明慧法会|人心を取り除いて、協力・協調し連携する
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 文/中国・山東省の大法弟子

 【明慧日本2016年5月2日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 2015年第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流の原稿募集は、中国大陸の大法弟子にとって特別なことですので、それに応募できたことは、非常に幸運に思いました。私には偉大な師父がいらっしゃり、師父は内に向けて探すという神通力のある宝物を授けてくださり、さらに大法の法理は私を徹底的に変えてくださいました。師父のご恩に感謝を申し上げ、師父にご報告するとともに、同修の皆さんと交流する良い機会にしたいと思います。

 一、人心を取り除き、同修の家族に真相を伝え

 私は今年59歳で、1998年に幸運にも法を得てから17年来、偉大なる師父のご慈悲の下、困難で紆余曲折の日々が多く、あちこちぶつかりながら歩んできました。修煉の道を歩みながら、多くの魔難や人心の執着、それに現実と観念による多くの妨害に遭遇しました。

 2014年、市に在住する6人の同修が相次いで不当に連行されました。最初に不当に連行された同修を救い出すことはまだ実現しておらず、次に2人の同修が不当に連行され、この2人の救出もまだ実現しておらず、その次に今度は1人の同修が不当に連行されました。ある日の晩、最初に不当に連行された同修の家族が弁護士を要請し、集まった私たち7人の同修は、どのように同修を救出すればよいのかを相談しました。交流の時、みんなああだこうだと言い、同修の認識はばらばらで、ある同修は「まったく時間がない」と言い、ある同修は同修の家族が行えばいいと思っており、ある同修は「できない」とあっさりと私に言いました。私は態度を明らかにせず、当時に、同修の救出に参加した人が少なかったこともあり、その時はそれきり解散してしまいました。

 同修の家を出た時、大きな圧力がのしかかって来ているのを感じ、憤懣やるかたなく、不満に思う人心で一睡もできませんでした。次の日起きてから、すぐにも同修を救いに行かなければならなかったのですが、6人の同修の家は120キロ近く離れている上、バラバラな所にあったため、時間を節約するために、タクシーで不当に連行された同修の家に行って状況を確かめ、迫害を暴露した事実を明慧ネットに送り報道してもらい、不当に連行された同修の家族に真相を伝えました。

 最初に同修のWさんの家に行き、同修の引き渡しの要求に行くのに協力してもらうよう、娘さんを説得しようとしたところ、それとは裏腹に娘さんは怒っており、どうやら私を追い出したかったようです。娘さんの観点は「法輪功は素晴らしい、だから家の中で修煉すればいいのに、どうしてわざわざ出かけていかなければならないのか。毎回不当に連行され、労働教養処分を科され、自分たち家族はもう十分だ。引き渡しの要求に行っても意味がない。私たちが話をしに行く場所などどこにもない」と反発しました。同修の家族が理解していない様子なのを見てとり、家に戻ってから自分自身の言行を詳細に思い返し、憤懣やるかたない心を見つけ出し、そこには法の中で生まれた慈悲は少しもありませんでした。自分の不足と同修の家族が納得しないあらゆる問題を見つけ出し、再び同修の家に行った時に、どうすればいいのかがよくわかっていました。

 再びWさんの家の玄関をくぐり、まず誠実に「お嬢さん、大変だったでしょう。長年お母さんのことを見てきただけに、あの事で、どれだけ多くの辛い思いをされたか、おばさんは知っているし、わかっていますよ。以前はお母さんの体は良くなかったけど、法輪功を学んでから健康で良い人になりましたね。だけど、江沢民の一方的な虚言の害毒を受け、多くの人々は法輪功の真相を知らないので、私たちはみんなに真相を知らせに行ってますが、それは人々を中国共産党の巻き添えにしたくないからなんですよ」と慰めると同時に、詳細に真相の一部を伝えましたが、それを聞いた娘さんは、一言も何も言いませんでした。

 3回目にWさんの家を訪問した時、娘さんは私たちと一緒に公安局、検察院、裁判所および政府部門にあてて告訴状を郵送し、娘さんの旦那さんも出て来て手伝い、他の空間の妨害を受けたりもしましたが、私たち同修によって認識されると除去されました。最後には、娘さん夫婦は積極的にWさんを救い出すことに協力してくれました。特に娘さんの旦那さんは、最初は反対し支持していませんでしたが、最後には積極的に加わり、私たちと一緒に真相を伝え人を救いました。私たちは各々が中国共産党に迫害された自身の経験を説明し、娘さんの夫の男としての善良な一面を呼び起こし、最後にはWさんを恨まなくなりました。

