文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年5月1日】これまで私はほとんどテレビを見なかったので、テレビをよく見る同修を軽蔑していました。ある日、私は病院から退院したばかりの年配の同修に、「お姉さん、退院したのだから、しっかり学法しようよ。私たちは毎日学法したり、法を暗記しているので、いつも時間が足りないと感じているのに、あなたはなぜ時間を無駄にしてテレビを見るの?」と言いました。実はその時、私はこの話によって同修を修めさせようとしたのですが、同修を鏡として自分を照らしておらず、内に向けて自分を修めていないために、修煉の機会を失ってしまいました。
ある日、もう一人の女性同修が私に、「○○のドラマを見ましたか?」と聞いてきたので、私は「見てないです」と答えました。その後、この同修は4回も繰り返して同じ質問をしてきました。そして最後に、「私は繰り返して4回見ました。とても素晴らしいですよ」と言った時、ついに私の好奇心が出て来ました。「どんなドラマでしょう、彼女を惹きつけさせて4回も見させるとは」と、私は不思議に思いました。夫は家にいる時に必ずテレビを見ています。ある日の夜、私は学法から帰って、ついテレビを見ました。いつの間にか、ドラマの1話、1話とどんどん見てしまいました。そのドラマは全部で74話あり、特に最終話の時、朝2時まで見ていました。
その後、興味のあるドラマがあると、時間が取れる時や食事をしている時、たまに見るようになりました。座って見ていると、1時間、2時間がすぐ過ぎます。以前のように時間を大切にすることがなくなり、さらに、テレビを見てない時も、頭の中にドラマのことが浮かんでしまい、ドラマの人物、ストーリー、結果がどうなるのかなど、止まらず、テレビに執着しました。自分をコントロールできないまま、テレビに執着し、すぐに後悔して、やめようと決心するのですが、しかしまた繰り返していました。学法も落ち着かず、発正念も集中できず、さらに真相を伝えることも妨害されました。このような繰り返しで6年が過ぎ、修煉者の基準から離れてしまった私は非常に苦しいと感じ、本当に辛く思っていました。どうしたらいいのでしょうか? 師父、私はなぜ改められないのでしょうか?
『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』の中に、「問:修煉状態が良くなったり悪くなったりします。パソコンやゲーム、スマホなどの好きなものに執着するときがあり、修煉を滞(とどこお)らせています。どのようにしたら自らを制御し、精進の状態を保つことができるのでしょうか?」
師:人間には中毒という言葉がありますが、中毒とは何かを教えます。医学的に、快楽を司る神経が刺激され、発達すると依存症になると言われていますが、そうではありません。どういうことでしょうか? 時間が経つにつれ、あなたの体にあなたの姿形と全く同じもう一人のあなたが出来上がります。このもう一人のあなたは執着によって構成され、あなたを制御しています。とても強い執着があなたの姿形を形成したため、あなたの心を制御してしまうほど強い力を持っています。とても強い心によって形成されたからです」[1]「麻薬中毒も同じです。麻薬なんか大丈夫、少し摂取しても問題ないと言っている人がいます。確かにいい気分になりました。もう一度やってみましょうか? それも大丈夫でした。じゃ、もう一回? もうおしまいです。コントロールできなくなりました。なぜでしょうか? 麻薬の成分は体内に摂取されると、あなたの体の中に薄くて淡いあなたを形成しました。毒性が強いから、一回でできてしまいます。二回目摂取すれば、この薄くて淡いあなたが少し濃くなります。吸うたびに濃くなり、ますます濃くなり、逞しくなっていきます。このもう一人のあなたは人体のすべての構造、思惟まで備えており、麻薬の魔性によって構成されたあなたになります。もちろん、このあなたは麻薬摂取以外のことにまったく興味はありません。麻薬がなければ、麻薬をやめれば承知しなくなります。なぜでしょうか? すでに生き物になったからです」[1]
師父の法に照らし合わせて、私は「自分を放任したため、テレビへの執着が長時間積み重ねられ、自分の身体の中に強い生き物(偽のわたし)を形成しました。その生き物は私の体と思惟を通して私をコントロールし、私の執着を拡大して、私の意志を失わせました。しっかりしないと、安逸の生活の中で、何千万年も待ち望んだ返本帰真への修煉の道を滅ぼすかもしれません」と悟りました。
この法を読んで、この執着心が構成した生き物や、その危害と目的について、私ははっきりと分かりました。私たち大法弟子はしっかりと自分を修め、より多くの衆生を救い済度し、大法弟子の威徳を成就するために、師父は巨大な苦痛に耐えられて法を正す時間を延長しています。それなのに、私は安逸の中で無駄に時を過ごし、修煉を弛ませてしまい、師父や大法に本当に申し訳ないと思いました。また私たちの救い済度を待っている衆生にも申し訳ないと思いました。
師父は、「修煉と法を正すことは厳粛なことで、この時期を大切にできるかどうか、ということは、実は、自らに対して責任を負えるかどうかのことになります。この時期は長くありませんが、異なる次元の偉大なる覚者、佛、道、神、そして異なる次元の主の威徳を鍛え煉りあげることのできる時期であると同時に、自らを緩めた修煉者を、すでにいる非常に高い次元から、あっと言う間に駄目にしてしまう時期でもあります」[2]と説かれました。
自分の修煉の方向が分かったので、私は今から師父の慈悲なる救い済度にお応えし、この万古の機縁を大切して、大法弟子の責任と使命を担うことを決心し、すべての人心や執着心を取り除き、主元神をしっかりとコントロールできるようにします。
テレビに深く惑わされる状態から抜け出して、修煉の初心に戻り、偽のわたしを切り離さなければいけません。テレビを見ることをやめ、この乱世の中で正しい状態を保ち、着実に精進し、修煉し、しっかり学法していこうと決心しました。自分を修め、多くの人々に真相を伝え、多くの衆生を救い済度し、師父が按排してくださったた修煉の道を最後までしっかりと歩み、大法弟子の使命と誓いを果たし、師父について天上の家に戻ります。
以上、私の回り道をさらけ出し、自分の改める決心を表したいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の経文『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作『精進要旨二』「法を正す時期の大法弟子」