文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年1月19日】私は長い間、正念を発するたびに妨害され、頭の中は雑念がいっぱいで、時には居眠りをしていました。短時間しか正念を発することができず、なかなか落ち着かない状態でした。これは問題だと思いましたが、なかなか突破できませんでした。しかし先日、同修の交流文章を読んで、啓発されました。同修は「心を静めて正念を発しなければ危険です」と書いていました。私は大いに同感だと思いました。まさに、私がこのようなのです。三つのことを行うときにも、何かの仕事の形式のようで、真相を伝えることも受動的に行い、あまり効果がありませんでした。
毎日正時の4回の発正念の内、3回しかできず、「常人の状態に合わせる」ことを口実に、夜中に起きて行いませんでした。食事の時間と重なった時も、しばしば正念を発しませんでした。根本的に、この発正念は殊勝で、師と法を信じることだと思っていませんでした。当然、この状態では神通力が発揮できないのです。師父は「全世界の大法弟子が同じ時間帯で正念を発するときの力量は計り知れないものです。ですから、すべての人が強い正念でこのことに対処し、最初からしっかり行なうことができれば、邪悪は今すでになくなっているかもしれません。多くの学習者は妨害されており、このことあのことで妨害されているため、しっかり行なうことができません」(『二〇〇七年ニューヨーク法会での説法』)と説かれました。
また『米国フロリダ州法会での説法』の中に、こう書いてあります。「もし全ての学習者が皆このようにできれば、皆さんに教えますが、同時に正念を発するその5分間で、邪悪は永遠に三界内に存在しなくなります。これほど重要なのです」
また、私には安逸心があるとわかりました。定年退職してから、退屈なためテレビを見たり、常人の世間話をしたりしました。たまに見るだけですが、旧勢力に隙に乗じられ、静かに学法できないのです。好奇心、求める心などが拡大され、学法に影響を与えました。三つのことを行おうとすると元気がでず、ほかの事をしようとすると元気になります。
同修が指摘してくれても、素直に聞き入れず、師父の話を持って反論し、同修の欠点を探して自分の問題を覆い隠しました。修煉とは自分を修めることなので、たとえ同修が言い過ぎたとしても、自分に問題があるからこそ言われたのです。言われたくない、闘争心が強い、このような執着心が長い間存在し、向上のチャンスをしばしば逃しました。
私には執着心があると分かって、毎日1時間正念を発し、この良くない心を取り除きました。最初はやはり、心を静めて行うことが出来ませんでした。その時「この雑念は私ではありません、私は必ず駆除し、正念を発します」と続けました。2週間後、心静かに正念を発することができ、師父にこの良くない心を取り除いていただきました。「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』 第一講「煉功してもなぜ功が伸びないのか」)私がこの願望を抱いて努力してこそ、初めて師が取り除いてくださるのだと思います。
今、私は毎日正念を静かに発することができます。正念を発するときには全身が暖かくなり、とても心地よく感じます。そして自分の空間場もきれいになり、学法のときもよく頭に入るようになりました。私は、同修の交流文章を読んで改善することが出来ましたので、私も体験談を書きました。私と同様の状態にいる同修の励みになればと思います。師父の仰ることを信じて、自分の執着心を取り除き、確実に向上し、師が法を正されることを手伝いましょう!