文/雲南省の大法弟子
【明慧日本2021年2月28日】(前文に続く)
三、83歳のBさん「真相を伝え衆生を救うことは誰にも止められない」
今年83歳になったBさんは、民国時代の布商の家に生まれました。11歳の時、父親の出張に同行した際に盗賊に襲われてしまい、それ以来、Bさんの家は落ちぶれてしまいました。 そのため、Bさんは小学校3年しか通っていませんでした。Bさんには6人の子供がいますが、生活の苦難から気管支喘息、リウマチ、胃潰瘍、低血圧、貧血など多くの病気で苦しんでいました。
1997年に法輪功を勉強して以来、Bさんはすべての病気が消え、83歳になった今も、大法弟子が行う三つのことを行っており、真相を伝え、衆生を救っています。
1999年に中国共産党(以下、中共)が法輪功への迫害を開始して以来、迫害の実態と「天安門焼身自殺事件」の真相を暴露するために、Bさんは他の同修と一緒に人々に伝えています。最初は資料をコピーして配布するだけでしたが、その後、より多くの人に真相を知ってもらうために、お互いに協力し合い機材を購入し、Bさんも自ら学び資料を作れるようになりました。
当時のBさんはすでに70代になっていましたが、あらゆる困難を乗り越え、師父の加持の下で、パソコンでDVDを書き込むようになり、周りの県や地区にも供給しました。Bさんは資料の作成をする以外に、他の同修と一緒に真相を伝え、配布することも多くあります。その後、一部の同修は連行され、労働教養を強いられたり、刑務所に送られたりしました。子供たちはBさんの安全を心配して、無理やり一緒に暮らすことになりました。
Bさんは子供たちのところに来ても、真相を伝えることを緩めていません。新しく知り合った60代と70代の同修と一緒に、真相を伝えるために出かけ、休んだことはありませんでした。ある時期、Bさんたちは列車、バス、また田舎行きのマイクロバスに乗って、近くの市、県、地区に行き、山奥や田舎の市場があれば必ず行きます。毎日一番早く出発する列車に乗り、最終のバスで帰りました。
Bさんたちは多くの苦しみを経験し、危険な出来事に出会うことも多くありました。真相を受け入れる善良な人たちは多くいますが、時には不審者に通報され、警官らに取り囲まれたり、連行されたり、実刑判決を受けたこともありました。どんな苦難や危険なことに遭遇しても、Bさんたちの世人に真相を伝える信念は揺るぎなく、今も堅持し続けています。
ある日、Bさんは4人の同修と一緒に他県の市場に、多くの神韻DVD(当時中国本土で配布可)と他の資料を持って行きました。途中で真相を伝え、資料を配布しながら進んでいきましたが、不審者に通報されたため、突然パトカー数台と多くの警官が現れました。これを見て、皆は山の上の森に向かって走り出しました。満杯の資料の籠を背負っている若い同修が、前に走って隠れましたが、年配者のBさん達4人は、警官らに連行されました。
派出所で、4人の中で少し若い同修は椅子に手錠をかけられました。みんながそれぞれ取り調べられ、誰も警官に協力せず、警官に真相を伝え続けました。
警官らが食事に行っている間、手錠をかけられた若い同修は目で合図をして、手錠を外して脱出しました。それを知った警官らは、半日をかけて追いかけ探しましたが、見つかりませんでした。夕食の後、警官はBさん達3人を旅館に送り、「ここで一晩過ごして、明日は帰っていいよ」と言いました。
ある日、Bさんたちは他県で真相を伝えているところを、警官に尾行され、取り調べをするために派出所に行くようにと言われました。Bさんたちは「警官は悪い人を逮捕すべきなのに、私たちは人々に真相を伝え、真・善・忍に従う良い人です。どうして警官は善良な人を連行するのですか?」と聞きました。警官は「じゃあ、俺たちはどんな人間なのか?」と聞いた時、「良い人を連行すれば良い人ではありません」とBさんたちは答えました。すると、警官らはBさん達引っ張りに来たので、皆が避けて前に歩いていました。どこに行っても警官がついてきて、長時間続きました。最後に、警官は「もう帰っていいよ、今度はここに来ないでくれ、真相を伝え、資料を配るなら、他の地域に行きなさい」と言いました。
2017年、Bさんと他の4人の同修は、市場で真相を伝えていたところ、中共の虚言を信じた人に通報され、地元の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保))の警官に連行され、数人がすべて実刑判決を受けました。Bさんも判決を受けましたが、執行猶予付きで、常に監視される状況になりました。しかし、Bさんは「三つのことを行い、人々に真相を伝え、人を救うことは、誰にも止めることができません」と話しました。
83歳になった現在も、Bさんは相変わらず毎日外に出て、真相を伝え、人を救っています。
四、81歳のCさん「人がいるところならどこへでも真相を伝えに行く」
81歳のCさんは、法輪功を修煉する前にリウマチ、頭痛、めまい、メニエール症候群などの病気を患い、発作が起きた時には空がひっくり返るほどの痛みが走り、死よりも辛いものでした。薬をたくさん飲んでお金をかけても治りませんでした。持病のためCさんは性格も悪く、家庭内のトラブルが多くありました。
1997年、Cさんは法輪功が健康保持の効果があると聞いて、すぐ学びました。 やがて、Cさんの病気が治り、性格も良くなり、家族との関係も改善し、いくら損をしても気にしなくなりました。
1999年7月、中共が法輪功を迫害し始めた時、Cさんは毅然として外に出て、同修を励まし、大法を守り、人々に真相を伝え始めました。また、率先してボランティアの協調の仕事を担当し、資料の制作と配布などに協力しました。Cさんは法輪功を放棄せず、人々に真相を伝え続けたとして、何度も連行され、拘禁され、労働教養を科され、実刑判決を受けました。2020年、3回連行されましたが、Cさんは悪質な要求に協力せず、堂々と警官らに真相を伝えたので、3回とも正念で抜け出しました。
