衆生を救うことと、子どもの教育の関係を正す
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2025年1月10日】私は海外で生活して1年半になる法輪大法の弟子です。以下に、修煉の中で人を救うことと子どもの教育との関係を正す過程について交流したいと思います。

 少しずつ執着を放下する

 私は子どもの頃から成績がとても良く、学業成績に対して非常に執着していました。子どもが生まれてからも、ますます子どもの学業成績を重視するようになりました。中国にいた頃、下の娘は祖母が世話をし、外祖母が食事を作ってくれました。私の役割は子どもの学業を管理することで、子どものために最高の学区内の住宅を購入し、毎日送り迎えをしていました。自分自身の修煉は『轉法輪』を1講学ぶだけで、大部分の時間を子どもの学業のサポートに費やしていました。

 アメリカに来てからは、法を多く学び、多くの人を救うことで、中国大陸にいた頃の不足を補おうと心に決めました。しかし、生活環境が変わったことで、家族の世話をするためにかかる時間も増えました。三つのことをきちんと行い、家庭の世話もし、生計のためにお金を稼ぐことまで考えると、時間が全く足りず、以前のように子どもの勉強を手伝う時間は全く取れませんでした。正直なところ、最初は心が崩れそうになっていました。限られた時間をどうやってやりくりすればよいのか? ずっと答えが見つかりませんでした。師父は次のように説かれています。

 「難しい仕事をやらずに楽な仕事だけをするのなら、あなたのやろうとしていることに影響するかもしれません。なぜかと言うと、あなたが行った全ては全部あなた自身のために行われたからです。うまく割り振りすることができること自体は素晴らしいことであり、そのため、道を正しく歩むことができ、これが即ち威徳です」(『二〇〇三年元宵節での説法』)

 自分がこれらの関係を正しく捉えられないとき、心の中ではいつも師父のこの法の言葉を繰り返し思い出していました――「うまく割り振りすることができること自体は素晴らしいことです」。法理をまだはっきりと理解できているわけではありませんが、「真相を伝えること」「法を学ぶこと」という三つのことを第一に置くのが間違いないと感じていました。そこで、毎朝真相電話をかけ終わった後、家族のために朝食を作り、子どもを学校に送ります。その後は戻ってから、各地での説法や中国語版の『轉法輪』、英語版の『轉法輪』を学び、12時まで続けます。少し休憩して軽く食事を取った後は、2人の子どものを迎えに行きます。1人目が1時半、もう1人が2時半。その後、帰宅して夕食を作り、さらに買い物や新聞配布をしています。週末の貴重な時間は、海辺で真相を伝えたり、神韻やGanjingworldの普及活動に参加したりしています。この1年間、子どもたちをどこかに連れて行く時間を作る余裕は全くありませんでした。

 同修からよく「もっと子どもの教育に力を入れなければいけない」「子どもはこうやって育てるべきだ」といったアドバイスを受けることがあります。そういうとき、私は心性を保つのがさらに難しくなります。限られた時間の中で、いったい何を優先すべきなのか? 執着すればするほど、他の同修の子どもたちがとても優秀であることが目につきます。楽器やピアノを学んでいる子、複数の言語を学んでいる子、週末に図書館や博物館へ連れて行ってもらっている子、そのような光景を見るたびに、心が揺さぶられるのです。

 ある日、海辺で署名活動をしているときに、ある中国人の方に尋ねられました。「今日は週末で、休息したり、家族の世話をしたり、子どもの教育など自分の好きなことをしたりする時間なのに、どうしてここに来てこの活動をしているのですか?」。その後、私はその方に真相を伝えました。終わった後、その場を離れると、涙が止まらなくなりました。私はその瞬間、師父が衆生の口を借りて私に教えてくれているように感じました。「これは私の選択だ」ということ。「この時間を使って人を救うことは、私が選んだ道なのだ」

 その後、学法を進める中で、師父が法理を示してくださり、次第にその意味がより明確になっていきました。私は理解しました。私がこの大事な時間を子どものために使って色々やってあげても子どもは何の問題もなく生きていけるわけではありません。彼には彼の元神があり、すでに自分の一生を計画しており、また自分の使命も持っています。

