 上師はしばらく考え込みました。「私の弟子は遠くには行かないだろう」

 私は衛地の孔慶山(こうけいざん。訳注:チベット佛教の寺院の名前)に到着した時、俄巴上師は多くの喇嘛たちと共に「喜金剛本續」(訳注:チベット佛教の経典の一つ)を講義していました。ちょうど次の部分を講義していました。

 「法を説くのは私、法も私であり、法を聞く者たちもまた私、私は成就する世界の主;この世とあの世もまた私、私は生まれつきの歓喜と大自在(訳注:制約のない自由)である」

 その時、私は遠くから俄巴上師に礼拝しました。上師は帽子を脱いで応礼し、「これは馬爾巴の弟子の礼拝の姿勢だ。修法の縁起が良い(訳注:修法が成功する可能性が高い)。将来、この人はすべての法の王として成就するだろう。誰なのか見てみなさい」と言いました。ある比丘(びく。訳注:男性僧侶)が私のところに来て、私を見て、「ああ、君か! なぜここに来たのだ?」と尋ねました。

 私は彼に「馬爾巴上師が非常に忙しく、法を伝授する時間がないため、ここに来て法を請うことにしました。馬爾巴上師は那諾巴の身装厳と紅宝石の印章を、許可の証として私に持たせました」と答えました。

 その比丘は戻って、俄巴上師に「大力が来ました!」と報告し、私の言葉を一字一句伝えました。

 俄巴上師は非常に喜び、「上師那諾巴の身装厳と玉印が私のところに来たのは、まるで優鉢曇花(うはつどんか。訳注:3000年に一度だけ咲く花)が咲いたかのようだ。非常に珍しく、驚くべきことである。我々は恭敬(訳注:深い敬意と畏敬の念)して迎えなければならない。今は一旦法を説くのを中止し、聴衆たちはさっそく寺院に行って、華蓋(かがい。訳注:佛像の頭上に飾られる天蓋)や勝幢(しょうとう。訳注:寺院の入り口に立てられる旗)、荘厳(そうごん。訳注:佛像の装飾)、楽具(がくぐ。訳注:楽器)などを持ち出しなさい。そして、大力には少しの間外で待ってもらいなさい」

 その比丘は私に外でしばらく待つように言いました。その後、私が礼拝したこの場所は「礼拝岡」と呼ばれるようになりました。

 しばらくすると、華蓋と宝幢、音楽の演奏が織り成す盛大な歓迎の中で、大勢の人々に囲まれて私は大殿(訳注:佛教寺院の中心となる建物)に入りました。礼拝を終え、贈り物を供養しました。俄巴上師は涙を流しながら身装厳を頭に頂戴し、加持を祈った後、それを壇城(だんじょう。訳注:宇宙の真理を表す曼荼羅)の中央に置き、様々な素晴らしい供物で囲んで供養しました。そして、私が持ってきた手紙を開封しました。手紙には次のように書かれていました。

 「俄巴法身金剛(訳注:チベット佛教における尊格[訳注:佛、菩薩など、信仰対象となる存在])へ、私は現在、閉関入定(訳注:瞑想に集中する状態)中であり、大力を教導する時間がないため、彼をあなたのもとに送り法を求めさせました。彼に灌頂と口訣を授けるようお願いします。ここに、那諾巴大師の身装厳と紅宝石を贈り、印可(訳注:法を伝授することを認めること)の証とします」

 俄巴喇嘛は手紙を読み終えると、私に「これは上師の命令だから、灌頂と口訣はどうしてもあなたに伝えなければならない。以前からあなたにここで法を学んでほしいと思っていたので、今回あなたが自ら来たのは本当に上師のおかげだ」言いました。そう言った後、ふと立ち止まり、「ああ、大力! 思い出したよ! 雅絨(がじゅう)、恰抗(こうこう)、そして打開通(だかいつう)のこれらの場所では、たくさんの喇嘛たちが私のところに来たがっている。しかし、多雅波(たがは)の悪党たちは彼ら(訳注:喇嘛たち)が私に供養するのをいつも妨げている。先に彼らに雹を降らせてから、私はあなたに灌頂と口訣を授ける」と言いました。

