明慧法会|師父はそばにおられると自分を励ます(四)
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文/中国の大法弟子

 (明慧日本)最後に私は、私の宝器だから、必ず私の心性と何か関係がある、もちろん他人の方法はどうしても効かない、と思うようになりました。内に向かって探してみると、残念なことに、私にはとても強い依頼心がありました。大法を修煉して十数年経っているのに、同修と比べるとあまりにもほど遠く遅れていました。常に7.20以前の修煉環境にあこがれ、何かあったら同修に相談したがります。何でも、同修のアドバイスを聞くのが好きでした。人に学び、法を学んでいませんでした。また、同修と付き合うとき、一部安全に気をつけない同修がみなを巻き添えにしないかと心配し、違った形で旧勢力に押し付けられたものを認めていて、自ら難を設けていました。時には修煉していない夫を見下したりしていました。彼が私を指摘するとき、私は多くの場合反発していました。師父は『転法輪』の中で、「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」と、説かれました。この最も基本的な基準にさえ到達できていないのに、まだ修煉者と言えるでしょうか。

 これらを探し出した後、私は強大な正念を発しました。これらのものはすべて要らない! 私の空間場を占拠してはいけない! 旧勢力の按配を全体的に否定する、と。また、師父は間違いなく自分の身辺にいらっしゃるということに気付き、師父に加持を求め、弟子は必ずしっかり行うと誓いました。この時、すべての心配は一掃されました。すでにパソコンは問題ないと感じました。そして、パソコンに電源を入れて、インターネットに繋げるとすべて正常でした。

 また、パソコンが理由もなく、稼動してくれず、立ち上げることもできませんでした。どんな方法を使っても駄目でした。販売店に聞き、彼らの言うとおり、掃除したり、部品を外してから、再びしっかり取り付けたりしても、駄目でした。技術の分かる同修がどんなに修理しても、何の反応もなく、同修はノートパソコンに変えるようアドバイスしてくれました。なぜなら、このパソコンはすでに何年も使ったからです。最後に、私は販売店に送って、修理してもらおうと思いました。しかしどうしても納得いきませんでした。すでに数週間インターネットに繋げることができず、自分が十分精進してないと言っても、パソコンを常人に触らせたことがないからです。

 突然頭が冷静になってきました。このすべてを全体的に否定し、心を静めて内に向けて探そうと思いました。その間、私は親の情にとても執着していて、実家の事に勝手に手を出していました。また常人のことに特に興味があって、毎日インターネットに繋げると、まず明慧のホームページからダウンロードを実施し、それから自分の興味のある常人のものを見ていました。三つのこともとても緩んでいて、まるっきり常人の状態でした。

 この時、師父が自分の身辺にいらっしゃると思うと、本当に恥ずかしく感じ、穴があったら入りたい気持ちでした。同修たちはみな心をこめて、全力を尽くして、大法弟子として行うことをやっていますが、私は何をしたのでしょうか?

 師父に何かを求める勇気はないのですが、私にできることは何かないだろうか。私はやはり師父に、この意気地のない弟子を許してもらうように求めました。この時すでに師父の慈悲を感じました。私はパソコンの本体を取り出して、元の位置に設置し、再びほかの部分と接続してみました。すべてが正常でした。私は我慢できず、わーわーと泣きました。本当に師父に合わせる顔がありませんでした。

 絶えず努力して以前持っていた執着を取り除いていますが、知らないうちにいつの間にかまた同じような、他の執着が出てきます。これらの安逸の心と睡魔はトビの足のように必死に私の心身を掴んでおり、その時は本当に苦しかったです。私は修煉しない常人はみな、寝ることが最も心地よいことであると言っていることを知っています。しかし、修煉者にとってはちょうど逆です。

 常人の染め物がめの中、旧勢力に押し付けられた壊滅的な迫害の中から、修めて抜け出すのは師父がおっしゃった通りに行わなければなりません。師父は「この世俗の中で自分自身が正しく歩むこと、この複雑な環境の中でいかに常人から抜け出すかが肝心なことです。常人が求めているもの、得たいもの、やっていること、言っていること、行っていることはあなたにとって、いずれも修煉によって取り除かなければならないものです」(『マンハッタン説法』)と説かれました。大法をもって絶えず自分のすべての考えを正してからこそ、はじめて盤石のようにゆるぎなく、これらすべてを防ぎ止めることができます。

 自分の修煉過程を振りかえってみると、師父のご加護がなければ、弟子は少しも前進できなかったはずで、何かを行うことはなおさらです。すべては師父がされているのです。毎回師父に加持を求めた後、師父は必ず私のために守ってくださると堅く信じ、いつも危機から逃れることができました。

 しかし、現在に至っても、私はただ何か発生したときだけ、師父が身辺にいらっしゃることを思い出します。もし、普段から常に師父は自分の身辺にいらっしゃることに気付くことができ、時々刻々自分は法を正す時期の大法弟子あることを忘れなければ、師父が言われているとおり、さらに多くの衆生を救い済度することができると思います。

 再び師父に感謝致します! 同修に感謝致します! 不適切なところについては同修の慈悲なるご指摘を願います。合掌!

 (完)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会) 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/12/248928.html)     更新日:2011年12月14日
 
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