天国楽団の中で修煉し向上する
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文/ニューヨークの大法弟子

 【明慧日本2016年8月10日】師父が自ら創立された天国楽団は今年、設立11周年を迎えました。設立当初から参加した私はここ11年間を振り返るとき、どんなに小さい修煉上の収穫でも、私にとって大切な宝物だと感じました。

 基礎練習をする時に起きた不思議な体験

 11年の間、基礎練習をする時に経験した不思議なことが3回あります。1回目は私が入団して1年経たない時でした。練習しているうちに、私はだんだんと完全に入定の状態に入って、頭の中は空っぽになり何の思惟も無く、それから胴体と四肢がまるで周囲の空気に溶け込んだように存在しなくなった感じがして、とても心地良い体験でした。座禅を組んで入静する時の最高の状態について師父は『轉法輪』に言及されていますが、どうしてドラムの基礎練習をする時にも同じ最高の状態が現れたのでしょうか?! 私は驚きましたが嬉しかったのです。本当に師父がおっしゃったように、ただ自分の思惟があるだけで、わずかな意念だけが自分が今ここで練習していることを知っています。また、丹田が、メトロノームと同じリズムで鼓動しているのを感じました。

 それから、私自身がドラムを叩く時のリズムがより正確になりました。それだけでなく、リズムが正確かどうかを聞き分ける耳もとても鋭くなり、ほんの少しのずれでも聞き分けることができました。この能力は、技術面で他の同修を助けるのに大いに役に立ちました。この能力を与えてくださったのは偉大な師父だと分かっています。

 2回目は5、6年前、他のドラマーたちと一緒に基礎練習をした時、私は心の底から生じた喜び、安心、楽しさを覚えました。ただの基礎練習なのに、どうしてこんなに楽しいのかと私自身も不思議に思いました。ばちがドラムを叩く一回一回の楽しさもまたそれぞれ異なって、人間世界ではその楽しい気持ちを表す言葉が見つかりません。ドラムを叩きながら、自分はトンネルの中に身を置いてトンネルを通り抜けているような感覚がしました。なるほど、この世界でとても味気ないと思った基礎練習は、他の空間において全然違うことになるのです!

 ドラムの基礎練習はとても面白くないように見えるのですが、それは大法プロジェクトの一つだという位置づけを思い出し、技術を高めたい一心で努力すれば、驚くべき神の恩寵を受けることができ、修煉の神聖さと素晴らしさを感じることができると、その日の体験を通じて悟りました。

 3回目は私のメトロノームと関係があります。2013年7月、ニューヨーク天国楽団はプロの指揮者を迎え、みんなはとても喜びました。指揮者は来て間もなく、毎日基礎練習をするように団員の皆さんに要求しました。

 しかし最初の2、3週間、私は少しも基礎練習をしていませんでした。もし毎日30分の基礎練習を修煉の指標の一つだと思えば、基礎練習を怠ることは修煉が遅れることに等しいと考えて、私は少し焦りました。そこで、時間を割いて毎日しっかり基礎練習をやろうと決心しました。

 ある日の夜、いつものように、一日の事をやり終えてもう深夜1時になりました。それでも、私はやはり基礎練習をしようと決めました。時間を作って努力しないといつまで経っても基礎練習の時間を作れないまま突破できません。その日、ベッドに上がるのはとても遅かったのですが、ついに第一歩を踏み出したことを嬉しく思いました。最初の何回かは少し難しくて時間を割いて練習しなければならなかったのですが、だんだんと基礎練習は日常生活の一部になり、毎日練習時間を作るのは難しい事ではなくなりました。

 ある日曜日、授業にもらった教材に基づいて私は家で練習していました。次第にメトロノームのスピードを120まで上げた時、つまり片手で1分間に240回打つ時になると、明らかに難しいと感じて、技術面のこんな大きい難関を突破できるか、まったく分からない状態でしたが、どれほど時間をかけても、絶対に努力して突破していこうと私は決めました。

