「これは、法輪功修煉者にしかできません」
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文/中國の大法弟子

 【明慧日本2015年12月31日】私は1998年に法輪功の修煉をはじめ、当時はまだ31歳でした。

 20代頃にかかったリューマチや関節ヘルニアなどに10年以上も苦しめられ、まだ35歳の若さで、医者に半身不随と診断された私でしたが、法輪功を修煉し始めて、たったの3カ月ですべての病が治り、18年間経ちましたが、あれ以来一度も病気にかかっていません。

 そして、法輪大法の要求通りに修煉していくことで道徳観も変わり、法輪大法の師父の教えによりすべての事に関し、まず相手の事を先に考えるようになりました。

 2007年の春、学校が始まったばかりの頃、担当しているクラスの生徒が休学しました。聞くところによると、彼の継母と喧嘩したというのです。何度もその生徒と両親とが互いの考えを話し合ったところ、生徒は復学しました。しかし、食事は自宅で、宿泊は私の家でということになり、私は彼に対して半分の責任を持つ保護者となったのです。

 私のクラスは来年、卒業するので、その準備などで忙しい日々を送っていました。家族の方も店を開いて商売をしているため、毎日が忙しく、預かっている生徒を気に掛ける余裕もありません。「苦労しても何の収穫もないし、却って恨まれたら損するよ」と同僚にさえ言われました。

 それでも、法理で自分自身に要求し、法輪大法から学んだことを用いて生徒を導き、彼の両親とも話し合いました。

 それから1か月後、生徒は継母と口を利くようになり、お互いの関係も緩和し、2か月が経った頃には、家事を手伝うようになりました。そして3か月後、ロシア語検定の高得点で県の有名な高校に受かったのです。

 法輪大法を修煉しているのでなければ、このような忙しい時期に大きな責任が伴うことを引き受けたりはしませんし、良い結果も生み出せなかったと思います。

 2008年の4月の事です。クラスの生徒の保護者が「畑を整備したり、稲を植えたりしなければならないため、子供の面倒を見ている余裕がありません。あと2か月で高校入試ですし、少しの間だけ先生の家で預かってもらえませんか?」と私を訪ねてきました。

 この時期は仕事が忙しいため、時には自分ですらご飯を食べる余裕がありません。このことを保護者に伝えたところ、「二週間だけで結構ですから」と言われたので、自分も法輪大法の弟子ですから、生徒を預かることにしました。

 しかし、農家の仕事がだんだん忙しくなり、気づけば、生徒は家で1カ月間も住み付いていました。保護者が生徒を引き取りに来たとき、「半月間と言ったのに1か月も預かっていただいて、お忙しい時に本当にすみませんでした」と申し訳なさそうに謝ってきました。「法輪功を修煉していなければ、恐らくこのようなことをしなかったでしょう」と伝えたところ、「法輪功は素晴らしいですね」と言われました。

 2012年にもこのようなことがありました。中学三年の時に私のクラスに来た寮生は、ネット喫茶に入りびたり、住みつく習慣があり、未だそれが治っていません。他の科目の先生からも悪い報告があったため、保護者は彼を厳しくしかりつけました。その後、保護者は家に帰りましたが、生徒は寮にある自分の荷物をまとめて駅に向かい、家出しようとしました。それを見た私は後を追い、駅で2時間ほど話し合ったところ涙をふき、「先生、寮に帰ります」と考えを改めてくれました。

 その後、このことを保護者に伝え、子供の教育についても色々話し会いました。このことで私に謝礼としてお金を渡そうとしましたが、断固として断りますと、「先生は他の先生たちと違います」と言われました。高校入試の結果が出た時、生徒は優秀な成績で県の有名な高校に合格しました。その後、保護者は子供を連れて、礼を言いに来ました。その時、家族がいたため、こっそりと500元を家のキッチン台に置き、帰ってから、「前は感謝の気持ちと買収の意もあってお金を渡そうとしたのですが、今回のは真心を込めたお金ですので、ぜひ受けとてください」と電話してきました。

 法輪大法を修煉しているのでなければ、このお金をもらうところでしたが、法輪大法を修煉しているため、例えそれが心を込めたお金でも、いただくわけにはいきません。3か月後、出張ついでに出張先の県の高校に通っている生徒にお金を全額返しました。

 彼にお金を渡すとき、「なぜお金を返しにくるんですか。僕の母が電話したんですか。ちょうどお金が足りなくて、昨日母に電話したんですよ」と笑っているのを見て、私は何も言わず、ただ微笑んでいました。これを見て「先生の携帯電話を見せてください。僕の母から電話がありませんでしたか」と疑うので、自分の携帯電話を出して連絡先をちらっと見せ、すぐポケットにしまいました。

 その後、その生徒の母から電話が来て、「王先生、なんていえばいいでしょうか。あなたのような人は法輪功を修煉する人の中にしかいませんし、法輪功修煉者にしかできません」と嗚咽(おえつ)しながら言われました。

 このようなことは法輪功修煉者たちの間では、ごく普通なことで、ありふれたことです。そして、私がしたことよりもさらに感動させられるようなことはたくさんあります。世界には「真・善・忍」が必要であり、法輪大法の恩恵が世界を潤(うるお)しているのです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/12/15/320400.html)
 
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