文╱中国の大法弟子
【明慧日本2017年10月14日】私は1998年から大法修煉を始めた古い弟子です。ある日、グループで法を学んだ後、同修達はしばらく交流しました。1人の年配の同修は私に、「他の学法グループにも参加していますが、そこの同修の発正念の状態が良くなく、結んだ手印が変形した人、片手で掌を立てるとき掌が倒れる人、蓮花手印を結ぶとき手が開いていない人、腰が曲がって眠たくなる人が多く、その様子を見た私は、心の中でとても辛く感じました。しかし、遠慮して皆に言えませんでした。今日、発正念をした時あなたの手が倒れているのを見て、何故だか私は涙が流れ出ました。その理由は分かりませんが」と言いました。
私は「教えてくれて本当に良かったです。必ず自分を正します!」と答えました。2年前、私も同修の発正念の状態が良くないのを見て、とても心配して同修に指摘しました。同修も私の意見をすんなりと受け入れてくれました。また、数年前、ある年配の同修の家で法を学び、発正念をした時、私の掌が倒れているのを見た同修は指摘してくれました。このようにお互いに指摘することはとても良いことで、それによって、私達はより心を静めて、自らの空間場を清らかにすることができます。そしてこれによって、もっと発正念の効果を高め、衆生をより良く救うことができるのです。
今度の事に照らし合わせて、内に向けて探しました。「自ら同修の問題を目にしたのも、また同修が私の問題を指摘したのも、正念を発する態度を正すように促していることです」と思いました。長い間、私は発正念の前の五分間を重視せず、自分の空間場を清らかにする際、ただ口先では「意念の中で自分の思想の中の良くない念、業力と良くない観念、或いは外来の邪魔を根絶します」[1]と念じているだけで、心が完全に静かにならず、発正念の重要性についても、法に則って理性的に認識していなかったため、執着心はいつも一掃することが出来ませんでした。深く掘り下げて行けば、やはり自分は法と師を100%信じていない、自信が十分ではない、正念が強くない、いつも外に向けて他人の問題を探し、着実に自らを修めていないことが分かりました。自分の目線を早く内に向けさせなければならないと思いました。そして、「同修は自らを写す鏡で、他人の問題は自らの問題でもあり、従って、同修の欠点に執着する必要はなく、すべては師父が管理されていますから」と思いました。
自分の修煉状態を振り返って考えると、3年前、しばらくの間、同修の家で静功を煉る時でも、私は結んだ手印が変形したり、腰が丸くなって眠たくなったり、神通力を加持する動作が標準に満たさず、時には大きく形が変わったりする事がありました。同修である家族も携帯で写真を撮ってくれて、見せてくれました。このような結果になったのはきっと自分の修煉には問題があったに違いないのに、しかし、私はまったくそれを自覚せず、メンツに妨げられ、同修と交流するのも恥ずかしくて出来ませんでした。自分の様々な執着心を取り除くように努力をしましたが、しかし、主意識は元気にならず、仕事をする心が強く、いつも人心に牛耳られ、法を学んでも心に留めず、静功を煉ると眠たくなり、発正念をすれば手が倒れたりしました。
最近、私は少し分かるようになりました。いかなる有為な目的を持って修煉するのも、すべて私(し)のためで、その考え方は業力からなる偽りの私(わたし)が発したものです。一方、自分の主元神は低い次元の様々な要素、例えば情や私心、そして嫉妬心などに囲まれ、ウトウトしているので、この時、掌を立ててそれらの妨害要素を一掃しようとしても、掌すら立てることが出来ないのです。しかし、もし私(し)や自我を捨てることができれば、主元神はその妨害要素から抜け出すことが出来、功力が強くなり、間違いを犯さず、低い次元の様々な要素、怨恨心、闘争心、顕示心などは、もう私達を妨害することが出来なくなるのです。
今、私は発正念の時間を長くし、自らの空間場を清らかにしています。長い間、心を落ち着かせず、眠たくさせる悪いものが消えてなくなり、私の脳裏には師父の法を正す口決だけとなりました。
最近、師父の経文『注意喚起』と『波紋を呼んだ副元神に関する文章について』を暗唱しています。そして、自分は人間の殻から少しづつ抜け出しているように感じました。そのため、党文化を解体したり、旧勢力の按排を排除したりすることもそう難しくなくなり、邪悪が弱くなって、頭に浮かぶ雑念も随分少なくなりました。師父は「乱れている負の現象を前に、動揺することはありません。法をしっかり勉強し、三つのことを着実に行えば、すべて得ることができます。実は旧勢力はすでに法を正すことの魔として取り除かれています。師がいて、法があり、乱れることはありません」[2]と説かれました。
「修煉の道には些細な事はありません。すべての事に真剣に対応しなければなりません。真相を伝える事は人を救うことで、大法をしっかり学ぶ事は基本です。もうこれ以上自らの惰性と安逸心を放任してはいけません。そして、いつでもどこでも無条件に内に向けて探し、自分の言動を真、善、忍の宇宙の法理に合致させ、時間を切り詰めて『三つのこと』を行い、多くの衆生を救うようにしなければなりません。神々は私達を見ておられるのです」と私は切実に体得しました。
以上の体得で不適切な所があれば、同衆の慈悲なるご叱正をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作: 『導航』「二〇〇一年カナダ法会での説法」
[2] 李洪志師父の経文: 「波紋を呼んだ副元神に関する文章について」