 続けて2日間私は怠らずに時間を割いて練習しました。3日目も同じ内容を練習し、しばらく練習したらメトロノームのスピードを少し上げ、もうしばらく練習したら、またメトロノームのスピードを少し上げました。気が付いたらメトロノームに表示している数字はなんと132になっており、最初はメトロノームが壊れたと思いました。自分のスピードが本当に132になったのでしょうか?! 難関と思っていた120に設定して、ばちを叩いてみたら、とても楽に叩けました。とても難しくて何日かかるか分からなかった難関は、いとも簡単に突破できました。自分のスピードが132になったと確信した時、私は跳ね上がりたいほど嬉しかったのです。

 しかし、「これは師父が下さったものだ」と意識した瞬間に、ここまでの人心を帯びた喜びは影も形もなくなって、心の中で「これは師父が下さったものだ、これは師父が下さったものだ」と自分に言い聞かせていました。そして、番組制作でも、営業でも、技術面でも、私たちが大法弟子らしく行った時に、師父はその事を成し遂げるための能力を瞬間的に私たちに与えて下さるのではないかと私は連想しました。

 技術を高める過程は修煉上の向上も伴っています。ばちはドラムから10センチ、20センチ、30センチ離れて叩くとそれぞれ弱音、強音に対応すると先生に言われるまで、それを知らない私たちはずっと気の向くままの高さにばちを上げていました。そのようなルールがあると知った時、事を成功させるためにまず自分の行いを正しくさせないといけない、自分が正しく行なってこそ、出した音符、叩き出した音ははじめて綺麗な形を備え、はじめて聞く人の心を感動させられるのだ、と私は考えました。それでは、自分が正しくなることは修煉と同じではありませんか?! やはり技術を向上させるためには、まず修煉において向上しなければいけない、すべてが修煉と密に関係があったのです。

 ドラムを叩くことはダンスと同じように、その趣があると思います。基礎練習がきちんとできていない時、かちかちの大きいばちでドラムを叩いているようで、大きい音は出せますが、その音は乾ききって心地良くありません。基礎練習がある程度上達すると、2本の腕でばちを振る時、力があると同時に強靭性もあって、叩き出した音が大きく美しく、聞く人の心を惹きつける力を持つようになります。

 ある日「法輪大法は素晴らしい」の曲を集団練習する時、私が耳にしたのは音符ではなくて、なんとすべての楽器が楽しく「法輪大法は素晴らしい」を歌っているのが聞こえました! その見事な感銘を身辺の同修たちに教えた後、私たちが心地良い音符を吹くと楽器もきっと楽しくなり、逆に、もし怠けている修煉者の楽器になって、聞きにくい音を出せばその楽器自身も気落ちするだろう、と私は思いました。要するに、自分の修煉を良くすることがすべての基礎であり、基礎がしっかりできてこそ、はじめて事をよく運ぶことができるのです。

 協調をとる中で心の容量を大きくする

 協調の仕事を引き受けてから、はじめて一つの教訓ともいえる出来事がありました。ある若いドラマーのAさんが長期にわたって集団練習にあまり参加しないので、集団練習を重視させるために私は彼女に少しプレッシャーをかけました。結局、彼女は「それなら、私は退団しましょうか」と言いました。私は本当にびっくりしました! プレッシャーをかけるのは彼女にしっかりしてほしいと思うからで、退団させたいのではありません。もし彼女が本当に退団すると、それは私の責任ではありませんか?! Aさんとよく交流するように、私はAさんと仲が良いもう1人の若いドラマーに頼みました。

 その事を通じて、相手にプレッシャーをかけるのは常人の方法であるため、良い効果を得られないと分かりました。その後の協調の中で、団員それぞれの情況に合わせて直接話したり、メールと電話を介して交流したり、他の団員に手伝ってもらったりしてきました。

 数年来、私の協調は成功した時もあり失敗した時もありました。修煉者の基準に基づいて協調する時には事がうまく進み、人心に動かされながらする時、大きく転がる時もありました。

 2013年10月のある日、私は新しい団員のBさんにショートメッセージを通じて交流しました。ずっとできていないことにBさんはまだ言い訳をしているのを見て、私は多少いらいらして、ダメだったら退団したらどうかと思いました。そこで私は最後の手段である「けしかけてその気にさせる方法」を用いて、強く「そんなに時間がないなら、まず一心不乱に他のプロジェクトをきちんとやり遂げたらどうでしょうか」と書きました。彼女はもちろん私が彼女に楽団から退団するように勧めているのを見通して、結局、彼女は怒ってメッセージを連発して送って、とても厳しく私を叱りました。最後に、なんと私を彼女の修煉を妨げる旧勢力にしてしまいました。

