明慧法会|修煉して大法の威力を目にした(一)
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 文/湖北省の大法弟子

 【明慧日本2015年9月11日】私は60歳を過ぎた法輪功修煉者です。1998年3月初めに修煉を始めました。

 絶望した私は夫にお寺に連れて行ってもらおうと思った

 1975年正月、私が子供を産んだ次の日は大荒れの天気でした。私はおむつを一抱え持って近くの池まで洗いに行きました。おむつを洗い終わって戻ると、氷室に入ったかのように悪寒がひどくなりました。それ以後、いつも寒さを恐れるようになりました。風に当たったりしたらひとたまりもなく、冷水に触れることもできなくなりました。暑い日には、夫は服を脱いで扇風機に当たっているのに、私は長袖の上着とズボンをはいて、さらに子供用の掛布団までかけていました。医者は検査をしてリューマチだと言いました。一通りの治療が終わるとまた別の治療が始まり、注射を打ち、薬を飲みましたが、それでもよくなりませんでした。その後さらに、座骨神経痛で体中が痛くなり、麻痺も起こりました。そのうちに注射をしなければ何もできない状態になり、病気は徐々に悪化していきました。

 20数年の間、私はほとんど毎日薬を飲み、注射をしていたので、病院の先生や看護師は皆、私のことを知っていました。私は年が若いのに、おばあさんたちと一緒に、治療のために大きいお寺や小さいお寺などどこへでも行きました。お寺に着くと必死になって拝みました。あんま、ストレッチ、気功など何でも試し、お金もたくさん使いましたが、病気は一向によくなりませんでした。時間が経つにつれ、夫は渋い顔をし始め、いつも皮肉たっぷりに冷ややかな言葉をかけてくるようになりました。夫はいつも仕事で外に出ているので、私は家で1人で2人の子供を苦労して育て、さらに農作業もやらなければならなかったのです。当時を思い出すと今でも涙が流れてきます。

 このような状態が1997年まで続いたとき、ある親戚が私に法輪功を学ぶように勧めてくれました。しかし「真・善・忍」に基づいて行動しなければならないと言うので、私は「自分は怒りっぽい性格なので、とうていできないだろう。無視してもいい」と思いました。

 1997年の旧正月の時、検査で腎臓炎が見つかりました。全身がむくみ、排尿するのも困難になって、1998年2月に病院で検査した結果、肝臓に大きな腫瘍が見つかりました。街のガンセンターで診察を受け、1万元の保証金を払って手術をしました。何年もの間にいろいろな所で借金をしました。子供はまだ修学中です。私は意気消沈し、死後の始末をしたい気持ちを抱きながら「子供の学費を私の治療に使ったことを夫にきちんと謝罪して、夫に頼んで近くのお寺に連れて行ってもらおう。もう二度と私に関わらなくてもいいように」と思いました。

 「師父は本当にいらっしゃった!」

 なんと、夫は本当に私をお寺に送ろうとしました。お寺に行く途中で、大法を学んでいるあの親戚にばったり会い、私の様子を見て心配そうに尋ねてくれました。私は事情を話しながらまた涙が流れて来ました。すると親戚は「すぐに戻って、私と一緒に法輪功を学びましょう」と言いました。私たちは一緒に親戚の家に行き、動作を学びました。親戚が動作を教えてくれた時、私は思わず立ち上がりました。それまでは立つことすらできなかったのです。私はその時不思議に感じ、家に帰ってから座禅をしました。

 修煉を始めて5日あまり経った頃のことです。師父の法身が空中から下りて来られました。その後また空中へ昇って行かれました。私は煉功中に、師父の髪は青いウェーブヘアで、黄色い袈裟を着ていらっしゃったのを見ました。しかし私はどういうことなのか、まったくわかりませんでした。

 煉功を始めて10日ほど経ったある日、私は応接間のソファーで横になっていました。半ば眠っている状態の時に、空中で大きな法輪が金色に輝きました。非常にきれいな色で、大極図の目が瞬き、私の目の前でくるくる回っているのを見ました。しかし、いままでそのような光景を見たことがなかったので、怖くなって手で目隠しをして法輪を見るのを止めました。その後、近くに住んでいる同修が私を煉功点へ連れて行きました。中に入ると師父のお写真と卍符が目に入りました。私は驚いてすぐに合掌し、以前お目にかかったのは師父だったと分かりました。「この方はまさしく師父だ! 師父は本当にいらっしゃったのだ!」と思いました。

 その頃、私は薬を飲むことを止められず、「こんなに高い薬を捨てるなんてもったいない。最後まで煎じて飲まなければ。今回の薬を飲み終わったらもう買うのを止めよう」と思いました。しかし何ということでしょうか、薬を飲んだ途端、全身がたちまち冷え切ってしまい、言葉も出せず、座ったまま動けなくなってしまいました。その時、師父の法身が私の前に来られて、正面から厳粛な表情で私をご覧になりました。傍らには金色に輝く一層一層の美しい蓮の花が空中に向かって昇っていました。私はすぐに理解しました。大きく深呼吸をすると、体が落ち着いて来たので薬を全部捨てました。それ以後、体はどんどん良くなりました。3カ月あまり経って、私は床を離れて農作業ができるようになりました。近所の人たちは皆驚き、そして、法輪功の素晴らしさを知りました。

