師父のお心に背かないように
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年1月15日】『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』の中で、師父はこう説かれました。

 「弟子:私たちは半数の中国人を救う時間がまだあるのでしょうか? 法を正すことがやってくる前に中共が解体してしまえば、脱党していない人はまだチャンスがあるのでしょうか?

 師父:もちろん、チャンスはありません。ですから、私は時間に限りがあると言ったのです。旧勢力も含めて、それらはそもそも皆さんにたくさんの人を救ってほしくありませんが、私は譲歩していないのです。さもなければ、それらは去年、終わりにしようとしていました。しかし、何人も残っていなければどうしますか? 世界は空っぽで、人類は大法のために輝かしい時期を切り開くのですが、誰もいなければ、どのように行うのでしょうか?」[1]

 また「終わっても何の意味があるのでしょうか? 法を正すことは人を救うためではありませんか? 私一人で去ってしまえば、何のために創世したのでしょうか? 先史での按排はすべて無駄になります。時間が先延ばされたのは皆さんのため、衆生のためなのです」[2]と説かれました。

 よく行っていない修煉者、とまだ救われていない衆生のため、師父は巨大な代価を支払って、終わる時間を延ばしてくださっています。しかし、この機会を大切にする大法弟子は何人いるのでしょうか? この事を『梅花詩』の作者・邵康節(しょうこうせつ)の話を、私に思い出させました。

 易学のマスターと言われる邵康節 は、『皇極経世書』(こうきょくけいせいしょ)というとても正確な占い方があります。それはさらに「数理」と「数術」に分けられます。その正確さを言いますと、商売の場合では、何年何月何日にいくら儲かるか、細かい金額まで分かります。受験生の場合は、何年何月何日に試験に受かるか、どの程度の成績かも分かるのです。

 しかし、邵康節は晩年になった時、『皇極経世書』を「数理」と「数術」に分けて、2人の弟子に別々に教えました。教え終えた後、一番目の弟子に「お前に教えたこの『数理』は『皇極経世書』の精神の部分になるので、必ず力を入れて覚えなさい」と言い付けました。二番目の弟子に教え終えた後、「お前に教えたこの『数理』は『皇極経世書』の精華になるので、必ず研究を重ね、その神髄を受け継いでくれ」と言い付けました。

 そして、邵康節は亡くなる直前、2人の弟子をそばに呼びました。2人の弟子は泣きながら、「先生が亡くなられたら、誰が私たちを指導してくださいますか? 私たちはどうやって学業を高め、難問を誰に聞けばいいのですか?」と聞きました。邵康節は「よく聞いてくれ。私が亡くなった後、お前たちは互いに助け合い、私を尊敬するように尊重し合いなさい。新しい悟りと心得があれば、早速相手に伝えなさい。言う通りにできれば、私がいる時よりも速く向上でき、易学を発揚し輝かしいものにすることができる。2人とも必ず師である私のこの話を覚えておきなさい!」と言い付けました。

 邵康節が亡くなって、2人の弟子はいつか先生のように、大きな才能を持ち、社会に大きく貢献したいと考えていました。しかし、それぞれ自分こそ師の秘伝を得たと思い込み、師の言い付けに背き、相手に内緒で別々に研究を始めました。互いに大事なことを何も言わず、表面の物だけを伝え合っていました。そして、歳月が流れていくにつれ、一番目の弟子はつい最近、「数理」から「数術」のものを悟りました。しかし、すでに晩年となり、しかも病気に悩まされていました。この時彼はやっと先生の言い付けを思い出し、ふと二番目の弟子は先生から「数術」を教わったのではないかと気づき、人をやって、二番目の弟子を呼び寄せました。話し合うと、本当に思う通りでしたので、2人とも後悔してもしきれず、涙が溢(あふ)れてきました。 

 彼らはやっと先生の言われたことを、言われた通りにやれば、易学をいっそう輝かせることができると信じるようになりました。しかし、彼らの度量の狭さで、共に向上できず、多くの時間を無駄にしてしまいました。それから、彼らは時間の許す限り、力を合わせて研究した末、やっと先生の『皇極経世書』を完全に残すことができました。

 今日の大法弟子の様子を見ると、まさに当時の邵康節の弟子たちのようです。それぞれ違う能力を持ち、協力し合うことによって、それぞれの特長や能力を最大限に発揮させれば、大法弟子の使命を一層よりよく果たすことができます。しかし、やはり人心の妨害で、よく協力し合えず、正念も修煉の威徳も足りないことで、多くの衆生を失いました。

 私たちの地区でも似たような経験がありました。数年前、私と数人の若い同修たちは、法輪功への迫害の真相資料を制作する技術を普及し始めました。それによってすべての同修たちに、自ら修煉の道を歩みだすことができるようになってほしいと願っていました。しかし、実行するには、同修からさまざまな抵抗を受けました。私たちの内部も意見が違ったことで、トラブルが発生しました。そして互いに抵抗し合って、協力しなくなりました。協調人の同修も私たちの個人修煉の不足を理由に、プロジェクトを阻止させようとしました。このような状況の下で、私たちは法に基づいて交流を行い、それぞれの人心を見つけました。

 例えば、一人の同修はとても慎重で、何もかも万全に実行するタイプでした。しかし、もう一人の同修はこのことが気に入りませんでした。交流を通じて、私たちは認識を一致させ、自分には厳しくし、他人を軽視する心を取り除くことにしました。それから若い同修たちは、技術を普及させるために、その意義を同修たちと交流しました。 残念なのは、私がプロジェクトで忙しく、学法がついていけず、協調の同修とのトラブルから、恨む心や闘争心などの人心が生じました。それで、ほかの同修も協力しなくなり、結局一部の地区において技術の普及が影響され、損失をもたらしました。

 本来、よく協力し合えば、全体の力を発揮でき、いっそう強い全体を形成することができます。しかし、人心を取り除くことができなかったため、師父の苦心の按配に背きました。目覚めてから、私は恥ずかしくてたまりませんでした。それから、誠意を持って協調人の同修たちと心を交わし、トラブルを解消しました。

 しかし、邵康節の2人の弟子のように、すでに時が経ち、遅くなりました。もたらした損失をもう挽回できなくなり、遺憾を残しってしまいました。同修内部からの妨害や抵抗が、場合によっては、邪悪の破壊よりも大きいのです。旧勢力は私たちのまだ取り除かれていない人心を利用して、お互いの足を引っ張り合ったり、責め合ったりさせ、人を救うプロジェクトを台無しにさせています。私たちは自分を修めなければ、協力しないことで、全体の力を発揮できず、救うべき衆生を救えません。二度とこのような誤りを繰り返してはならず、同修にも、自分にも、衆生に対しても損失ですし、なによりも、師父のお心を痛めてしまいます。師父のお心に背かないように、大法弟子は何事も協調し、協力し合うことが最も大切です。邵康節の2人の弟子の教訓から学び、旧勢力の罠に落ちないように、気をつけるべきです。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一三年米国西部国際法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/1/9/321984.html )
 
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