青年弟子の修煉物語
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年12月24日】私は中国の青年弟子です。明慧ネットでは、青年同修の交流記事が少なく、かつ自分もしっかりと修煉できていないとずっと思っているため、文章を書くのが恥ずかしかったのです。実はこれは邪党が宣伝した「人を指摘する前に自分自身を正す」という邪説によるものでした。自分自身が子ども弟子から青年弟子に成長してきたエピソードを同修と共有することで、同修のためになり、同じ青年同修も、もっと自分の修煉体験を共有するようになれたらと思っています。

 再び法の光を浴びる

 母は96年に法を得た古い弟子で、当時私は2歳でした。小さい時から家庭内の魔難は大きいものでした。父はギャンブルとお酒が好きで、飲みに行くたびに酔っ払い、酔っぱらうと暴力を振るってしまいます。母は夜帰ってきた父に殴られた後、私を抱えておばあちゃんの家に向かい、そのまま泊まったことが数え切れないほどありました。あの頃、母は法に対する理解がまだ浅く、怒りと不満の心を抱えながら、ひたすら耐え続けました。私はなおさら浅い法理しかわからなかったため、毎回師父がおっしゃっていた「常人と同じように争ったり戦ったりすると、あなたはただの常人になります。もし相手よりも激しく争ったり戦ったりすれば、あなたは相手の常人にも及びません」[1] で、母をなだめるしかありませんでした。子どものころの記憶はグレーで、父は私にとって恨み、憎しみの存在でした。私は母と一緒に苦難を耐えるために生まれてきたのだと母がよく言っていました。

 母は2001年に法の名誉のために上京し、その後不法に懲役2年の刑を受けたので、私は一時的に祖母に引き取られました。親戚が極力大法に反対したため、家庭からのプレッシャーに負け、修煉していた祖母は修煉をあきらめ、法から遠ざかってしまいました。私もおとなしかった子どもから、生意気で反抗的になり、祖父母も私の教育で手を焼く状態でした。

 母が刑務所から戻ってきてから、私は再び修煉の道に戻り、祖母も師父のお諭し(家が見つからないという夢を見た)により、大法に戻る決心をしました。その頃、祖母と毎朝煉功し、夜は学法し、毎日法の光を浴びていました。ある日、通学途中で突然熱いエネルギーが頭のてっぺんから全身を通り、足の指先まで貫きました。家に帰ってから喜んで母と祖母に、師父が灌頂してくださったと伝えました。その後も私を励ますかのように、果実園の木の上にバスケットボールと同じぐらい大きい甘瓜が実っている夢を見ました。

 それから、母は家庭内の魔難は旧勢力がむりやり与えたのだと少しずつ気づき始めました。師父は「魔難がやってくるとき、本性の一面から認識することができず、完全に人間の一面から理解しているため、魔はこれを利用して尽きることのない妨害と破壊を行い、学習者は長期にわたり魔難に陥っています」[2]、「弟子として、魔難がやってくるときに、本当に平然として動ぜず、または異なる次元のあなたに対する異なった要求に符合するよう心を放下することができれば、十分に関を乗り越えます。それでも魔難が尽きることなく長引くのであれば、もし、心性または行動にその他の問題がないのであれば、きっと邪悪な魔が皆さんの放任している隙につけ入っているに違いありません。修煉者はなんといっても常人ではないのですが、ならば、本性の一面は、なぜ法を正さないのでしょうか?」[2] とおっしゃいました。ひたすら父の暴力に耐えることから、正念で父の背後にある邪悪な要素を取り除き、怖がる執着心をなくすにつれ、父が飲みに行く回数も減ってきて、「念を正しくすれば 悪は直ぐに崩れる」[3] を実感しました。もう一歩踏み込んで考えると、お酒を飲むと必ず暴力を振るうという「経験」も間違っていました。さらに旧勢力の按排したことを否定し、父が酔っぱらっても、私と母は嫌がることなく、父と心を開いて話すようになり、慈悲を持って父に接するようにしました。すると、徐々に父がお酒を飲んでも、暴れなくなり、10年間の家庭における魔難は法の威力で解消されました。今、父は大法の修煉は始めていませんが、大法が素晴らしいと心から理解し、私たちの修煉も応援してくれ、さらに30分坐禅することもできるようになりました。

 師のお守りの下、知恵に花を咲かせる

 私の地元の高校では、クラスを普通クラス、重点クラス、エリートクラスに分け、高校受験後、私は重点クラスに分けられました。父からコネを使ってエリートクラスに転入する話も持ち掛けられましたが、母と相談し、修煉者はこのような不正な社会風潮に参入していけないと思い、断わりました。

 高校1年の時、もともと2コマであった夜の授業を、担任が勝手にクラスの成績を上げるために、3コマに増やし、3コマ目を受けたくない人は、親から担任に申し出る必要がありました。母は法理から私と交流し、学法が第一であり、常人の中のこと(勉強)は自然についてくるものだという結論を出しました。母が担任の許可を得て、私は夜帰宅後に学法する時間ができました。高校1年の1年間で、不思議なことに私の字は、他人からよく書道を習ったのではないかと思われるほど、どんどんきれいになりました。これは大法が私にくださったのだと悟りました。高校2年でクラス分けをするとき、私は自然にエリートクラスに入ることができました。

