一思一念をすべて正す
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2018年1月4日】2017年6月1日の夕方、町の広場でおばさんたちが集まってダンスを踊っていました。楽しそうな曲だったので私はその場に近づき、おもわずリズムに乗って体を動かしました。その時、同修は私を叩いて、「もう行こう! あなたもこのダンスを踊るの?! 何かを見たら、すぐそれがいいと思ってはいけないよ。いいと思うなら、それはすぐあなたに取り憑き、あなたを妨害するからね」と言いました。私は笑って、その場を離れました。

 その日の夜、動功の時、右足に少し痛みを感じました。私はそれを気にせず、12時の発正念をした時も、右足の痛みを取り除くことを思い出しませんでした。

 翌朝、起きた後、右足がだるくて痛く、昨夜、右向きに寝る時間が長かったからだと思い、あまり気にしませんでした。午後になると、私は立っていても足の調子が悪く、歩くととても痛くなりました。夜、動功をしてから、ベッドで座禅を組むと、足が痛くて組めませんでした。さらに、私は寒気を感じ、足の親指から寒気が凄い勢いで体中に上がるように感じ、体が震えるほど寒くなりました。私は布団を掛け、そして、洋服で右足を包みましたが、それでも、寒くて、辛くて、頭がぼうっとして何も思い出せませんでした。頭を上げて、師父の写真を見ました、師父が私のそばにいらっしゃると思うと、私はやっと発正念を思い出しました。私は邪悪と外部からの妨害を一掃して、旧勢力に、「たとえ私に漏れがあっても、あなた達には私を妨害する権利がない。私の全ては師父におまかせしている。足が痛いのは仮相に過ぎない。それは私ではない、勝手に痛くなりなさい。師父、私を助けて下さい!」と言いました。

 私は次第に落ち着いて来て、12時の発正念をしてから、眠りにつきました。朝、目が覚めてから、足がつらず、痛みも随分和らいでいました。この時、私は続けて発正念をして、邪魔ものを一掃すればよかったのですが、私はそれをせず、そのまま仕事をしました。

 昼食の後、集団学法に参加するため、同修の家に歩いて行く途中、足がまた痛くなり、歩けば歩くほど痛みが激しくなりました。階段を上がった時、右足の筋肉が痛くて堪らず、仕方なく、私は同修を呼び出して、同修に支えてもらってようやく階段を上りました。

 そこにはまだ同修がそろっていなかったので私はそこに座り、師父の次の法を思い出しました。「どんなに辛くても、ぜひ頑張って受講に来てください。この会場に入ればすべての症状が消え、何の危険もありません。 このことを皆さんに言っておきたいのですが、どんなに『病気』で苦しいと感じていても必ず来てください。 法は得難いものです。 苦しければ苦しいほど、物事が極まれば必ず逆の方向へ転化するので、身体全体が浄化されようとしており、浄化されなければならないことを苦しさそのものが物語っています。病根はすでに取り除かれており、残りはほんの少しの黒い気で、それを外に発散させるので、あなたにほんの少しだけ難を与え、ちょっとした苦しみを嘗めさせることになります。 あなたが全然苦しみを嘗めないわけにはいかないのです」[1]。師父のこの法は、「難関の前で決して畏縮していけない。必ず法を師にして、内に向けて自らを探し、難関を突破し、強い精神力で勝ち抜かなければならない」と教えて下さいました。

 発正念をしてから、集団学法が始まりました。私は精神を集中して法を学び、すべてを忘れました。いつの間にか、両足が組めるようになり、2時から法を学び始め、5時に終わった時、足の痛みが消えてなくなり、すっかり良くなりました! 

 これはまさしく師父がおっしゃった「この会場に入ればすべての症状が消え、何の危険もありません」[1]の通りでした。師父のお言葉の一つ一つはすべて金であり、法であるからです。師父は「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[2]と説かれました。全くその通りでした。

 今回、このような面倒なことに遭ったのは、自分の心が正しくないことが招いた結果でした。これから、私はきっとしっかりと法を学び、法に基づいて自らを修め、一言一行、一思一念、一挙一動をすべて大法に則って行ないます。そうすれば、誰も私達の修煉を妨げることはできなくなるでしょう。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/12/7/357552.html)
 
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