文/中国の大法弟子 蜀文
【明慧日本2012年6月15日】法会が始まると、演壇の後ろから50代の人が前に出て、師父の写真に深くお辞儀をした後、みんなに向かって語り始めました。「みなさん、ごらんの通り、私はいま腰も首もまっすぐになり、みなさんの前に立っていますが、私は3カ月前まで、30数年も両手が地面に届くほど腰が直角に曲がり、背中が曲がっていました。長い間私は病気を治すために、すべての財産を使い果たし、どん底に落ちました。私は20数年間、曲がった身体を板の上に横たえて寝ていました。大変辛かったのです。3カ月前に私は大法を得ました。たった28日で、私の身体は今のように真っ直ぐな状態になりました」話し終えた彼女は、みんなにはっきり見えるように身体を一回転しました。この同修は法会の前日に初めて情報を得て、100里以上も遠方から駆けつけてきたので、原稿も用意していませんでしたが、彼女は涙を流しながら語り、会場のみんなも涙が溢れました。
次から次へ、多くの同修が演壇に上がって自分の修煉体験を語りました。それまで毎日外で良くないことをやり、放浪していた生活から良い人間に変わった人もいれば、ガンを患っていたが、大法を3カ月修煉した後、健康を取り戻した人もおり、肥桶を担いで転んでいた時に岩壁から落下し、肥桶は壊れたが無事だった人もいました。会場の中では誰もが、話もせず咳もせず、歩き回ることもなく、一言一句を聞き漏らさないように静かに聴いていました。このような場面を私は初めて見ました。
昼食の時間になりました。2000人以上の修煉者が5つの窓口に列を作って並び、食堂で弁当を受け取り、食事が終わるとみんな自主的に洗い場で食器を洗い、洗浄した食器を戻し、整然と元の席に戻りました。これほど多くの人が食事をした食堂のテーブルにも、洗い場にも、一つの米粒も残らず、弁当の中身を批判する人もいませんでした。みんなの口に合う料理を作ることは難しいのですが、ここでは奇跡が起きました。これらの人は確かに普通の人ではなく、食堂の従業員は「皆さんはどこからか来た神様です」と褒めていました。
午後は1時から5時まで法会が続きました。25人の修煉者が、今まで聞いたことのない不思議な体験を語りました。法会の終了が宣言されると、みんなは静かに、そして速やかに秩序良く会場を後にしました。更に私を吃驚させたのは、演壇の上にも会場にもゴミがまったくなく非常に綺麗で、まるで誰も会場に来なかったかのようでした。
私は会場をなかなか離れたくありませんでした。みんなの穏やかで和やかな笑顔が私の頭に浮かんできました。私はやっと分かりました。かつて私が参加した会議は、いくら華やかでも、出席者の階級が高くても、どんなに周到に準備をしても、良い効果が得られなかったのは、そこが共産党の利益争いの場であったからでした。それに対して我々の法会は、出席者すべてが神の道を歩んでいる大法弟子であり、大法を広め、大法を実証し、大法を守る最も神聖で厳粛なもので、正に仏法の奇跡が現れたのでした。
(完)