真に心を静めて学法しよう(四)
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 、仕事をする心は心を静めて法を学ぶことを妨げる

 法を正す時期の大法弟子、法の為にやってきた生命として、たくさんの大法を実証し、衆生を救い済度する仕事をやらないといけないのです。しかし、仕事をやるときの基点と心は正しく置かなければなりません。いつ、何処問わず、外部の環境が厳しいか緩いか関係なく、私たちがやっているすべては修煉であり、常人が仕事するのと違うのです。すべてが法を実証するためであり、己を実証するためではないのです。心を静めて学法し、法をよく学び、絶えず法の上で昇華すると、法を実証する時に、大法の威力と加持作用や大法弟子の正念の作用が現れるのです。それと同時に大法は絶えず知恵を開いて下さり、私たちをもっと理性的に、賢くさせてくださるのです。

 「ですから、いくら忙しくても、法を学ぶときには、如何なる考えも放下し、他に何も考えずにただ法を学ぶべきです。あなたが法を学んでいる中で、考えている問題が全部解決されたかもしれません。なぜならば、全ての字の背後に皆佛道神がおり、あなたが何を解決しようとしているのか、今何を急いでやろうとしているか、彼らには分からないということは在り得るのでしょうか?それなら、彼らはあなたに教えないのでしょうか? ただし、必ず求める心を抱かずに法を学ばなければなりません。皆さんはとっくにこのことが分かっています。問題を解決しようとする執着の心を抱いて法を学んではならず、落ち着いて読めば、修めた効果はきっと非常に素晴らしいものです。」(『米国フロリダ州法会での説法』)大法弟子個人であるか全体であるかを問わず、法を実証する際難しい問題や仕事に遭遇した時、忙しくても時間が少なくても、絶対に学法をおろそかにしてはならず、また学法の時は必ず心を静めてから学ぶことです。なぜなら、法をよく学ぶことは法を実証することが成功するかどうかの重要な保障であるからです。

 大法弟子が心を静めて学法することができないと、法を実証することに障害と妨害が現れます。この時すぐ内に向けて探し、学法を重視することができれば、障害と妨害がすぐに取り除かれるだけでなく、さらに以前の不正確な学法の状態解決することができます。これと反対に、すぐ法の上で原因を探すことができに向けて修め、内に向けてすことができず、外に向けて求めるのであれば、仕事の中に入り込んでしまい仕事する心を生じさせてしまい、それによってすぐ終わらせなければならない仕事何日立っても終わらないのは、忙しくてやり遂げられないのが精進の表れであるからだという、間違った認識をしてしまうのです。また仕事することで、心を静めて学法できないことによって生じた虚しさと寂しさを埋めようとしてしまうのです。この状態を続けていけば、学法をおろそかにし、緩めてしまった結果、たくさんの仕事や大きな仕事やることを通じて己を実証するということになるだけではなく、さらには仕事をどのぐらいやったか、仕事の大きさをもって大法弟子を量る基準としてしまうのです。実際、仕事をやる心を利用して大法弟子の時間と精力を消耗させるのは、旧勢力の要素による、大法弟子に対する隠れた察知しにくい妨害でもあります。私たちの地域で大法のためにたくさんの仕事をやっている何人かの同修、特にいくつかの資料点の同修は現在確かに心を静めて学法できていないだけでなく、その上、仕事をやることに執着する状態が存在するのです。甚だしい場合、一人で学法できないまで妨げられて、の同修と一緒に学法して、ようやく本を持って勉強しているのです。この状態は大法弟子の全体と資料点が迫害される最大で隠れた危険だと分かりました。ハルビン市で2005年に起きた九二三事件(李洪奎さん同修拉致された)及び2006年に起きた八一〇事件(鴻朗花園事件)は痛ましい血の教訓です。その中で九二三事件の際に拉致された呂麗華さん八一〇事件で拉致された張忠さんは迫害されて死亡しました。大法弟子が流した血は決して無駄にしてはなりません。「教訓は皆さんをさらに成熟させるはずです。旧い邪悪な勢力に皆さんの考えの隙に乗じられないようにする唯一の方法は、しっかりと法を学ぶことです。」(『精進要旨(二)』「圓満成就に向かって

 大法を実証する中で、仕事をやる心は一種の、強く外に向けて求める表れです。大法弟子として、学法を重視し、法をよく学ぶことは皆知っています。それでは、胸に手を当てて自問してみてください。私たちの行いはいかなるものでしょうか? すべての大法弟子は皆心を静めて学法すること努力してみてください、真に学ぶと静かになれ、最大限に学法の効果を収められるよう心から願っております。法を実証することがいかに多くても、忙しくても心を静めて学法しなければなりません。「今皆さんが確かに忙しいのであって、多くの人が自ら進んで多くの仕事を担当したので、法の勉強になかなか身を入れることができません。考えの中でいつも法を正すことを考えており、法を勉強する時に心が静まっていませんが、実は法を勉強していないことに等しいのです。理性的に意識をはっきりさせながら法を勉強することができなければ、法を勉強していないことに等しいのです。しかも時間を無駄にしてしまいました。ですから、この方面のことについて、皆さんは必ず認識しなければなりません。」(『2000年ボストン法会での説法』)「しかし、時間を作って勉強する時、心が静かにならないという問題が起こりやすいのです。心が静かにならなければ、勉強しても無駄であり、時間がもったいないのです。法を勉強するには、心を放下し、落ち着かせ、考えが静かになってから本当に勉強するようにすべきです。幾つかの段落しか読めなくても、心が落ち着かないまま本一冊を読むより効果が良いのです。法を勉強する時には、必ず頭に入るようにすべきです。」(『アジア太平洋地区学習者会議での説法』)

 現在、九二三事件及び八一〇事件拉致された一部の同修は次々と家に帰ってきました。これらの同修心を静めて学法し、さらに法の上で深く反省し、いったい何の心、何の要素で師父が按排した修煉の道から外れたのかを認識し、それに加え大法及び大法弟子全体にもたらした損失をしっかり補うよう願ってます。それと同時に、他の大法弟子もこれらの回り道をした同修を排除したり、避けたりせず、彼らを引率し、助け一緒にに向て探すことが重要です。そうして、堅固で破ることのできない全体を形成するのです。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/5/191133.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2011/6/10/125925.html)     更新日:2012年4月6日
 
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