程度の異なる「憎しみ」を修める
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2020年2月2日】しばらく前、地元の数人の同修に病業の状態が現れました。皆は内に向けて探し、交流し、恐れる心、闘争心、嫉妬心、怨恨心、党文化などが病業を招く原因だと悟りました。しかし、多くの場合、それらの執着心を認識し、抑えようとしましたが、やはり、根っこから取り除かれていないように感じました。学法と内に向けて探すことによって、闘争心、嫉妬心、怨恨心、悪念などの人心には、程度の異なる「憎しみ」が混じっていることに気付きました。

 ある日、師父の『広州での説法』を聞いていたら、ふと、『共産主義の最終目的』の本の前書きに、「共産主義の本質とは『邪霊』であり、『憎しみ』と低次元の宇宙空間の腐乱物質によって構成されている。人類に悪意を持ち、人類を滅ぼそうとしている。この『邪霊』は、人の肉体を殺すことだけでは満足していない。なぜなら、肉体の死は生命の本当の死とならず、人の元神(魂)がまた輪廻して新たな命を得るからである。しかし、道徳観念が退廃し、回復の見込みがない人間は、元神(魂)が無尽の苦痛の中で徹底的に消滅させられてしまう。これこそ最も恐ろしいことであり、生命にとって本当の意味の死となる。『共産邪霊』はまさに、世の道徳を全面的に崩壊させることによって、全人類をこの未来永劫、再起不能の深淵に突き落とそうとしている」という内容を思い出しました。

 なるほど、今まで自分は考えや行動にある「憎しみ」の要素を取り除いていない、或いはその存在をあまり重視していないからだと思いました。私の心はぱっと開かれ、「憎しみ」の現れ方がはっきりと見え、「憎しみ」の程度によって、重度、普通、軽度とランク付けをしてみました。重度な表現には、敵対、敵視、復讐、陰険、残忍、見境もなく逆上する等があり、普通の表現には、愚痴る、不平不満をこぼす、ねちねちする、焦り、怒り、くしゃくしゃする等があり、軽度の表現には、不機嫌、顔をしかめる、横目で見る等があると考えました。細かく探っていけば、生活の中には、「憎しみ」の現れ方がまだまだ多くあるかと思いました。

 「憎しみ」を持っていれば、それは必ず私たちの気持ちや表情を通して現れてきます。それは、優しくなく、穏やかでなく、慈悲でない振る舞いです。なぜならば、「憎しみ」は真・善・忍と完全に対立するものですから。真・善・忍に同化する修煉者として、「憎しみ」の要素を徹底的に取り除かなければなりません。私達の考えや行動に「憎しみ」の要素があれば、それは私達がまだ共産党の邪霊に制御されていることになります。それだけではなく、「憎しみ」を持っていれば、私達はこの共産邪霊にエネルギーを注ぎ込み、私達が向上し、世間の人々と衆生を救う力を弱体化させるのです。

 共産邪霊の「憎しみ」の重大性をはっきり認識した時、私の心に遥か遠い空の果てから清らかな水が注ぎ込まれたように感じ、心の底にある物質が溶かされ、気持ちがより落ち着き、穏やかになり、身体にも変化が起きました。背中に赤いできものができ、舌もひりひりと痛く感じました。今まで、トラブルに遇えば、闘争心、嫉妬心、怨恨心、不平不満、党文化の要素を見つけ、表面上では大分落ち着いてきましたが、しかし、まだまだ人為的に抑えている部分があり、トラブルに遇うと、やはり心が動じました。この度、「憎しみ」がもたらすマイナスの作用をはっきり認識することによって、これまでにないような落ち着き感を感じました。最近トラブルに遇うと、もっと穏やかな態度で対応することができ、喋る速度も声も落とし、使う言葉もより正確になりました。

 如何なる「憎しみ」も、私達の考え方や行動にあってはなりません。旧勢力が当初共産邪霊を造ったのは、人類を破壊し、衆生が救われるのを妨害し、同時に大法弟子を試すのを口実にして迫害するためでした。共産邪霊は長年の洗脳教育を通して、邪悪な要素の主要部分の「憎しみ」を私達の頭に体に植え付け、それを持って我々を操ろうとしました。私達はそれをはっきりと認識し、自分をしっかり修め、世間の人々と衆生を救う究極の使命を果たさなければなりません。もし、「憎しみ」という物質を徹底的に取り除くことができれば、私達は邪霊から完全に解放されます。なぜならば、「憎しみ」は共産邪霊の主要な部分で、生命に「憎しみ」がなければ、多くの執着心も存続する土壌を失い、容易に取り除かれることになります。一方、昇華した後の私たちはもっと大法の基準に符合するようになり、人を救う事においてもっと大きな力を発揮することができるでしょう。

 
(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2020/1/12/398877.html)
 
関連文章