雲南省の年配大法弟子の修煉物語(一)
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文/雲南省の大法弟子

 【明慧日本2021年2月27日】雲南は美しく神秘的な場所で、古代の文化をそのまま引き継いでいる民族が住んでいます。太極拳の始祖である張三豊や王重陽、観音菩薩などがこの地域で多くの奇跡を残し、今日まで人々の間で伝わっています。

 1992年5月13日、法輪大法は李洪志先生によって長春から伝え出されました。1994年8月、法輪大法は雲南省に伝わり、すぐに雨後の竹の子のように人から人へ、心から心へと広がっていきました。1999年7月20日、中国共産党(以下、中共)の江沢民集団による法輪功への狂気じみた弾圧が始まり、現在に至るまで21年以上続いていますが、法輪功は根絶されるどころか、世界100カ国以上に広がっています。世界の人々は法輪大法に対する認識を高め、法輪大法こそが人々が救われる唯一の希望であることを知っています。

 雲南における法輪大法の広まりを振り返れば、雲南の各民族の間には多くの物語と好印象が残されてきました。以下は、法輪大法を実践してきた数人の高齢者の物語をご紹介します。

 一、88歳のAさん「師父は私を救い済度され、私は世人を救う」

 Aさんは90歳近い年齢ですが、見た目では60歳くらいに見えます。肌のきめが細かく、顔色は白く赤みがさし、目と耳は澄んでいて、頭は明晰でいきいきとしており、風を切って歩くように元気が溢れ、常に穏やかな表情をしています。Aさんが法輪功迫害の実態を伝えている時、人々はAさんの年齢が90歳近いことを知って、みんな驚きました。

 Aさんは貧しい家庭に生まれ、先祖代々佛を信じていました。当時、幸運にも地元で開催された李洪志先生の法輪大法講習会に参加したAさんは、先生と一緒に記念写真を撮ったことがあります。それ以来、彼女は長年の悲願を実現し、法輪大法の修煉の道に入りました。

 「師父の法を伝授する講習会に参加してから、生まれ変わり、病気が消え軽快な身体になりました。自分は大法のために生まれてきたと分かり、この素晴らしい功法をもっと多くの人に学んでもらいたいと思いました」と話しました。そして、友人や親戚に法輪功を紹介し、公園や地域で「真・善・忍」の素晴らしさを紹介し、省外にも法輪大法を広めました。法輪功を学びたい人がいれば、Aさんはいつも熱心に教え、多くの人々が法輪大法の修煉に入りました。

 1999年7.20、中共の江沢民集団が法輪大法を弾圧し始めました。当時70歳だったAさんは法輪大法への確固たる信念を表明したため、1年間の労働教養を科され、非人道的な拷問を受けました。

 警官の指示を受けた受刑者に殴られたり、舌でトイレを舐めるように強制されたりして、身体がアザだらけになっていました。労働教養所では、立ったままの姿勢を強制され、罵倒され、労役をさせられました。それでも、法輪大法を堅持し続けました。

 労働教養所から解放された後、師父が要求される三つのことをしっかり行い、人々を救うために迫害の実態を伝え続けており、休んだことはありません。Aさんの特徴は、よく大勢の前で真相を伝えることです。公園で運動や活動を終えた人たちを見ると、Aさんは率先して彼らと話をしたり、またいくつかの柔軟な動きをしたりして、自分の年齢を推測させていました。

 人々はAさんが80代であることを知って、誰もが驚きの声をあげ、Aさんを囲み健康の秘訣を聞きました。その時、Aさんは自身の体験を生かし、大法の素晴らしさや、健康保持の奇跡的な効果を伝えるのです。「私は以前、 バッテリー工場で働いていたのですが、一緒に働いていた同僚は皆、鉛を使った仕事をしていたため、慢性的な鉛中毒で亡くなりました。私だけが法輪功のおかげで、今でも元気に生きています」とAさんは話しました。

