明慧法会|協調人としての辛さと楽しさ
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文/中国・山東省の大法弟子 

 【明慧日本2015年12月31日】本人が口述し 同修が整理し、筆記する

 慈悲深く、偉大なる師父、こんにちは!

 全世界の同修の皆さん、こんにちは!

 私は1996年に法輪大法を学び始めました。生まれつき熱心な性格なため、中国共産党による迫害の困難で紆余曲折の日々の中、多くの同修が私を探し求め、そうこうするうちに、この地区の協調人になりました。この数年間、同修と協調して迫害に反対し、衆生を救う中で経験を積み、楽しさもあれば辛さもありましたが、以下は、同修と協調して法を実証した体験談です。

 一、全体を気にかけ 内に向けて探し、学法して執着を取り除く

 私が住んでいる街には、大法を学ぶ修煉者が比較的多く、同修たちと協調して衆生を救い済度し法を実証する中で、終始全体の観念を強め、努力して同修たちと協調し、全体に溶け込んでいきました。その過程で、常に心性の関に直面し、そのいくつかはとても大きな関でした。

 ある時、同修と協調していた時、大きなショックを受けました。その同修は「7.20」後に修煉を始めた技術担当者でした。技術のことに関して、いつもこの同修に連絡していました。ある時、その同修が、もう協力しない、と言い出し、技術に関する多くのことで、私はその同修を必要としていました。勇気を奮って家に行った時、「もう協力しないとはっきり言ったのに、なんでまたしつこく来たんですか?!」と頭ごなしに言われるとは思ってもいませんでした。

 出鼻をくじかれた私は黙ってしまい、まさかこのような言われ方をするとは思ってもみませんでした。心の中がムカムカし、いったい私のどこが「しつこい」のか? 負けず嫌いな性格ですが、物事の良し悪しはわかっているつもりです。この時、どのように同修の家を出て行ったのかさえ分からず、自分が大きなショックを受け、なぜあんなことを言われたのか、その理由がトント分かりませんでした。

 家に帰った後、無気力にベッドに横たわり、内に向けて探せばよいのに、どうしても気持ちが静まりません。私はだれのために何をやっているのですか? 大法のために同修に会いに行ったのでは? 「何事も内に向けて探すべきであり、外に向けて探せば邪道を歩むことになる」と自分に言い聞かせました。この思い乱れる心を放下すために、師父の詩「修煉する人 自らの過ちを探し 各種の人心取り去ること多し 大なる関小なる関、落さんと想ふべからず 正しきは彼 過ちは私 何を争ふものか」[2]を何度も何度も暗唱しました。だんだんと、この思い乱れる心を抑えられるようになり、続けて私は体面を気にする心や褒められたい心を探し出し、さらに探していくと、自分が相手の立場に身を置いて考えておらず、受け入れ能力を考慮しておらず、慈悲をもって向かい合っていなかったことに気づき、これらのことを見つけ出してから、はね起き、正念を発してこれらの良くないものを解体し、同時に、同修の空間場まで入り込み、同修の恐れる物質を清め解体しました。

 自分のこの観念が一変すると、同修も変わり、自分の方から会いに来て、再び全体のプロジェクトの中で緊密に協力し合うようになりました。

 同修と協力する中で、心性の高い同修や心性の低い同修に出会いました。お互いの間で、まだ取り除かれていない常人の心があったため、協力する時にトラブルが起こることがありました。例えば、農村へ行ってパンフレットを配っていた時、農家の玄関がしっかりと閉まっていたため、同修はあっさりとパンフレットを農家の玄関口に置いてきました。このことで、一緒にパンフレットを配っていた他の同修と言い争いを始めました。さらに、皆が一心に横断幕を掛けようとしたその時に、その同修が突然気忙しく音を上げたため、横断幕がねじれました。何回か同じことがあり、同修たちは協力しなくなりました。

 私はよく考えた結果、その同修はこのプロジェクトには向いていないと思い、法を実証する他のプロジェクトに参加するようにやんわりと提案しました。しかし、その提案を同修たちの目の前で行ったために、かんかんに怒らせてしまいました。その時、私は怒らなかったけれども、同修が帰った後、心が乱れました。いつもその同修の面倒を見ており、何事においても先ず、その同修のことを考えていたにもかかわらず、結果、怒らせてしまいました。今になって突然みんなの前であのような話をしたら・・・考えれば考えるほど、配慮の足らない自分に腹が立ちました。突然自分が間違っていたことに気づき、これでは外に向かって探すことになり、邪道を歩むことになるのではないでしょうか?

