文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2016年2月8日】
偉大なる師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
学法の時は、いつも師父が説かれた「あなたという生命がこの世に来たのもこのことのためであり、なぜ精進せずにいられるのでしょうか? なぜ緩んでしまったのでしょうか? 機縁よ、この万古の機縁! どんなに長い時間が経過しても、皆このことのために準備しており、苦を嘗め、業を滅し、苦しみの中で今日まで歩んだのに、精進しなくなったらもったいなくないでしょうか?!」[1]「衆生が皆法のためにやってきているのだ」[2]を読みます。この法を読む時、私の心は非常に高鳴り、時には涙を流します。なぜなら物欲が強く、道徳が低下していく俗世間の中で、千万年に一度得らるかどうかという大法を幸運にも得られたからです。師が法を正すことをお手伝いする縁に恵まれた私は、こんなにも幸運だからですが、私の修煉の道は決して平坦ではありませんでした。師が法を正すことをお手伝いする道は、私の場合いつも足元が固まっていませんでした。しかし、何度も師父に「どんなに難しくても、真の修煉者として、着実に修める大法弟子として行います」と申しました。
一、魔難の中でも人を救うことを忘れない
修煉を始める前は、病に苦しめられて死にそうでした。修煉を始めると無病で全身が軽くなったと感じました。迫害が起こった後、何度も不当に連行されて迫害され、体の状態は一進一退でした。去年の10月、体に病業の状態が再び現れ、下腹部が痛み、下半身から悪臭をともなった物が流れ出し、何日も煉功ができなくなりました。さらに、生活もほとんど自活できないほどになり、三つのことも完璧に行うことができなくなりました。これが旧勢力の按排だとわかっていたので、学法と着実な修煉によって旧勢力を否定しようと思いましたが、自分のどこに問題があるのかがわかりませんでした。
普段、人を救うことを行う上で、最も好きなことは横断幕を掛けることと、真相シールを貼ることと、直接真相を伝えることです。一般の人であろうと、課長であろうと局長であろうと、今まで多くの人に三退してもらいました。
ある日、団地に住んでいる保安課長が私に会った時に「あそこの横断幕はあなたが掛けたんですよね」と言いました。私は保安課長に「そうですよ。だから何べんも念じてください。そうすればきっと良いことがありますから」と言いました。保安課長は時には私に「横断幕を掛けてある場所が良くない」とか「シールを貼る場所が適当ではない」などと教えてくれました。衆生が風にたなびく「法輪大法は素晴らしい」と「真・善・忍は素晴らしい」の横断幕を見ている時「衆生は大法弟子の集団煉功の情景を見ているのではないか」という感覚を持ちました。私は心の中で「衆生よ! あなたたちを救い済度する大法に対して、いかなる生命も迫害する資格は持っていません。誰であろうと大法を迫害することはできないのです。大法を信じなさい。『法輪大法は素晴らしい』という横断幕を見たなら、何べんも念じなさい。そうすればあなたたちが千万年待ち続けたものがそこに待っています!」と言いました。
多くの場合、まず横断幕を掛けるための全ての準備を整え、学法が終わった後、みんなで集団で横断幕を掛けに行きました。次の日の朝、同修が写真を撮りに行きました。自分たちが掛けた横断幕を人々が見ているのを目にしたり、自分たちの地区の横断幕の写真が明慧ネットに載ったりしたときは、みんなうれしく思いました。なぜなら中国共産党が、悪人を派遣して横断幕を取り去ったとしても、いったん明慧ネットに載ってしまえば、明慧ネット上の「法輪大法は素晴らしい」の横断幕は世界中の人々の心の中ではためくことになります。それは誰であろうと取り去ることはできないからです。この思いに至った時、私の心はいつもひときわ奮い立ちました。
しかし今回、病業という手段で旧勢力に迫害され、階段を下りることさえ困難になってしまいました。これでどうやって人を救いに行けというのでしょうか?
