文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年11月25日】私は大法修煉に戻ってからは、格別に修煉の機会を大切にしました。修煉の中で、私は常に「師を信じ、法を信じ」、「師を敬い、法を敬う」という正念を持って、あらゆる魔難や関を乗り越えてきました。私の個人的な経験としては、心の中に法がある限り、常に法を第一位に考え、本当に師父を信じ、法を信じ、自分自身を修煉者とみなせば乗り越えられない障壁はありません。
ある時、激しい病業に襲われて、気絶して命を落としそうになったのを覚えています。最初に脳裏に浮かんだのは「私は死を恐れず、旧勢力によるこのような迫害を絶対に認めず、周囲の人々は大法を誤解してはいけない、大法に悪影響を与えてはいけません」ということでした。
またある時には、全身にムカデのような発疹ができ、かゆみや痛みがあり、顔が腫れて変形してしまい、完全に形が崩れてしまうというマンゴーアレルギーの症状が出たことがありました。この偽りの現象が深刻になるにつれ、心の中に不安や心配事が出てきました。しかし、結局のところ、修煉者である私は、病業の偽りの現象を見て、向き合う方法を知っていたのです。師父は「修煉できるかできないかということは、あなた自身が忍耐することができるかどうか、代償を支払うことができるかどうか、苦しみに耐えられるかどうかによって決まります。いかなる困難にも阻まれないほどの固い決意をもっていれば、何の問題もないでしょう」[1]と説かれました。私は固い決意を持って病業に向かって言いました。「私はあなたに脅されません、私はあなたを恐れていません、あなたは私に何ができますか」。 恐怖心を手放して、本当に真剣に受け止めなかった時には、その症状は消えていました。同時に、内に向かって探すと、その背後にある人心と執着が見えてきて、修煉の道に大きな一歩を踏み出すことができました。
私は、関を越えるとき、我慢して耐える自信がなくなったときに、師父の説法を思い出してみました。師父は「あなたが心性を向上させさえすれば、必ず乗り越えられるものです。それを乗り越えようとする気がなければ話は別ですが、乗り越えようと思えば、乗り越えることができるのです」 [1] 「柳暗花明又一村」 [1]と説かれました。
私は他の大法弟子と同じように、大小様々な魔難を経験してきました。うまく乗り越えられる時もあり、なかなか乗り越えられない時もあります。私の経験では、正念は大法からやってくるものであり、大法をよく学べば、正念は強く、道に迷うことはありません。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』