人を憎まず、物や金銭に淡泊になる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年6月25日】師父の慈悲なる済度により、私は多くの持病を患っていましたが、健康な身体に生まれ変わり、私利私欲な人から金銭に対して淡泊になり、何かあればまず他の人のことを考えるようになりました。ここで、家族と共に、師父と大法に感謝いたします。

 今の中国社会において、多くの家庭で、兄弟姉妹が親の財産をめぐって争い、殴り合いの喧嘩になり、または疎遠になり、あるいは財産の配分が均等でないと怨みを持ち、親の老後をみない例が多数発生しています。もし私が法輪功を修煉していなかったならば、私も恐らく家族問題に対処する際、皆と同じようにしていたと思います。

 法輪功は佛家上乗修煉大法で、人々の道徳水準を高め、心身ともに健康に導き、百利あって一害なしです。修煉後の私をみて、姑一家は大法の素晴らしさを知り、大法に対し反対から賛同に変わり、一家11人が中国共産党の関連組織から脱退しました。

 一、憎む心を取り除く

 私は1980年に結婚し、翌年娘を出産しました。姑は男女差別がひどく、私と新生児の娘をトイレの横に建てられた6㎡の暗くて、湿っぽい、臭い小屋に住まわせました。毎日用意してくれるのは素麺の1碗だけでした。食べようと食べまいと、それしかありません。私は食欲がなく、それでも娘に母乳を飲ませるために、いつも涙ながらに冷めた素麺を残さず食べるしかありませんでした。

 産後1カ月間の養生が良くなかったため、鬱憤が生じ、姑を憎んでいました。そもそも私は体がとても弱く、慢性関節リューマチ、偏頭痛、頚部脊椎症、心臓病、胃炎、坐骨神経痛などを患い、両脚は錨のように重く、歩行がとても困難になりました。普段はまだいいのですが、曇りや雨の日には全身が辛く、耐えられないほどでした。

 かつて、姑の誕生日の前日に、私はわざわざプレゼントを選んで用意し、持って行きました。しかし、理由は分からないのですが姑は怒り出し、プレゼントを持って私の部屋に来て、夜中までずっと私を罵り続けました。表面上、私は姑に謝りましたが、内心ではとても憎みました。口下手な私は喧嘩をしませんでしたが、姑からずっと離れていたいと考えました。

 心身ともに極限に達した私はひどい貧血になり、意識を失うことがたびたびあり、もうこれ以上生きていけないと思うほどでした。

 1995年、幸いにも私は法輪大法に出会い、修煉を始めました。毎日師父の説法を読み、5式の功法を朝晩2回煉り、1カ月も経たないうちにすべての病気が消えました。体が楽になれば精神状態も良くなり、人に優しく接し、他の人のことを配慮し、姑に対する憎しみも消えました。

 修煉して21年来、私は病気一つない真の幸せと喜びを感じ、薬を飲まず、注射をしたこともありません。毎日大法と接し、幸せな日々を送っていました。

 二、物や金銭に淡泊になる

 師父はこうおっしゃっています。「われわれ常人の社会の中で修煉をしているので、親孝行をするのも、子供をしつけるのも当然です。どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです。親だろうと子供だろうと誰に対しても同じように、何事につけてまず人のことを優先に考えるならば、それはもはや私心ではなく、慈悲心によるもので、慈悲そのものです」[1]

 それなら、私は良い人になることから始めようと考えました。1998年、新居へ引っ越しました。姑は私が住んでいた平屋のカギを求め、そこで洗濯などをすれば便利だと言いました。私は何も考えず鍵を渡しました。しばらく経ってから平屋を訪ねたところ、自分の衣服や所有物などが全部なくなっていることに気づきました。姑は「服は親戚にあげたり、私が着たりしている。ほかのものは売ってしまった。この部屋を人に貸そうと思う」と言いました。当時、私はすごく怒りを感じましたが、表面上では耐えました。

 その瞬間、師父の法が脳裏に浮かび上がってきました。「われわれの法門は、人心を真っすぐに指すもので、個人の利益や対人関係の軋轢において、それらのことを気にかけないでいられるかどうかが肝要です」[1]

 私は自分に言い聞かせました。「私は煉功者だ。真・善・忍を修めているので、忍すべきだ。師父の教えに従い個人の利益には淡白でなければならない。そうして初めて修煉者と言える」

 しばらく経ってから、姑は部屋を貸し出しました。当時、私は毎月家賃を給料から天引きされていましたが、姑は毎月400元の家賃を受け取っていて、年に4800元になりますが、そのすべてを所有しました。私は自分に「修煉者は物や財産に淡泊であるべきだ」と言い聞かせましたが、時には平然としていられませんでした。私は心を静めて法を学んで分かったのですが、煉功者は常人と争うべきではなく、むしろ相手のために考えるべきです。

 私は姑の立場に立って問題を考えてみました。姑は小さい頃から家がとても貧しく、金銭や物などのすべてを重く見ていました。それなら、姑の気が済むようにしてあげましょう。姑が家賃に言及した際、私は笑って「私の親孝行だと思って下さい。身体に良いものを食べて、もっと健康になって下さい」と言いました。

 姑は体が悪く、よく病院に行きます。その際、私はいつも同行し、入院となれば私は看病をしました。隣の患者さんから「娘さんですか?」と聞かれ、姑は誇らしそうに「嫁ですよ」と答えました。今になって言うのは簡単ですが、当時の私にとって良い嫁であることは本当に骨身に沁みるほど難しかったのです。私はいつも自分は修煉者であると考え、「真・善・忍」に基づいて言動を律し、名利に淡白で、利益を前にして争ったり、闘ったりしませんでした。

 先祖伝来の家屋が地域での土地開発に伴って、10軒の家が分けられることになりました。そのうちの4軒は非常に大きな家です。中国の伝統によれば、長男である夫がその財産を引き継ぐべきです。しかし、義理の姉妹たちは「兄さんには息子がいないので、私たちが家をもらうべきです」と言いました。舅と姑は「それなら、ちょうど子供が4人だから、大きい家を1軒ずつ分けます」と言いました。

 その瞬間、私は師父の説法を思い出しました。「はっきり分かっていながら利益の前において損を蒙り、また他人に利益を侵された時、あなたは他人のように争ったり闘ったりはしません。いろいろな心性の邪魔の中で、あなたは損を蒙っています。あなたはこのような厳しい環境の中で、意志を錬磨し、心性を向上させ、常人のいろいろな良くない思想に影響されながらも、そこから抜け出すことができるのです」[1]。私は煉功者として、淡々として利益を放棄し、家庭のトラブルを回避しました。

 しかし、姑は子供たちに家を全部分け与えてから後悔し、夜眠れないと言いだしました。私は自ら自分たちの大きい家を姑に返すと言いました。それを聞いた姑は喜んで、再び眠れるようになりました。3人の義理の姉妹たちは「兄嫁さんは法輪功を修煉していてやはり違いますね。法輪功を学ぶ人は本当に良い人です」と言いました。

 姑はよく隣人の前で私を褒めたりします。私は姑に「私は法輪大法により生まれ変わりました。師父は私たちに親を敬い、問題に遭遇すれば他の人のために考え、真・善・忍に則って自分を厳しく律し、良い人、さらに良い人になるようにと教えてくださいました」と言いました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/4/329298.html )
 
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