 一つ一つ送られてきたショートメッセージを見て、私は考えました。私の言葉に刺激を受けて、これからBさんはきっと努力すると思ったのですが、私がとった手段は本当に良い方法とは言えなくて、Bさんにマイナスの反応を起こしてしまったのです。実は、彼女にメッセージを送る時から、自分の心に「善」を持っていないことに私自ら気づきました。

 どうして心に「善」を持たなくなったのでしょうか。Bさんに対して良い印象を持っていないことに関係があります。Bさんは「天国楽団」に参加する際、どの声部に入るかについてあれこれと選り好みをしました。師父が自ら創立された「天国楽団」に対するBさんの態度を見て、私は悲しんで怒りを覚えました。「天国楽団」の団員はみな大変このプロジェクトを尊重して、楽団の需要によってどの声部に配属されても文句なく最善の努力を尽くしていて、Bさんの言行とは明らかに異なります。

 師父が「私はいつも言っていますが、心から相手を思い、私心が全くなければ、あなたの言葉は相手を感涙させます。試してみてはどうですか」と解かれた『世界法輪大法デーの説法』思い出しました。一方、私自身を見てみると、相手を感涙させるどころか、Bさんの激しい反応を見れば、私の言った言葉が大法の要求からどれほど離れているか分かるはずでした!

 私は反省しました。双方がやりとりをしている中で、自分が少し苛立ったことに気付いたのですが、私はそれを抑えずに引き続き強い発言をしました。もし先入観を持っていなければ、今このような事態にもならなかったと思いました。

 今年のはじめ頃、新年祝賀パレードに参加するには一人ずつ試験を受けなければならず、合格したメンバーだけがパレードに参加することができます。Bさんは試験に落ちたため、パレードのメンバーの名簿に彼女の名前がありません。彼女は私にメールを送って、自分には楽器を操る能力がなく退団を考えていると言いました。メールを見て、私は彼女に試験の具体的な情況を教えて、まず彼女が抱えている誤解を解きました。それに対して彼女がどのような怒りの言葉を送ってきても、私は心性を守って冷静に返事をしました。結局、数日後、Bさんは積極的に追試を受けました。4月25日、彼女はまた天国楽団の隊列に並んでパレードに参加しました。

 大人を相手に協調するのはまだ何とかなりますが、子供を協調させることに私は全然経験がありませんでした。2013年8月中旬、私は新しい課題に出会いました。ある13歳の少年同修・C君は天国楽団に加入して、私と同じドラムチームに配属されました。

 C君はグループ練習の時に遅刻もせず休暇も取らず、とても良く続けていましたが、家に帰ると基礎練習を全然しません。私が基礎練習に関してあげたいくつかのアドバイスは、すべて自分の理由でごまかしました。例えば、彼が入団した最初に私はドラムのばちを贈って、「家に帰ったらしっかり基礎練習をしてね」と言うと、彼は「お箸を使って練習すればいいです」と答えました。楽団のメンバーである以上、彼の修煉状態と技術について私は正しく導かなければなりません。しかし私はどのように彼を導けばよいのでしょうか。

 学校では小学生に対して、教師は保護者に随時連絡していることを思いつきました。私もC君の保護者に連絡すれば、保護者に我が子がどんなプロジェクトに加入しているかを知ってもらうことができ、また保護者にこのプロジェクトの要求をよく知ってもらい、我が子に練習を促してもらえます。私は保護者にC君の学法の情況を尋ねました。

 数週間後、私はC君に授業をし始めました。すべての音符がどんな形をしているか、楽譜の間にどんな関係があるかなど最も基本的な理論から始めて、彼に具体的な宿題を与えました。2、3週間経って2回目の授業をすると、以前教えた内容を彼は少しも覚えていなかったことが分かりました。そこで、もう一回復習して、この基本知識を覚えてくださいと再三に言い聞かせました。授業以外にも、修煉についても私は彼と交流しました。3回目の授業の時、相変わらず彼の頭の中は空っぽで、まるで私たちの間にはこれまで授業をしたことがなかったようでした。私はとうとう心性を守れなくなって、「あなたは子供です。しかし、あなたはまず一人の大法弟子なのです! 大法弟子として責任があるので、ずっとこのような状態では、いつパレードに参加できますか」と焦って話しました。私は一回目の授業内容を繰り返し、メモをして彼に渡しました。

