文/シカゴの大法弟子
【明慧日本2012年7月1日】尊敬する師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは!
私はシカゴの学習者です。今日は内に向けてしっかり修煉し、神韻の広告冊子を多くの家庭に届けることについて、皆さんと交流したいと思います。
去年のシカゴでの神韻公演はうまく行きませんでした。気分が重く、師父に合わせる顔がないだけでなく、私たちが救うべき衆生に合わせる顔もありません。そこで公演が終わった後、どのようにこれからの局面を打開するか、師父が要求されている事をやり遂げられるかを、ずっと考えていました。
シカゴでは去年、主要なチケットの宣伝方法は、郵便局を通じて資料を郵送することで、出発点は常人の運営方式の中に留まっていました。神韻公演を行うことは修煉であり、衆生を救い威徳を樹立するために、師父が弟子に与えられたチャンスであり、大法弟子が担う責任と使命です。私達がこれほど大きな事を、簡単に常人に手渡したので、当然思い違いが多く、効果も悪かったのです。協調人から一人一人の学習者まで、全員がどのように2012年の神韻公演を成功させられるかを考えるべきです。
師父は『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』の中でこう説かれました。「皆さんとして、大法弟子は最後になればなるほど、自分の道をしっかり歩み、時間を大切にして自分をしっかり修めるべきです。たくさんの仕事をしましたが、振り返ってみると、すべて人心で行なったのです。人間として人間のことを行ない、正念を用いたのではなく、大法弟子の威徳がありません。言い換えれば、神から見れば、仕事を行ないましたが、それはいい加減に終わらせたのであって、威徳もなければ修煉にもなりませんでした。これでは無駄になったのではありませんか?」
師父の説法は、重い金槌のように私の心を打撃しました。私は必ず法を勉強して、観念を変え、正念を持って神韻を多くの家庭に広めてこそ、師父の慈悲なる済度に応えることだと思いました。
今年、シカゴでは、協調人の全体的な計画のもとに学習者が行動する方式に変わりました。精巧で美しい神韻の広告をビニールに入れて、家ごとに届けることにしました。晩秋の11月から暖かい春が訪れ、花が咲く4月まで、私達は5カ月かけて届けました。
私は12月から翌年の3月まで、毎日4~5時間、歩いて資料を配りました。私は77歳ですが、このように毎日歩き回った後、家について座り込んだとたん、床の上で寝てしまいました。以前は、冬であろうと夏であろうと、布団をかけなければ、足はつってしまいましたが、神韻の資料を配って帰って来ると、歩くことはもう困難になっていましたが、つったことはありませんでした。
これは師父が弟子を守ってくださっているとわかっていました。目が覚めて時計を見ると、すでに朝の3時になっており、一段落の法を学ぶと、ちょうど発正念の時間になるので、発正念の後に引き続いて静功を煉ります。足はとても硬いのですが、足の痛みが和らいできたとき、ようやく足を下ろして静功をやめます。そうしなければ翌日歩くことが困難になります。私は座禅を組む時間を1時間半から2時間に延ばし、さらに2時間半まで延ばしました。2時間半座ることができると、歩くのがとても軽やかになるのです。それはやり遂げた後にしか、体得することができません。元旦であろうと、旧暦の元旦であろうと、私が1日も休まずに資料を配ることができたのは、毎朝、座禅を組んだことに関係があると思います。
資料を配るとき、常に魔難が現れてきましたが、これこそ心性を高める良い機会で、自分を突破し観念を変えたいという考えがありました。時間が長くなれば足が動かず、道端に座って一休みしてから歩きました。しかし、大覚者の金剛のような志は、苦しみを恐れない中で煉り上げられると、『転法輪』の中の「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」を思い出し、私はまた正常に歩くことができました。
ある日の午前、私がある家に資料を配りに行った時、そのお宅の玄関前のセメントの階段が凍っていて、私は階段を降りた時に滑り、左ひじと左足首が階段にぶつかりました。「ドン!」 という音がして私は地面に転びましたが、私はすぐ「私は人を助けにきたのだから、大丈夫だ」と思いました。家に帰って見てみると、足とひじが青くなって傷ができていましたが、血は流れていませんでした。師父が守ってくださったとわかりました。
