雲南省の年配大法弟子の修煉物語(三)
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文/雲南省の大法弟子

 【明慧日本2021年2月28日】(前文に続く)

 六、80代の科学技術者のストーリー

 明明さん(ペンネーム)は、退職前から国家手当を享受していた科学技術者です。明明さんは四川省峨眉県で生まれました。祖母と母親は一生佛を敬い、先祖は皆、心優しく勤勉であるため、祖母や母の世代の影響もあり、若い頃から明明さんは神佛の存在や、「善悪には報いがある」ことを信じ、名利に対して無関心な人生を送ってきました。

 1997年3月、明明さんは法輪大法の修煉を始めました。十数年来、師父の教えに従い、毎日『轉法輪』を通読し、師父の説法ビデオ、録音、各地の説法を繰り返して勉強し続けています。

 1999年7月20日、中共による法輪功への迫害が始まりましたが、明明さんが法輪大法を修煉する意志は少しも揺るぐことなく、「法輪大法を修煉することは、私の人生の宿願です。自分の命で師が法を正すことに手伝い、真相を伝え、衆生を救うことは大法弟子の神聖な歴史的使命で、緩めてはいけません」と明明さんは話しました。以下は、明明さんが学法チームで交流した内容です。

 1、1人で北京へ陳情

 2000年5月、私は法輪功の無実を政府に説明するために、法輪功と師父の潔白を取り戻すため請願書を書き、北京へ陳情に行く準備をしました。しかし、切符を予約した時に、地域の関係者に知られてしまいました。彼らが来て陳情に行くのを止めようとしたのですが、彼らに協力せず、とりあえず1人で北京に行き、国務院陳情部門に堂々と陳情書を提出して、無事に帰りました。

 北京から戻った後、派出所の警官らがやってきました。「私は中国の国民で、元国家公務員であり、国家機関や職員に反映、批判、提案、監督、告訴する権利があります。これは『憲法』が国民に与えた権利です。あなた達は法輪功学習者(以下、学習者)の粗を捜し、何かをでっちあげるなら、明らかに憲法違反ではありませんか? それは冤罪を作り出しているのではないでしょうか? 将来、法輪功が名誉を回復する時、あなた達は言い逃れられるのでしょうか? 文化大革命の歴史的教訓はまだ足りないのでしょうか?」と言うと、警官らは「上に言われたから仕方なく来たのだ」と言い、何もないことにしました。このことから、師父が説かれた「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[1]を本当に実感しました。

 2、邪悪に協力しない

 2000年に学法交流会に参加しましたが、参加者の40人ほどの学習者が全員派出所まで連行されました。警官の1人が、私が持っている『轉法輪』を取り上げようとしましたが、私は拒否し、警官に法輪功迫害の実態を伝え続け、彼らの行為が市民の信仰の権利を侵害する違法行為であることを指摘しました。最後に、警官は私を解放しました。

 3、大法弟子は何でもできる

 私は2012年に75歳になりました。当時、真相を伝えることはとても大きな力を発揮しており、資料の需要も多く、同修の負担を軽減するため、資料拠点を設置することを決意しました。パソコンのことを何も知らない私は、パソコンを習い始めた時マウスさえ使えない状態でした。年を取って手足の動きが悪く、同修が教えてくれたことをすぐ忘れてしまいます。しかし、自分は大法弟子だから、何でもできるし、どんな困難も恐れないと思いました。そのため、作業の各ステップをメモして、時には手順を覚えるために何度も何度も練習しました。

 師父の加持の下で、私はすぐにパソコンの操作ができるようになりました。資料を早く上手に作るために、良いレーザー印刷機械を買って欲しいと海外の娘に頼みました。娘が友人にお願いしたところ、学習者の父親の注文だと知った友人は、喜んで受け入れ、法輪功に貢献したいと、寄付してくれました。娘は印刷機械を持って税関を通ってもチェックされず、本当に師父が守って下さったのです。

 4、汶川大地震、師父に見守られ災害を避ける

 2008年初頭に、都江堰でクラスの同窓会を計画し、5月12日に予定していました。私は不吉な予感がして、都江堰まで足を運び、同窓会を4月に前倒しするか、または延期することを提案しましたが、採用されませんでした。5月12日汶川地震の早朝、私は成都から都江堰までのバスに乗り、衆生の救い済度を妨げる他の空間のすべての要素、黒い手、共産邪霊を取り除くために、ずっと発正念をし、師父のご加持をお願いしました。

 その日の午前、都江堰市政府のホテルでチェックインしました。 昼食の後、14時28分に地震が発生しました。その時、建物全体が揺れ、テーブルや椅子が倒れ、天井と壁からコンクリートブロックが埃がかった床に落ち、灰色の埃が舞っていました。同じ部屋にいた同級生が怖くなってベッドの下に潜り込みました。私は慌てずに床に座って発正念をしました。

 同級生の夫婦2人(地震の時に1階に駆け降り、倒壊した登記室に埋もれた)を除いて、残りの40人は無事でした。私たちが泊まっているホテルはほぼそのまま倒壊しませんでしたが(別館の登記室を除く)、対面のビルは全部消えていました。師父がみんなを救って下さったことを、三退した数人の同級生も知っており、大変感激して師父に感謝していました。

 七、80代の父親が生死の関を乗り越える

 我が家は2000年8月に大法を学び、両親ともに90代です。歩んできた修煉の道には多くのことを経験し、大法の奇跡を体験しました。一番印象深いのは、2008年12月に父親が生死の関を乗り越えたことです。