 年が明ける前に私たちは贈り物を買ってWさんの家に行き、必ず頑張り続けるよう娘さん夫婦を慰め、これはただ単に時間の問題で、邪は正に勝てません、と伝えました。娘さん夫婦の懸念を取り除くために、さらに真相の一部を伝えました。娘さん夫婦は大法弟子の善良さを感じ、私たちがWさんの家を出た時、娘さんは私に抱き付いてきて泣き出し、「みなさんはまるで私のお母さんのようです」と言ってくれ、私たちも涙を流しました。年が明ける4日前、Wさんが戻って来て、Wさんの家族は法輪大法の不思議な力と他人のことを考える大法弟子の次元を体験しました。

 同修のLさんが迫害された後、Lさんの夫はとても協力的で、なぜなら家族にも大法弟子がいて、真相がわかっていたからです。80過ぎの母親と姑は、冬の寒空の中、公安局へLさんの引き渡しの要求に行きましたが、逆に殴られてしまいました。それを聞いて、すぐにLさんの家族と連絡を取ると、Lさんの家族はとても腹を立てており、最終的に、数人の家族がLさんの母親と姑を殴った警官に会いに行きました。すると警官の凶暴さは影をひそめてしまいました。Lさんの母親と姑は訴状文を書いた服を着て各部門を回ってLさんの引き渡しの要求を行い、家族もLさんの母親と姑を支持し、協力しました。

 このように毎回協調をとる必要があるのですが、何といっても電話ではうまく伝わらないので、やはり直接同修の家族と面と向かって話しに行かなければなりません。同修を救出するにあたっては、家族を励まして何カ所もの関係部門に同修の引き渡しの要求に行き、公安局、検察院、裁判所、規律検査委員会などの各機関に真相を書いた手紙や告訴状を送るのに家族に協力してもらい、一方では自分の家族5人の家のこともちゃんとやらなければならず、毎日時間が押していて、時には家事をおろそかにしてしまい、家族に理解されなかった時は本当に苦しく感じました。しかし、外出する時にはいつも師父の加持があり、大法弟子としての責任を感じていましたので、物事はうまく運び、次から次へと不平不満な心が反映されてきましたが、師父の法理の指導の下、今まで歩んできました。

 毎回、同修の家族と交流すると、家族はみな真相を理解し、ほとんどの家族が立ち上がり、私たちと一緒に各部門へ告訴状を送りました。そして、家族の変化と行いは、師父の洪大な慈悲を体現しました。同修を全員救い出すことはできませんでしたが、救い出す過程においては、全ての衆生を救い済度し、中国共産党に騙され毒害された人々を目覚めさせて救い、特に迫害に遭った同修の家族を救うことができました。

 二、全体で協力して江沢民を告訴し、全体で向上し多く人を救う

 全国民が江沢民を告発しているのを見て、中国共産党が誤用している刑法300条、「江沢民が法輪功を迫害した罪を数え上げて償いをさせる国際組織」の告知、縁のある人に送った手紙と関係資料を配り、全市の隅々にまで郵送し、江沢民に関するニュースをプリントして全市の同修の手に届くように配り、どうすれば江沢民告訴のことをうまくやれるかを互いに交流しました。

 しかし、同修たちの様々な人心と観念の現れ方はそれぞれ異なり、特に実名、電話番号、身分証を明らかにしなければならない段階になると、同修たちに反映された程度の異なる様々な恐怖心が、江沢民告訴の正常な実行に対しての重い妨害となりました。私はこういう理由で書けない、私は迫害されたことがない、などなどのさまざまな言い訳で遅々として筆は動きませんでした。インターネット上の同修の交流文章、江沢民告訴に関するニュースと訴状をプリントし、私を含む数人の同修が学法と交流を通じて同修たちに参考として配りました。それでも一部の同修は様子を見て待っており、自分とは無関係であるかのような態度でした。

 江沢民告訴の問題について、迅速に地方の同修と交流し、なぜ江沢民を告訴しなければならないのか、ということについて同修ははっきりとした認識を持っており、江沢民告訴に関するインターネット上の同修の文章を同修たちに絶えずみせては、同修たちの正念を奮い立たせ、インターネット上の同修の交流文章をたくさん見るように同修を励まし、今の状態を抜け出し互いに協力するよう励ましました。すると、まず街の同修が続々と訴状を書き始めて郵送し、受取人の署名を受け取りました。しばらくすると周りの同修が行動を起こし始め、街の同修が地方の同修と交流し、ある者はパソコンで文字を打ち、ある者は訴状を書くための情報を整理し、ある者は地方の同修のために郵便局へ行って訴状を郵送しました。特に、みんなが抱いていた各種の人心、恐怖心、観念から抜け出した同修は、認識を高め、各方面で大きな変化がありました。