その日、学法を終えた後「旧勢力の按排を認め、この状態をずるずると引きずってはならない」と思いました。日中に、痛みに耐えて頑張って横断幕を掛けに行くための全ての準備を終えました。みんなの学法が終わるのを待っていると、痛みはさらにひどくなってきました。どうすればいいのでしょうか? 夫(同修)は「無理をしないでください。今日行かなくても明日行けば同じことですよ」と言いました。学法グループの同修たちが横断幕を掛けに行く事を心待ちにしているまなざしを見て、「夫は私への情を持っており、私が横断幕を掛けに行って、途中で力尽きてしまうことを恐れている」ことを知りました。しかし「もし、今日行かなければ、それは旧勢力の按排を認めたことになります。明日はもう衆生は真相を見ることができないかもしれない」ということも、私にはもっとよくわかっていました。そこで私は「大丈夫です。私のためにたくさん正念を発してください!」と言いました。そして私は同修と一緒に階段を下りて行きました。
その日の晩、私たちはいくつもの通りを歩き、2時間以上たって家に帰った時、ズボンのすそは流れ出てきた汚物で濡れていました。しかし、私はまったく疲れを感じていませんでした。
江沢民告訴の大潮流が始まり、私は「はっきりわかっているのは、衆生が必ずこの吉報を知りたがるだろう」ということがわかっていました。その日の夜、私は再び同修と横断幕を掛けに行きましたが、依然としてとても順調でした。私は心の底から師父に感謝しました。師父は私を加持してくださり、師父と法を信じることについて励ましてくださったからでした。夫は朝早くに写真を撮りに行きました。戻って来ると私に「私がその場を離れ同修とともに再び戻ってみると、私たちが市場の木の上に掛けた横断幕は風にたなびき、多くの人が横断幕を見ていた!」ということを教えてくれました。
江沢民告訴を円滑に実行するために、私たちの地域では公安関係の職員に真相を伝えるグループを結成しました。毎晩7時に私たちは車に乗って真相を伝えに行きました。9月初旬のある日、車で出かける時間になりましたが、車の運転手の同修が用事があるため、すぐには車で出かけられなくなりました。この知らせを聞いた後、すぐに私は「私が車を運転します」と言いました。夫は「大丈夫なのか?」と聞きました。私はきっぱりとした口調で「覚えていませんか。私が運転免許証を取ったのは、法を実証し衆生を救い済度するためだったのではありませんか? だから私は運転できます!」と言いました。そうは言ったものの、私は運転免許証を取ってから、夜間に運転したことがありませんでした。しかし、私は師父が助けてくださることを信じていました。
私は時間通りに約束の場所まで車を運転しました。そして、順調に人を救う任務を完了させました。家に帰って来てはじめて気が付いたのですが、私の体はまったく正常に戻っていました。師父が再び私に悟らせてくださったことを理解し、自我を捨て、衆生を救い済度する使命を担えば、千万年に一度えらるかどうかという縁を大切にすることにつながるのです。
二、根本的な執着を放下し大法に同化する
1994年、法輪大法が私たちの市に伝えられました。大法が病気治療と健康保持に不思議な効果があることと「真・善・忍」に基づいてよい人になるという理念が私たちを深く引き付けました。私と夫は相次いで大法の修煉に入りました。私たちは輔導点でいくつかの大法の仕事を任され、多くの人と接触することにより、慈悲で偉大な師父は、大法の素晴らしさと美しさを、私たちに証明させました。しかし、旧勢力の按排により、師と法を信じることが妨害されました。特に、夫は職場で重要な地位に抜擢された時でも、主要な精力を修煉においていましたが、何かが夫を惑わせるのではないかと疑いました。その期間、学法と煉功はしていましたが、多くの精力を夫を見守ることに費やし、私の正邪の認識の中で、夫が間違った方向へ行かないようにしました。
