ヨーロッパの企業経営者の修煉体験
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文/ヨーロッパの大法弟子

 【明慧ネット2017年4月16日】

  尊敬する師父、こんにちは。

  同修の皆さん、こんにちは。

 私は1998年に法輪大法を修煉し始めましたが、真相を伝えるメディアの仕事にそれほど参加していませんでした。数年来、私は何度もフルタイムで大紀元新聞社の仕事に参加しないかと聞かれていましたが、いつも自分の会社の業務が忙しいことを理由に断っていました。その上、大法弟子がやっているメディアが成功できるかどうか、師父のご期待に応えられるかについて、私はずっとマイナスに考えていました。様々な困難だけを見ていた私は、頭の中いっぱいにマイナス思考が充満している時、周りの多くの同修は黙々と努力し、すべてを注いでメディアの仕事に貢献していました。要するにその時、私の頭に常人の観念が多くあったため、現実を見極めることができませんでした。

 2015年の夏、私はヨーロッパ大紀元新聞社に勤める同修Aさんに会い、ある国の大法弟子たちがフルタイムで新聞社に勤めて、新聞社をとてもよく経営していることを聞かされました。彼と別れた後、不思議なことに私のすべてのマイナス思考が消えて、自分の国で大紀元新聞社を経営することに自信を持つようになりました。このような瞬間的に心境が変化したことはとても不思議です!

 新聞社の経営が成功できるかは、大法弟子たちがどれほど執着心を放下できるかと緊密に関係しているので、集団煉功、集団学法ができる環境はとても必要だと私は思います。

 数年来、私は大半の時間を郊外で過ごしたので、みんなの集団煉功と集団学法に参加していませんでした。数週間前、私と他の5人の同修は新しい事務所でフルタイムで新聞社の仕事を始めました。良好な修煉環境を保つことは最も大切だと皆さんは共通に意識しています。毎朝7時半に私たちは発正念をして、1時間かけて学法します。その後、中国人観光客がよく訪れる名所で2時間煉功します。中国人同修はそこで真相資料を配って観光客に脱党を勧め、我々西洋人修煉者は煉功します。そこは衆生を救い済度する場で、とても神聖な雰囲気に包まれます。同修たちは国籍を問わずしっかり協力して、とても良い効果を収めています。多くの中国人が大声で「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのを私は聞きました。

 このような環境で修煉を続ければ、向上も早いものです。執着心が現れると、すぐに内に向けて探すことができ、毎日このように向上していると実感できるのは、私にとってはじめてでした。

 2カ月が経ち、新聞社の中枢の仕事にはまだ着手していませんが、営業の部門ではとても良い成績を収めました。このように事が順調に運ぶのは、私たちが執着心を放下したからです。

 例を挙げます。ある日、集団煉功を終えて事務所に戻る途中、私は大紀元で営業をやっている同修と歓喜心について交流し、歓喜心を除去しなければならないと2人とも思いました。そして、すぐに彼に1本の電話が入り、営業で大きな成果を収めたという朗報でした。私たちが執着心を放下すると、すぐさま師父は助けてくださいました。

 集団修煉の環境は、恐れる心や私心を除去するに当たって大きく促す役割を果たしました。私は毎日ただ自分がこの修煉環境に溶け込むことさえできれば、執着心を本当に除去できると感じています。このような環境に身を置くと、問題に出遭う時、あるいは自分の心が法から離れた時に、内に向けて自分を探すことができるからです。そのために私は修煉環境がとても重要だと思います。

 私は企業の経営者で、部下に指示を出すことに慣れていました。そのような習慣はもちろん同修たちと一緒に修煉する環境の中では通用しないのです。最近、同修たちが私にその大きな執着心を指摘してくれてから、私も頑張ったので、その執着心はだんだん小さくなったと実感しています。

 仕事が思い通りに進まない時、私は焦って落ち着くことができません。ある同修は「失敗を恐れる心はあなたを緊張させている」と指摘してくれました。最初、私は彼の意見を受け入れられませんでしたが、しっかりと考えると、彼が言ったことは正しいと思いました。それで私はその執着心を放下しました。

 集団の修煉環境に溶け込む前、私はよく心性の試練から逃げていました。例えば上記のようなことに遭うと、それを面倒なこととして片づけてしまいます。しかし今の私は、面倒なことは全て心性を高める機会だと分かり、内心から出遭った困難に感謝して、また努力して内に向けてしっかり心を修めるようになりました。

 今の私は相手を責めずに自分の過ちを探せるようになって、同修たちの良い一面だけを見るようになりました。相手の悪いところばかりに目を付ける人間は、結局自分自身を見る時でも、欠陥しか見えないので、なんと悲しい人間だろうと思います。一方、相手の良い一面をぜひ見てみたい気持ちを抱えれば、本当に見えました。以前に比べて私は身辺の同修たちに感謝するようになりました。もう一つ、相手が間違ったと思う時、往々にしてその時に法理ではなく、自分の基準で良し悪しを判断しているのではないかと私は悟りました。

 師父は「目にした不足を黙々と良くすることができれば、神々は敬服しきれません。この人が本当に素晴らしいと言うのです! これこそ、大法弟子が行うべきことです」(『各地での説法十』「更なる精進を」)と説かれました。

 自分の進歩を見て、私たちの新聞社は衆生を救っているだけではなく、私たちの修煉を高めるために作られた環境でもあると認識しました。そして新聞社を良く運営できれば、その他の大法プロジェクトの助けにもなると思います。例えば、フルタイムで大紀元の仕事に務めることを通じて、我々はプロのレベルで神韻の宣伝に手助けをすることができました。

 仕事を見かけると黙々と行い、不足を黙々と補い、これも修煉の一環だと思います。つまり、微小なことから真の心性が見えます。しかし昔の私は、それは取るに足らない事だと思っていました。もっと早く大紀元新聞の仕事に参加すれば良かったと悔しく思ったりします。以前の私はこの人は駄目、あの人は駄目、どうしてみんなメディアの仕事に参加しないのかと愚痴りました。実は、自分自身もその駄目な一員だったと今やっと分かりました。他の同修は黙々とメディアの仕事を手掛けた時、私は手をこまねいて傍観しました。今のところ、自身の変化に私はとても喜びを感じています。私は以前いかなる仕事に対してもあまり楽しみを感じたことがありませんが、今、自分はとても楽しくて幸運だと感じています。生活がこのように素敵なものだとは想像できませんでした。

 師父に感謝します。同修の皆さんに感謝します。

(2015年米国西部法会の発表原稿)

 
(中国語: http://www.minghui.org/mh/articles/2015/10/23/317967.html )
 
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