少年は悪性脳腫瘍から救われた
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年12月30日】私は今年19歳になります。母の話によると、私はこの世に生まれてから、同年齢の子どもと違って、発育や反応が鈍く、検査した結果、悪性脳腫瘍と診断され、早いうちに手術しなければ、成長とともに脳腫瘍も大きくなり、生命の危険があると言われたそうです。赤ちゃんだった私は手術に耐えられないと、2歳になるまで放置していました。これ以上手術は引き延ばせないと医者に言われ、母は私を引き連れて北京の天壇医院に行き、一回目の手術を行ないました。医者の話では、「子供が小さいので、手術しても腫瘍が全部取れるとは限らない、今後拡散して再発する可能性があり、命を維持するため、薬は飲み続けてください」と、話したそうです。

 私はこのようにして何とか生き延びてきました。長い年月薬を飲み続けたので、体質が弱く、医者にかかるのは日常茶飯事で、次々と病気に罹り、母は私が発熱するのを一番恐れ、発熱は私にとって最大の敵になっていました。

 私が苦難の中で生きた家庭は貧しく、父は病気で若い時に亡くなり、母が一人で私と妹を育てるなかで私は薬を飲み続けなければなりませんでした。そして、私と妹は入学する年になり、2人を学校へ通わせる苦しい生活を、母一人が支えなければなりませんでした。その当時、母は私の脳腫瘍の再発を最も心配し、最新の注意を払っていました。私と妹を学校へ通わせるため、母は市場の一角で店舗を借りて商売を始め、何とか生活を維持しました。

 店舗の横にある空き地で、あるおばあさんが買い物に訪れた人々に法輪功の動作を教え、大法はとても素晴らしく、習う人はみんなとてもいいと言っていると話していました。時間が経つにつれ習う人が増え、私の母方のおじいさんも参加しました。

 私も好奇心が生じ、おじいさんに法輪功とは何か、なぜこんなに多くの人が習っているのかと尋ねました。おじいさんは法輪功の特色と、習う人は健康を取り戻していると説明され、自分も心を込めて煉功を習い、五式の煉功動作を全部覚えたと話しました。健康になると聞いた私は心が動き、おじいさんについて煉功に行くと、その場にいた人々が親切に教えてくれました。この日から学校に行く時間以外は、法輪功の動さを行ない、世話をするおばあさんの紹介で『轉法輪』を買いました。僕のおじいさんは字が読めないため、私はおじいさんに読んであげました。このように私は縁があって、法輪功の煉功を始めました。

 私が法輪功の煉功を始めて間もなく、心身にあきらかな変化が現れ、身体が熱く、歩く時は身体が軽やかになり、食欲が増し、気力が出て薬を飲まなくなり、家事を手伝うようになり、心が穏やかになって、勉強する意欲も出てきました。母は、私の変化を見て笑顔を取り戻し、私の煉功を大いに支持してくれました。以後、家庭の喜びと幸せを手に入れることができ、まさに一人が煉功すれば、家族が恩恵を受けるということを、実感することができました。

 このような幸せな生活は長続きしませんでした。ある出来事で私は法輪功の煉功を止めてしまい、生活は以前に逆戻りして、2001年に小学6年生になった私は、恐れていた脳腫瘍が再発し、発作が起きれば自分の身体を支えきれず、歩行するのも困難で、身体に力がなく、食欲もなく、地元の病院で検査しても、はっきりした診断が出ず、医者は北京での検査を勧めました。

 私は母に連れられて、北京の脳腫瘍病院で検査した結果、脳裏に腫瘍ができ、手術して取り出す必要がありました。しかし、腫瘍のある場所は致命的な所にあり、手術はとても難しいと言われました。手術しなければ死んでしまうし、手術しても助かる可能性が少なく、医者は最悪の準備をするよう母に指示しました。母は絶望し、手術を止めて退院し、あとは天命を待つことにしました。医者は悲しむ母を見て、この点滴が終ってから帰ってください、と言うのが精一杯だったのです。

 この時、母方のおじいさんが来て、変わり果てた私を見て悲しい涙を流し、私の耳元で、「お前は大法を煉功したことがあり、大法の素晴らしさを知っているはずだ。大法を忘れてはならないし、師父も忘れてはならない。絶望しないで師父に助けを求め、人生を諦めないで大法に戻り、師父に救いを求めなさい」と話してくれました。

 おじいさんの言葉は私を呼び覚まし、生死に関わる大事な時に、おじいさんは私に呼び覚ましてくれました。トンカチで頭を叩かれた思いで私は目覚め、師父と大法の書籍が傍にあると感じました。私は大法は素晴らしいとわかっていましたが、長い間学んでいなかったため、記憶にあるのは『轉法輪』にある論語と『洪吟』にある詩の一部だったのです。私は繰り返して暗唱し始めました。

 私は大法を学んで多くの恩恵を受けたのに、恐れる心から大法を放棄して、師父に申し訳なく、後悔して恥じていましたが、それでも心の中で師父に救いを求めていました。このようにして私の精神状態がよくなり、お腹も空いてきました。しかし母は、私が良くなっているのを見て、退院するのを止めて、続けて治療することにしました。身体が回復して手術すれば、例え、死んでも後悔しないと言っていました。

 私の心は新たに大法を受け入れ、毎日おじいさんと本を読むうちに、身体は素早く回復して、数日後に手術を行ない、手術は成功しましたが、医者は私に黙って母に告げました。「腫瘍は一つでなく、大きい腫瘍は取れたが、小さい腫瘍を取ると命の危険があるので、取れなかった。この腫瘍は成長して拡散する可能性があり、いつでも生命の危険に晒され、退院してどれだけ生きられるか分からない」

 医者の言葉は私の死刑を宣告したと同じでした。13歳の私は分かっていました。1日生き延びることができれば、それは儲けだと思い、死は私にとって重要な事ではなくなりました。そこで私は決めました。もう二度と大法を放棄することなく、心の中に法が満ちれば、いつ死んでも悔いはないと思ったのです。

 その日から私はすべてを大法と大法の師父に預け、学法して煉功し、おじいさんに法を読み聞かせ、一緒に法を写しました。家のお金は私の病気治療のため使い果たしたので、母の負担を軽減するため、私は休学しました。以後、私は全力で煉功をしました。

 2回目の手術から6年が経ち、私の病気は治療を受けずに完治し、以前の私とは別人のように、身長が伸び、健康で順調に成長し、毎日楽しく幸せな生活を過ごしています。これは大法のおかげです。李洪志師父が私の家族を救って下さいました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/2/25/149691.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/3/22/83762.html)
 
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