 ある日、Aさんはある男性に法輪功迫害の実態を伝えました。終わった後、男性は「私が誰か知っているか? 〇〇公安局長だ」と言いました。「誰であろうと気にしませんよ、今日出会ったのは縁によるものだと思います。私はあなたを救いたいのです」とAさんは答えました。その局長は「本当によく話してくれた。今後、人と話すときは、まず相手の職業を聞いて、身の安全に気をつけて下さい」と言いました。

 ある日、Aさんは公園で、芝生に座ってリーダーらしき人がスピーチしているのを聞いているグループを見かけました。男性のスピーチが終わると、Aさんは「私も話してもいいですか?」と聞いた時、「何を話しますか?」と言われたので、「健康法についてです」とAさんは答えました。男性は「いいですよ」と、皆にしっかり聞いて下さいと言いました。そして、Aさんは自分が法輪功を学んで体験したことを話しました。みんなは真剣に聞いて感心しました。話のあとに、Aさんは手元の資料とお守りを皆に配り、手持ちの36部の資料をすべて渡すと、資料はピッタリ36人分だったそうです。

 長年来、Aさんは休んだことなく、人々と向き合って真相を伝えてきました。「師父は私を救い済度してくださり、私は世人を救います。自分が立てた誓約を実行し、『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を人々に伝え、師父が要求された通りにもっと真相を伝え、もっと多くの人々を救います」とAさんは常に話しています。

 二、呉さん(97)の証言 「昆明22番バス車輪の下の奇跡」

 呉興蘭さんは、家が貧しく苦労していたので、幼い時からくる病と軟骨病を患い、その後、また心臓病と低血圧に悩まされ、背中が曲がっているため、身長は140センチしかなく、体重が40キロ前後で、生涯を通じて虚弱で病気がちでした。

 1997年9月、呉さんは幸運にも法輪大法に出会い、それ以来、病気から解放され、家族4世代が楽しく生活できるようになりました。1999年7月、中共が法輪功を迫害して以来、一家は正常な生活ができなくなりましたが、呉さんはこの迫害に直面しても修煉を放棄せず、自らの体験を持って法輪大法の素晴らしさと超常さを人々に伝えています。

 以下は、呉さんが語ったスリリングな体験です。

 1999年5月13日の出来事です。 その日、私は昆明22番のバスに乗って終点の北駅に到着しました。いつものように他の乗客を優先に下車させ、最後に降りました。足が地面に当たった瞬間、後ろからいきなり満員の乗客を乗せたバスが走ってきて、ものすごい勢いで私を倒し、タイヤが私の右足から顔の右側まで轢きました。私は大きな声で「バスを止めて、これ以上行くと頭が割れてしまう、下に人間がいるよ!」と叫んで、車が止まりました。

 私はタイヤの下に横たわって、左前のタイヤが私の胸と顔の上に乗っていました。その時、駅のホームの人たちが駆けつけきて、タイヤの下から私を引っ張り出そうとしたのですが、タイヤに挟まれて引っ張り出すことができませんでした。 「バスがバックしないと」と誰かが提案しましたが、運転手はパニック状態で運転の仕方が分からなくなっていました。そこでみんなでバスを押し戻すと、またもやタイヤが私の腹部を轢いて右足の上に乗ってしまい、それでも引き抜くことができませんでした。みんながもう一度バスを押して動かし、ようやく車の下から私を引っ張り出して座るようにしてくれました。その時、あまりの恐怖でみんなの顔が真っ青になり、大勢の通行人も私を囲んで見ていました。

 私は足を動かしてみて、大丈夫だと思って、力をふり絞って立ち上がり、「大丈夫です、大丈夫ですよ、あなた達は帰って下さい。私は家に帰ります」と言いました。

 この時、バス会社の責任者と交通警察官も現場に駆けつけ、私を病院に送って検査と治療を受けさせようとしました。私は「私は法輪功の修煉者なので、大丈夫です。見て下さい、手足も動くし、元気なので病院に行く必要はありません」と言いました。交通警察官が「法輪功を修煉している人は薬を飲んではいけないことを知っている 」と言ったので、私は大きな声で「法輪功のどの本にも、薬を飲んではダメだと書かれていません。本当の修煉者は病気がなく、健康だから、薬を飲まなくても大丈夫です」と言いました。