 地方にいる80歳近い年配の同修のAさんですが、同修がAさんのために訴状を書いた後、「どうやって郵送するんですか」とAさんに聞くと、もともと、「地方で働いている息子が帰ってきたら息子に郵送してもらうつもりだ」ということでした。それというのもAさんは「自分の年齢が高く、十何年も街に行った事がなく、道も遠く郵便局を見つけられないかもしれない」などなどと心配していたからです。法に則って同修がAさんと交流し、恐怖心を捨て去るよう励まし、観念を変えると、最後にAさんは自分で郵便局へ行く事に決めました。

 Aさんは電動バイクに乗って順調に郵便局の入口までたどり着いたのですが、道を聞こうと思った時に、ふと顔を上げると郵便局の看板が見え、道路の清掃人がAさんに「小雨が降る中、何をしに来たんだい」と尋ねると、Aさんは「郵便物を出しに来ました」と答え、清掃人はAさんを郵便局の中に案内し、郵便局員に「この人は郵便物を出しに来たそうだ」と伝えると、郵便局員はとても親切に郵便物を出す手続きをしてくれました。Aさんは喜んで家に戻って合掌し、とても興奮しながら「実際はすべて師父が按排してくださったのであり、私たちがこの一歩を踏み出すのを待っていらっしゃったのだ」と言いました。

 Zさんは古い修煉者で、江沢民を告訴しなければならないことはわかっていたのですが、各種の人心や観念、特に恐怖心が妨害し、遅々として取り掛かることができませんでした。何度もZさんと交流し、同修が資料を整理して告訴状をプリントした後、郵送の準備をするためにZさんは私に会い、告訴状を郵送してくれるよう頼んできましたが、「これは本当に大法弟子が自分で歩まなければならない道で、とても厳粛なことなので他人が替ってあげることはできない」と交流すると、Zさんは豹変し、怒りをあらわにして「これぐらいのことも手伝ってくれないんですか」と怒り出しました。私はZさんの恐怖心を見て取ったので、「自分にどんな心があるのか探してみてください。どうして正々堂々と最後まで行えないのですか?」と交流しました。これは本当に恐怖心を取り除く良い機会である、とZさんはだんだんと気づき始めました。頼まれたわけではありませんでしたが、告訴状を郵送しにZさんと郵便局へ行きました。そしてZさんは「郵便物受け渡し済み」のショートメールを受け取ると、うれしそうに私に「自分にこんな事ができるなんて思ってもいなかったし、師父は多くのものを与えてくださり、江沢民の告訴状を送ってから多くのものを取り除けたような感じがして、体がとても軽いのです」と言いました。特に恐怖心が取り除かれたようで、Zさんは心の中で「師父には感謝の言葉もございません」と言いました。

 Zさんは心性が向上し、何をすべきかがわかりました。Zさんは酷暑の中、2歳の孫を連れてどこへでも行き、自らの体験を以ってまだ告訴状を書いていない同修と交流し、Zさんとの交流によって立ち上がった同修は、何人もいました。江沢民告訴の行動の中で、みんなは師父のご加持、保護と励ましを感じました。