 高校2年になり、学校で統一して夜に3コマの自習をしなければなりません。夜6時はちょうど自習の時間なので、教室はとても静かで、私は頭を下げて発正念をしていました。家に着くのは11時近くで、ご飯を食べながら母と学校の出来事を交流し、さらに30分の学法時間を作りました。同級生がみなプレッシャーを感じていた高校時代、私は一日中楽しそうにしているので、父は私の様子をみて、ずっと勉強を頑張っていないと思っていました。

 高校3年に上がるまで、私は作文が苦手で、毎回あれこれをまねし、作文は私にとって「大きな関」でした。高校3年のある試験で、「中華文明の真髄を詠む」という題の作文を書きました。作文を書くときすらすらと、大法を通して分かった道理が泉のように頭の中から沸いてきて、その時、伝統文化の名誉を正すということしか念頭にありませんでした。意外なことに、成績発表の日、先生は授業開始早々、この文章を「ミンクのコート」(豪華である比喩表現)のようだと絶賛してくれました。さらに二つのクラスに読ませました。家に帰って母とこのことについて交流すると、発想が正しかったから、大法が知恵を開かせてくださったと悟りました。それから、私は作文を書くたび、大法の中で分かった浅い法理を書き入れました。先生はよく私の作文を模範例として、クラス内でみんなに勉強させ、良い影響を与えました。こうして、作文は私の得意科目となり、師父のお守りの下、私の成績はクラス分けをした当初の47位から十数位まで上がりました。

 もちろん修煉の道はずっと順風満帆ではありませんでした。修煉者の一生は師父が按排されたとわかっているので、いい大学に受かることに執着することはありませんでしたが、時々成績に執着することがありました。成績発表のときはいつもドキドキして不安でした。心の中を深く掘り下げると、これは顕示心と嫉妬心があるからです。字がきれい、作文がうまいとほめられ、舞い上がっているとき、母はいつも私に「これはすべて師父からいただいたものよ、どうして舞い上がっているの」と言いました。また、成績が下がったときやプレッシャーを感じたとき、母は私に説教することなく、一緒に法理に基づいて原因を探してくれました。師父は「あなたは大法弟子ですが、あなたの社会での仕事は修煉ではありません。しかし、あなたの修煉は社会での仕事に反映されます」[4] とおっしゃいました。つまり勉強は我々子ども弟子の「仕事」ではないでしょうか。母の修煉状態がよくないとき、私のところに反映することもあります。母が執着心を放下し、あるいは修煉において正しい状態になれば、私もよくなります。師父はこうおっしゃったこともあります。「子供は時には山での行動や状態が良くないのですが、それは家にいる親の修煉が良くできていないと私に分かるのです」[5]

 大人の同修はしっかり身近な子ども弟子の面倒を見てほしいと思います。修煉は一番重要なのです。彼らはただの子どもではありません。同じ法門の弟子なのです。時には反抗期や学習において問題が表れるとき、ひたすら常人のやり方で説教したり、塾に通わせたりするのは、病気になったら薬を飲ませたり、病院に通わせたりするのと同じではないでしょうか。私の周りに多くいた、小さいときから一緒に修煉してきた同い年の子どもはみな常人に戻ってしまいました。本当に残念です。師父は「しかし、大きくなると、自我の観念が生じ、社会に影響され自我が強くなります。親が子供をほったらかしにすると、彼は社会の波に流されてしまいます。一部の大法弟子の子供は行いがかなり悪いのではありませんか? 常人の子供にも及ばない人がいます」[5] と説かれました。

 高校のとき、二つの危ない出来事がありました。一つは、ある夏休みに、私はバスケットボールに夢中になり、やりだすと4、5時間かかり、学法や煉功にも影響しました。すると、邪悪に隙をつかれ、足を捻挫してしまい、歩くたびにひどい痛みを感じました。家に帰ってから見てみると、くるぶし近くの骨の位置がずれていました。私は恐れず、恐れるものかという一念を抱いて、煉功しました。不思議なことに煉功すると足が痛くなくなり、後で発正念をするときに、くるぶしに一匹の小さな蛇が巻いていたのを見ましたが、1週間後には元通り走れるようになりました。

 もう一つは、ある晩自転車に乗って家に帰る途中、交差点を渡るとき車の音がして、まだ結構離れていたので渡ろうとしました。道路の真ん中まで行った途端、その車が猛スピードで私に向かって来ました。当時私の頭の中で「だめだ」と思いましたが、まるで違う空間に入ったかのように、その車は私の後ろの車輪をかすっていきました。同行していた同級生があまりの驚きで泣いてしまいました。私は師父が守ってくださったとわかりました。

