退職した郵便局長が修煉し「ぶどう膜炎」が完治
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 【明慧日本2015年3月7日】目は人々の心の窓です。しかし、「ぶどう膜炎」という病気が発病すると、充血、眼痛、視力低下などの症状が見られ、失明に至る危険性があります。注射を受け、薬を飲んで治療しても、回復するには1カ月以上かかり、その上、年に1回か2回必ず発病し、現代医学ではこの病気を根治するのは難しいと言われており、それにかかってしまうと、本当に言葉にならないほど苦しいのです。

 8、9カ所で郵便局長を務めて来た黄石城さんは、1998年に退職した時、目がすでによく痛くなっていました。その後、医者は、「重度な『ぶどう膜炎』で、いつでも失明する危険性がある」と最終診断を下しました。その2年後の2000年に、友人に勧められ、彼は法輪大法の修煉を始め、持病の「ぶどう膜炎」が、治療せずに奇跡的に治りました。黄さんは現在82歳になり、耳も目もしっかりし、背筋もシャキッとして、歩く時も軽やかで、顔にはしわがほとんどなく、黒い髪も生えてきました。

現在82歳の黄石城さん

 法輪功を修煉してぶどう膜炎」が自然に治った

 黄さんは若い頃、台南の郵政局本部に勤めていました。彼は仕事が真面目で、誠心誠意に接客し、人々から高く評価を受けていました。その後、彼は台南県の数多くの郵便局で局長に就任し、誰からも称賛される良い管理者となりました。65歳で退職した黄さんは、第二の人生を悠々自適に暮らそうと思った時、重度の眼病――医者でも手の施しようがない、完治することのできない「ぶどう膜炎」にかかりました。

 毎回発病した時の状況について、黄さんは、「『ぶどう膜炎』が発病した時は、目がまず赤く腫れて、それから霞がかかったようになり、最後に、まったく見えなくなるのです」と説明しています。「それから、約1カ月、薬を飲み、目薬を入れ、ようやく視力が回復しますが、時には、右の目が悪くなったり、時には、左の目が悪くなったりして、その後、『飛蚊症』の症状が現れ、たくさんの蚊が目の前を飛んでいるように見え、とてもつらいのです」とも言いました。「ぶどう膜炎」は年に最低1回か2回発病しますが、運動も治療もすべて効果がなく、彼は大変悩まされていました。

 退職して2年目、つまり2000年になると、彼の人生は大きく転換しました。彼の友人が法輪功を修煉し始め、彼にも紹介しました。もともと養生や健康に心掛けていた黄さんは、その話を聞いてとても心が動かされ、やってみようと決心しました。そこで、彼は東寧煉功に行き、毎日、早朝4時50分から8時半まで煉功し、法を学び、ほとんど一日も欠席することなく、14年間も続けて来ました。

 煉功しているうちに、長年悩まされてきた目の病気は次第に改善され、数年後、まったく発病しなくなり、治療もせずに自然に治りました。大法の超常と奥深さを深く体験した黄さんは、煉功に励み、修煉の日々を大切にし、毎日、夜明けに煉功場に来て、煉功し学法し、風雨に妨げられることはありませんでした。彼は心身ともに大きく変わり、現在82歳になっても、ますます若くなり、視力はよく、耳も目もしっかりして、背筋をまっすぐ伸ばして軽やかに歩き、顔にはしわがほとんどなく、黒い髪も出て来たほど元気です。黄さんはよく元の郵便局の同僚達を探し、法輪功を紹介しているので、多くの郵便局の従業員は皆「法輪大法は素晴らしい」と知るようになりました。

 家族の「宝もの」

 黄さんの子供達はみな結婚して子供もいて、今は三世代で一緒に幸せに暮らしています。しかし、黄さんの奥さんは3回癌になり、何度も化学療法を受けました。命は取り留めましたが、年を取ったせいか、体がさらに弱くなり、病気がちで、身の回りのことが自分でできなくなり、最近、認知症も進みました。黄さんは常に「真・善・忍」の基準で、すべてのことに対処しているため、毎日煉功と学法の後、市場に野菜を買いに行き、ご飯を作り、文句一つ言わず、重病の妻や孫の世話をしました。黄さんは高齢ですが、しかし、絶えず煉功と学法によって、精神面、体力面、忍耐力がますます強くなり、家族の「宝もの」となりました。