 私はこれを聞いて心が震えました。内心で「私は本当に罪深い人間だ! どこへ行っても悪事を働かなければならない! 私は正法を学ぶためにここに来たのに、思いがけず再び罪を犯さなければならないのか。もし雹を降らせなければ上師の意に反することになり、法を求めることはできないだろう。しかし、本当に雹を降らせれば、再び罪を犯すことになる。仕方がない、師父の命令に従ってもう一度雹を降らせるしかない」と考えました。

 私は仕方なく修法の材料を準備し、真言を唱えて加持を施し、多雅波村に持って行きました。法を修め終わった時、雹が降り始める前に急いであるお婆さんの家に避難しました。一瞬で空には雷鳴と稲妻が交錯し、黒い雲が層を成して急速に広がりました。大きな雹が降り始める前に、小さな雹が降り始め、お婆さんは泣きながら「天よ! 雹が私の麦を打ちのめしてしまった。これから何を食べて生きていけばいいのか!」と言いました。

 お婆さんの言葉は再び私の心に苦悩を呼び起こしました。「ああ、私は本当に大罪を犯す者だ!」私はお婆さんに向かって「お婆さん、あなたの田んぼはどこにありますか? どんな形をしているのですか? 早く絵を描いて見せてください!」と言いました。お婆さんは「私の田んぼはこんな形をしています!」と言って、長い唇のような三角形の絵を描きました。私はすぐに「指示印」(訳注:特定の印を結ぶおまじない)を結び、鍋の蓋をその三角形の絵の上に置きました。それでお婆さんの田んぼは守られ、雹の被害を受けませんでした。しかし、一つの小さな角だけは蓋がうまくかかっていなかったため、その小さな部分の収穫は強風と豪雨で跡形もなく吹き飛ばされました。

 しばらくして雹が止み、私は屋外に飛び出して見てみると、二つの村の山から大洪水が発生し、すべての田んぼが完全に流されてしまいました。しかし、お婆さんの田んぼだけはほとんど損害を受けず、作物は依然として元気に育っていました。不思議なことに、その後どんなに雹が降っても、この田んぼには決して雹が降りませんでした。このお婆さんはそれ以来、雹を防ぐために喇嘛に法を修めてもらうためのお金を払う必要がなくなりました。

 帰り道で、私は2人の老いた羊飼いに出会いました。彼らの牛や羊は大水に流されてしまっていました。私は彼らに向かって「今後は俄巴喇嘛の弟子から奪わないでください。もしまた奪うなら、私は再び雹を降らせます!」と言いました。

 この威嚇を受けてから、この二つの村の人々は再び略奪を行わなくなり、次第に俄巴上師に対して信仰と敬意を抱くようになり、俄巴上師の信徒となりました。

 私は帰り道の荊棘(けいきょく。訳注:トゲのある雑草)が生い茂る草地で、たくさんの小鳥の死体や雹で打ち死にした山ネズミを拾い集めました。これらの死体を衣服で包み、一杯に詰めて持ち帰りました。寺に戻ると、上師に会い、その大きな死体の束を上師の前に置きました。「上師様、私は正法を求めに来ましたが、また悪業を行ってしまいました。どうか慈悲をもってこの大罪人を見てください」と言いながら、泣き崩れました。