 不良が反省し、恥を知って猛進する

 高校受験のあと、私は3点の不足で、希望していた国の難関大学を落ちました。そして省の有名大学に入りました。少し悔しい気持ちはあったものの、自分のものはなくす事がないので、今の大学に縁がある人がいるのだと納得しました。大学に入ってから、すぐ社会という環境に流されてしまいました。学法はしますが、同修の督促がなくなり、だんだん学法が疎かになり、三つのこともすっかり忘れ、だんだん常人社会に陥ってしました。ネットに夢中になり、歌や映画に執着し、男女の情に耽って成績も下がり、大学院の受験もあきらめました。心の底に、私は大法弟子だ、学法をしなければという一念がありながら、思想業の妨害を乗り越えることは難しいものでした。本当に泥沼に陥りそうなとき、師父が母を夢で悟らせ、電話をかけてくれて、私はしばらく維持することができました。こうして、私はのろのろと大学の4年間を歩みました。今振り返り、この上なく後悔しています。

 後から考えれば、小さいときから母と一緒に修煉し、大人の言うとおりに従っていただけで、自ら独立した法における認識と理解がほとんどなく、多くは大人の同修の「監督」に頼っていました。法理からどのようにすべきかを認識せず、自分が魔難や試練に遭うとき、とうしたらいいか途方にくれてしまい、まるで「頼る相手」がいなくなったかのようでした。本当は頼りにすべきものは法理であり、同修ではありません。私にも自分が悟るべきものが必要でした。

 卒業してから、理想の仕事が見つからず、壁にぶつかりました。私は近年の修煉状態を省みて、悔やむばかりでした。両親と相談し、再び大学院を受験することにしました。仕事のためでなく、今までしっかり歩めなかった道をしっかり歩みたかったのです。私は勉強に集中し、たった3カ月で半年の知識を補い、今は国の難関大学のA大学で研究しています。まさか「あのような」私がまた受験できたなんてと、同級生は不思議がりました。私はこれらはすべて法の威力だとわかっていました。

 受験の間にもう一つのエピソードがあります。大学院受験の成績が発表されてから、私は以前の「経験」に基づいて、この点数ではA大学の二次試験に進めないと思い、人為的にほかの学校にも申し込んで、滑り止めを探しましたが、失敗ばかりでした。母は私の状態をみて、何回も交流してくれ、師父も悟らせてくださったにもかかわらず、名利に目が眩んだ私は悟りませんでした。二次試験の準備にしっかり取りかからず、なんとか予想に反して二次試験に進むことはできたものの、二次試験の成績が悪く、先生たちが話し合ってから合否が決まるのでした。私は冷静になって内に向かって探し、自分が後天的な観念にとらわれ、修煉者の状態とかけ離れていたと悟りました。そして、修煉者として師父の按排に従えばいいと思いました。

 こうした中、A校の合格発表の日になりました。私は自分の名前が見当たらず、落ち込んでベッドに座り考え込みました。口では師父の按排に従うといい、どこへ行き、どういう人たちと縁を結ぶかは決まっているとわかっていながら、なぜ落ち込むのでしょうか。どこに行っても修煉できるのではないでしょうか。落ち込むのはこの学校があまりにも有名で、名利を求める心でした! 思いついてから私は釈然として、他の有名ではない学校に行くことにしました。しかし、数時間後、私はA大学の先生から合格したと電話をもらいました。

 ところで、青年同修とウィーチャットについて交流したいと思います。最初、私はウィーチャットを削除することに抵抗していました。若い人はみな使っているとか、学習や仕事にも便利とかいろんな理由を見つけました。その大きな原因は思想業で、自分には放下できない執着が阻んでいるのです。それから、私は削除すると決心し、携帯をリセットしました。釈迦牟尼が湯浴みをしようとして、弟子に浴槽を掃除させた法を思い出しました。明慧ネットの通知は必ず師父の了承を得ているのです。自分の観念で法を正す過程の必要なことを妨げてはなりません。理由なんて気にしている場合ではありません。本当にウィーチャットを削除したとき、法の威力は当初の懸念を解決してくれたのです。信じなければ試してみてください。

 私は大法の中の苗木のように、師父のお守りのもと枝葉が栄えています。今は三つのことがまだまだ足りず、身の回りの友達には真相を伝えていない人もいて、色欲や名利に対する執着、常人の観念に妨げられることもありますが、大法を頑なに修煉することはだれにも邪魔されないのです。

 青年同修は二度と自分を子ども弟子と見なさないようにしてほしいと思います。師父は私たちの年齢の衆生がまだたくさん救われていないとおっしゃいました。それはまさに私たちがまだできていないことの表れではないでしょうか。かつて私と同じように常人社会に陥っている同修に考えてほしいのです。この世に来た目的は何でしょうか。残る時間はわずかです。同修と一緒に精進していきたいです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』「第四講」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「道法」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「恐れ無し」
 [4] 李洪志師父の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
 [5] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/26/387780.html)
 
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