ある日、地元の警官がCさんの家にやって来て、Cさんが住宅地で法輪功の資料を配布しているところを監視カメラに撮って、派出所で尋問を行うと言いました。Cさんは「話があれば、家で話して下さい」と言うと、警官は「派出所に行かなければならない 」と言って、数人の警官がCさんを無理やりパトカーに押し込みました。
派出所に到着すると、若い警官が横暴な態度で尋問を始めました。Cさんは笑顔で「若いお兄ちゃん、年齢的に私はあなたのお婆さんになれると思います。人はお互いを尊重し、良心を持って行動することを学ぶべきです」と言いました。警官は態度を改め、優しい口調で「法輪功をいつ修煉したのですか? この本はどこからですか? 法輪功の資料をどこで配布したのですか?」と聞きました。
Cさんは「1997年、法輪功への迫害が始まる前に、私は多くの病気に悩まされ、法輪功の修煉を始めました。やがて、病気も痛みもなくなり、健康になりました。 私は81歳になりましたが、今も健康でいられるのは法輪功のおかげです。『轉法輪』はどこで手に入れたのかと聞かれましたが、新華書店で買いました。法輪功が迫害される前には、法輪功の本はどこでも買うことができました。法輪功は佛家修煉大法であり、真・善・忍に基づいて良い人になるように、超常な人になるようにと教えられています。これほど良い功法が弾圧されており、私はその真相を世間の人々に伝えたいのです。聞いてくれる人がいるならどこでも、私は伝えに行きます。資料が欲しい人には、私は配布します。私がやっていることは、人々を救うことであり、良いことであり、違法なことはしていません。 善悪の報いは道義であり、法輪功を迫害した人には将来、報いがあります。人々は自分がしたすべてのことに自分で負担しなければなりません」と伝えました。
記録が終わった後、警官はCさんに署名させようとしましたが、Cさんは「あなた達に悪いことをさせないように、宇宙大法に対する罪を犯さないために、私は署名できません」と言いました。最後に警官は「サインしないなら、それでいい」と言い、Cさんを家まで送ろうとしました。Cさんは「ありがとうございます。自分でバスに乗って帰ります」と言いました。
五、88歳のDさんの忘れられない思い出
88歳のDさんは会計士を退職し、省都の娘と同居しています。2001年、Dさんは他の資料を作る同修と相次いで連行され、懲役3年の実刑判決を宣告されました。Dさんは当時の様子を振り返りました。
迫害が始まってすぐ、私は「自分は大法の恩恵を受けました。今日、大法は迫害され、師父は誹謗中傷を受けています。自分は大法のために立ち上がって公正なことを言わなければならず、大法を守ることはすべての大法弟子がすべきことです」と言いました。当時、雲南省ではインターネットに繋ぐ作業ができる同修は非常に少なく、ほとんどの資料は省外の同修から送られてきたもので、しかも1枚の白黒のものでした。私たちは主に資料を持ってコピー屋さんで印刷して、同修で分けて配布していました」
「当時、公安の関係者による監視がとても厳しく、夜にコピー屋さんに行って、翌日の夜に取りに行くしかありませんでした。たまに急ぎの資料があり、印刷できるまでずっと待たなければならず、いくら遅くなっても気にしたことはありません。すべての道路に黄色い腕章をつけた警備員が配置され、あらゆる所で歩行者に違法な捜索が日常茶飯事のように行われ、何度も危険な状況に遭遇しましたが、すべて師父のご加護の下で乗り越えました」
「コピー屋の店主は真相を理解している人でした。当時、多くのコピー屋は法輪功の資料をコピーすることを恐れ、中には通報する者さえいましたが、その店主は昼間には通常の仕事をして、夜には法輪功資料の印刷を手伝い、印刷量が多いため、毎回夜遅くまで印刷していました。その後、法輪功の資料を印刷していることが暴露されたため、彼は店を閉め、引っ越しました」
「当初、1人の同修だけがパソコンを持っていて、資料、パンフレット、『明慧週刊』、お守りなどの作成を担当し、各地に資料を提供していました。資料拠点を多く増やすために、皆がパソコンを学ぶことにしました。その頃、私はもう70代になりましたが、常人の考えから抜け出し、修煉者に年齢は関係ないと思い、パソコンの勉強を始めました」
「まず、パソコンの前で手を合わせて、キーボードの英字を覚えられるように師父にお願いしました。瞬間、頭のてっぺんにT字型の亀裂が生じたように感じ、熱い流れが頭の中から出て、頭がスッキリしました。その後、短い間でアルファベットの大文字と小文字をすべて覚えました。同修が丁寧に教えたことをメモにとり、家に帰ってからも何度も何度も練習しました」
「このように、ダウンロードの仕方やDVDの書き込み、MP3やMP4のインストールすることができるようになり、また、脱党センターにリストを送ることや、明慧ネットに真相を伝えるための電話番号を送ることもできるようになりました。この中で大法の奇跡を体験し、師父の偉大さと慈悲を感じました」
「刑務所から解放された後、娘は私のことを心配し、外出することを禁じました。私は内緒でパソコンを習っていたので、娘たちには内緒にしていました。ある日、明慧ネットを開いている最中、突然婿が部屋に入ってきましたが、何も言わずに、ただ『安全に気をつけて』と言いました」
「私の心は一瞬にして安堵しました。慈悲深い師父は私のためにすべてを整えて下さり、私にもっと精進して人心を放下させ、もっと多くの衆生を救ってほしいことを知っています」
(続く)