 俄巴上師は穏やかに「大力、恐れることはありません。那諾巴、梅紀巴(ばいきは。馬爾巴の別名)の法統(訳注:師弟関係による教えの継承)の加持により、大罪人であっても清浄な法性(訳注:佛教の真理)の中で超度(訳注:悟りの境地へと導くこと)し解脱することができます。一瞬のうちに何百もの鳥獣を救済することができる口訣を私は持っています。この雹で打ち死にした全ての生き物は、将来あなたが成佛する時に、あなたの浄土に生まれ変わり、法を聞く最初の聴衆となるでしょう。これらの生き物が往生するまで、私の力で悪趣(あくしゅ。訳注:地獄道・餓鬼道・畜生道)に堕ちることはありません。信じないなら、見てみなさい」と言いました。上師はしばらく静かに思索し、一瞬のうちに、全ての鳥獣の死体が蘇生し、動き出しました。歩くものは歩き、飛ぶものは飛び去っていきました。

 このような希有で素晴らしい道行(訳注:修行の成果)を目の当たりにし、私は無限の喜びと羨望を感じました。同時に、もっと多くの生き物を救済することができなかったことを悔やみました。

 その後、俄巴喇嘛は私に法を授け、喜金剛の壇城において大灌頂と口訣を受けました。

 私は古い崖洞(がいどう。訳注:崖にある洞窟)を見つけました。その崖洞の入り口は南向きで、洞口から上師の住居が見えました。私は崖洞を少し修理し、洞内で上師が伝えた法を精進して修行し始めました。しかし、馬爾巴上師の許可がなかったため、いくら努力しても何の成果も得られませんでした。

 ある日、俄巴上師が来て「大力、お前はそろそろ何かしらの悟りを得ているはずだが、今どうなっている?」と言いました。

 「私は何の悟りも得ていません!」と私は答えました。

 「何だって? お前は何を言っている? 我々の法統伝承の中で、戒律を破らなければ、悟りや証解(訳注:真理の理解)の功徳はすぐに成就するものだ。ましてやお前は私を信じてここに来たのだろう!」上師はしばらく考え込み、自分に言い聞かせるように続けました。「もし馬爾巴上師の許可がなければ、私が許可を与えることはできないだろう。奇妙だ、一体どういうことだろう?」それから私に向かって、「もう一度、しっかりと精進してみなさい!」

 上師の言葉に私は非常に恐怖を感じましたが、この事の真相を話す勇気はありませんでした。それでも心の中では、どうしても馬爾巴上師の許可を得なければならないと考え、一方で引き続き精進して修行を続けました。

 その時、馬爾巴上師は彼の息子のために住居を建て、俄巴喇嘛に手紙を書きました。

 「我が子の住居には、今木材が必要だ。そなたの所の杉木を可能な限り送ってくれ。住居が完成した後、大般若経(訳注:大乗佛教の経典の一つ)を唱え、祝賀の典礼を行う。その際、そなたも参加すべし。大力は悪人で、現時点でもそなたの所にいると思われるので、彼も連れて来るように。馬爾巴」

 俄巴喇嘛はその手紙を持って私の所に来て「上師の手紙に、なぜお前を悪人と呼んでいるのだ? これは一体どういうことだ? どうやらお前は上師の許可を得ていないようだな!」と言いました。

 私は仕方なく実のことを話しました。「はい、上師自身からの真の許可は得ていません。この手紙とあなたに送られた物は全て師母が私にくれたものです!」

 「なるほど! そういうことか! それでは、我々2人とも無意味なことをしてしまったのだな。上師の許可なしに功徳が生じないのは当然だ。やれやれ、それは仕方のないことだ! 上師はお前を私と一緒に連れて来るように言っているぞ!」

 私は「分かりました、行くしかありません」と答えました。

 「では、私が木材を送った後、良い日を選んで行こう。今のところ、お前はここで修行を続けてよい」俄巴喇嘛は優しく言いました。

 数日後、俄巴喇嘛の所の人々は私が間もなく出発することを知り、皆が私の所にやって来て、新居の祝賀と馬爾巴の息子の成人祝いの話をしていました。その中に、馬爾巴上師の所から戻ったばかりの喇嘛がいて、私に会いに来ました。私は彼に「彼らは私が何をしているかについて何か言っていましたか?」と尋ねました。その喇嘛は「師母が『私の大力は何をしているのか』と聞いたので、あなたが修行をしていると伝えました。師母はさらに、『修行以外に他に何かしているのか』と尋ねましたが、私は『ただ一人で無人の崖洞に座っているだけだ』と答えました。すると師母は、『彼はこれを持っていくのを忘れた。彼が私の所にいた時、これで遊ぶのが好きだった』と言い、この土製のサイコロを渡してくれました」と答えました。その喇嘛は持ってきたサイコロを私に渡しました。私はそのサイコロを手に取りながら、自然と師母のことを思い出しました。

