学校に武装警察を配置する中共
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文/景蓮

 【明慧日本 2025年1月23日】 最近、(中国国内の)各学校で生徒の登下校時に、校門前に警察車両が停車し、制服警察官が警備にあたる様子が見られる。従来、国務院26部門のうち、外交部、公安部、国家安全部、交通運輸部、会計検査署、中国人民銀行など、いわゆる「重要部門」18カ所に武装警察が配置されていたが、教育部や衛生部には配置されていなかった。現在は状況が一変し、小学校、幼稚園、大学にも武装警察が配置され、注目を集めている。

 この学校門前での武装警察の配置について、警備員に加えて警察官も配置されるようになり、治安が改善されたと捉える向きもある。しかし、より深く考えると、実弾携行の武装警察が子どもたちのために警備することに、安心感を覚えるのか、それとも恐怖を感じるのか、判断に迷う人もいる。また、「現在、農村部のほとんどの家庭が高い塀と鉄門を備えている。表面的には経済的余裕の表れだが、本質的には社会の道徳的退廃と人の心の荒廃を反映している。高い塀と鉄門は泥棒対策なのだ」という指摘もある。

 確かに、物事を近距離で見るとその部分や細部しか見えないが、一歩下がって距離を置くと、視野が広がり、全体像や周辺環境まで見渡すことができる。治安問題についても同様で、視野を広げれば、かつては各家庭に塀もなく、夏場に鶏や犬、猫が庭の作物を荒らすのを防ぐために、柴や竹を立てる程度だったことが分かる。当時は戸締りもせず、盗難を心配する必要もなかった。

 今日、悪意を持つ者が子どもを傷つけようとする場合、校門前に警察官が二人立っているだけで、惨事は防げるのだろうか。人の心が悪くなれば、あらゆる凶悪事件が起こりうる。犯罪者は警察の目を避けて、通学路で暴行に及ぶことはないのだろうか。

 近年、人の心が悪くなったことにより発生した数々の凶悪事件は、まさにこのことを示している。メラミン混入粉ミルク事件、地溝油問題、有毒アルコール、食用油とタンクローリーの混載、強制臓器収奪など、これらはすべて道徳的腐敗がもたらした恐ろしい結果である。事件が発生するたびに表面的な対策で済ませ、時間が経過すると疲れて放置されるのであれば、社会の道徳に底がなくなり、我々の生存環境は悪化の一途をたどるしかない。

 ヒトラーは「国民が考えないことは政府の幸せだ」と述べた。どのような政府についてか? それは極権政府、独裁政府である。中国共産党はまさにそのような政府だ。言い換えれば、中国人が正常に思考せず、正常な道徳基準で物事を見なくなれば、中共による欺瞞、収奪、憎悪の扇動、矛盾の転嫁、罪の押し付けなどが、暴力と嘘とともにますます独断専行になる。

 2001年の大晦日、中共は天安門焼身自殺事件を仕掛け、恐怖を引き起こし、憎悪を煽動した。中国には何億人もの人々が法輪功を学んでいるが、もし焼身自殺が法輪功によって引き起こされたのであれば、2001年から24年経ったことになる。なぜ第二のいわゆる法輪功焼身事件が起きなかったのだろうか。25年が経過した今でも、多くの人々がそのことを深く考えていない。

 この25年間、法輪功学習者は善意を持って、真相を人々に理解してもらうため、様々な方法で疲れを知らず努力してきた。しかし今なお、共産主義という悪魔の嘘を信じ、大法を憎み、大法弟子を拒絶する人々がいる。この種の毒は精神的なものであり、現象の背後にある本質を見極める勇気を持ってはじめて、真に理性的な認識が得られ、真相が見えてくるのである。

 中共政権下で行われた数々の非人道的な政治運動により、中国人の精神は曲げられ、中共の言うことを鵜呑みにし、考えることを恐れ、また望まなくなった。そして中国人のこの思考停止が、さらに中共邪党の暴政を助長し、自らの人生から正常な環境を奪う結果となっている。

 ここで考えてみよう。もし中国人が信仰の自由を持ち、真・善・忍を認め、より良く高尚になることを望むならば、これほどの汚職や腐敗があるだろうか。これほどの偽造品や粗悪品があるだろうか。これほどの女性や子どもの人身売買があるだろうか。

 3年に及ぶパンデミック期間中の中共のゼロコロナ政策を振り返ってみよう。外資は逃げ出し、民間企業は破綻し、外貨準備は底をつき、外交は破綻し、株式市場は暴落し、人々の心は乱れ、国庫は荒廃し、官僚の心は混乱した。、通貨の価値は下がり、信用は失墜した。

 パンデミック後の中国経済は、誰の目にも明らかだ。人々は就職に苦しみ、住宅ローンの返済に苦しみ、若者は結婚を躊躇し、結婚した者も子どもを持つことを恐れている。

 現在の中国における様々な混乱の根源は中共にあるが、同時に各個人にも原因がある。

 なぜか。第一に、共産党が政権を奪取する前、中国人は伝統文化を遵守していた。善悪応報を信じ、「三尺の頭上に神明あり」を信じ、悪事を働くことを望まず、また恐れていた。しかし邪党が政権を握って以来、「無神論」「進化論」を推進し、人と神とのつながりを断ち切り、人々は「善悪応報」という天理を信じなくなり、結果を考えずに行動するようになった。「闘争哲学」は更に底なしになり人間の本性の悪に拍車をかけている。

 第二に、政府機構のような中国の一般市民が選択できない事柄がある一方で、多くの事柄は各中国人が自ら選択でき、その選択にはそれぞれ結果が伴う。

 したがって、ある事象に直面した時、より多くの人々が自らの価値基準を見極め、心の底の善良さを保つことができれば、個人、家庭、そして社会は基盤を守り、良い方向に発展することができる。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/1/19/488595.html
 
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