【明慧日本2016年5月10日】今年5月13日の世界法輪大法デー、即ち法輪大法が世に伝えだされて24周年目にあたり、法輪大法の創始者・李洪志大師の65歳の誕生日を迎えるにあたって、5月7日、アメリカ・サンフランシスコの法輪功学習者は、市政庁広場に集まり、祝賀イベントを開催した。
許佳梅さん「師父の慈悲なる済度に感謝」
修煉前の許佳梅さんは、何十年間にわたって、なかなか治らない持病の持ち主だった。1995年法輪大法の修煉を始めてから様々な持病が消えた。今日までの21年間の長い間、薬を一回も飲んだことはないし、身体はますます健康になったという。また、「真・善・忍に従って心性を修め、家庭の中にいても、社会にいても、良い人でなければなりません」と許さんは語った。
許さんはある日、横断歩道を渡ろうとした時、突っ込んできた自転車に衝突された。自転車が許さんの胸にあたり、大きな音がした。許さんは激痛を感じてまもなく話せなくなった。しかし、許さんは相手を許した。許さんは「師父、守って頂き、ありがとうございます。また業を消しました!」と心の中で言いながら皆と共に横断歩道を渡った。約1、2分間後、痛みが消え、正常に戻った。
許さんは不当に連行されたことがあり、6年間の判決を言い渡された。拘禁中、迫害を受けた許さんは、常に胸に激痛を感じており、数回意識を失ったことがあった。
1年前にサンフランシスコに来た許さんは、ずっと観光地で真相を伝えており、元気に頑張っている。「師父の慈悲なる済度に、感謝いたします」と許さんはいつも思っている。
楊麗さん「今生、法輪大法を得ることができて、幸運すぎます」
かつて楊さんはA型肝炎、B型肝炎、胃腸機能の乱れ、心臓病、高血圧、眼底動脈硬化、気管支炎、頸部脊椎症、五十肩炎、鼻カタル、咽頭炎などの持病を患っており、1990年には末期の胃腺癌と診断され、手術で胃の上半部以上を切除し、食道も2センチ切除し、2年の余命だと告げられた。その後、通常の病院治療を受けていたが、他の病状も現れ、1995年になって余命が3ヶ月しかないと告げられた。
家族は毎日楊さんを心配して、あちこち処方を探し、どんな処方でも試してみた。あの時の楊さんは、まだ40代だったが苦痛極まりなかった。すべての希望を失った時、ある日のこと友人が『法輪功』という本を持ってきてくれ、この本を読んだ後、修煉を決心した。当時の楊さんは危篤状態の病人のため、家の対面の公園さえも歩いて行けなくて、家で独学し、煉功をし、こうして段々と病状が軽減していった。1996年4月になって楊さんは、公園での煉功ができるようになった。
楊さんは動作を煉るだけではなく、師父の教えに従って厳しく自分を律し、心性を高めたからこそ身体が始めて健康になった。ある日、鼻咽頭がんだと医師に言われた小さいこぶが、鼻腔から口の中に落ちた。その瞬間に、すべての鼻咽頭がんの症状、つまり左側の顔の麻痺、耳の塞がり、鼻の塞がり、左目の涙が流れ止まらなかった多くの症状と左側の鼻穴の出血、軽い熱など全部一瞬に消えた! 楊さんは「今生、法輪大法を得ることができて、幸運すぎます!」と言った。