 過去、私は「自分の計画に従って子どもに道を作ってあげることが、彼により良い未来を与えることだ」と思っていました。しかし、それは実は「師父と法を信じていない」ことを示しているのです。口では「師父と法を信じている」と言いながらも、常人の観念に従って行動していました。法を何度も学びながら、真に信じていなかったのです。

 法理が少しずつ明確になっていく中で、心を落ち着け、修煉が第一であることを正しく理解し、自然の流れに任せることが大切だと気づきました。

 大法小弟子としての「三つのこと」

 子どもの教育については、放任するのではなく、できる限り学校の課題をしっかりとこなし、残りの時間は多く法を学び、子どもを法の実証や衆生救う活動に参加させるようにしました。同修が「大法小弟子」の学法グループを作ったという話を聞き、私は子どもたちを参加させました。子どもが字を認識する能力が低いために、子どもたちが法を学べるように、夜の学法時間を朝に変更しました。少しずつ子どもは字を覚え、法理を理解する力も増していきました。子どもが「三千大千世界」(『轉法輪』)を読んでいるとき、「私たちはまるで一粒の砂の中にいるのかな?」と聞いてきました。

 毎日『轉法輪』を学んだ後、同修はさらに大法小弟子たちに『洪吟』を暗唱させることを意識していました。私の子どもは中国語の表現が得意ではなく、詩を暗唱するのはとても難しいことでした。最初、私は同修と相談し、この段階には参加しなくても良いのではないかと考えました。しかし、同修たちの励ましを受けて、最終的に子どもを『洪吟』暗唱の活動に参加させることを決めました。現在、子どもは多くの『洪吟』を暗唱できるようになり、法への理解も深まりました。以前は何も知らなかったのに、今では一首の『洪吟』を暗唱した後に「師父の詩は本当に素晴らしい」と感嘆の言葉を言うようになっています。

 実際、私たちは自分が誓いを守ることに重きを置きがちで、大法小弟子たちの誓いを見落としがちです。私は多くの小弟子同修も正法時期の大法弟子であることを感じています。週末の真相を伝える活動には、大法小弟子が参加できるものがあれば、できるだけ子どもを連れて参加させるようにしています。

 最初は子どもを連れて新聞を配ったり、「5.13」法輪大法デーのお祝いのパフォーマンスに参加させたり、横断幕を掲げに行ったりしました。今では、海辺での行進にも参加しています。下の娘はまだ4歳ですが、午後の3周の行進に完全に参加できるようになりました。家に帰った後、「次も連れて行ってくれる?」と聞いてくるようになりました。

 子どもが三つのことをしっかりとこなしても、成績はまったく落ちませんでした。

 実際、師父はすでにこうおっしゃっています。「法をしっかり学べば、修煉の中で何も影響を受けることはなく、逆に仕事や勉強が効率的に進む」(『二零零三年元宵節での説法』)。子どもがアメリカに来てから1年が経ちましたが、英語はすっかり習得しました。授業の内容を完全に理解できるだけでなく、口語表現も非常に得意で、周りの人たちは「アメリカに来てまだ1年なのに、どうしてそんなに英語が上手なの?」と驚いています。数学の成績も良好です。

 その後、学校の国際チェスの放課後クラブに子どもが非常に興味を持ったので、私は彼をそのクラスに申し込みました。すると、専門的な訓練を受けていなかったにもかかわらず、彼は2回も優勝し、トロフィーとメダルを持って帰りました。その時、同じく学法をしている大法小弟子が国際チェスを学んでいるという話を聞きました。そのチェスクラスは非常に多くの賞を受賞しており、しかも私の家のすぐ近くにあったのです。すぐに子どもをそのクラスに申し込むことができました。私は、心を放下することで、すべて師父が按排してくださっていることを理解しました。

 今では、子どもの教育に関する問題を聞いても、私は動揺することはありません。すべては自然の流れに任せるようにしています。大法小弟子にとって、法をしっかり学び、誓いを守ることは最も重要なことなのです。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/12/23/485214.html
 
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