監視カメラについての認識
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年4月27日】今の中国では、あらゆる種類の監視カメラが大通りから路地裏、都市から農村まで至る所に設置されています。一部の同修はこの監視カメラを非常に重要視し、過度に慎重になってしまっています。その背景には、かつて法を実証していた同修が監視カメラに写り、それが原因で迫害されたという事例があるからです。そのため、家庭環境が本来恵まれている同修であっても、家の近くにカメラがあることを理由に、他の同修に学法や交流の場を提供しなくなることがあります。また、カメラを恐れるあまり、必要なことであっても堂々と同修の家を訪れることを避け、他人に代わりに行ってもらうというケースも見受けられます。

 こうした考え方や行動をとっている同修たちは、知らず知らずのうちに自分自身を「迫害される立場」に置いてしまっており、邪悪の力を過大視し、師父と大法を第一に置けていないのです。もしこのような思考に従って行動を判断するようになれば、私たちは一体何をすれば「安全」と言えるのでしょうか? 面と向かって真相を話せば通報されるのが怖い、資料を配れば撮影されるのが怖い、真相電話をかければ位置が特定されるのが怖い、資料を作れば捜索されるのが怖い――こうなってしまえば、私たちは何一つできなくなってしまいます。家にこもっていれば安全なのかといえば、そうでもありません。実際には、修煉があまり進んでいない同修が長期にわたって何もせず家にこもっていたにもかかわらず、邪悪に干渉され、嫌がらせや連行された事例もあります。さらに言えば、仮に物理的な迫害を避けられたとしても、身体に病業として現れ、命を落としてしまうという形で迫害される同修も少なくありません。それもまた邪悪の別の手口にすぎないのです。

 法理から見れば、同修が監視カメラに写って拘束されるというのは、あくまで表面的な理由にすぎません。実際には、自身の修煉における漏れや心性の問題など、邪悪に付け入る隙を与えてしまっていることが根本的な原因なのです。当事者がそれに気づき、速やかに正さなければ、たとえその場では表面上の迫害を回避できても、別の形で妨害される可能性があります(もちろん、ここで指摘しているのは法理上の分析であり、「漏れがあるから」といって邪悪の妨害を正当化するものではありません。我々は邪悪に属しておらず、干渉を受けるいわれは本来ありません)。ですから同修たちには、他の同修が監視カメラに写ったからといって、すぐに自分のことのように恐れる必要はないと伝えたいのです。監視カメラを見ただけで心が揺れ、過剰に心配したり、思考に制限をかけたりしてしまうのは、結局、自分で自分に障害を作っていることに他なりません。各人の修煉状態、心の執着、持っている問題点などはすべて異なります。誰かに起こった出来事が自分にも必ず起こるわけではありませんし、自分の問題が他人と同じであるとも限らないのです。

 これまでの年月の中で、真相を伝えることにおいて安定して成果を上げてきた同修がいなかったわけではありません。むしろ、ずっと堅実に救人の道を歩んできた同修たちは確かに存在しています。私たちがある出来事を耳にしたり目にしたりする時、それは往々にして「私たちの心がどう動くか」「どう行動するか」を見られているのです。ネガティブに捉えるのではなく、前向きな教訓として学び、正念で問題を見ることが求められています。

 もちろん、私たちは常人社会の中で修煉しているのですから、法の実証や衆生を救うことにおいても、理性的かつ智慧を持って行動する必要があります。注意すべき点、回避すべきリスクについて、極端に走らず、正念と正しい行動を両立させるべきです。多くの同修たちが交流の中で語っていたように、監視カメラに対して堂々と正念を発する姿勢はとても参考になります。たとえば「万物には霊性がある。あなたも法のために来た存在。悪人だけを写して、善人は写さない」、「作動しても映像はない」「大法弟子の身体はより微細な粒子で構成されている。カメラなどには写らない」、「法を護る神様よ、監視カメラを遮ってください」、「監視カメラよ、目を閉じて、首をそむけよ」など、このような正念がある限り、私たち大法弟子にとって本当に安全な道はただ一つ「法に基づいていること」なのです。

 同修の皆さん、私たちは重大な使命を担う大法弟子です。もう退く道はありません。法を心に刻み、あらゆる出来事に対して自分の心性と修煉の面で内に向かって探し、地に足をつけてしっかりと前に進んでいくならば、師父が用意してくださった修煉の道はますます広く、明るく開かれていくことでしょう。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/4/22/492804.html
 
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