ある不思議な修煉物語から旧勢力の按排を否定する方法を考える
■ 印刷版
 

 文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2021年5月7日】大法の修煉物語について、こんな素晴らしい話があります。中国のある田舎のAさんの話です。彼女は体が不自由で、歩くのに杖が必要でした。学校に行ったこともなく、文字も読めません。モラルの低下した現代社会で、彼女はよくいじめられていました。彼女は偶然に法輪大法に出会い、修煉を始めてから大法のすばらしさを体験しました。同修たちは、彼女に親切に接し、読み方を教えました。Aさんは次第に、一人で『轉法輪』が読めるようになっただけでなく、『洪吟』も暗記できるようになりました。

 1999年7月、中国共産党が法輪大法に対する全国的な弾圧を開始したとき、Aさんは同修とともに北京に行き、大法の無実を訴えましたが、逮捕されてしまいました。Aさんは警官から残酷な暴行を受けて、血だらけになりましたが、その拷問に耐え、信念を捨てませんでした。

 解放された後、Aさんは法輪功迫害に関する資料を掲示したり配布したりして、迫害に対する意識を高め続けました。その後、何度も逮捕されたり、拷問を受けたりしましたが、決して引き下がらなかったのです。中国共産党の宣伝に騙されていた村の幹部たちは、彼女を恨んでいましたが、彼女はなかなか折れない人だと思っていたようです。

 Aさんが街で真相を伝えていたときに再び逮捕されました。村の幹部たちは、警官に彼女を殴り殺すように指示しました。警官たちは、Aさんの手首よりも太い大きな棍棒を持って取り囲み殴りました。あっという間に小さな女性のAさんは地面に叩きつけられ、動けなくなってしまいました。瀕死の状態の中でAさんは「今回は耐えれないかもしれない...」、そして「障害者の私が大法を手に入れることができたのは、本当に幸運なこと…」と考えていたのです。

 警官はAさんを激しく殴って疲れていました。このままでは死んでしまうと思い、警官はしばらく立ち止まって様子を見ていましたが、この時1人の警官が悪意を持ってAさんに言いました。「あなたを殴り殺すように、上からの命令があったことを知らせしますよ。あなたが息を引き取ったら、すぐに火葬場に連れて行くことになっている」

 これを聞いて、Aさんは自分がもうすぐ死ぬのだろうと思いました。しかしその時、娘(学習者)や同じ村の多くの学習者がとても善良で親切だったことを思い出しました。突然「私は死ねない! 大法はとても素晴らしいものだ。私は真実を明らかにする資料を配布して、もっと多くの人に、大法の素晴らしさを知ってもらわなければならない!」そう思った直後、彼女の体が動き、立ち上がる力があることに気づいたのです。そして、立ち上がりました。

 Aさんが立ち上がったのを見た警官らは、さらに気が狂ったように全力で殴りました。太い棍棒も折れてしまいましたが、Aさんは痛みを感じませんでした。殴られれば殴られるほど、彼女は気持ちよくなっていました。警官らは怖くなり、怖がってAさんを「この人は死ねない人だ!」と叫びました。結局、彼女は釈放され、人々は彼女のことを「死ねない人」と呼ぶようになりました。

 この話を思い出すたびに、私は師恩の偉大さと、大法のすばらしさに感動するのです。また、Aさんの正念にも深く感銘を受けました。

 この話に触発されて、私はあることを理解しました。法を正す時期には、迫害に抵抗しながら修煉するとき、悪の勢力に迫害されているとき、自分は修煉者だと思うだけでは十分ではないということです。

 Aさんは自分を、「真の修煉者」と考えており、いくつかの厳しい試煉に合格していたのです。旧勢力が彼女の肉身を奪おうとしたとき、彼女が「死ぬわけにはいかない」という思いを抱くまでは、試煉に合格できるとは思ってはいなかったのです。「大法はとても素晴らしいものだから、私はこの法輪大法に関する資料を配布して、もっと多くの人に、大法が素晴らしいものだと知ってもらわなければならない!」と思ったのです。彼女はすぐに力を得ました。奇跡が起きたのです。なぜでしょうか?

 大法弟子の使命が、法を正して衆生を救うために師を助けることであるならば、私たちの使命の意味は、個人的な修煉よりもはるかに大きいのです。個人的な修煉で達成するのは、人や神であり、「師を助け法を正す、衆生を救う」のは、無限の衆生や神を救うことであるのです。両者の比較ができるようなことではありません。

 Aさんは非常に多くのことを耐えてきました。しかし、その苦しみは、やはり自分自身を確立し、完成させることを目的とした個人的な修煉に基づくものでした。個人的な修煉のための按排は、旧勢力が行ってきたことであり、彼らは「苦難を経て、悟りを開いた者を鍛える」というプロセスを用いて、歴史上(釈迦やイエスなど)、多くの悟りを開いてきました。

 旧勢力は、大法弟子の個人的な修煉を最も重視し、大法弟子に苦難を経て達成する道を歩ませようとしていました。ですから、法を正す時期に、まだこの原則に基づいて修煉していれば、知らず知らずのうちに旧勢力の按排した道を歩んでいることになり、旧勢力を完全に拒絶することができないのです。

 Aさんが後から、「死んではいけない、もっと多くの衆生を救わなければならない」と考えたのは、「師を助け法を正す、衆生を救う」という考えに基づくものであり、師からの要求に沿ったものです。

 迫害に抵抗してきた20数年の間に、どこにでも蔓延している邪悪な旧勢力による数々の迫害に、遭遇してきました。私を含め、多くの同修が躓いています。今、本当に反省しなければならないのは、私たちの考え方です。迫害に対して「無力感」や「絶望感」を感じ、旧勢力を完全に否定する方法を知らない修煉者たちがまだたくさんいます。おそらく、個人的な修煉という概念が邪魔をしているのかも知れません。

 あくまでも現時点での私の理解ですので、適当でない所があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/19/422213.html)
 
関連文章