天安門焼身自殺事件の当日、私は天安門広場で横断幕を揚げた経緯
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文/黒龍江省の流浪の大法弟子

 明慧日本)私は黒龍江省で流浪している大法弟子である。法輪功を修煉したため、2001年1月11日に私は現地の公安に指名手配された。その時、全市で非常線が張られ、私の両親、親族、学友、友達は、遠近に関わらず、すべて不法に家宅捜査され理不尽に取り調べられ、監視され、追跡された。今日でも電話は依然と監視されている。行くところがないので、私は北京に行く列車に乗った。

 今回北京に行くのは2回目である。北京で他の学習者に偶然に会い、23日の大晦日の日に天安門広場で横断幕を揚げ、大法を実証することを約束した。

 23日つまり「天安門焼身自殺」事件の日の朝、私達一行は北京近くの近郊地区から北京に入り、午後1時30分に前門に着いた。ここの情況は数日前と異なり、大通りにパトカーがサイレンを鳴らしながら頻繁に行き交い、私服警官はいたるところにあり、公衆電話の側にも私服警官が監視していた。広場の前でまるで敵が攻めてくるようで、天安門広場の東と西の両側の歩道に、3歩、5歩おきに警官、公安の群れまた群れであった。百台近くのパトカーが広場の両側の歩道に整然と並んでいた。広場のすべての入口には、3名以上の公安あるいは警官が守備しており、一人の男性が入口で3人の警官に取り調べられ、まず身分証明書の提示を要求され、その後リュックサックと身体の検査をされ、やっと広場に入った。

 このような情況なので、私達はもとの計画が実行できなくなった。機会を探して広場に入るしかなかった。私達はすべての荷物を捨て、私は手に1冊の雑誌を持ち、わき目もふらず広場の両側をそれぞれ1周まわってみたが、広場に入る機会はまったくなかった。午後4時頃、広場の西側で同行している一人の女性の学習者が警官に取り調べられ、身分証の提示を求められた。その学習者は「ご飯を食べたばかりで散歩に出たので、身分証なんか持っていない」と言った。1人の女性の警官は強引に身体検査をし、何も見つからなかったので、「この先は非常線を張っているので、あなたは元の道を戻らなければならない」と言った。師父の助けの下、その学習者はすぐ私達と合流できた。同時に私達に広場に入る信念を強めさせられた。私達は正念を強め、師父に加持してもらって、「必ず広場に入る、必ず横断幕を揚げる、必ず私達の心の声を呼びかける」と、決心をした。この時、同行の一人の学習者が21番バスに乗れば金水橋に着けると思い出した。交通に詳しくないため、私達は一旦北京駅に行って、21番バスに乗って前門駅で降りて、ちょうど金水橋に着いた。

 バスから降りて、身に何も持っていないことを証明するため、私はすぐラクダの毛のオーバーのボタンを解いた。他の学習者と一緒に2メートルぐらい歩いたら、広場の1人の警官に「あなた達はどこからきた?」と聞かれた。私達は歩きながら「一緒に来た」と答えた。このような厳しい取り調べの下、広場に入ることは、なかなか容易なことではなかった。それでも何歩も歩いていないうちに、私達は身に持っていた長さ9メートルの「法輪大法は正法である! 真善忍は好い!」と書いた横断幕を揚げながら、私達の心の声「法輪大法は素晴らしい! 法輪大法は正法である! 師父の潔白を返して!」と、呼びかけた。パトカーに押し込まれるまで、私はずっと呼び続けた。警官は何度も私の口を覆いにきた。私達は前門の派出所に連行された。警官達は「こんなに大きい(横断幕)! 物差しを持ってきて量ってみろ!」と叫んだ。その後、広場でもう一つの10数メートルの横断幕も順調に揚げたことを聞いた。

 23日の日だけで、数十人の法輪功学習者が逮捕された。1人のおばさんは21日間をかけて歩いて北京に着いた。残念なのはこの数十人は、横断幕を揚げることはできなかった。まだ広場に入っていないうちに逮捕され、横断幕をまだ持っていた学習者もいた。これは私が鉄の檻に監禁された時に、聞いた話だった。

 夜中11時頃、私達は各派出所に移された。車の中で1人の警官(あるいは公安)は「あなた達法輪功は本当にすご。天安門広場で服を燃やすなんて…」と言った。 私は崇文門第四派出所に移された。正月初日朝の6時、天安門広場から守備を終えて帰ってきた警官は他の警官に「他人なんかいないよ!私服警官のほかみんな仲間だった!」と言った。

 崇文門第四派出所で、私は警官に拷問をかけられ自白を強いられた。悪警官は殴ったり蹴ったりしてきて、私の頭をつかんで床にしゃがませた。私がしゃがまないため、警官にオーバーと皮のベストを強引に脱がされ、寒い外で15時間も立たせられた。当時北京では小雪が降っていた。またトイレにも行けなかった。私の両足は凍傷になり、暗い紫色に変色し、足の10本の爪が凍り、全部落ちてしまった。

 正月初日の夜6時過ぎ、私達全員は崇文門留置場に移された。そこで私達は警官に夜11時まで拷問をかけられ自白を強いられた。1人の大法弟子は1人の警官に取り調べられ、2人の凶漢に拷問をかけられた。凶漢は、公安や派出所、留置場が一日30元で雇った人で、これは凶漢自らが言った話である。

 私は崇文門第四派出所にいた時、6人の凶漢に順番に監視された。彼らはとても可哀相で、40歳ぐらいの彼らは「家内と子供を扶養するため、この良心に反する事をしなければならない。彼ら(警官)は私達に死ぬまで殴れと言ったら、私達は一生懸命殴らなければならない。私達も殴りたくない」。「あなたは煉功者だからまだ大丈夫だけど、さもないと、とっくに凍死していまうよ。早く白状して、あなたの体格で耐えられないよ、ここの拷問に耐えられたとしても、留置場の拷問に耐えられないはず……」と言った。

 留置場の階上、階下で痛ましい叫び声、機械の衝突の音が響きあい、また焦げた体のにおいも空気中に漂っていた……。多くの学習者は派出所の拷問に耐えてきたが、留置場の拷問に耐えられなかった。彼らはやむなく名前を自白し、現地に連行され引き続き迫害を受けることになった。私と同じ監禁室の学習者の中に現地に連行された人は4人もいた。

 逮捕されてからずっと断食をしていたが、5日目、警官に食事をするように勧められた。当時1人の女性の警官が「あなた達法輪功に成りすまして、天安門広場で焼身自殺する人がいると聞いた……」と言った。

 私は20日間断食し無条件に釈放された。その時、留置場では意外にも「天安門焼身自殺」偽事件によって、法輪功学習者を脅迫したことはなかった。おそらく警官は「天安門焼身自殺」事件が偽物だということを最初から知っていたのであろう。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/2/15/95468.html)     更新日:2011年12月19日
 
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