1999年7月、中国共産党の江沢民の悪質な政治集団が大法を迫害すると、一部の修煉者は恐れて修煉しようとしなくなりました。この時でも私は本当に大法を信じていたので、師父が説かれた「荒波は砂を洗う」の法理を思い出し、このような試練の中でも本当に修め遂げることができたのです。それから、同修と会って引き続き交流を開始しました。私が知っている同修で、恐れて煉功しなくなってしまった同修を一人一人見つけて戻って来させることにしました。さらに、労働教養所で迫害され邪に悟った同修も探して会いに行くことにしました。私は「こんなに素晴らしい大法を修煉しないなんて、とてももったいないことだ」と思いました。しかし、何度も不当に連行されたこと以外に、病業による迫害がいつも私に付きまとっていました。病業の期間、私は師父にお願いし、名、利、情などの放下できていなかった執着を見つけました。しかし、やっと這い上がったと思ったら、やはりまた倒れてしまいました。特にこの1年間、病業の迫害の中で、さらにもがき苦しんでいました。
迫害を暴露し江沢民を告訴することに関して、私 はうまくやりたいという願望を持っていました。私には各々の同修に存在する恐れる心はないのですが、筆を取ると書き進むことができなくなってしまうのでした。こんな時、いつも私は夫を恨みました。夫がちゃんとやらないから、私に苦痛をもたらすのであり、したがって、この家庭では私に幸せはもたらされないことを恨みました。
第12回中国大陸大法弟子の、ネット上における修煉体験交流会の、原稿募集が始まりました。私はこんなにも、自分のわずかながらの修煉体験を師父にご報告し、同修の皆さんと交流したいと思っているのに、筆を取ると妨害され苦しんでしまうのでした。原稿締め切りの前夜になり、私は師父に「弟子は心から修煉したいのです!」とお願いしました。私は何度も不当に連行され迫害されましたが、中国共産党を目の前にしても、拷問を目の前にしても、さらに大多数の同修が最も耐えがたいと言った大背铐(訳注:両手を背中に回して手錠をかけられる拷問)の苦しみにも妥協せず、法を正す修煉の道を正しく歩んでいることを多くの同修から羨ましく思われ、何の汚点も残していませんでした。それなのに、どうして私は病業による妨害を排除できないのでしょうか。私は泣きながら「師父、弟子は本当に師父に喜んでいただける答案を提出したいのです! いったい私のどこに問題があるのでしょうか?」と言いました。
慈悲で偉大な師父は弟子の誠実さをご覧になり、この数年の修煉における心の変化の過程を、一幕一幕にして私の目の前に表してくださったのでした。
私は「地主」と称される家庭に生まれ、右派分子(訳注:社会主義に反対するブルジョア反動分子)の子女でした。中国共産党の慢性化した迫害の中で、世間から差別を受け、精神的苦痛を強いられ、農村へ行ったり街へ戻ってきたりという苦難を舐めてきました。1年目の大学入試で合格者発表の掲示に名前が出ていましたが「政治審査」で不合格になり、合格通知を受け取れませんでした。2年目に再び受験しましたが、すでに自信を失っていたにもかかわらず、青年拠点(訳注:文化大革命後に都市の若者が田舎に行く集団生活の場所)は、私に技術労働者養成学校を受験させました。結果は、数十人の受験者の中で、私だけが合格通知を受け取りました。卒業後、運命の按排に従わず、仕事をしながら勉強して、準学士号を取りました。そして、自分の人生で自分から立ち上がれることを希望しました。
結婚相手を選ぶ時、私は相手の能力を選択基準の第一に置きました。そして夫と知り合った時、家族全員が夫との結婚に同意せず「彼は農村の出身で、姉妹が6人います。彼は長男で、家庭は貧困です」と言いました。母は「あなたが彼と結婚しても、彼は最低20年は出世しませんよ」と言いました。しかし、私は聞く耳を持ちませんでした。というのは夫の人となりが正直であること、その能力、文章がうまく書け、組織運営の能力が高く、20数歳にして千人の職員がいる職場の共産主義青年団委員会の書記を務めていたことに、私は満足していました。私は「夫が人より抜きんでる日が必ず来る」と信じていました。
夫は確かに私を失望させず、人間関係においても大きなトラブルはありませんでした。自分の能力を発揮して,大学を卒業してからようやく課長クラスになり、そして副室長になりました。また、人々がうらやむ副局長の準備職にもなりました。夫の昇進に伴って、私は意気揚々とし始めました。ある日、我が家の生活が大きく改善することを願っていました。
