神韻宣伝活動中の修煉体験(二)
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文/ニューヨークの大法弟子

 【明慧日本201265日】こうして、私たちはロングアイランドにあるこの会社の店で説明会を開くことにしました。同修は予定時間ぴったりに車で送ってくれましたが、数分前に店のマネージャーはでかけていました。がっかりした私は、自分が間違ったと思いました。もともと30分前に到着しようと考えて同修と約束したのに、私自身が些細なことから、同修を待たせてしまったのでした。

 この店は賑やかな場所にあり、少し心配しましたが、衆生を救い済度したいという心さえあれば師父はかならず按排してくださいます。この状況で、2人の店員さんの提案により、マネージャーのいないまま説明会を始めました。店の中にいた1人の中国人従業員が、「あなたたちが中国の伝統文化を宣伝することには反対しませんが、法輪功には賛成できません」と言いました。同修は「あなたは多分法輪功のことを本当には知らないのだと思います」と言いました。神韻を紹介している間、他の店員さんは嬉しそうに聞いていましたが、あの中国人の店員は離れたところから電話を掛けていました。多分マネージャーに電話しているのだろうと思って、私はずっと発正念をしました。しばらくすると、私の心も落ち着いて、現場も和やかな雰囲気になりました。

 マネージャーと社長が店に戻ってくると、中国人の店員はすぐに2人をほかの部屋に誘い、話をしました。マネージャーが出てきたとき、こちらの説明会もおわりになりました。もう何回も説明会を開いたので、マイナスの反応はほとんどなく、この会社の各支社、支店の幹部もよく知っていたのですが、今回どうなるかは、私も分かりませんでした。最後に、マネージャーはチラシを持って、このショーは良さそうなので家に帰ってから妻と相談しますと言ってくれました。まったく予想外でした。説明会が終わってから、私たちは時間をとって、その中国人の店員に真相を伝えました。その後、店が忙しくなったので私たちは帰りました。

 帰るとき、修煉を始めたころのように私はとても良い気分でした。一日中ほかのことは何もしなかったのですが、この件だけで十分に満足しました。人を救うことは小さいことでなく、それは非常に重大なことで、宇宙の広範囲にかかわっているのだと、同修との交流で共感しました。このことは人間社会のどんなことであっても、比べられるものでしょうか。師父は何回も説法の中でおっしゃいました。「どの生命もどの人もただものではなく、背後に宇宙の膨大な生命群を代表しています。一人が済度されれば、その背後のすべての生命が済度されることを意味します。なぜなら、今生の人、今日の人の絶対多数は天上の王が世に下り、人間に転生したのです」(『大法弟子とは何か』)

 いよいよ公演が始まり、私は先ほど述べた知り合いの友だちに電話をしました。結果は、会社はチケットを買う気がなかったようです。私は自費でも買うと言った店員さんに電話をけました。本人はマネージャーにも聞いてみますと答えましたが、なぜマネージャーに聞くのか私は理解できませんでした。思わぬことに、3日後にあの店員さんは同修に電話して5枚のチケットを買ってくれました。この店員さんは他の人を誘って、前回の説明会を聞いていなかった新しい人をつれてきました。

 神韻のチケット販売は最初のは比較的順調でしたが、それからちょっと販売不振になりました。見たかったのに何らかの原因で今回は行けないという返事が多くなりました。がっかりした私は、内に向探し、自分は学法と発正念がまだまだ足りないと自覚しました。

 ある日商売の関係で人が電話を掛けてきました。当時私は居眠りをしていた状態で、ぼんやりした会話の中で、意外にも4枚のチケットが売れました。なぜ順調に売れたのかと考えると、前日に私は真剣に学法して、師父が私の良くない物質を取り除いてくださったと悟りました。それなら、これから私はよく学法しようと思いましたが、チケット販売は思うほど売れませんでした。やはり自分の執着心が多すぎて、人を救おうという緊迫感が足りず、安逸心が強かったのです。仕事上ではプレッシャーがないため、毎日気楽にすごし、神韻のチケット販売は緊迫感が足りず、何枚売ったかばかりに執着してしまいました。この心を認識してから、私はチケット販売の概念を捨てて、人々に神韻を紹介することだけに専念しました。他の執着心は、たとえば発正念が上手くできないこともあり、これから私はもっと正念を発して、自分を正すべきだと思いました。

 (続く)

 (2012年ニューヨーク法輪大法修煉心得交流会発言原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/5/25/257838.html)     更新日:2012年6月7日
 
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