済南刑務所 死亡した学習者の遺体引き渡さず
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 【明慧日本2015年1月8日】山東省・煙台市莱州市(らいしゅうし)の法輪功学習者・呉加俊さんは昨年11月27日、済南刑務所で迫害され死亡した。家族は刑務所に行き遺体を引き取ろうとしたが、刑務所側に「呉は刑務所の人間だ。俺らが火葬してやる」と言われた。

 呉さんは生前、危篤に陥ったとき、家族が治療のための「一時出所」を求めたが、刑務所側は「死ぬ前になったら、『一時出所』を許す」と言った。

 2012年3月6日、莱州市610弁公室、国保大隊(法輪功迫害の実行機関)、三島派出所の警官十数人は呉さんを連行し、呉さんの自宅の家宅捜索を行った。その後、呉さんは三島派出所や店子洗脳班、莱州市留置場に拘禁された。体重75キロだった呉さんは2012年末、家族と面会したとき、迫害によって体重が40キロ代まで減っていた。

 2012年12月末、莱州市裁判所は裁判を行わず、家族にも知らせず、呉さんに懲役3年の実刑判決を下し、呉さんを刑務所に送り込んだ。その後、数カ月間も呉さんと連絡が取れない家族はいろいろなところを訪ね、2013年5月になってやっと、呉さんが刑務所に収容され、健康が急に悪化して済南警官病院に入院していることを知った。家族は病院に見舞いに行ったが、刑務所側に呉さんと会うことを許されなかった。7月になって、家族はやっと呉さんに会え、呉さんが刑務所の迫害で重い心臓病になったことがわかった。

 昨年11月18日、家族は刑務所に行き呉さんと面会をしようとしたが、拒否された。警官は「呉は重度の心臓病で危険な状態だ。面会してはいけない」と言った。それで家族は「一時出所」を要求したが、「死にそうになったら、一時出所をさせる」と警官に言われた。その後、心配で家族は何度も刑務所に行き、「一時出所」を求めた。11月21日、家族は警官病院に行き、入院中の呉さんと面会することを要求したが、「刑務所の証明書を持って来なければ面会できない」と言われた。家族は諦めず面会を求め続け、午後3時半に呉さんと面会ができた。しかし、呼吸困難の状態で極度に痩せている呉さんの姿が家族の目に映った。

 11月27日午前9時ごろ、済南刑務所は「早く刑務所に来い」と家族に緊急連絡した。家族は刑務所に駆けつけると、囚人服を着たまま冷蔵室に入れられた呉さんの遺体を見せられた。警官は「済南警官病院は、呉は2014年11月27日の朝5時ごろに死亡したと言っている」と家族に言った。

 その後、刑務所側は呉さんの遺体を家族に引き渡さなかったという。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/30/300942.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/12/1/147112.html)
 
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