 Hさんは今年60歳過ぎで、迫害に遭った後、家族が保釈申請を行ったため、警察官がしょっちゅうHさんの家に嫌がらせをし、Hさんは帰るに帰れませんでした。江沢民告訴を行う上で、強烈な恐怖心が妨害し、江沢民を告訴しなければならないことはわかっていましたが行うことができませんでした。というのも、また迫害されるのではないか、と恐れ、特に、各地区で江沢民を告訴した同修が不当に連行された事例が、暴露されているのをインターネットで見て、心配で、おちおちしていられなくなりました。毎回の交流で、毎回、江沢民に対する告訴状を直していくうちに、少しずつ良くないものが消されていき、最後には、告訴状を郵送するために郵便局へ連れて行ってほしい、とHさんに頼まれました。そこでHさんに道理を伝えた後、「これは非常に厳粛なことなので、他人に代わって行うことができず、ですから、自分で郵便局へ行って郵便物を出した方が良いですよ」と話しました。Hさんはひどく怒って「他の人とは郵便局へ行けて、私とは行けない、ということらしいですが、今は出かけるのも大変なので、あなたが行ってくれたらいいんですけどね」と言いました。次の日、小雨が降る中、Hさんを呼んで一緒に郵便局へ行きましたが、Hさんは不機嫌な様子で私についてきました。郵送の手続きが終わった後、Hさんは「こんなにも簡単だったんですか」と言いました。郵便局に向かう途中、Hさんは私に「この間から私があなたをどれだけ恨んでいたか、あなたは知らないでしょうけど、あなたはわざと私をいじめてるんでしょう、私が大変な思いをしていのを知ってるくせに、無理に行かせようとして」と言っていました。しかし、郵便物の手続きを済ませた後、私に「すみませんでした。あなたは私のために、私のとるべき責任のためにやってくれたんですね。それなのに私は自分の恐怖心を取り除けずに、常人の考え方であなたのことを恨んだりしました」と自分が間違っていたことを詫ました。次の日、Hさんは私に「師父の慈悲が、本当に私の体に大きな変化をもたらしてくれました。今日、座禅していた時、円球のようなものが頭の上から下に向かって走り、足首の所まで来ると、痛くてたまらなかった足首が痛くなくなりました」と嬉しそうに言いました。永遠に素晴らしいものを、師父は弟子に与えてくださいました。

 三、家族にもはっきりと真相を伝えなければならない

 中国最高法院と最高検察庁に訴状を郵送し、受取人の署名を受け取った後、自分が書いた訴状を手直しし、中央の機関や地方の機関、さらには親戚と友人の一人一人に訴状を郵送しました。

 8月11日の午後、息子が電話をしてきて、市の政法委員会の人間が私の家に来るので、急いで夫と一緒に家を離れて隠れるように、ということでした。息子は政法委員会に私の家の住所を伝えませんでした。迫害の初期、私は残酷な迫害に遭い、息子も大きな苦痛を受けたので、今でも息子は心配して烈火のごとく怒りましたが、これは江沢民告訴の事で妨害を受けているのだと気づきました。江沢民に対する告訴状には、家族全員が署名していました。政法委員会は夫にも電話をし、状況を問い正してきましたが、夫も家の住所を言いませんでしたし、息子も夫も嘘を言っていませんでした。

 内に向けて探すと、誰かが嘘をついているのではないかと疑う執着心が私にありました。息子と夫は、中国共産党に迫害されることを恐れて家の住所を言わず、それではいったい誰が電話してきたのかをはっきりさせたいと思い、夫の携帯電話から相手の電話番号を調べ出してかけてみたところ、女性が電話に出て「あなたが上層部に出した郵便は、私の所にあります」と言いました。そこで私は「それは江沢民に対する告訴状です。お姉さん、よく見てください。最高検察院に郵送した告訴状は、すでに最高検察院が受け取りの署名をしているし、ショートメールも届いています」と言うと、その女性は「あなたがショートメールを受け取った日にそちらへ行ったのですが、あなたに会えませんでした。いったい何区に住んでいるんですか?」と尋ねたので、「お姉さん、まず江沢民に対する告訴状をよく見てください。そこに私の住所と電話番号が書いてありますから、会いに来るのであればそれで十分わかるはずです」と言うと、その女性は何度も「そうでした、そうでした」と言って、どうやらわかってくれました。

 続いて妹が電話して来て「どうして私の職場に江沢民に対する告訴状なんて送るのよ!  また迷惑をかける気なの!」と強く言いました。以前、私は妹が経営していたホテルでアルバイトをしていたのですが、中国共産党がやって来て私を不当に連行し、妹も巻き添えを食い、ホテルは差し押さえられて閉館となり、妹は百万元近い多くの経済的に損失を蒙ったことがありました。妹は憤懣やるかたないといった調子で、私に「ここ数年でやっと持ち直して来たのよ。それなのにまた私を苦しめるのね。私たちは関係を絶ったのだから、あなたはもう姉ではないし、私も妹ではありません」と怒って電話を切りました。私は非常に悲しくなり、これも江沢民が世の中の全ての人を苦しめているのだ、と思いました。

