師父は私の命を救ってくださった
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文/甘粛省の大法弟子

 【明慧日本2018年6月5日】私は1997年に法輪大法に出会いました。当時、師父と大法はとても素晴らしいとわかっていたものの、学法をあまりせず、師父が人を救い済度しておられることがよくわかりませんでした。1999年7.20、中国共産党が法輪功への迫害を開始して、私も法輪大法を学ぶことをやめてしまいました。それから10年、大法を学ばなかったのです。2009年のある日、私は大法弟子が配っていた法輪大法の資料と『共産党についての九つの論評』を受け取り、また、古い学習者の助けの下で、法輪大法の修煉の道に戻ることにしました。

 しかし、多くの執着心を持っていた私は、「三つのこと」をあまり行なわなかったのですが、師父はこんな不甲斐ない私を見捨てられませんでした。ある交通事故で私は心の底から「真・善・忍は素晴らしい! 法輪大法は素晴らしい!」という一念を持っていただけで、偉大な師父は命を救ってくださいました。ここであの事故のことを書き出し、以前の私と同じようにあまり修煉を精進していない同修を励ましたいと思います。あまり修煉状態がよくない同修に自暴自棄になってほしくないのです。師父と大法を信じているという一念があれば、師父は本当に見守ってくださるのです。

 2011年4月末、私は大きな交通事故に遭いました。その日、私はバスから降りて、道路を横断しようとしたとき、車にぶつけられました。私は地面に倒れて動けず、口の中の歯がみんな動いていると感じ、背中に激痛を感じましたが、意識がはっきりとしていました。ただどんなふうにぶつけられたかがよくわからなかったのです。その後、車の運転手が私を病院に送りました。病院で運転手がほかの運転手にその事故の原因を話すとき、私も聞こえました。当時、彼の車と並んで走っていたワンボックスカーが彼の車を追い越して、先に私にぶつかりましたが、逃げてしまいました。彼はすぐブレーキをかけようとしましたが、スピードが出ていたので間に合わず、私は二度轢かれました。

 私はその瞬間、師父の「物事の善し悪しは人間の一念によるものだ」を思い出して、心から「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 師父、私を救ってください」と声を出さずに、念じました。救急車に乗せられた私は、念じ続けましたが、この生死の際に、「自分に恐れる心があるので、声を出して念じることができない。師父に救ってほしいのですが、恐怖心で大声で大法を実証することができない。恐怖心に勝だ!」と考え、大声で数回「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 師父、私を救ってください」と叫びました。救急車の救急隊員が私の叫びを聞いて、「あなたの師父はこの叫び声が聞こえたよ」と言いました。

 病院に着くと、医者たちは血まみれの私の顔を見て、大きな交通事故だとわかり、内臓に傷があるかどうか、私のお腹を押しながら、痛いかと聞きました。「背中が少し痛いだけで、ほかのところは痛くない」と私は答えました。腹部の検査では問題が見つからなかったのです。頭部にひどい傷があるのを見て、医者は脳出血を心配し、頭部をCT検査しました。しかし、正常という結果が出て、経過観察のため、私をそのまま入院させました。

 友人が見舞いに来ました。私の様子を見て涙を流し、私のことを心配してくれました。私は「大丈夫だよ。泣かないで。本当に私は大丈夫だ」と彼女たちに言いました。

 翌日の午後、つまり事故から24時間過ぎたところ、私は突然、褐色の粘性のものを吐き出し続けました。医者がこれを見て、内臓出血だと断定しました。しかし、治療のタイムリミットを過ぎたと判断し、私を市の三甲病院(最高レベルの病院)に移すことにしました。検査の結果、肺が破裂し、右側の肋骨3本が折れていました。それから、私は手術を受けました。

 手術して8日目、医者に退院をしても良いと勧められ、「あなたの生命は本当に奇跡が起こったよ」と言われました。私は、どうして医者がこのように言うのかがわからなかったのですが、その後、見舞いに来てくれた友人が「当時、あなたの頭は洗面器ほど大きくて、顔も変形し、車輪に轢かれた右腕が黒紫で太ももと同じく腫れていたよ。胸が高く突起し、見てられないほど本当に悲惨な姿だった。普通の人なら、タイムリミットを過ぎると、もう命がないんだよ」と話してくれました。

 退院して2週後、腕の腫れが引きました。鏡を見ると、胸に車輪の痕がまだ残っていました。しかし、この事故後、私は風邪をひいたことがなく、薬も飲まずに健康に暮らしてきました。

 師父が私の代わりに巨大な罪業を引き受けてくださり、私を救ってくださいました! 慈悲深い偉大な師父に感謝いたします!

 この文章を書き出したのは、私と同じような精進していない同修に呼びかけたいのです。人身を得るのは難しく、正法を聞くことは一層難しいのです。自分の修煉がどんなに足りなくても、元気を失わず、諦めないでください。師父は時々刻々私たちを見守ってくださっています。みんな一緒に精進しましょう。自分のことも衆生のことも大事にしなければなりません。師父の慈悲深い済度に顔向けできるようにしましょう!

 合掌! 再度に師父に感謝いたします!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/4/17/364221.html)
 
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