 私はだんだんと平静さを取り戻し、自分の問題を見つけ出しました。この同修に対して好意を持っていたために、全体のプロジェクトに参加させることについて感情に頼って協調を行っており、本当にその同修のために、プロジェクトのために責任を負っていなかったのでした。その後、同修の特徴を活かしたものだけを選び、参加させるようにしました。

 ある日、隣の市の協調人が私の地区と交流するためにやって来ました。交流の前に聞いたのですが、隣の市の協調人はある若い同修をこの地区の協調人にしたがっている、ということでした。それを聞いて辛い気持ちになり、交流には参加しましたが、この協調人の話がすでに内定しているとは聞いておらず、依然として心は動揺していました。「こんなにもたくさんの協調の仕事をやって来たのに、それに対して、隣の市の協調人はこの地区の学習者でもないのに、誰それが協調人などと決める資格があるのか? 何の権利があって隣の市の者を協調人に定めるのか・・・」と、思いました。憤懣やるかたなくなり、この数年間協調人として行ってきた過程を振り返り、さらに不公平だという思いを強くしました。「協調を行うということは、口で言うほど簡単なことではないし、あのような若い同修がこの重大な任務にたえられるのか?どうやったら大法のために責任が負えるとのか? 協調人というのはできる人がなるべきであり、決められてなるべきではない・・・」と、思いました。自分にも修めなければならないとは思いましたが、どうしても気持ちは釈然とせず、静まりません。

 ちょうどある同修と出くわしたので、この事を打ち明けました。その同修は「たとえ誰が協調を行ったとしても、あなたは心のバランスを崩すに違いありません。それは、自分が協調人をやるべきである、という心が起きたからです。これではあなたが間違っていると言わざるを得ません。家に帰って学法し、人心を取り除いてください」と、言われました。

 同修の強烈な一言は「おお、なんと、協調人であるという心が災いしていたとは、これは名利を求める心ではないのか?」と、分かり、正念を発してこの良くない名利心を放下し、心を静めて学法しました。すると、師父が「大法は全宇宙のものであって、誰か微々たる個人のものではなく、仕事を誰が行なおうとも大法を広めているのです。あなたがしたとか、わたしがしたと言う必要があるのでしょうか? 皆さんはこの心を取り除かないまま天国へ持っていって佛と争うのでしょうか?」[4]と説かれた一節を見つけました。強烈な嫉妬心と闘争心が、心を静めて学法する中で自然に清められていきました。

 協調を行うという修煉の道はなかなか順調には行きませんでしたが、幸いにも、心性を向上させるような出来事に出くわしたときは、いつも全体を第一に置き、全体にとって有利になることを出発点として内に向けて探し、多く学法し、自分の空間場にいすわる、協力にとって不利となる生命と邪悪要素を取り除くことができました。また同時に、正念を発する時に特に「同修間にある隔たりを取り除き、この地区で漏れのない全体を形成する」という一念を加えました。この数年、同修と協調して行った大法の仕事は、実際その多くは同修たちが法理上で私心なく私を支え、心性を向上させ、協調を手伝ってくれたからこそ、全体で衆生を救い済度でき、大法を実証する仕事をよりよく行えたのです。

 今まで協調を行ってきた中で、時には多くの苦しみがあり、家族との関係を按排することについて考えてみても、迫害に反対しながらの修煉のために、何人かの同修は大法のことを重視するあまりに、家族の感情をおろそかにしてしまうのですが、家族のことに関しては私も同様だったので、深刻に受け止めました。たとえば、法に関することで同修が夜遅くやって来て、家族が病気で寝込んでいるのに、問答無用の口ぶりであれやこれやと急いでやらせました。時には本当に辛かったのですが、それを口にすることはできませんでした。もちろん、この方面において私にも修煉して取り除かなければならないものがあることがわかっており、私も同じように行ってきたので、今まで傷つけてきた同修に「すみません!」と謝らなければなりません。

 また、協調するに当たっては心性を修めることを忘れてしまいがちです。時には、協調をしなければならないために、学法や煉功をしても、いつも心が静かにならず、ああでもないこうでもないと考えてしまい、後になってそれが仕事に対する執着であったと気づくのです。学法を通じて、自分を正しただけではなく、半分の労力で二倍の効果を得る素晴らしい方法を会得し、もし善事をなしたいのであれば、まず心を静めて多く学法しなければならないのです。

 二、協調の仕事の中で超常さと楽しさを悟る

 1.刑務所の近くで正念を発する

 数年前、私の地区の同修が以前、何度も他の地区の刑務所の近くへ行き発正念していたのですが、一度ある事故に巻き込まれてから、その同修は二度と発正念しに行かなくなりました。去年から、刑務所の近くで発正念することの意義について、法に基づいてその同修と交流した結果、共通の認識をもつに至り、やはりがんばって他の地区にある刑務所の近くへ行って発正念するべきだという認識に至りました。その後、組織だって、何度も刑務所の近くで発正念をしました。

 これを始めたころは、刑務所の近くへ行く前の数週間前から交流して切磋琢磨し、周到に準備したのですが、最近では、2、3時間あれば、3、4台の車が自然に集まり、同修たちの全体意識はとても強まってきました。