 妹は49歳の誕生日を迎え、家族はみんな私が妹の所へ行くのに反対しました。というのも、妹が私を恨むのを恐れたからです。しかし、私はもう決めており、必ず妹の家族を救わなければならず、これは避けて通れない事で、延期するわけにはいきません。まず兄と姉、それから下の妹に手紙を送り、告訴状を見せてわかってもらい、それから、兄、姉、下の妹から妹に電話を入れてもらいました。すると、私が会いに行った時、妹と妹の家族の態度は明らかに変わっていました。妹に資料を渡すと喜んで受け取り、「良いことがあるから必ず読むように」と妹に伝えました。

 その日の夜、下の妹が実家に帰って来て、子供が生まれそうなので病院へ行き、次の日、女の子を生みましたが、赤ちゃんは生まれてすぐに高熱が出て、医者は「市の病院へ送らなければ、ここでは治せない」と言いました。市の病院の医者は「病状が重いので、治せるかどうかは保証できない」と言いました。5千元を払い、知らせを待つために家に戻ったのですが、その日の晩は母と下の妹は別の場所で過ごすことになり、とても心配になって、家族も心配でいても立ってもいられませんでした。この知らせを聞いて、急いで病院へ行き、「法輪大法だけが赤ちゃんを救うことができ、家族全員で一斉に『法轮大法好 真善忍好(法輪大法は素晴らしい 真・善・忍は素晴らしい)』という人を救う九つの文字を唱えましょう」と下の妹の家族に伝えました。そして、なぜ江沢民を告訴する必要があるのかを伝え、江沢民がこの16年来、大法弟子への迫害を一手にコントロールしてきたことを伝え、さらに迫害された者は、生きたまま臓器を摘出され、それによって中国共産党が暴利をむさぼって来た事を伝えました。そして、偽りの天安門焼身自殺事件は、江沢民たちが流した法輪功を中傷するためのデマなのでくれぐれも騙されないように、と誠心誠意伝えました。多くの大法の真相を伝えると、下の妹夫婦は真相を理解し、党、共青団、少年先鋒隊を脱退し、本当に真相を理解した後、感激で涙を流しました。そして次の日、病院から電話がかかって来て、赤ちゃんはお乳を飲み始め、高熱も収まり、こうして一つの小さな生命が救われました。

 江沢民告訴によって、救い済度されなければならない生命が続々と前へ押し出されてきました。ある日、息子の嫁が私に、嫁の両親が一晩中眠れず心配でしょうがない、と訴えてきました。どういうことかというと、江沢民を告訴した後、村の書記をしている嫁の叔父の所に、中国共産党の上層部から電話がかかって来て、共産党は巻き添えを臭わす作戦で人を恐怖に陥れていました。嫁の叔父は巻き添えを恐れ、自分の兄の奥さん(私の息子の嫁の母親)に電話して「お前の娘は江沢民を告訴したが、大胆にもほどがあるぞ。上層部から連絡が来たが、もし何かあったら責任を取ってもらうぞ」と言いました。結果、嫁の両親は怒り、恐れ、さらにかっとなり、「戸籍を抜いて離婚させる」とまで言って、嫁を家に帰させませんでした。真相を伝えるよい機会が来たので、これは会って話さないといけない事だと思い、嫁の両親の家に行くと、家に入るなり、嫁の家族は目の前で顔を曇らせており、以前までの表情とは大きく異なっていました。一家は昼ご飯を食べている最中で、嫁の父親は長い時間うつむいたまま私におかゆを1椀盛り、荒々しく太い声で「娘の戸籍を抜きに来たのか?」と聞きました。私は「どうして私が戸籍を抜かなければいけないんですか?」と言うと、嫁の父親は「あなたは戸籍を抜いてさっさと帰ればそれで済む。私は自分では能力があると思っているが、あなたたちほどではない。何といっても江沢民を告訴しようというんだからな。あなたたち夫婦はもういい年だからどうなろうと構わないが、孫のことを考えたことがあるのか? こんなことをやって孫を学校に上げさせられるのか? あなたたちは孫の将来を台無しにした。商売をしていて、いったいいくらの貯金があるというのか? (これは言いかえれば、私たちの生活が困窮していることを意味していた)」と言いました。そして嫁の母親が「私の3人の娘のうちあなたたちの家に嫁いだ娘だけが、夫婦げんかもせずに安泰に暮らしていたのに、江沢民を告訴するなんて、おせっかいにもほどがあります」と言いました。

