明慧法会|率先して行い黙って協力する
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 文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2015年12月26日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 偉大なる師父のご慈悲の下、風雲の変化の激しい正法修煉の道を16年間歩んで来ました。中国という環境下では協調人の責任と使命は本当に重要である、と心から悟りました。うまく協調し、連絡し、人を招集する役割を果たす勇気を持つと同時に、いつも自分をしっかり修めなければならず、そうでなければ、自分自身を証明しようとする心が強くなります。同修の自分への依存心と自分への崇拝心を容易に招くことになります。こういうことになってしまえば、同修が自分自身の道を歩むことに影響するばかりでなく、邪悪に隙を突かれます。さらには、自分の修煉にも面倒なことをもたらします。

 2回の深刻な教訓

 2年前、私の周りにいくつかの事件が起こりました。私は非常に困惑し、同修たちが私を頼っていることがはっきりとわかりましたが、私がどんなことをしてもどうにもなりませんでした。その後、私の心を動かしたこの二つの出来事が、正しい道を歩まなければならない、と悟らせたのでした。

 ある時、地方の同修が私の地区と交流をしにやって来ました。その地方の地区の協調人は恐れる心がとても強く、互いに嫉妬しているために、自分を修めることができずにいました。ここ何年か、中国共産党が警察を動かし、パトカーや警官をよこしました。さらには、隣の家が私を監視し、スパイを派遣して監視するという状況下にあっても、いかなる旧勢力の按排をも否定し、大きな気持ちを持って協調の仕事をうまく行ってきた体験を、思う存分話しました。中国共産党が作り出した虚像に惑わされず、私たちの歩む道は師父が按排なさったものだと信じて、周りにいる各種の状態にある同修に寛大に応対する、これこそが協調をうまく行うことの基礎である、ということを同修に悟ってほしいというのが本心でした。

 しかし、私の発言が終わるや否や、地方の同修は「私が聞きたいのは、あなたたちの地区はうまくいっているのに、どうして私たちの地区はうまくいかないのか、ということです。あなたの発言を聞いてよくわかりましたが、私たちに欠けているのはあなたのような協調人だ、ということですよね」と言いました。同修の話を聞いて、この時、私には二つの感覚がありました。一つは嬉しさを感じたものの、結局のところ同修の同意を得たのだ、というものでした。もう一つはとてもやりきれない感覚でした。のどに何かが詰まっているように感じ、のどがつまって息もできないほどでした。私がまた話し出すのを同修が待っているのを見ても、何も言い出せませんでした。

 同修が帰った後、私は自分の発言を反省してみました。師父の法理の悟りの下で、私はようやく「これは師父が同修の口を借りて私を悟らせたのではないか?」と理解しました。私の発言は私自身を証明していただけだったので、同修はこのような感覚を持ったのでしょう。もし私が大法を実証する立場に立っていれば、同修はきっと「私たちはやはり心を静めて学法しなければならず、私たちはうまくやらなければなりません」と言ったでしょう。なぜなら師父は「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[1]と説かれたからです。

 さらにもう一つの出来事は、私たちの地区の中国共産党の刑務所で、不当に拘禁されていた大法弟子が拷問により信仰を放棄し、3名の大法弟子が相次ぎ迫害によって死に至ったことです。みんなで一緒に交流し「この事を機会に迫害を指摘し、真相を広く伝え衆生を救わなければならない」とみんなの考えが一致しました。協調人は手分けして、迫害により死に至った3名の大法弟子の家族に真相を伝えました。

 私は以前から同修たちの私への依存心を感じていたため、今回、私は具体的には何のプロジェクトも引き受けませんでした。ある家族はみな常人で、迫害により死に至ったある大法弟子の兄は、ある組織の党委員会書記でした。同修たちが何度行っても真相を伝えきれませんでした。その人の姉を誘い出すことができたので、何人かの協調人の同修は口をそろえて「あなたが真相を伝えに行くべきだ」と言いました。その時、私はこれもやはり依存心だと思いましたが、みんなが私を行かせようとしたので、私は協力することにしました。その姉と会った後、私は真相を伝え始め、最後にこの家族は「私たちは会うのが遅すぎました。もし早くからあなたたちに会っていれば、このような受け身の立場に立つことはなかったでしょう」と言いました。その姉は自分から「他の家族、特に迫害により死に至った同修の兄に私たちが真相を伝えるべきだ」と言い出しました。さらに彼女は「私たちとの連絡方法を確立し、連絡場所を選定すべきだ」と言いました。