 その喇嘛が去った後、私はサイコロを弄びながら心の中で「私は師母の前でサイコロを遊んだことなんて一度もない。なぜ師母は私がこれで遊ぶのが好きだと言ったのだろう。もしかして、師母は私のことを嫌っているのだろうか?」と考えました。さらに祖父(訳注:馬爾巴)がサイコロのせいで苦難を経験したことを思い出し、考え込んでいました。そんな時、不意にサイコロが地面に落ちて割れてしまい、二つに割れた中から小さな紙片が現れました。拾い上げてみると、そこには「弟子よ! 上師はお前に灌頂と口訣を授けるだろう。俄巴喇嘛と一緒に戻って来なさい!」と書かれていました。私はこの手紙を読んで大いに喜び、洞窟の中で喜びのあまり駆け回りました。

 数日後、俄巴喇嘛が私に「大力! お前も出発の準備をしなければならないぞ!」と言いました。

 俄巴喇嘛は、馬爾巴上師が授けた加持品以外のすべての佛像、経典、法具、鈴杵(れいしょ。訳注:密教法具の一つ)、そしてすべての黄金、玉、絹の衣服、日用品など一切を持っていきました。ただ1頭の足の悪い老いた山羊だけを残しました。この足の悪い山羊は、年老いているだけでなく性格もひねくれており、他の羊たちと一緒に歩くことを拒むので置いていくしかなかったのです。他のすべての財産はすべて馬爾巴上師に供養するために準備されました。

 俄巴喇嘛は私に1枚の絹をくれて、「君は良い弟子だ。この絹を持って行って、馬爾巴上師にお見せする贈り物にするといい」と言いました。俄巴喇嘛の奥さんも私に1袋のバタークッキーを渡し、「これを達媚瑪師母に供養しなさい」と言いました。

 俄巴喇嘛とその弟子たちと一緒に出発し、羅紮烏谷(らじゃうこく)に近づいた時、俄巴喇嘛は「大力、君が先に行って師母に私たちが来たことを伝え、1杯の酒をいただけるかどうか聞いてみてくれ」と言いました。私は命令に従い、先に向かいました。師母に会い、1袋のバタークッキーを供養し、「俄巴喇嘛が来ました。彼に1杯の歓迎の酒をいただけますか」と伝えました。

 師母は私を見て非常に喜び、「上師は今寝室で休んでいます。彼に話しに行きなさい」と言いました。私は恐る恐る上師の寝室に入りました。上師は東を向いて入定していました。私は上師に礼拝し、1枚の絹を供養しましたが、上師は私を見ずに頭を西に向けました。私は西に移動して再び礼拝しましたが、上師は再び頭を南に向けました。私は「上師、あなたは私を叱るために礼拝を受け入れないのですね。しかし、俄巴喇嘛は全てを持ってきてあなたに供養したいと言っています。1杯の歓迎の酒をいただけますか」と言いました。

 馬爾巴上師はただちに威厳を示し、指を鳴らして、「私がインドから不可思議な三蔵の秘密(訳注:三蔵[戒律・経・論] に秘められた深い教義)、四乗(しじょう。訳注:大乗佛教の教えを四つの乗[訳注:段階]に分類しまとめたもの)の心要(しんよう。訳注:特に重要な核となる教え)、素晴らしい口訣をチベットに持ち帰った時、迎えに来たのはネズミ一匹もいなかった。今、彼は何者だ! その少しばかりの財産を持ってきて、私、この大訳師(訳注:僧侶)が彼を歓迎する必要があるというのか! そんなことは絶対にありえない! すぐに帰れ!」と怒りを込めて言いました。

