【明慧日本2015年3月24日】新年を迎えるにあたって、私は師父のご恩に感謝し、敬意をもってお礼申し上げます。
一年前、私は麻薬を吸っていました。師父の慈悲、大法の威力が私を魔洞の深くから掬い上げ、私の家族も救ってくださったのです。そして、私に健康な体と幸せな家庭、素晴らしい未来を下さいました。
麻薬を吸った人がその後どうなるかは誰もが知っていることで、言うまでもありません。一日千里で滑り落ち、最後には苦痛を伴い、最悪の境地に陥ります。自分でそこから抜け出す事はできず、振り返るチャンスさえありません。家庭が崩壊し、社会に見捨てられ、親戚たちもどうしようもなく、一時の安逸をむさぼっていました。私はまるで霊体のように漂い、もともとの全てからかけ離れ、私は他の人が見えるのに、他の人は私が見えないようです。まさに二つの世界のようです。
私は1960年代に生まれ、もうすぐ50歳になります。私の人生の大半を伴って来たのは「毒」です。吸ってはやめ、やめてはまた吸い、労働教養所、牢屋に入っては出て、出ては入り、いつになったら終わりが来るのかと考えたことはありますし、努力もしました。父母、姉妹、妻子、子供たちも私のためにたくさん尽くしてくれました。朝から晩までの看護、耳に痛いがためになる忠告、経済的・精神的な支持があったにもかかわらず、どれも私を連れ戻す事はできませんでした。私の生命はどこへいくべきなのでしょうか? 私には分かりませんし、考えたくもありませんでした。方向もなく主張もありません。この20年近くの間、私は帰ってくる道を探し出せませんでした。あまりにも深く堕落したのです。 私はその勢いを食い止める事ができませんでした。
2014年の初めの頃、麻薬使用と窃盗で裁判された私は、牢屋から出たばかりで、また不運にも「毒の魔の手」に遭いました。私がずっとそれを追及していたのか、それともそれが私を離さないのか、どっちにしても結局私はまた麻薬を吸い始めました。毒物はまたもや私に全てを忘れさせ、死神に近づけさせました。
この時、私は幸いにも法輪大法に出会いました。事実を言うと、私は毒にはまっている状態で『轉法輪』を読み始めたのです。初めのうちは、私の母と妹が私を連れて読んでいました。毎日読み、午前、昼、午後、夜に分けて大法の書籍を読みました。たった3、4日のうちに、驚くべき事が起きました。基本的に麻薬の替わりの薬物は使っておらず、禁断症状も非常に小さく、何の感覚もないと言ってもよいでしょう。5日目になると、私は替わりの薬物をゴミ袋へ入れました。その日から今日まで、私は一度も毒物に手をつける事はありませんでした。これほど順調で簡単なのです!
あなたは信じますか? 私は自分自身でも信じられません。麻薬中毒者にとって、「麻薬をやめる」という事はどのような概念でしょうか? 他の人は分からないかもしれませんが、私にははっきり分かります。それは地獄なみの恐ろしさで、一万匹の蟻が骨を噛んでいるような感じです。世界各国のどれほどの専門家、医者が一生をかけて研究したにも関わらず、麻薬中毒者が麻薬をやめるのに負担をかけない方法は未だに発見されていません。しかし、私が法輪大法を修煉してから、5日で麻薬の習慣がなくなり、しかも全然苦しみを感じない状態ででした。これまでの20年と修煉してからの5日、これは雲泥の差です。法輪大法とはこのように不思議なのです!
師父は私を救ってくださり、大法が私の全てを変えてくださいました。私はそれによって、新しい信念と思想が生まれました。今になって私には真に感覚があります。昔の事をわざわざ思い出そうとしても、まるで全てを忘れたかのようです。麻薬を吸っていた感覚と以前の情景は全てなくなったかのようで、一度も頭に浮かんでくることはなく、特に私は自信が生じ、全てが変わりました。私はよく大法の書籍を読み、私もだんだん自分のことがよく分かるようになり、自分の現在と将来も見極めるようになりました。
もう一度、師父に向かってお礼を言います。「師父の大きな慈悲心が私を麻薬中毒者から本当の人間に変わらせてくださいました! 今後の日々の中で私は必ずたくさん学法し、自分を修煉し、自分を高め、精進を絶やさないようにします」