誰にも言わせない心を見つけた
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年9月29日】私は、数年間修煉している新しい学習者です。3つのことを行ってはいますがとても精進しているとは言えないのです。最近、正念を発する状態が非常に悪く、特に夜12時の発正念を、いつもしっかりできず、眠ったままあっという間に時間が過ぎています。日中の発正念も時々眠くなり、手が倒れたままのときもありました。同修の母親は、軽く鼻声で言ったり、単に私を起こしたりするなど、いろいろな方法で私を注意しました。最初の1、2回は良かったのですが、回数が増えると少し苛立ち「ちゃんと発正念をせずに、私ばかり見てどうしたいの、音がうるさくて、落ち着かないよ」と母を怒ってしまいました。ときどき、わざと母の見えない方向に体を向けたりもしました。「お母さんだって、眠くなるときがあるじゃない、どうしていつも私ばかりを見るの?」と思ったりしました。

 ある日、私たちが朝の発正念をしている最中に、母は突然口を開き「あなたに伝えたいことがあるの」とささやきました。私が交流したくないと言うと、母はそれ以上何も言わなかったのです。しかし、正念を発した後、母は私に「私たちが正念を発している間、私のまぶたの上下に大きな黒い物質が見えた」と言いました。それは私が目を開閉したときにも存在していました。

 まさに記事の中で、同修が言ったことと同じではないかと、少し驚きました。これは最近の発正念の状態が悪く、自分の空間場に悪い存在や、物質が存在してしまうことに気づきました。これは師父が母に見せて、私を注意しようとされたのではないか?  師父にまた、ご心配をかけたことをとても恥ずかしく思いました。しばらくは自分の状態が悪いとわかっていても精進できず、母はそんな私を心配し、いつもわざわざ注意してくれているのに、私は感謝しないだけではなく、不満に思い、たくさんの人心を持ちながら弁解し、本当に最低だと思いました。

 昨年、私が同修と煉功した時のことも思い出しました。一緒に5式の煉功をするたびに、同修は頻繫に「この動きは間違っている、あの姿勢は間違っている」と、私を注意しました。一連の煉功をずっと目を開けて、私が間違いを犯していないかどうかをずっと見つめ、私を正すのを待ち望んでいるかのようでした。私は「あなたの煉功動作はもっと醜く、私には及ばない。それなのに他人に指摘ばかりしている」とさまざまな良くない人心が頭の中を駆け巡りました。しかし、今思えば、これはすべて私の上達を助けてくれているのではないか? 実は同修に感謝すべきなのです。

 師父は説法の中でこう説かれました。「いつも批判と指摘を受け入れず、外に向けて人を批判し、相手の意見と指摘を批判しているのであれば、それは修煉なのでしょうか? あなたはどのように修煉していますか? いつも人の不足ばかりを見ていて、自分を見ることを重視しておらず、相手はよく修煉できましたが、あなたはどうなるのでしょうか? 師父は、あなたの修煉が良くなることを望んでおられるのではありませんか? なぜいつも、意見を受け入れずに、ほかの人ばかりを見ているのでしょうか? なぜ、内に向けて修めず、自分を探さないのでしょうか?」。(『ロサンゼルス市法会での説法』)

 師父の法と照らし合わせてみると、とても恥ずかしい限りです。何年も前に師父が法でこのことを述べられたのに、今になって初めて気づきました。私は内に向け非を探し、自分を反省し、そこから面目を保とうとする心、褒め言葉を好む心、不公平だと思う心、他人に話させない心、他人を見下す心、責める心、嫉妬や恨みなど、その他多くの人心に気づき「自分もちゃんと出来ていないのに、私のことを言う権利はどこにあるのか?」という党文化の考え方があり、本当に恐ろしいです。同修の指摘がなければ、どうやって自分でも気づかなかった人心の執着を見つけ、そこから自分を正すことができるのでしょうか?

 私の周りのすべての人に心から感謝しています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/9/26/483285.html)
 
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