大法弟子を警官は笑顔で通行させた
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年5月5日】数年前のある日、同修と3人で、県外にいる同修の資料拠点の設置を手伝いに行きました。 車の中にはプリンターと数箱のコピー用紙が入っていました。

 高速道路を降りると、出口には4、5人の警官が立っていて、検問をしていました。 この時、私は世界の人々が、師父の法を正す時期に法輪大法によって救われるという信念を持って、この世にやってきたのだと思いました。私はとても落ち着いて、師父の法を暗唱しました「人類は、大法のこの世での現われに対して、然るべき敬虔と尊重を体現することができれば、人々、民族、或いは国家に幸福や栄光をもたらすことでしょう。天体、宇宙、生命、万事万物が宇宙大法によって切り開かれたため、生命が大法から背離すれば、それは本当の堕落となります。世の人は、大法と一致することができれば本当の良い人であり、同時に善報、福寿を得ることができます」 [1]

 その時、警官が我々の車を停止させて調べました。私はまた師父の法を心の中で唱えました「人類は、大法のこの世での現われに対して、然るべき敬虔と尊重を体現することができれば、人々、民族、或いは国家に幸福や栄光をもたらすことでしょう」 [1]

 すると警官たちは、私たちに微笑みかけて「君たちは自営業だろう? この車の後輪は少しぐらついているので、時間があるときに直した方が良いですよ、ゆっくり運転して安全に気を付けて」と言いました。私は「お気遣いありがとうございます」と言いました。

 そして、私たちはゆっくりと走り去りました。 県外に着き、そこの同修を手伝い、資料拠点を設置しました。その時、私たちは衆生救済と私たちの歴史的使命の遂行のために、全面的に協力することができました。

 内に向けて探し、大法の美しさを示す

文/中国の大法弟子

 昔、私は家族愛を重くみていたので、両親や姉妹とわりと仲良くやっていました。しかし、少し前に、私達の間に隔たりが生じました。私は「彼らと真摯に向き合えた」と思っていました。当時の私は、自分の内に目を向けることなく、常に彼らが間違っていると思い、心の中で公正を求めていました。

 しかし、この考えを持てば持つほど、この隔たりが大きくなっていきました。私も憤りを感じるようになり、お互い譲り合うことがなく、本当に振り回されて、疲れてしまいました。

 そして、最後に「やはり自分を修めないといけない」と思いました。その一念を発したら、師父の法がどんどん私の頭中に入ってきました。私は自分の利己主義を目の当たりにしました。私が両親や姉妹に良くしているのは、彼らが私を信頼し尊敬していることに基づく上で、本当は不純であること、これは、真・善・忍という師父の教えから、どれほどかけ離れているかを知りました。

 その瞬間、師父が語られた法理が私の頭の中で幾重にも展開され、それはとても神聖で素晴らしいものでした。その時、私の心は慈愛に満ち、恨みはとっくに消えていました。

 そして、私の両親や姉妹を見ていると、彼らは名声や富を求めてもがいている衆生です。しかし、彼らも大法を達成するために地上に降りてきた偉大な存在でもあるのです。大法弟子は彼らを大切にしなければならないのに、どうして彼らを恨むことができるでしょうか。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』「論語」

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/24/422479.html)
 
関連文章