 その頃、私は毎日師父の法身が私のそばにいらっしゃるのを見ました。自転車に乗っている時は自分が馬に乗っているのが見え、師父は私を山へお連れくださり、下山後、馬を下りるとすぐに自分が自転車に乗っているのが見えました。歩いている時は、自分が舟の上に立っているのが見え、師父の法身は私のそばで舟をこぐのを手伝ってくださいました。私は本当に師父がいつでも弟子を守ってくださっていることを知りました。ある日、寝ている時、私の体の背面と前面にたくさんの法輪があり、師父が私を持ち上げて体を清めてくださっているのを見ました。修煉を始めてから半年、私の体の病気から来る苦痛の症状はいつの間にかなくなっていました。私は再び自分で生活できるようになり、おしゃべりも飛び跳ねることもでき、身も心も楽になりました。これは大法が第二の人生を与えてくださったおかげでした。

 「テレビを抱えて捨てた!」

 1999年7月20日午後、テレビで大法が無実の罪に陥れられているのを見て、私は慌てて「どうしよう、煉功してはいけないなんて、それなら私は死ぬしかない」と言いました。私は娘を呼び、テレビを抱えて捨てさせ、テレビの音さえ聞きたくありませんでした。娘が「お母さん、これは全国放送で、家のテレビを捨てても、他の人の家にはまだテレビがあるんじゃないの?」と言いました。私は正気に戻りましたが、食事も受け付けなくなりました。

 次の日、大隊の書記が3人の警官を連れて私の家にやって来て「あなたは法輪功を学んでいますね。今から煉功はさせませんから」と言いました。私は「煉功できないなら死ぬしかありません。私が大病を患っていたことは有名です。やっと煉功して良くなったのに、煉功しちゃダメなんて。それなら家の仕事は誰がやればいいんですか?」と言いました。書記たちは黙って聞いていましたが「それならあなたは家の中で煉功すればいい。それから写真は私が引き裂きます。それと、本を全部私に寄越してください」とまた言いました。私は「動かないで! それから、私に手を上げないでください! 写真は私が自分で片付けます。それから、私は字が読めないので、本は持っていません」と言いました。

 次の日、書記たちがまたやって来たので、私は「二度と私の家に来ないで! あなたがたは来る必要がありません。私は何が正しくて何が間違っているのかをよくわかっています」と怒りました。書記たちは一言も話さずに帰って行きました。3日目の夜、大隊の書記が私の家にやって来て私にサインするよう求めて来たので、私は「私は字が書けません、夜中に来て戸を叩くなんて、早く帰ってください」と言いました。

 「私の事は師父が見守ってくださっている」

 2004年のある日の晩、近くにいる親戚の家に着いた時、親戚の家の犬にかまれました。強くかまれたために、肉が引き裂かれ、ズボンも破れ、足が腫れあがりました。息子がたくさんの親戚を呼んで私を注射しに連れて行こうとしたので、私は「注射しに行きません。以前、あんなにたくさん病気があったのに、師父が体を浄化してくださったので、犬にかまれたってどうってことはありません。もしあなたたちが私を注射しにつれて行ったら、あなたたちはもう私には会えなくなるでしょう」と言いました。夜、私は痛くてたまらなくなった時、暗記した法を念じ続けていると、そのうちだんだんと良くなってきました。

 ある時、1歳の孫が病気になり、病院に行って注射をしなければならなくなりました。息子は私を病院に行かせたがらなかったのですが、やはり一緒に病院に行きました。病院でエスカレーターに乗っている時、足を踏み外し、エスカレーターの下の方まで滑り落ちました。周りの人がみんな驚いて私を見ました。私が後向きになってしまった足を前に戻そうとした時「パキッ」と音が鳴るのが聞こえました。それは枝が引きちぎられたかのような音で、私の膝の関節が脱臼し、関節の骨が大きく突き出てしまいました。

 私はすぐに正念を発して黒い手の卑しい鬼を解体し「私は大法弟子です。私の事は師父が見守ってくださっています。ですから、このようなことを私に対してすることは許されません」と念じました。「早くしないと、転げ落ちてしまうぞ、早く・・・」と、周りの人が騒ぎ立てていました。私は「転げ落ちたりしません。私は立ち上がらなければならず、煉功、座禅、発正念、それに、人を救わなければならない」と思いました。エスカレーターで下まで降りた後、ゆっくりと立ち上がり、足を引きずりながらロビーの長椅子まで移動して正念を発し、同時に周りにいた人たちに真相を伝えました。

 家に帰ってからも足がとても痛く、子供は私を病院に連れて行こうとしましたが、私は「何でもないよ。行く必要はない。お母さんのことは師父が見守ってくださっていることを思い出してください。大法を修めているのですから、何でもありません。このようにしているだけで私に正のエネルギーが与えられ、師父が私を助けてくださっているのです」と言いました。

 その後、私は家族の前ではにこにこして何事もなかったようなふりをしていました。しかし家族にわからないように音をたてずにゆっくりと這いながら階段を上がりました。足が痛いために歩いて階段を上がれず、這うことしかできなかったのですが、師父のお写真に線香を立てました。私は師父のお写真の前で涙を流し、意気地のない自分を後悔しました。孫に対する情に執着があり、法も少ししか学んでおらず、修煉もうまくできておらず、師父のご加護に対して申し訳のないことをしてしまったと思いました。私は毎日、続けて発正念し、暗記した法を念じました。すると4日過ぎて足はよくなりました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/9/281644.html)
 
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