 家族が言い終わるか終らないうちに、一人の協調人の同修が私を見ながら「あなたの家の近くで連絡場所を探しましょう」と言いました。家族が帰った後、私は「私たちは手分けして行うべきだ。あなたはどうしてまた私に依存し始めるのだ」と言いました。その協調人の同修は興奮して「私は依存しているわけではありません。私はあなたのようにうまくできないし、経験もないし、うまく話せません。もし私ができるのであれば、他の人に頼んだりしません」と言いました。同修が言い終わると、私は内に向けて探さずに「あなたはやはり依存していないというんですね?実際、あなたの依存心はすでに習慣になっていて、依存していることにすら気づかないのですよ。弁護士に頼むことはもちろん、家族に真相を話すことにしても、あなたは他の人に依存するなどと言ってはなりません。なぜかというと、私は他の人の体験を参考にしたくても、参考にできるものはまったくなしに今までやってきました。あなたたちは私たちの体験と教訓を参考にできます。やろうとしなければ永遠にできず、永遠に依存してくるだけです」と言いました。

 このように話し終えると、私の心はつらくなりました。なぜなら修煉者はどんなことに遭遇しても自分に向けて探さなければならないからです。家に帰ってから内に向けて探し、たった今起こった出来事について反省しました。同修の依存心は、私がうまく行わなかったためにひきおこされたものであり、私が協調をとれるように指導してくださった法理について、みんなとうまく交流できていませんでした。つまり、同修が見ていたものは、今回の件を私がうまく行った、だから同修は私に能力があると思った、ということでした。さらに、私は同修の心性を信任しておらず、何か事が起こるたびに非常にあせり、早く仕事をしたい心が起こり、速く仕事を終わらせたいと思っていました。さらに「自分ならできる」と思う心が生まれ、こうなると、さらに多くの同修に対して、鍛錬する機会を奪ってしまっていたのでした。

 この2年間、「自分自身を証明しようとする心」を取り除くことに重点を置き、自分を同修の中に置き、あらゆる角度から自分を探し、できるだけ多くの不足を補うようにしてきました。わずかですが、二つほど例を挙げます。

 私が参加しない交流会は成功か失敗か?

 周辺の市と県にまでまたがった地区の洗脳班に関するプロジェクトは解体しました。この件に関して、同修たちはみな異なった認識を持っていたので、協力がうまくいかず、この地区のことに関して、協調人の同修が参加する交流会を開くべきだと、ある同修が提案しました。

 過去にもこのような交流会があり、私は必ず参加していました。今回の交流会に関して、交流会の推進役の同修に参加しないことを告げると、この協調人の同修はどうしても同意せず、同意しない多くの理由を話しました。例えば「私たちの市で行われる交流にあなたが参加しない理由は、あなたへの依存心を同修に起こさせないことだ、ということは理解できます。しかし、周辺の地区から昔からの協調人が来ますから、あなたが参加しないわけにはいきません」と話しました。私はこの同修の話には影響されず「私たちが実証しているのは大法です。交流会では互いに協力するうえでの同修の心のしこりを解決するために、周りにいる同修に胸中を吐露してもらいます。そして法の上で交流し、他人の能力に頼らないように周りにいる同修を説得しなければなりません。周りにいる同修は私に対して固定観念があります。もし私が参加したら同修の発言に影響してしまうかもしれません」と話しました。その日、その同修と夜中まで交流し、その同修はやっと私の不参加に同意してくれました

 交流会が終わった後、同修たちの今回の交流会に対しての評価はまちまちでした。ある同修は「交流会の場全体が不正な考えによって主導されていた」と言いました。いくつかの地区の同修は消極的な意見を言いました。さらにある同修は「もしあなたが参加していたら、絶対このようにはならなかった」と言いました。これらの同修の話を聞いて、内に向けて探しました。数年前からの私の闘争心、負けん気、自分自身を証明しようとする心がもたらしたものだとわかりました。この地区も私の負けん気に影響を受け、いつも他の地区の同修を自分たちに協力させようとしていました。そこで、私は一歩進んで同修と交流しました。周りの同修が協力しないのは、この数年来の迫害の中で形成されたマイナス思考により、前へ踏み出すことができなくなったためだ、ということを同修は認識しました。たとえば中国共産党の独断専行と同じように、私たちが悟った理を基準として他の人を説得しても、同修は協力するかもしれませんが、それは心の底からの協力ではなく、形だけの協力になっていたのです。ですから、この交流会では腹を割って話し、少なくとも、みんなが心を開いて自分の考えを言い表すことができ、さらに一歩深く交流し、全体の協力のために基礎を打ち立てなければならないのです。

