明慧法会|自分が衆生の保障になるように(二)
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文/湖北省の大法弟子 小小梅

 明慧日本201237日】その後、同修Aと他の同修たちと相談した結果、皆で順番に継続的に発正念をすることに決めました。親戚の同修Bが率先して真相を伝えるために実家向かいました。同修B「現在国内の大法弟子に加えられた迫害は過酷で、被害が他の人や家族にまで及んでいます。修煉者への中傷、自分自身を損なうことになる」と両親の善念を引き出しながら話しました。最終的に両親の悪念悪行をとめることができました。私と同修Aが家に戻った時、魔難だいぶ消えました。両親の厳しい詰問に対して「全て衆生の為です。続ける価値があります」と答えました。その後、強く発正念を継続する内に良くない邪魔の要素がいつの間にか消えていきました。

 結婚後、同修Aは仕事の関係で家にいないことが多くなりました。また私の考え方と根本的な違いがあったため、日常生活の中で摩擦が絶えませんでした。「彼は相手に対する配慮もなければ責任感もない利己的な人だ」と思っていたのに対し、「私は必要以上に物事を気にし過ぎ、常人の執着心が強過ぎる」と言うのが彼私に対する意見でした。私達は二人共負けず嫌いで、自己主張が強い性格です。問題が起きたらまず相手の足りない所を見つけて批判しあっていました。結果的に結婚する前の共に精進するという約束と正反対にお互いの妨げになってしまいました。旧勢力それを利用して二人の関係を崩壊させようとしていました。

 問題が起きた当初は、私が号泣したり彼と激しい口論をしたりと、彼ばかりを非難していました。自分にも非があり、彼に対して理解と寛容慈悲心ないと気づかず、全く反省の色を見せませんでした。一方的に自分の不満を吐き、自分の意見を主張し、強引に自分の理論と見解を同修Aに押し付けていました。常人の心に作用されて「何でこんなに辛いのだろう」と思っていました。

 その時、師父が法理を私の脳に打ち込んでご教示くださいました。「いつも人の不足ばかりを見ていて、自分を見ることを重視しておらず、相手はよく修煉できましたが、あなたはどうなるのでしょうか? 師父はあなたの修煉が良くなることを望んでいるのではありませんか?」(『ロサンゼルス市法会での説法』

 自分は修煉者として失格です。師父に申し訳なく思いました。問題が起きたら自分に向けて探し、他人の不足に目を向けてはいけないと理屈上ではよく分かっていましたが、しかし実際に目の前に問題が起きるとなかなか実行できませんでした。長年、テレビや新聞などのメディアによる不正報道の影響を受け、男性が家庭の全てを支えなければならないとか、妻を無条件に愛護すべきだとかの固定観念が脳内に根強く植え付けられていました。しかし同修Aはそれ程細やかではなく、固定観念も少なければ世慣れていない性格で、私の期待から大きく外れていました。まだ取り除かれていない常人の名利心に動かされ、つい他の家庭と比べてしまいました。一人だった時の修煉環境はまだよかったのに、同修Aとの結婚という苦労の道を選び、その上彼に理解され尊重されていないという不平不満が出てきました。また、私にまだ色心と情が残っていたため、同修Aからいつも夫婦生活を求められ「それは結婚する前の約束と違うじゃないの」と反感を覚えました。おまけに私と彼の実家からのプレッシャーが加わり、対立問題が次々と重なりました。まさに百の苦一斉に降る洪吟』「苦其心志」)でした。しかし私は魔難の中で執着を取り除こうと内に向けて自分を探すのではなく、返って同修Aにガミガミ怒ってしまいました。彼の行為を大法照らし合わせながら足りない所ばかり気にして、自分の事を棚に上げていました。度々話し合っても全く効果が現れませんでした。また、彼と衝突した後は、一人で湖畔に座りながら涙を流していました。心は耐え難く悲痛でした。その時、師父がすぐそばにいらっしゃると感じました。そして慈悲と寛容の態度で私にご教示くださいました。天に昇る道多難なのは当たり前です。修煉を選択した以上苦難の中で執着を取り除かなければなりません。修煉とても厳粛なことです。家に戻って、またいつものように『転法輪』第四講の厄介なことが起きている時、いかに心性を向上させるかについて読みながら法を学びました。本来なら熟知しているはずの内容なのに初めて読むかのように頭は真っ白でした。私はとても恥ずかしく思いました。法に沿って物事を考えなければならないと示してくださっていると分かりました。きちんと法の要求通りに遵守できていて初めて本当の修煉になるのです。そこで自分は変わるのだと決意しました。

 それから、私無条件家庭の責任を担うようになりました。同修Aの生活をより一層気遣うようになり、心から彼の事を理解しようと努めました。積極的に姑のお世話をし、彼の実家からの要望を出来る限り叶えるように努力しました。また、問題に直面したら修煉者らしく寛容と慈悲の態度で接しようと自ら決めました。相手の気持ちを考えるようになると、家庭円満にも繋がりました。周りの家族も私を認めてくれるようになり、家族達も段々大法の真相を知り、すぐ福報の恩恵を受ける人も現れました。それは全く師父の慈悲と大法の威徳のお陰だと痛感しました。まさに佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」(『転法輪』)です。大法の要求は、真の修煉者は自ら内に向けて反省しなければならないということです。日常生活でどんな魔難にあってもこれは本当の修煉で、辛さや苦痛などを乗り越えて向上するチャンスだと悟り、大事にしなければなりません。魔難の中で常人の執着を見つけ、執着心を取り除き法を以って自分を正します。魔難は天に昇る階段です。実際、あらゆる悪いことはみな良いことです。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/11/249481.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/2/1/131090.html)     更新日:2012年3月8日
 
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