一潭明湖水 師父の台湾で説法時の出来事(写真)
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文/台湾大法弟子

明慧日本2012年1月1日)1997年11月、慈悲で偉大な師父が台湾に来られた。台湾の大法弟子たちは、台北三星国立小学校と台中霧峰農工学校で、二回の説法を聞く幸運に恵まれた。当時、台湾の大法弟子は約2千人だったが、9年の洪法を経て、現在少なく見ても40-50万人が法輪功を修煉している。多くの人はその二回の師父の説法を聞いて法を得た。今当時の事を思い出すと、更に師父の衆生に対する慈悲と苦心された按配を体得できるのである。

                                          師父は台北三星国立小学校で説法された

                                           師父は台中霧峰農工学校で説法された

                                 1997年11月17日 師父と台北学習者との記念写真

 師父は何事もとても控えめにされた。その時、アジア・太平洋地域の一部の学習者は師父の説法を聞きたく、みな師父の行方をとても知りたがっていた。一人の香港の学習者は夢で多くのめでたい雲と神仙が台湾に行くのを見たので、師父は台湾にいらっしゃったのではないかと電話を掛けてきた。師父は金曜日の夜に台湾に到着されたが、学習者らをわずらわせないように、ごく一部の人しか師父の到来を知らなかった。師父は台湾に到着されると、すぐ一部の古い学習者のために説法され、師父は会場のカーテンを例に上から下まで手まねをされて、法を正す意義を説明された。それは私たちが初めて師父は法を正すためにいらっしゃったことを聞いた時だった。

 一日経って、師父は三星国立小学校で説法された。急に決まったことだったので、みな一晩中電話を掛けて学習者たちに連絡した。こうして互いに連絡をして、その日約2千人が説法を聞くことになった。説法を終えられた師父は講壇から下りられ、学習者の一人一人と握手をされた。多くの学習者は連絡をもらってなかったため、みなの要望により、師父は台中霧峰農工学校でもう一回説法をされた。今回は7、8百人が参加した。ある学習者は、当時、体中病気だらけで、彼女を治療していた気功師に連れられて師父の説法を聞きに行った。師父が2回彼女の近くを通られる際、彼女は走って行って、師父と握手しながら、「師父、私のような体で修煉できますか」と聞いた。2回とも師父はとても慈悲深く、「できますよ!」と答えてくださった。こうして彼女はずっと動揺せず修煉してきた。体の病気はとっくになくなって、全身が軽くなった。

 当時多くの人は法を得たばかりで、また大法に接触したことのない人もいて、法に対する理解はみなまだ浅かった。そしてどうしたらのびのびとした生活ができるか、どうしたら万事が意のままになるかなどの質問も提出した。師父は笑いながら、これらはとても俗っぽい問題だとおっしゃりながらも、すべての質問に答えられた。師父はいつもとても平易でわかりやすい言葉でとても深い法理を教えられた。

 師父の説法はすばらしく、学習者は数時間一心に聞いていた。その時、台湾では数人の女性を強姦して殺害した凶悪な犯人がいて、多くの警官を動員しても捕まえられなかったが、あの2日間についに逮捕することができた。学習者は師父の台湾への到来と関係があるのではないかと質問すると、師父はとても静かに「佛光があまねく照らすと、礼儀が円明となる」と答えられた。

 三日目に、師父を故宮博物院に招待した。今回の見物が師父にこられた甲斐があるように、学習者は解説員を設けようとして、時間を少し無駄にした。師父は従来動きが速いので、時間を無駄にされなかった。解説員が来る前に、師父は学習者を連れて見物を始められた。師父は全ての文物に対して知り尽くされていて、学習者に由来を説明され、当初作った作用、いかに鑑賞するかなどについて説明してくださった。学習者は興味津々で聞いていて、まるで初めて故宮を見物したようで、やっと中に展示されている文物の由来が見えてきた。

 中には故宮の専門家さえ知らない黄金色の骨があったが、師父は、それは龍の骨だとおっしゃった。天目でそれを見るとミクロ粒子はそのイメージだと教えてくださった。故宮から出る前に、師父は多くの現代の絵は変異したとおっしゃった。外に出てやっと故宮の別のところで現代の絵画を展示していることが分った。最後に私たちはやっと、師父は全てをご存知で、天地の物事のいきさつについて師父のように明白人はいないと悟った。