 2008年12月初旬のある日、父は干した布団を納めようとした時に、急に鼻に熱がこもり、血が出てきました。すぐに首の後ろに冷たい水をかけましたが(常人の方法)、鼻血は止まるどころか激流のように流れ、階段は血だらけになってしまいました。父はパニックになり、「病院に行った方がいいんじゃないか?」と母に言いました。母は「修煉者は病院に行くわけがないでしょう」と言ったので、父も病院は常人の病気を治療するところで、自分は煉功者だから、常人にお願いするわけがないと思いました。

 私は急いで家に帰り、父に「何も考えないで」と言い、迫害する邪悪を全て取り除くように一緒に発正念をしました。10分ほど過ぎて、出血が止まりました。私は「病業があるとは言え、学法と煉功を緩めてはいけない」と両親に言いました。両親は今日から煉功を再開すると言いました。少し前に母は足と腰を負傷し、起き上がれなくなり、父は「病状」が現れ、熱を出し咳が出て寝込んでいたので、1週間以上も煉功していなかったそうです。

 夕食の後、妻が『精進要旨』を出して、両親と一緒に勉強しました。父は、学法が心に響いたと言いました。今まで、父は商売のことばかり考えていたそうです。

 夜中4時頃、父はまた鼻血が出て、口からも流れ出て、ベッドの上は血だらけになっていました。私は両親に「怯えないで、余計なことを考えずに、流れ出ているものはすべて悪いものです。師父と大法を信じている限り、乗り越えられない関はなく、内に向けて探し、今はどこがうまくできていないか、何かを放下できないかを考える必要がある」と言いました。みんなで一緒に発正念をし、しばらくすると、鼻血が止まりました。

 父が寝ついた後、私たちも寝ました。朦朧としていた妻は、「早く、お父さんが死んだのよ!」という声が聞こえました。妻はすぐに「私たちは修煉者だから、ありえない」と言いました。この前、母が負傷した時も、4歳の息子は天目から、父が流血した場面を見たと、「おじいちゃんは死ぬかもしれない」と言ったことがあります。父の鼻血が止まった後、姉もまた、耳元で「あなたのお父さんは死んだ」という声がずっとありました。この事を利用して、私たちの家族の情を試されているのだと分かりました。師父のご加持の下で、私たちは乗り越えました。師父に感謝します!

 3日目、父の鼻血はまだ出ていて、紙でいくら拭いても間に合いません。紙を敷いたビニール袋を持って、直接、鼻血を受けるようにしました。その時点では、私は心が落ち着かなくなり、他所に住む姉に電話をしてみました(家族の皆に大法を紹介したのは姉です)。 姉は、すべてが仮相で、師父がおっしゃった「一つの心も動じなければ、すべての動きを制することができるのです」[2]を忘れずに、心の中にある法に則っていない考えとすべての良くない念を直ちに滅し、もっと正念を発して、両親を邪魔する悪の要素を根絶するように、皆で協力しようと言いました。

 今の父を助けられるのは自分自身であり、この世の全てを放下できるかどうか、生死を放下できるかどうかを見極める時です。全てを放下できれば、師父は助けて下さいます。そうすれば、この関を乗り越えられるのです。師が法を正すことはまだ終わっておらず、まだ衆生を救わなければならないので、誰もが早く去ってはならず、引き続き三つのことを頑張らないといけません。これこそが、私たちの心の中にあるべき考えです。

 「実は私たちは皆、生死と情の壁を乗り越えている最中なのです。もちろん旧勢力の妨害を否定する問題もあるので、父だけでなく、私たちの皆と関係があり、私たち全員が放下すれば、この関を乗り越えられるのです。私たちのことは全て師父が管理しておられるから、師父が決められるのです。私たちはいかに自分で正しく行うかが肝要です」と姉はみんなを励ましました。父は恐怖心を取り除き、法をしっかり学び、三つのことをしっかり行うことを師父に誓いました。

 父の鼻血はまだ断続的に続いていますが、この頃には父の恐怖心は完全に解消されました。その後、鼻血が出た時には、自分で発正念をし、私たちを呼ばなくなりました。

 夜9時に、大量の鼻血が出た父はほとんど立っていられなくなり、疲れ果ててすぐに寝てしまいました。しばらくすると、父が突然 「煉功の時間になったかな?」と言い出し、 母は「煉功したいの?」と聞いたら、「私は大丈夫! 煉功しなければならない」と言いました。その後、また寝てしまいましたが、その時から鼻血が出ることはありませんでした。

 4日目に父が起きた時、妻が「もう小売商売をしなくていいよ、お金が足りないわけでもないし、その時間を学法と煉功に使い、三つのことをして下さい」と言ってあげました。父は「よし、分かった!」と答えた時、腫れ上がった顔がまもなく正常になりました。

 今、父は完全に回復して、顔に赤みがさして元気にしています。母は字が読めないので、ずっと説法を聴いていましたが、『轉法輪』を読みたい、本がほしいと言いました。私たち家族は父と一緒に大きな難を乗り越えました。この後、みんなが向上し、三つのことをしっかり行うようになりました。

 師父の無量の慈悲なる救い済度に感謝いたします! 偉大な師父が父に第二の人生を与えて下さいました。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」

 (続く)

 

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/24/420889.html)
 
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