しかし、災いはいつやって来るかわからないものです。夫は苦労に苦労を重ねた末に、再生不能の貧血を患いました。さらに、輸血でB型肝炎に感染してしまいました。病院の専門家に治療の方法がないと言い渡された時、私は激しいショックを受けました。「実は夫は私の命を奪うために、私と結婚したのではないか」とさえ思ったこともありました。夫が死ぬ日を待ち、夫を恨みながら自分の生命を終わらせようと思いました。なぜなら私の美しい夢は徹底的に破滅したからでした。
1994年に大法に出会い、夫は修煉後、無病で体中が快適になりました。私の夢がまた戻って来たと思いました。しかし、大法弟子に対する中国共産党の迫害が勢いを増すにつれ、やっと燃え上がった私の夢は消し止められました。大法が冤罪をそそぎ名誉を回復することを願いましたが、たとえ大法が名誉を回復したとしても、私たちの花盛りの年代は戻ってきません。ましてやこのような体で、またあの日のように戻れるかどうかは、わかったものではありませんでした。
このように考えたとき、突然、私は「私は常人社会の中で、うまくやろうとしているのではないのか」と理解しました。あの頃の夫に対する恨み、家事をしても何の見返りも得られないことに対する恨み、嫁ぎ先に対するすべての不満は、美しい生活を追求するという夢がどうしても実現しない事から起因していたのではないでしょうか。
この時、再び学法すると法理が目に入りました。師父は「執着を持って法を学ぶことは真に修めることではありません。しかし、修煉の中で自らの根本的な執着に徐々に気づき、それを取り除くことによって修煉者としての基準に達することができます。それでは、根本的な執着とは何でしょうか? 人間は世間にあって多くの観念を形成し、観念に振りまわされ、あこがれのものを追求しています。ところが、人間はこの世に来て、因縁で人生の道と人生の得失が決められているので、どうして人間の観念で人生の一歩一歩を決められるのでしょうか? ですから、それらのいわゆるあこがれと願望も、永遠に叶えられることのない、苦痛を伴う執着の追求となっています」[3]と説かれました。
私は泣きながら「師父、私はやっとわかりました。どうしてこの数年、学法をしている時にいつも大法と隔たりがあると感じていたのか。他の人の体験談を目にすると、いつも慌てて三つのことを行っていましたが、法理を全く理解していませんでした。もともと私は世間の美しい生活にあこがれるという根本的な執着を持ちながら大法に入って来たのでした。思い返せば、迫害が早く終わってほしいという希望と、大法が早く名誉を回復してほしいという渇望を抱きながら法を実証することを行っていました。これで本当の修煉ができるのでしょうか?」と言いました。
この時、心の底から師父に「師父、安心してください。私は常人社会の中でうまくやろうとする執着を必ず放下します。ただ一度限りの万古の機縁を大切にします。そして、衆生を救い済度するという洪誓大願を実行します」と申し上げました。この一念を発した後、私の体は改善し、痛みはなくなってしまいました。これは本当に師父が「心性が高まってくると、身体にも大きな変化が起こります。心性が高まってくると、身体を構成している物質も間違いなく変化が起こります」[4]と説かれた通りです。
私はもう夫に文句を言わなくなりました。私は本当に師父に感謝いたします。夫を按排して私を修煉の道に導いてくださり、大法に出会った後、法の進展を正す、すべての過程の中で、夫は一歩一歩私を引っ張り、法理の上で交流してくれました。旧勢力が私を迫害した時は、正念を発して妨害を排除してくれました。私たちは今後必ずうまく協力できると信じています。大法弟子がやるべきことをしっかりやって行きたいと思います。
最後にいくつかの言葉で私の報告を終わりたいと思います。
法のために一生涯を共にし、
同修は大法の待つ蓮華座へ。
心を合わせて三つのことを行い、
師父の笑顔を願う。
ありがとうございます、師父!
注:
[1] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法五』「二〇〇四年米国西部法会での説法」
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「圓満成就に向かって」
[4] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/11/12/153634.html)