 嫁の実家の客の中に法輪功を学んでいる人がいて、以前、嫁の父親に党、共青団、少年先鋒隊の脱退を勧めたのですが、嫁の父親は「反党だ」と思ったようです。そこで私は「法輪功は迫害されていますが、法輪功は正法で、真・善・忍に基づいてよい人になるように指導しています。法輪功は世界中の百以上の国々に伝えられていますが、中国だけが迫害しているのです。法輪功は国家や国民にとって百利あって一害なしなのです。法輪功は病気治療と健康保持に不思議な効き目があるので、これだけ多くの人が法輪功を学んでいるのです。しかし江沢民は嫉妬して、手中の権力を利用して歴史上前例のない迫害を発動し、さらに残酷なことには、法輪功修煉者の臓器を生きたまま摘出して販売し、暴利をむさぼり、今は法輪功の迫害に加担した高官と江沢民に追随した者は因果応報に遭っています。多くの高官が失脚したのは、みな法輪功への迫害と関係があり、人間が治めなければ天が治め、江沢民はジェノサイドと人道に反する罪を犯したので、すでに多くの国々にいる法輪功修煉者によって訴えられています。これは天意です。江沢民が法輪功を迫害しているので、長年法輪功を学んでいるために私は何度も不当に連行され拘禁されましたが、私が家庭を壊しているのではなく、江沢民が私の家庭を壊しているのです。これでも江沢民を告訴すべきでないというのですか?」と警告しました。すると、嫁の家族は何も言わなくなってしまいました。

 夜になって家に戻ってから嫁と「今回、真相を伝えた中で、私たちはいつも法の基準に則って自分に要求しておらず、特に経済的なことや言動が、修煉者の基準に達していない、と気づきました。江沢民告訴に当たっては、絶対に以前の不足を補わなければならず、なぜなら江沢民告訴を行うにあたって、私たちはまだ基準に達していないからです。必ず内に向かって探して自分を修めなければならず、外に向かって求めることはできません」と交流しました。

 次の日、嫁が「実家に戻って両親にきちんと真相を伝えます」と話したので、私は嫁を支持しました。小さい頃から嫁は父親を恐れており、実家に戻ると、父親は恨みを抱いているかのようにすぐに嫁から離れてしまい、嫁は母親に、法輪功を学んだあとの変化を詳細に説明し、「師父と大法が私を正してくださったのです」と話しました。話し終えるとすぐに妹の家に行きますと、妹は嫁に向かって怒り、嫁ももやもやした感情が湧きあがって来たので、急いで内に向けて探すと、出発点が正しくなかったので、憤懣やるかたない心が再び顔を出しました。内に向けて探していると、父親から電話がかかって来て、実家に戻って来るように、と言われました。

 実家に戻ると、父親が嫁に「大法が素晴らしいなら家で修煉し、体にいいなら家で学べばいい、なぜ江沢民を告訴する必要があるんだ?」と尋ねられ、嫁は自信を持って「江沢民は大法と大法弟子を迫害したので、私たちは江沢民を告訴する権利を持っており、世の中の人はみな被害者です」と言うと、母親は泣きながら父親に「私はあなたと離婚します。これまで嫁いでから1日だってよかった日はありません。今まで一生懸命やって来たのに、まだこんなことを言うなんて、長女はあなたの娘で、次女はあなたの娘じゃないですか? 彼女は江沢民を告訴したと言ったではありませんか。告訴したものは告訴したんですよ。どうしてそれを認めてあげないんですか?」と心の中を吐露し、母親はひたすら泣き続けました。そこで父親は慌てて「今回だけだ。次はダメだぞ」と言いました。すると嫁は「次はもうありません。今回の告訴で江沢民は法で裁かれます」ときっぱりと言いました。

 嫁は私に「世の中の人々は中国共産党に迫害されることを恐れています。以前はいろいろなことで忙しくて、真相を家族にしっかり伝えていませんでしたが、江沢民を告訴したことによって、家族に真相をはっきりとわかってもらい、中国共産党の醜態を認識してもらいました。大法弟子には時間があまりありませんので、人々の態度を気にしてはならず、真相を伝え多くの人を救い、師父の教えに従い、自分をしっかり修め、たくさんの人を救わなければなりません」と交流しました。

 困難で紆余曲折の日々の多かった十数年間でしたが、「この修煉の道を歩んだ自分の一歩一歩には、どれほどの師父のご心労やご苦労、どれほどの巨大な犠牲が払われたことでしょう。その修煉の道を、誰もがきちんと歩めば、師父のご苦労は、ずっとずっと少なくなるはずです」ということが、この件で今はっきりと認識できました。師父の慈悲なる済度に感謝を申し上げ、同修の皆さんのご支援に感謝致します!

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/5/318474.html)
 
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