 師父は飛行機から下りられて、すぐ日月潭と台湾の各地に行くとおっしゃった。私たちはみな、師父は観光にいらっしゃったと思っていたが、後になってやっと、師父の念入りな心配りで台湾のために来られたとわかった。当時、私たちは台北から東部、南部を迂回して、台中の日月潭に行こうとした。私たちが宜蘭をたつ時、ガソリン・タンクには半分くらいのガソリンしかなかった。途中でガソリンスタンドがあると思ったので、満タンにしていなかった。車が重く、また山道を走ったため、ガソリンの消耗が激しく、残量を示す針がすぐに底をつくところでやっと村落を見つけた。しかし村全体を回ってみても、ガソリンスタンドは無かった。師父はただ一言、「石油会社はなぜガソリンスタンドをもっと造らないのか」とおっしゃった。その時、一人の村民に逢い、ここから一番近いガソリンスタンドはどこかと聞くと、この道を通る人は通常宜蘭でガソリンを満タンにして花蓮まで行くので、沿道にはガソリンスタンドがないと答えた。一時の粗忽で師父が山の中で困られると思い悩んで、ふと見ると先生は目を閉じておられた。暫くして、私たちが再び振り返ると、突然今まで底を指していたガソリンの量を示す針が、満タンの位置を指していた。

 師父は何でもご存知だったが、顕示されなかった。沿道でどう行けば分らなくなると、師父はいつも瀬戸際でどの道を行けば良いか教えてくださった。私たちは車の天窓を開けていて、多くの天上と海上の佛、道、神がみな現れた。師父は静かに私たちに天窓を閉めるようにいわれた。日月潭に着いた時はすでに夜9時を過ぎていて、遅かったため、当然風景は何も見えなかった。私たちは、翌朝師父を案内して付近の名所に行く予定だったので、すぐホテルに行ってチェック・インした。途中での停車料金と食事代は全て師父が支払われたため、学習者は自分のクレジットカードを取り出して、師父の代わりに宿泊料を支払おうとした。クレジットカードをカウンターに渡すと、後ろから高くて大きい影が学習者を越えてきた。師父は既に学習者のクレジットカードを手にしておられ、笑いながら、「これは先ず私のところに保管するから、明日あなたに返すよ」とおっしゃった。

 翌朝、私たちは師父を案内して日月潭と文武廟、邵族に行こうとしたが、師父は全て要らないとおっしゃった。私たちは車で湖を一周回ったらと提案したが、師父はこれも要らないと言われ、「私たちは帰りましょう!」とおっしゃった。私たちは少し合点がいかず、遠路はるばるここに急いで来たのは、風景を楽しむためではなかったのか? 昨夜は遅かったのに、どうして一晩泊まって、今朝慌しく帰ろうとするのか?と思った。然し師父がおっしゃったので、私たちはその通りにするしかなかった。離れる準備をしている時、私の妻は外で待っていたが、師父は彼女に1枚の紙を渡された。紙には「一潭明湖水 煙霞映幾輝 身在乱世中 難得独自美」と書かれていた。当時、この日月潭を描写した詩の後ろ半分については、あまり理解できなかった。

 3年後、台湾で921大地震があった。翌日私は全台湾の大法弟子に電話を掛けた。みな平安無事だった。私はやっと日月潭を離れるその朝、師父が私達におっしゃった言葉を思い出した。師父は、日月潭の中にいる神は、そもそも悪くなかったが、ここでの開発が多すぎたため、彼を騒がしたとおっしゃった。師父は3年後大地震があり、師父が何をしたかについて言われなかった。師父はこれほど苦労をして、台湾を大きく一周して日月潭にいらっしゃったのは、観光のためではなく、台湾を清めるためであった。師父は、かつて日月潭は台湾に影響を及ぼす命脈で、万一崩壊すると、台湾の生態系全体と、食物連鎖に非常に重大な影響を及ぼすと言われていた。

 師父は台湾に一週間滞在された。私たちは師父に同伴して台湾を一周回る幸運に恵まれた。途中で私たちは師父が示された多くの神通を目撃した。師父が到来されるとき、誰も知らなかった。師父が台湾を離れる時も学習者に知らせなかった。至るところで他人を思いやる一面を通して、師父は私たちに最も良い手本を示された。

 
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2006/2/20/121077.html)     更新日:2012年1月1日
 
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