法輪功学習者の裁判官たちへの忠言
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 【明慧日本2016年1月10日】私は民衆に法輪大法が迫害されている真相を伝えたことにより、山東省の某女子刑務所に不当に拘禁されました。事情はよく分かりませんが、私が入れられた部屋には、数名の裁判官もいました。その中に、のちに私は姉と呼んでいた劉さんもいました。彼女は私が法輪功学習者であることを知ってから、慎重に、長い間悩んできて答えが得られなかった問題を聞いてきました。「なぜ、あなたたちと関係する案件に参与した市内の全ての裁判官は、不幸に遭ったのでしょうか?」と尋ね、私を凝視し、答えを待っていました。

 質問を聞いて、胸が詰まりました。以前、迫害に関わった市内の警官らは悪報に遭ったとは聞きましたが、これほど多くの裁判官たちも悪報に遭っているのを聞くのは初めてでした。しばらく考えてから、「理解されるかどうかは分かりませんが、私の考えを話してみます」と言うと、彼女は深く頷きました。

 「総じて言えば、善悪には報いがあります。これは天の理の表れで、誰もが善悪の報いという宇宙の規律から逃れることはできません。この天の理はわが中華民族の子々孫々まで伝わり、数千年経ちましたが、中国共産党の時代になって、全て否認されるようになりました。しかし、天の理は否認されることはありえません。人は良いことをすれば徳を積んで福報を得、悪いことをすれば業を造り悪報に遭います。裁判官としては、殺人犯や、放火犯、児童誘拐犯などの刑事犯罪者に対し、法に則て審判を下せば、社会の正義を果たすことであり、責務を全うすることになります。しかし、法輪大法は佛法で、宇宙の根本の大法です。法輪功学習者たちは宇宙の特性である「真・善・忍」に則て心を修め、良い人になろうとしています。このような人たちに対し、あなたたちは冤罪を下せば、邪悪に加担しているのではありませんか? その罪の重さは計り知れないものとなります。あなたたちは上層部からの圧力があるからとか、あるいは自分の職を失いたくないからなどの言い訳をするかもしれませんが、命より大事な職がありますか? 職を維持するために命を捨てることは賢明な選択ではないと思います。実際、法輪大法を真に守り、大法弟子を保護した人たちは、往々にして良い報いを絶えず受けています。逆に、法輪功学習者を迫害した人たちは悪報に遭ったり、刑務所に入れられたり、命を失った人も多くいます。しかも、彼らの悪行は、恐ろしいことに子々孫々に及ぶのです。これらの全てが分かっている法輪功学習者たちは、あなたたちをこんな悲惨な目に遭わせたくないのです。だから、私たちは自分の命をも顧みず、大法の真相を世の人々に伝えています」と天の理を話して聞かせました。

 すると、そばでそれを聞いていた劉さんは、その忠言(訳注:真心をもっていさめる言葉)を聞きながら、初めてその訳を知り、今まで自分たちがやってきた大きな過(あやま)ちに気づき、いつの間にか泣き崩れていました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/1/3/321758.html)
 
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