ある日の昼ごろ、道を歩いている時、突然息ができなくなり、冷や汗が出てきました。今までにない現象なので、私は邪悪の妨害だとわかり、それを取り除こうと思いました。その時、突然頭の中に「万般の苦を歴盡し 両脚は千魔を踏む 掌を立てれば乾坤振るい 空を横(ふさい)いで 立つ巨(おおき)きな佛」(『洪吟』「大覚」)という一念が出てきて、息もすっと楽になり冷や汗も出なくなりました。この時、まさに師父が説かれた「正邪を識別して、真の経を得て、その身を軽くし」(『精進要旨』「悟」)を意識しました。魔難が来たとき、第一念で「自分は修煉者である」「師父がおられ、法もある」を思うと、その難はまさに一歩で乗り越えることができます。神の路を歩む大法弟子は、正念があれば神になります。私は各家を訪問すると、すぐ次のように発正念をします。「師父が資料を届けに私を遣わされました。あなたが神韻を見に行けば、宇宙の大災難から逃れることが出来て、救われます」
毎日私は、新しい資料を配布しながら行脚していると、いつも考えていました。苦しみをたくさん嘗めたからです、トイレが見つからないかもしれないので、朝、水を飲まないで出発します。夜、家に帰ったら動きたくないので、ご飯を食べないで寝てしまい、次の日にまた配りに行きます。前日は歩くのが難しいくらい足が痛いと感じていましたが、次の日には痛みがすべて消えて、また資料を配りに行けるようになりました。年を取ったとか、食べる、飲む、苦しい、痛いなど、何も気にしませんでした。師父の法と師父の要求を心に置いて「人を救いたい」という一念だけでした。シカゴ公演を今年は満席にしたい。大法弟子は自我を捨て、他人のために尽くしたい。やるなら見事にやりたいと、野菜などの買い物や髪のカットは帰り道ですませました。無私無我で、執着をなくしてこそ、人を救うことができます。
今年の神韻のラスト公演前に、皆の食事を作った後、私たちはようやく満席を迎えることができたと分かりました。温かいエネルギーが全身に満ちてきました、師父が再び加持してくださったと私はわかりました。「優曇華の花が咲く」など幾つかの神韻の曲を流しながら、涙がとまりませんでした。師父! ありがとございます。大法、ありがとうございます。弟子はさらに精進し、円満して師父と帰ります。
同修たちの食事を作る
神韻公演まで残り1カ月になり、ある日私が資料を配っていたとき、協調人から電話がかかって来ました、「神韻を広めるため、学習者は幾つかの町を駆け回って、疲れて痩せてしまいました。今、シカゴで資料を配るために大変苦労しています。手伝いに来た一部の人たちも、家に戻って食事をとれない状況です」と言いました。チケット販売で最も苦労している人たちに食事を出さなければなりません。私は資料を配った後、家に帰るついでに中華街でスペアリブを買いました。家に着いたとき、眠くなりませんでした。深夜までバタバタして、スペアリブを作り、次の日に同修たちに食べてもらいました。彼らが食べる様子を見て、私は嬉しかったのです。
神韻資料を配り始めて、すでに3カ月経ちました、資料を受取る人たちの喜ぶ顔を見ることが、私の最大の楽しみです。資料を配る傍ら、食事も作ります。徐々に食事を食べる人が増えて来ました、私は野菜などの買い物をして、週末になると20人分の食事を1日に8時間から9時間かけて作ります。専属でやらない限り、担当できないのです。
私は資料を配ることをやめて、同修たちの食事の心配がないように全力で食事をきちんと作ろうと決めました。大法の一粒子として自我を放棄して、積極的に協調人に協力して、私は野菜などの買い物や食事を作る役を担いました。同修たちは資料やポスターを広めたり、チケット販売のためデパートに立ったり、広告の営業をしたりして、食事をする時間がありません、誰もが、あたふたと帰ってきて、すぐご飯を食べたいのです。同修たちが衆生を済度する黄金のように純粋な心を見て、私は皆に温かい食事を食べさせないわけにはいきません、私は1日に5キロ余りのマントウ(訳者注:中国式蒸しパン)を作ります。厨房に7、8時間ぐらい立ち、それから外出して野菜も買わなければなりませんでした。
ある日の正午、買い物ケースを引っ張りながら、手にもう一つのバックを持って道路を渡ろうとしました。両側に信号を待つ車が並んでおり、道路の真ん中まで渡ったところで、右足が突然つってしまいました。止まると警察がすぐ来てしまうので、座り込むか行くか躊躇してはいけません。痛みを我慢して走って渡りました。その後、私の右足のかなり大きな範囲が青くなってしまいました。私は師父が、さらに大きな塊の業力を滅してくださったと分かりました。人間と神とが分かれる生命の関門で、痛みを我慢できにくいときに、法に従い、心が歪まないようにコントロールする一念があれば、本当に違った世界が見えるようになります。
神韻を広める過程の中で、師父の法は私の頭にこだまして、使い切れないほどの力が全身にみなぎり、日中は法の中に溶け込んでいました。やる以上ベストを尽くし、協力するなら自分自身を捨てて全力を尽くします。
私たちは師父が法を正す時期に生まれました。億万年以上の期待を失ってはいけません。神韻を広める一粒子として、私心がなくなり、成熟して、楽しくて仕方がありません。
師父、ありがとうございます! 同修たち、ありがとうございます!
師父の慈悲なる済度に感謝します。
(2012年ニューヨーク法輪大法修煉心得交流会発言原稿)