 今回の交流を通じて、同修はみな自分がどれだけの差がついてしまっているのかを見つけました。ある同修は「師がいて、法もあるのですからそれで十分で、私たちのそばに師父がいらっしゃることを私たちは信じるべきです。道をどのように歩むべきかは、師父がすでに下地をお作りになっていらっしゃるのですから、私たちはただ法の教えに基づいて行えばそれでいいのです」と言いました。交流会がうまく開けたかどうかは、認識を統一できたかどうかを基準にして決めることではない、ということでした。

 今回の交流の後、同修が私への依存心を大きく放下しただけでなく、私自身も自分自身を証明しようとする心を大きく取り除きました。それは結果として、物事の表面的な事実だけに影響されないようになりました。同修も不足を補いながらよく行えるように協力できるようになりました。

 同修を救出する中でどのように自分の位置を配置するか

 私たちが正道を歩んでいる時、師父が私たちを助けてくださっていることを、私はさらに確信しました。

 洗脳班を解体しようとしていた時、同時に何名かの同修が不当に連行されて迫害を受けました。その中の一人は高齢の協調人でした。その知らせを聞いた後、私の気持ちは晴れなくなりました。以前なら、このような事が起こった時、私はすべてを一気に引き受けました。同修と交流することから始まり、迫害を受けた同修の家族に真相を伝え、弁護士を頼み、弁護士を迎えて弁護士に真相を伝えることまで行いました。さらに、弁護士を招いて私の家に住まわせました。法を実証することはみんなで行うべきことであり、衆生を救い済度することは全体で協力して行うべきです。各々が使命と責任を持っていることがわかった後、私はより多く同修と交流し、より多くの同修により良く行い成長する機会を与えるようにしてきました。しかし今回は私たちと長年協力してきた協調人が迫害されたのであり、この件に関しては私にも責任の一端があります。それでは、私はどのように自分の位置を配置すべきなのだろうと迷いました。

 この時、迫害に遭った協調人の同修の妹が私に会いに来ました。同修の救出過程における苦しい心の変化を泣きながら訴えて「以前はあなたがどう思い、どう行おうが私は構いませんでしたが、今回は私の姉が迫害に遭いました。だからあなたは指導や実行をすべきです」と何度も言いました。この時、私は本当に「安心してください、必ず全力を尽くして救出してみせます」と、二つ返事でこたえたかったのです。しかし、このようにしてしまっては、また以前のやり方を繰り返すことになってしまうので、私の心の迷いが絶えることはありませんでした。

 この重大な瀬戸際の時に「真心为别人好(心から相手を思い)」[2]と、師父は私に悟らせてくださいました。特に「真心(心から)」の二文字は、本当に私の心を打ちました。私は「これは同修の妹を含め、多くの同修が今の状態から抜け出し、互いに協力するための良い機会である」と心の中ですぐに理解しました。もし私が同修の妹の情に心を動かされ、みんなを率いて行動してしまえば、同修がよりよく行う機会をはく奪するばかりでなく、衆生を救い済度し、同修を救出することについても良い結果は得られないでしょう。まだ放下しきれていない情とメンツが私の口を開かせようとはしませんでしたが、私は人心と情を放下しなければならず、そのようにしてはじめて、行ったすべてのことが神聖なものとなるのです。そこで、私が悟ったこの理について、私は同修の妹と交流しました。同修の妹は完全には受け入れてくれませんでしたが、それは、私の心がまだ十分に純粋になりきれていないためだ、ということがわかりました。

 その後、不当に連行された数人の同修を救出し、衆生を救い済度する過程において、不足を補い黙って協力することに私は自分の位置を置き、この1年余り歩んで来ました。私がうれしく思ったことは、多くの同修が成長し、私に依存しなくなっただけでなく、協調人の同修にも依存することがなくなったことでした。

 同修がもう私に依存しなくなった今、時に私は寂しい気持ちに襲われました。しかしこれは、自分自身を証明しようとする心がまだ残っているためだということを、はっきりと理解していました。今後、私が全体のことを考え、他人のことを考え、法のために責任を負い、衆生のために責任を負うならば、黙って協力し不足を補うことに自分の位置を配置することになるでしょう。これで師父がきっとお喜びになるだろうと思います。

 ありがとうございます、師父!

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」

 [2] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/10/318646.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/11/11/153620.html)
 
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