「ネズミの心」を取り除く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年10月16日】インドには、このような古い言い伝えがあります。あるネズミは猫を怖がるため、終日、苦痛と恐怖に襲われていました。ある日、ある魔導士がネズミに同情して、そのネズミを猫に変えました。しかし、猫になったネズミは今度は犬を怖がったのです。魔導士はまたネズミを犬に変えました。けれど、今度はまた豹を怖がり始めました。魔導士は再びネズミを豹に変えましたが、今度は人を怖がるようになったのです。しかし、魔導士はネズミを人に変えず、元の姿に戻し「私が何をしてもあなたを助けることはできないでしょう。なぜなら、あなたはずっとネズミの心を持っているのですから」と言いました。

 この古い言い伝えを見て思わず20年余りの間迫害を受けて、まだ恐怖心を抱いている同修たちのことを思い出しました。恐怖を抱くことがすでに習慣化し、抜け出せなくなっているのです。中国共産党の体制内で働いている同修は特にそうでしょう。恐怖心を隠蔽するためによく使っている理由が、身の安全に注意するということです。確かに、今は特別な時期なので、できる限り自分の身の安全に注意すべきでしょう。しかし、不必要な損失やトラブルを避けるのはもちろん正しいことですが、心配しすぎるのも良くないと思います。

 では、どうすれば恐怖心を徹底的に取り除けるのでしょうか?  ここで私個人の悟りについて交流していきたいと思います。伝統文化の中には「芸に優れた人は肝っ玉が大きい、腕前に自信のある人は大胆に物事をする」ということわざがあります。まさにその通りだと思います。法を正す時期の大法弟子は、様々な危険や迫害、そして圧力と直面している中で大胆になるには、まず優れた芸を持たなければなりません。優れた芸はないのに度胸だけある人は、俗に言う「無鉄砲な人」です。このような同修は長年、何度も刑務所に入れられてしまい、これではいけないと思います。

 芸に優れている基準に到達するには、個人の修煉が最も重要です。明白に言えば、修煉を最優先とし、向上したいという願望があり、自らを修煉者として見なし、常に内に向けて自分を探し、トラブルや衝突の中の苦痛などの様々な感情を気にせず、ひたすら執着を放下して、心性を高めることだけを考えることこそ精進なのです。

 最も重要なのは、妨害に遭ったときは必ず発正念をし、力を最大限に発揮することです。これは長年、多くの同修がまだできていない部分であり、トラブルや妨害に遭ったとき、発正念をしてもなかなか効果がありません。ある同修の昔の話をしましょう。当時、2人の同修が法輪功迫害の資料を配っているとき、悪人に尾行され、その後通報されて、自宅で警官に連行されました。警察署に着いたとき、担当者が留守だったため、しばらくそこに拘束されたのです。2人の同修は怖がる暇もなく、ひたすら発正念をし、同時に他の同修にメールを送りました。「すべての迫害を否定する」と5時間以上発正念を続けたところ、突然、恐怖心も心配もなくなり、今日は絶対にここから出られると確信できたのです。その後、担当者が戻ってきて、2人の同修に何もせず、すぐに釈放しました。この5時間の間、別空間では激しい善悪の戦いが繰り広げられていました。何の配慮もなく、ひたすら発正念を続けることは師父への信仰であり、師父が与えてくださった力を信じているということでもあります。見えなければ見えないほど信じることの尊さが現れるのです。

 20年余りの年月の中で、多くの同修は強い正念を持つようになり、自信も持つようになりました。武術で相手と戦うように、芸に優れていれば優れているほど自分に自信が沸き、負ける心配すらありません。このような同修たちの基礎はしっかりとしており、発正念時の正念の強さは、神様も感心するほど強大で、そして4回の発正念の時間帯に限りません。しかし、現在多くの同修がまだこのレベルに到達していないのも事実です。また、恐怖心が習慣化し、例え別空間はきれいに浄化されても、自分はすでに強力な神の力を発揮できるとしても、ネズミの心により最後の壁が突破できないのです。

 師を信じ、法を信じていれば、苦痛や面倒を恐れず、高度な芸を成す過程は自分を成就する過程でもあるのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/8/408666.html)
 
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