 私は部屋を出て、上師の言葉を師母に伝えました。師母は「上師の気性は本当に悪いですね! 俄巴喇嘛は素晴らしい人物です。私たちは彼を歓迎するべきです。私とあなたで迎えに行きましょう」と言いました。私は「俄巴喇嘛は上師自身が迎えに来ることを望んでいません。ただ1杯の酒をいただければ十分です」と言いました。

しかし、師母は「ええ、いや、私は行かなければならない」と言って、数人の喇嘛を連れ、多くの酒を持って迎えに行きました。

 祝賀会が開かれた時、羅紮烏谷の三つの村の人々が一堂に会し、馬爾巴上師の息子の成人と新しい家の完成を祝って盛大な宴を開きました。酒宴の前に、馬爾巴上師は吉祥の歌を歌いました。

 馬爾巴上師が吉祥の歌を歌い終えると、俄巴喇嘛はすべての供物を捧げて「上師よ! 私の身、口、意、すべてはあなた様のものです。今回の訪問で、家には1頭の足の悪い老いた山羊だけが残っています。それは羊の群れの祖母ですが、老いて足が不自由なので残しました。それ以外のすべてを持ってきましたので、上師に供養いたします。どうか深遠で素晴らしい灌頂と口訣を授けてください。特に、耳承派[じしょうは](注:この派の伝法は極めて秘密で、上師が直接口伝で教え、弟子が耳で聴くので耳承派と呼ばれる)の奥義口訣をお願い致します!」と言いました。そう言って再び上師に礼拝しました。

 馬爾巴上師は笑いながら「おお、深遠で素晴らしい灌頂と口訣は金剛乗(こんごうじょう。訳注:密教)の捷径(しょうけい。訳注:近道)であり、この口訣に従えば無数の劫(訳注:計り知れないほど長い時間)を経ることなく、この身で成佛することができる。一切の口訣の中でも特別な口伝だ。それは上師や空行母(女性の密教修行者)から託されたものだ。お前が法を求めるなら、その老いて足の悪い羊も含めてすべてを供養しないと完全な供養とは言えない。そのため、口訣を授けることはできない。その他の法はすでにすべて伝えた」と言いました。そう言うと、皆は一斉に笑い出しました。

 俄巴喇嘛は「その老いた山羊を供養すれば、上師は法を授けてくださいますか?」と尋ねました。馬爾巴上師は「お前が自分で取りに行くなら、伝えてやろう」と答えました。

 次の日の集会が終わると、俄巴喇嘛は一人で家に戻り、老いた山羊を背負って戻ってきて、上師に供養しました。馬爾巴上師は非常に喜び、「真言密教(訳注:大乗佛教の一派であり即身成仏を目指す教え)の行者とは、まさにお前のような弟子だ。実際には、1匹の老いた山羊など私にとって何の役にも立たない。しかし、法を尊重し重んじるためには、このようなことが必要だ」と言いました。その後、馬爾巴上師は俄巴喇嘛に灌頂と口訣を授けました。

 数日後、遠方から数人の喇嘛がやってきて、上師のもとに集まった人とともに会供輪を行っていました。途中に馬爾巴上師はそばに長い白檀(びゃくだん。訳注:香木の一種)の棒を置き、目を大きく見開いて俄巴喇嘛を睨みつけ、手で忿怒(ふんぬ。訳注:激しい怒り)の印を結び、声を荒げて「俄巴! なぜこの悪人の聞喜(とぱが。ミラレパの幼名)に灌頂と口訣を伝えたのか、その理由を言え!」と言いながら、そばの棒を見つめ、手をゆっくりとその棒に伸ばしました。俄巴喇嘛は恐怖で震えながら、頭を下げて「それは、上師が私に手紙をくださり、聞喜に法を伝えることを許可してくださったからです。また、那諾巴大師の身装厳と紅宝石の印章を授けてくださいました。私は命令に従って法を伝えました。どうかご容赦ください」と言って、怯えながら周りを見渡し、上師の怒りをどうやって鎮めるべきか分かりませんでした。