 はじめて省城(訳注:省の行政機関所在地)にある刑務所の近くに行って発正念した時、師父が私たちのために多くの神の奇跡を顕現なされたことが深く記憶に残っています。刑務所へ行く途中で、1台の車に5人乗り、全員が同時に法輪と虹を見ました。また、正午ごろ、天目が開いている同修が刑務所が薄赤色になっているのを見ました。刑務所から帰る途中で、私たちの乗った3台の車が真紅のじゅうたんの上を疾走しているかのように同修は感じ、景色が非常に壮観で、しかも、普段は速度が時速70~80キロしか出ないマイクロバスが高速道路で突然時速120キロのスピードを出し、しかもそれだけのスピードが出ていながら車内はとても静かでした。戻った後、あまり教養のない同修が、今回参加した刑務所の近くからの発正念に参加したことついて、その参加前後の心の変化の過程を交流文章として書き、それをインターネットで発表しました。これらすべてのことは、この地区全体のプロジェクトに対する協力が特に順調だったからであり、たとえ何かあったとしても、同修たちが何か一言言えば、それで問題は解決しました。

 2.遠くの農村へ行き資料を配る

 ここ数年、私は同修を組織して遠くの農村へ行き資料を配り、横断幕を掲げることを始めましたが、それは遠くの農村では真相を伝えていなかったので、それを補うためでした。最初は、私たちの学法グループが真相を伝えるグループになり、車両と真相資料の手配を担当し、だいたいいつも2~3台の車で行き、1台の車に5~7人乗り、毎回、1000冊近いパンフレットと真相シール、及び大量の横断幕を携帯し、上から下まで、全方位に向けて横断幕を掲げ、真相シールを貼り、資料を配りました。

 今回、農村で真相資料を配り終えるとすぐ、次に行くべき場所を決め、それ以降、私たちは真相を伝えに行く場所を臨機応変に按排しました。毎回、細心の準備を行い、基本的な真相から法を正す進展に沿った内容の資料まで、一般人に受け入れられやすい「天から賜る幸福」から「周永康落马内幕(周永康が敗れた内幕)」や「江沢民告訴」などの専門的な内容のものまで、念入りに準備し、同時に、資料を作った各々の同修が正念を加持した資料で多くの人を救いに行ったのです。

 出発前に、師父に線香を差し上げると、師父は正念で私たちを加持してくださいました。私たちはいつも2人一組で回り、各々が数十枚の資料と真相シールをもち、無理に多く持ったりしないで、配り終わったらすぐに車へ戻り、資料を取ってから再び村で配りました。

 横断幕を掛けるのは専門の同修が行いました。車が目的地に到着すると、素早く車から下りて、目標を探して横断幕を掛けるのですが、2人一組で密接に協力し、たった数分で数メートル幅の横断幕を大木や電信柱にかけてしまいます。このことはよく覚えているのですが、「5.13」世界法輪大法デーの前夜、私たちは一晩で82枚の横断幕を掛けました。幅2.4メートル、高さ45センチの横断幕が風を受けてはためいているのを見ると、参加した同修はみな、心の底から師父に感謝を申し上げました! 疲労など、どこかに飛んでいきました。横断幕を掛け終って戻る途中でも、私たちは緩めずに正念を発し、横断幕を見た衆生がすぐにでも救われるよう加持しました。

 3.シルクスクリーン印刷でシールを製造する

 シルクスクリーン印刷の良いところは色あせず、しっかりしていて、貼りだした真相の内容が悪人によって簡単にはナイフなどで削り取られにくいことです。天地行論壇でシルクスクリーン印刷の技術指導が提供されていたので、大量にシルクスクリーン印刷で真相シールを作り始め、その後たまたま、大通りの分離帯やある特殊な服が光を反射していることに気づき、真相シールの中でこの技術を使えるかどうかよく考え、適量の蛍光粉を加えるだけでこの効果を得ることが分かりました。

 そこで、同修と共に蛍光粉の調合の分量を繰り返し実験し、30~40回の実験を経て、ついに調合に成功し、私は消耗品の購入に関して協調を取り始め、大量に製造し、市内の同修全てが使えるようにしました。

 シルクスクリーン印刷は時間がかかって骨が折れ、やってみると本当にそんなに簡単ではなく、まず印刷場所として平屋建ての家を選ばなければならず、というのも、印刷した後に庭に置いて日にあてなければならず、夏は日照時間が足りているので、私たちは毎日2千枚以上を作ることができましたが、冬は午前10時から午後2時までしか日にあてることができず、というのも、日照温度が足りていないからで、本当に難しいのです。このプロジェクトにおける製造過程もまた辛く、夏は太陽が出ている時間に外に出て日にあてなければならず、ずっと日にあて続け、それが終わると今度は休まずに取り込まなければならなかったからです。冬はストーブで温めなければならず、なぜならインクが凍ってしまうのを恐れたためでした。技術が成熟した後、私たちは実践に基づくこれらの経験を書いて天地行にフィードバックし、参考にしたり、使用したりできるように同修に提供しました。

 この数年来、私は同修と協力して法を実証し、衆生を救ってきましたが、最終的に悟ったことは、「法をよく学び、まじめに内に向けて探して、はじめて師が法を正すことのお手伝いをより良く行うことができ、衆生を救い済度することができる」ということでした。

 師父のご恩に感謝いたします!

 同修の皆さん、ありがとうございました!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法八』「米国首都での説法」

 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「誰が是誰が非」

 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「マンハッタン説法」

 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「さらに執着を取り除く」

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/10/318563.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/11/19/153733.html)
 
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