 奥さんが毎回化学療法を受ける時、黄さんは奥さんに大法を読んで聞かせ、法輪功を紹介し、功法の煉功を勧めました。こうして、奥さんの体力は次第に回復し、認知症の症状もだんだん改善されました。奥さんはいつも、「法輪大法に感謝します。大法は私の命の光と希望です。主人が法輪功を修めたおかげで、こんなに健康な体と優しい心で私を世話してくれました。大法の師父に感謝します」と言っています。

 黄さんの息子と嫁は仕事で大変忙しいため、黄さんは孫の世話や学校の送り迎えなどを担当し、またおやつの用意、宿題の指導などもしました。今、孫はすでに大学3年生になりました。孫はとても感謝の気持ちで、「お爺さんはとても優しい人で、私達に対する配慮が行き届いており、送り迎えから、おやつの準備、宿題までの面倒を全部見てくれました。その上、おばあちゃんの世話もしていますよ。時間があれば、また出かけて、友人に法輪功を紹介しています。私はお爺さんのことを思うと、『法輪大法は素晴らしい』を思います」と言いました。

 黄さんは、「私達の家庭が、温かくて、和やかで楽しくなったのは、すべて法輪大法のおかげです。大法の教えに感謝しなければなりません」と言いました。

 手紙で真相を伝え

 中国共産党はすべての国家機関を使って、法輪功に濡れ衣を着せ、迫害し、中国の民衆は共産党の宣伝機関に騙されたため、10年前から、黄さんは毎日真相の手紙を書き、資料を送り、中国本土の民衆に法輪大法は素晴らしく、法輪功はすでに世界の100以上の国々で広く伝えられ、1億人以上の人が心身ともに受けていることを伝えました。また、天安門の焼身自殺も、法輪功を誹謗中傷するための自作自演だと伝え、さらに、「真相を理解して、初めて天災や人災から逃れることができ、平安を守ることができる」と伝えています。これまで10数年間、一度も中断したことはありません。

 2006年、生きたまま法輪功学習者の臓器を摘出するという、中国共産党の犯罪行為が海外で暴露されました。共産党の悪行を制止するため、2012年に台湾では、「迫害を制止する署名運動」が展開されました。黄さんもその活動に参加して、精力的に駅や人が集まる場所に行って、署名を集めました。彼は、「多くの人は私の穏やかな顔を見て、喜んで私に近づき、真相を聞き、真相資料を求めてきます。真相を知った多くの人は皆、中国共産党の法輪功学習者の臓器を摘出して、暴利を貪る悪行を厳しく非難しました。時には、1時間か2時間の間に、100人以上の署名を集めることができました」と言いました。

 大法を修め、災難を回避した

 5、6年前のある夏の朝、黄さんは成功大学の榕樹園に、週1回集団煉功と集団学法へ参加しに行きました。帰りの時、突然雷を伴ったにわか雨が降りだしました。黄さんがバイクで帰宅する途中、長栄道路から東寧道路に上がる交差点で信号を待っていた時、突然、道端の1本の大きな木が倒れ、彼ともう1人の通行人が下敷きになりました。その時、彼はすぐに、「法輪大法は素晴らしい。師父、私を助けてください」と念じました。黄さんは、「この時、救急車が来て、私ともう1人の通行人を成功大学の大学病院の救急室に運びました。検査をした結果、たいした怪我が無かったことが分かりました。師父が守ってくださったのです。実は同じ日に、林森道路でも、木が倒れて、1人が下敷きになって死亡しました。そのニュースは翌日の新聞で報道されました」と言いました。

 黄さんは感激して、「これは私が大法を修煉していることで、災いが転じて福となったのです。何度も命を救ってくださった師父のご恩に感謝します。師の恩は広大です。今、私の生命のもっとも重要な課題は、毎日法を学び、煉功し、真相を伝え、直実に修め、それをもって師父のご恩に報うことです」と言いました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/2/15/304614.html)
 
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