 4回目の授業に私は紙を取り出して、いくつかの音符を書いて、これは何分の音符かと聞いたら、彼は全部間違えました。私は深呼吸をして、言う言葉が無くなりました。

 そのように困難の中で私たちは10カ月を一緒に歩んできました。いつからだったでしょうか、C君はやっとあちこち動き回らずにじっとそこにいられるようになり、毎週基礎練習をするようになりました。また、グループ練習の土曜日にC君はもう1人のドラマーと約束して1、2時間早く来て練習して、自宅近くの同修たちと毎朝公園で煉功もするようになりました。

 C君の向上を見て、同修たちは喜んで私に教えに来ました。私はみんなの言葉をC君と保護者に伝えると、C君は恥ずかしそうに微笑みました。

 7月4日、試験に合格したC君は中国の古典衣装を纏って天国楽団のレギュラー・メンバーとして、ワシントンDCで行われた建国記念大パレードに参加しました。輝かしい日差しを浴びて、C君は健やかに衆生済度の道を歩んでいます。

 一人一人のメンバーが、もし演奏技巧の面で向上したら、掘り下げて調べてみると、例外なくすべて修煉の面において向上していたのです。天国楽団の一人一人のメンバーはみんな大切な存在であり、誰の向上も楽団全体の収穫になります。衆生を救い済度するのは私たち一人一人にかかっているからです!

 毎回、私は師父の教えに従って事を運ぶ時、毎回意外な喜びを収穫できます。難しいと感じる時もありますが、本当に歯を食いしばってひたすら大法の要求に従ったとき、意外にも転機が現れ、その時の喜びは言葉に表しがたいのです。それは修煉が向上してから内心に生じた喜びなのです。

 結び 

 10年来、私たち打楽器チームはずっと天国楽団設立当初の人数を維持しています。このプロジェクトの中で一緒に歩んできた歳月は、涙も喜びも、トラブルも、修煉の向上もあって、さらに、心性が上がってからの喜びに満ちています。

 師父は『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』に「師父が先頭に立って神韻を手がけたのは、実は皆さんに手本を示しています。私は神韻を世界一のショーにまで成長させ、少なくとも文芸や芸術の分野で神韻は主役になりました。それでは、ほかのプロジェクトはどうでしょうか? 皆さんは自分のわずかな成績にうぬぼれており、あなたは主役になったのでしょうか? 脇役にもなれず、ピエロになった人さえいます! これは大法弟子として行うべきことなのでしょうか? 師父からこのように要求されたのでしょうか?」とおっしゃいました。その説法を聞いて、これからさらに努力して、1カ月後の7月4日のワシントンDCの大パレードでは最も良い楽団の一つになろうとみんなは目標を決めました。あの頃、私たちの声部は毎週のように試験を行って、幾多の困難があったものの、試験の基準を決して下げませんでした。何回も試験に落ちたメンバーは涙を流して退団まで考え、退団を言わない人も大きなプレッシャーを背負いました。

 7月4日に、パレードの全行程を終えた時、空は格別に明るく、風が格別に優しいと感じ、天国楽団の皆さんの顔に久しぶりの笑顔がこぼれていました。

 2日間後の7月6日、師父は自ら天国楽団に指揮者を派遣してこられました。

 1年後の2014年7月4日、再度ワシントンDCの大パレードに参加した時、我々は当日の最も難しい曲と言われる「星条旗よ永遠なれ」を演奏しました。

 2015年7月4日、天国楽団はワシントンDCの大パレードに参加する予定があり、その時に師父自らが作詞作曲された「神聖なる歌」を演奏する予定です。

 18年の修煉を振り返って、自分が修煉者らしく行った時は、とても嬉しくなり、難関に出遭った時は、どんな難関でも私は諦めずに乗り越えたい、師父に従っていきたいと固く思っています。

 師父に感謝します!

 皆さんに感謝します!

 (2015年ニューヨーク法会発表原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/5/28/310089.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/5/30/150828.html)
 
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