 上師は怒りの威嚇印を私に向けて指しながら、「この馬鹿者! これらの物はどこから来たのだ?」と言いました。その時、私は心がまるで刀で切られるように痛みました。恐怖のあまり全身が震え、言葉がほとんど出てきませんでした。震えながらやっとのことで、「そ…それは…師母がくれたものです!」と言いました。上師はそれを聞くと、急に座から跳び上がり、木の棒を持って師母を打ちに行きました。師母はこのことが起こると予想していたので、遠くに立っていました。事態が悪化するのを見るや、すぐに家の中に駆け込みました。家に入ると、「バン!」と音を立てて扉を閉めました。上師は咆哮しながら追いかけ、棒で扉を激しく打ちました。しばらく打ち続けた後、座に戻り、「俄巴! このような不合理なことをしたお前は、早く那諾巴大師の身装厳と玉印を持って来い!」と言いました。そう言いながら頭を振り、大いに怒りました。俄巴喇嘛は急いで頭を下げ、すぐに玉印と身装厳を取りに行きました。

 その時、私は師母と一緒に外へ走り出し、俄巴喇嘛が出てくるのを見て、泣きながら彼に「将来、どうか私を導いてください!」と言いました。俄巴喇嘛は「上師の許可がない限り、私があなたを導くことは今回のようになってしまいます。それは私たち2人にとって何の益もありません。ですから、ここに留まり、上師の加持と許可を得るまで待ってください。許可を得れば何があっても私はあなたを助けます!」と言いました。

 私は「私の罪業は非常に重く、上師と師母が私のためにこんなに苦しんでいます。今生では法を修めて成就することができないので、自殺したほうがいいでしょう!」と言い、小刀を抜いて自殺しようとしました(チベットの人々は小刀を携帯していることが多い)。俄巴喇嘛は私をしっかりと抱きしめ、涙を流しながら「ああ、大力、私の友よ! そんなことをしてはいけない! 世尊(せそん。訳注:釈迦牟尼)の教えの究極は秘密金剛乗(訳注:密教)であり、金剛乗の教えでは、自身の蘊、界、処(うん、かい、しょ。訳注:生存するために必要な要素)が佛であるとされています。寿命が尽きる前に、自殺することは佛を殺す罪に等しいのです。世の中には自殺よりも大きな罪はありません。顕教(けんぎょう。訳注:一般的に公開されている佛教の教え)でも、自ら命を断つことほど重い罪はないと言われています。よく考え、自殺の念を捨ててください。上師が法を伝えてくださるかもしれません。たとえ伝えてくださらなくても、他の喇嘛に法を請うこともできるのです」と言いました。

 その時、周りの喇嘛たちも皆、私に同情し、ある者は私を慰め、ある者は上師にお願いして法を伝えてもらえないかと探りに行きました。その時、私の心はまるで鉄でできているかのようでした。そうでなければ、間違いなく心が砕けていたでしょう。私、ミラレパは半生を罪で積み重ねたため、正法を求めてこのような大きな苦しみを受けたのです。

 尊者が話を終えると、法を聞いていた人々の中で涙を流さない者はいませんでした。ある者は厭世(訳注:世俗への嫌悪感)と出離(訳注:執着からの解放)の心を起こし、ある者は悲しみのあまり気絶する者さえいました。

 ミラレパ佛はここまで話すと、レチュンパはミラレパ尊者に向かって、「尊者、馬爾巴上師が最後にどのような因縁で法を伝え、加持してくださったのですか?」と尋ねました。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2000/12/25/5801.html)
 
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