 みんなが私に病院に行くようにと説得しました。ある人は涙を滲ませながら「おばあさん、病院に行かないと私たちは納得いかないです」と言い、 私は「心配しないで下さい。私は法輪大法を修めているし、師父に見守られているから、大丈夫です」と言いました。

 交通警察官は人ごみの中でカメラを持って、「立案する」と言って写真を撮ろうとしました。「写真を撮って立案すれば、運転手が厄介なことになるではないか」と思って、 右手を上げて、大きく腫れ上がっている顔を覆いました。交通警察官に名前と住所を聞かれた時、大法弟子はどこにいても良い人、さらに良い人にならなければならず、何事につけても他人を優先に考えるべきだと師父の教えを思い出し、その運転手が懲戒処分にならないように、しびれている肩の痛みを我慢して、懸命に腕を上げて手首や指を動かして見せながら、「ほら、何の問題もないですよ 」と言いました。

 バス会社の責任者は私を事務所に連れて行き、「病院に行かないなら、お金をあげましょう」と言ってくれました。「お金はなおさら要りません」と答えたので、「それでは、電話で家族を呼んで来てもらいましょうか?」と言いました。 私はすぐ「私には子供や孫が三十数人おり、ほとんど修煉者ではなく、私の今の様子を見たら、あなた達を許さないでしょう。条件を出してあれこれ要求して、終わりはありません。彼らには知らせないでください」と言いました。

 2時間ほど繰り返して説明した結果、彼らは私を家まで送ることに同意しました。

 帰りの際、「運転手がわざと事故を起こしたわけでもないし、運転手を困らせないで下さい」と会社の責任者に言いました。家に着いた時、腫れ上がった顔を近所の人に見られないように、上着を脱いで頭に被せました。2階まで彼らに支えてもらいましたが、その後、痛みに耐えながら1人で4階まで登って家に帰りました。夫は、私が上着を頭に被っているので私の顔を見ていません。私が交通事故に遭ったことも知らず、私に「代金を払ったか」と聞きました。私は慌ててバス会社の人に「ありがとうございます。お仕事は忙しいですね、早く戻ってください」と言いました。

 彼らが帰った後、夫に事情を説明しましたが、その深刻さを夫は知りませんでした。煉功の時間になったので、早く煉功に行きなさいと促しました。夫が煉功に出た後、私はベッドに横たわり、最初は胸がとても苦しく感じ、続いて汚物を大量に吐きました。そして、お腹は海がひっくり返ったように辛く、壁にもたれながら必死に歩きトイレに行きました。この全てを夫に見られないように、痛みに耐えながらモップで掃除をしました。

 情報を聞いた同修たちが見に来ました。その時、私の右目と頭の右半分が10センチほど腫れ上がって変形し、右目は一本線のようになり、両目の周りと顔の上半分が紫黒くなっており、胸の右側も10センチ以上腫れ上がっていて、右足は全部紫黒く、右足の指は黒くなり、皮膚は腫れてテカテカになっていました。私は大難から一命を取り留め、大法の威力に誰もが感嘆しました。

 私は終始心性を守り、学法を続けていたので、7日後にはすべての腫れが引きました。師父は私に第二の人生を与えて下さいました。私の奇跡は、同修を励ましただけでなく、法輪大法の超常さと奇跡を人々に見せました。

 事故から3日目、運転手は恋人と一緒に見舞いに来ました。私は「気にしないで、安心して運転して、仕事を頑張ってください」と運転手を慰めました。

  (続く)

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(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/17/420892.html)
 
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