文/雲南省の大法弟子
【明慧日本2021年3月2日】(前文に続く)
八、80代のEさん「『轉法輪』が読めるようになった」
80代のEさんは学校に通ったことがありません。以下は、Eさんが語った修煉の体験です。
私は子供の頃から体が弱く病気がちで、3歳の時に両親が亡くなり、祖父と2人で暮らしていました。1995年に車にはねられ、道路から5、6メートル放り出され、右手首を骨折しましたが、他の所はみな無事でした。
1997年9月、63歳の時に法輪大法を学び始めましたが、毎日煉功場で『轉法輪』を手にして、同修たちが読むのを聞くだけで、自分も読みたくてたまりませんでした。当時、字が読めなくても『轉法輪』を離したことはなく、どこへ行く時も持って行き、人を見かけると数行くらい教えてもらったりしていました。誰も居ないときには、読めなくても『轉法輪』を手に持って見るだけでした。
慈悲深い師父は私の知恵を開いてくださり、奇跡が起こりました。 ある日の夜、『轉法輪』を手に取って知らずしらずのうちに声を出して読んでいました。私は『轉法輪』が読めるようになりました! 街で叫びたいほど感激しました。 その夜、一晩中涙が流れました。
2000年7月、妊娠7カ月の娘と一緒に法輪大法の無実を訴えるため北京に行きましたが、追いかけてきた現地の警官に連行され、連れ戻されました。そして、尋問され写真を撮られ、家宅捜索を受けました。留置場に送られ、娘は妊娠中のため入所を拒否されました。「法輪功を学んでいなければ、私はとっくにこの世に居なかったに違いありません」と言いました。話を聞いた警官は何も言わずに家に帰らせてくれました。
2002年1月6日、娘は法輪功迫害の実態を人々に伝えていたところ、警官に連行され、2年の労働教養を強いられました。当時、孫がまだ1歳3カ月で、私は毎回子供を背負って面会に行きました。警官に「まだ法輪功を修煉しているのか」と聞かれた時、私は孫を指差して「見て下さい。この子の母親は良い人になろうとしているだけで連行され、こんな幼い子どもが母親の愛情を失いました。もし私が法輪功を学んでいなければ、子どもの面倒をあなた達が見なければなりません」と答えました。すると、警官は無言でした。
娘は法輪功を放棄しないため、さらに10カ月の刑期を加えられ、2004年10月に帰宅しました。子どもが『洪吟』の詩を数十首も暗唱できるようになったのを見て、娘は涙を滲ませながら「師父に見守られているから、この子はこんなに可愛いく成長できた」と言いました。
80代の私ですが、同修と一緒に資料を配布したり、真相を伝えたりして、全く疲れを感じません。師父が人を救うための時間を与えて下さったのを知っています。師父の要求されている基準にはまだまだ距離がありますが、緩まずに真修の弟子になり、勇猛精進して師父について家に帰ります。
九、80代のJさん「法輪大法の超常を実感した」
1998年2月に修煉を始めたjさんは、すべての病気が完治し、楽観的になりました。以下は、Jさんが語った修煉の体験です。
孫は、大人が法を読むのを聞くのが大好きで、私と一緒に煉功をしたりします。4歳の時、母親の自転車から地面に落ちましたが、何事もなかったのです。 5歳の時、野菜市場に連れて行き買い物をした時に、梨売りの秤の重りが滑り落ちて、孫の頭を直撃しましたが、無事でした。
1999年7.20前に法輪功を学んでいた息子は、迫害の後にやめましたが、ずっと私を支持しています。2009年4月のある日、息子は自転車に乗っていたところ、対向車のトラックにぶつけられ、自転車と一緒に10メートル以上引きずられました。息子は病院に運ばれました。医者は赤泥にまみれた息子の左足を十数本の水薬できれいにしてみると、膝の下の肉がなくなり、骨だけが残っていることがわかりました。皮膚移植の手術をする際に、麻酔を使うと良くないということで、麻酔なしで太ももの皮膚を切り取って左足に縫い付けたそうです。2回の手術とも麻酔なしで行ったのですが、医者のナイフとハサミの音がはっきり聞こえていた息子は、痛みを感じませんでした。その場にいた人たちはみな不思議に思いました。
息子は2カ月以上入院しました。退院の初日には2本の杖で二階に登って帰宅し、翌日には杖を使わずに二階に上がりました。現在、息子は順調に回復しており、後遺症は一つも残っていません。息子が言うには、トラックにはねられた時、黄色い服を着た師父が助けに来られたのを見たそうです。私は息子に「師父はまだあなたの面倒を見てくださっています、自分の誓約を果たして、師父の慈悲で苦心なる済度に背かないように早く大法の修煉に戻りなさい」と言ってあげました。
2001年から2002年までの間、邪悪が最もはびこっている時期に、私は「法輪大法は素晴らしい」を紙に書いてコピーし、それを配布しました。今ほど上手に作れませんでしたが、邪悪を震え上がらせ滅する役割を果たしました。
毎年、大晦日の夜には、宣伝掲示板に法輪功の資料を貼りに行きます。新年の期間中には、みんなが年越しで忙しくて街頭の宣伝物をほとんど変えないので、翌日になると、みんな街に出て見る人も多いのです。師父のご加持のもとで、数年かけてあちこちに貼り付けましたが、いつも無事でした。
2005年の旧正月の前、私は田舎を含めてある大きな街に行って資料を配りました。その時に、私服警官に尾行され、心の中では少し不安になりましたが、すぐ師父にお願いしました。最後に無事に帰宅できました。
(続く)